第七話・ヴィレス族の少年
意識こそ失うことはなかったが、苦しげに胸元を押さえて呻くシエルは近場に敷かれた布団の上に身を横たえていた。
老婆は依然として険しい表情でシエルを見つめ、低く唸っている。込み上げる怒りを無理矢理に抑え込んでいる、そんな様子だ。
ファミリオは完全とは言えずとも随分と回復していた。アルーシェに支えられながら身を起こし、その場に集まった面々に視線を向ける。
そして、アルーシェ自身も。状況を正確には把握出来ていないが、取り敢えず自分達が歓迎されていないことは理解していた。
シエルは荒い呼吸を繰り返し苦痛に表情を顰めながら、それでも視線は老婆に向ける。
「ババ様……本当にごめん。けど……」
「こんな薄汚い人間共を集落に入れただけでなく、許可なく力を使うだなんて……!」
「でも……スカルピオの毒はとても強いものだよ、早く手当てが必要だったんだ……」
「人間なんかみんな死んじまえばいいのさ! アタシらには関係のないことだよ!」
老婆はシエルの言葉に大きく頭を横に揺らし彼の発言を否定すると、抑え切れなかった怒りを語調に滲ませて吐き捨てるように怒鳴る。拳は震え、顔は怒りで赤く染まっていた。
シエルはそんな老婆の言葉に対し悲しそうに表情を歪め、口唇を噛み締めて閉口する。
――アルーシェには気になっていることがあった。それは老婆の言葉だ。
薄汚い人間。そして人間共と、頻りにそう口にすることである。それでは、まるで自分達は人間ではないみたいではないか。
シエルがファミリオを不可思議な力で治療したところを見ると、彼らは人間ではないのかもしれないとアルーシェは思うが、姿形は人間とまるで変わらない。
そこで、彼女の脳裏には一つの可能性が過ぎった。口を挟んで良いものかと躊躇はするが、やがて静かに口を開く。
「あの……あなた方は、もしやヴィレス族なのでは?」
父からこの辺りにあると聞いたヴィレス族のアジト。
先程の場所にはそれらしい建物も何も見えなかったことを思うと、人目を避ける場所に住んでいると言う可能性があったのだ。
だが、老婆は忌々しそうにアルーシェを振り返ると、憎悪を色濃く滲ませて再度吐き捨てた。
「だったらなんだってんだい!? 今すぐアタシらを根絶やしにするってかい!」
「そ、そんな、私は……!」
「貴様らが来なければこんな騒ぎにはならなかったんだ、この疫病神が! 誰か、さっさと始末しておしまい!」
最早、口を挟むような隙もない。老婆は憤慨したままの様子で声を上げると、周囲に居る他のヴィレス族達へと指示を向けた。
それに倣い周囲の住人達はそれぞれ武器を構え、槍や剣の切っ先をアルーシェとファミリオに向ける。
噂通り、なんと血の気の多いことか。
アルーシェは一度奥歯を噛み締めるが、努めて平静を装う。ヴィレス族に対する憎悪はあれど、今のアルーシェは彼らと争いに来た訳ではないのだから。
腰に括り付ける小型の鞄を片手で漁り、中から書状を取り出した。
「待ってくれ、私はフォルティア公国のアルーシェ・フォルティア。皇帝陛下の命で、この書状を届ける為に来た」
「皇帝陛下だって? 何の用だってんだい!」
「陛下はあなた方ヴィレス族との和解を望んでおられる。これはそれについての書状だ」
手にした書状を老婆に向けてそっと差し出すと、その肩越しでシエルが何処か嬉しそうに表情を綻ばせるのが見えた。アルーシェは思わず疑問符を滲ませたが、すぐに意識は引き戻される。
差し出した書状を、老婆によって勢い良く叩き払われたからだ。老婆の手がアルーシェの手の甲を打ち、彼女の手からは書状が落ちる。
何をするのだと、アルーシェは老婆に視線を戻したが、彼女が何か言うよりも先に怒りに身を震わせた老婆が再び怒声を張り上げた。
「何が和解だい! 薄汚い人間共の言うことなんか信じられるか!」
「そんな……書状に目を通していただきたい! 我々は本当に……!」
「よくもそんなデマカセが言えるね! アンタだってそんなこと望んじゃいないんだろう、目を見りゃよーく分かるよ! アタシらを毛嫌いしてるってね!」
その返答に、アルーシェは思わず言葉に詰まった。何も答えられなかった。老婆の言葉は事実だったからだ。
母を奪ったヴィレス族を、アルーシェは許せそうにない。憎んでもいるし、老婆の言うように毛嫌いし、大嫌いだとも思っている。だからこそ、アルーシェは反論が出来なかった。
口先だけで否定することは簡単だが、心にもないことを言葉に乗せられるほど彼女は器用ではないのだ。
言葉に詰まったアルーシェを見て、老婆は案の定と言った様子でフン、と鼻を鳴らした。ファミリオは彼女の代わりに何か言おうとはしたのだが、まだ本調子ではないらしい。上手く頭が働かない。悔しげに奥歯を噛み締めて、拳を握り締めた。
「……ババ様」
「なんだい、シエル」
「……読んで」
ふと鼓膜を揺らした声に、老婆は布団に横になったままのシエルへと視線を戻すが、小さく静かに――しかし、確かに紡がれた要求に双眸を見開いた。そして、先程同様に信じられないと言うような表情を滲ませる。
だが、シエルは今にも泣き出してしまいそうな様子で、改めて老婆に言葉を向けた。
「――書状を読んで、ババ様。オレ、もうやだよ、こんな風に憎み合うのは……」
「……シエル……!」
「その子は悪い子じゃない、大切な誰かのために心を割ける子だ、オレ達と同じ心を持ってるんだよ。ババ様は人間が野蛮だって言うけど、その子は全然野蛮なんかじゃない、優しい子だよ」
思わぬ方向からの助け舟に、アルーシェ自身もまた老婆のように信じ難いと言う様子でシエルを見つめた。
シエルは、アルーシェが思っていたようなヴィレス族とは随分と異なる。粗暴な部分もなく、寧ろ人間よりも優しいようにも見えるほどだ。怒られることだと言うのにアルーシェ達を集落に招き入れ、ファミリオの治療までしてくれただけでなく、こうして和解に対して助け舟まで出してくれるのだから。
老婆は眉を寄せ複雑な表情を滲ませて黙り込んだ。
「ババ様、書状を読んで。オレを心配してくれるなら」
表情を顰めて黙る老婆を見つめて、シエルはしっかりとした口調でそう告げた。