第三話・情報屋プテロプス
愛馬に跨り城を後にしたアルーシェは、ふと視界に捉えた姿を認識して表情を顰めた。意図的に、と言うよりは寧ろ反射的に近い。
向こうもアルーシェの姿を見つけたのか、はたまた彼女が出てくるのを待っていたのか。それは定かではないが、口角を引き上げて双眸を細めると表情に笑みを刻む。そして身体ごとアルーシェに向き直り両手を自らの腰に当て、声を張り上げた。
「あーら、お姫ちゃま! どっかお出掛けぇ?」
紅色の髪を低い位置で三つ編みにした女性だった。年頃はアルーシェと同じくらいか、一歳か二歳は上ほどと思われる。彼女の後ろには二人の男の姿も見えた。
真紅のワンピースを着込み、全身真っ赤としか言えない姿をした彼女を見据えたまま、アルーシェは隠すでもなく表情には不愉快さを滲ませる。すると、彼女はアルーシェとは対照的に愉快そうに笑みを深めて紅の双眸を輝かせた。――面白い、そう小馬鹿にするように。
アルーシェが跨る愛馬の真正面に立ち行く手を阻む彼女は、表情には嘲笑を浮かべながら態とらしく双眸を細めたまま下からアルーシェの顔を覗き込んでみせた。
「ちょっとちょっとぉ、無視はないんじゃないのぉ?」
「姫様は急いでおられる、貴様の相手などしている暇はない」
「ジジイにゃ聞いてねーっつーか、どーでもいいから黙ってろや」
明らかに不愉快そうな雰囲気を醸し出すアルーシェの様子を悟り、ファミリオは彼女が何か言うよりも先に言葉を向けたのだが、紅の女性は間髪入れずに抑揚のない声で返答を返す。姿形は間違いなく女性なのだが、どうにも口が悪い。信頼を置くファミリオに対しての暴言はアルーシェの不愉快さを刺激していく。
だが、アルーシェが嫌そうな表情を浮かべれば浮かべるだけ、彼女は小馬鹿にするように笑いながら愉快とばかりに表情を輝かせた。
「何の用だ」
「べっつにぃ?」
行く手を阻んでおきながら、特に用はないと言う。
アルーシェはますます不愉快そうに表情を顰めた。
彼女は、名をフォルミカと言った。
あちらこちらを飛び回り世界中を縦横無尽に渡り歩く情報屋『プテロプス』のリーダーだ。
プテロプスと言う情報屋組織は裏社会を生きる者ならば知らぬ者は居ない、と言われるほどの集団であり、このフォルミカも何かと有名な女性であった。
必要であれば帝国に情報を齎し、またある時は他国にも様々な情報を流す。昨日までは帝国の味方をしていながら、翌日には敵国へ情報を流している。と言うことも少なくはない。
本来ならば罪に問われてもおかしくはないのだが、彼女達はこの世界のほとんどの情報を把握し、掌握していると言っても過言ではない。帝国とて、彼女達の情報をアテにしている部分もあるのだ。単純に捕らえて処刑、と言うのも難しい。
更に言うのであれば彼女達はその職業柄、危険と隣り合わせで生きている為に非常に腕が立つ。そう簡単に捕らえることも難しいと言うのが事実。
アルーシェは彼女達のその生き方が、どうにも好きになれなかった。その上、こうして顔を合わせれば嘲笑や小馬鹿にするような言動ばかり。好ましいと感じられる部分は、ただの一つとして存在しない。
「用がないのなら我々はもう行く、邪魔をするな」
「はん、お高く留まっちゃって。感じわっる!」
「貴様、それ以上姫様を愚弄するのなら――」
「構うなファミリオ、行くぞ」
幼少の頃よりアルーシェの面倒を見てきたファミリオにとっても、フォルミカは決して好ましい存在ではない。しかし、構うことさえ無駄な時間としてアルーシェは彼に一声掛けると、それ以上は無駄な口を利くことなく馬の手綱を引きフォルミカの脇をすり抜けていく。
ファミリオはと言うと、忌々しそうにフォルミカを見下ろしはするが、やはり閉口したまま先を行くアルーシェの後に続いて馬を進めた。
フォルミカはそんな二人に身体ごと向き直り、声高らかに揶揄の言葉を投げ掛ける。
「あっはは! おっきをつけて、甘ちゃんお姫ちゃま!」
その声色は何処までも、アルーシェを小馬鹿にするような響きを孕んでいた。だが、彼女が改めてフォルミカを振り返ることはない。
それを確認して彼女は再度自分の腰に両手を添えると、ふん、と一息吐き出してから胸を張る。その表情には何処までも愉快そうな笑みが滲んでいた。
「ほんっと、お高く留まっちゃってイヤ~な女。お姫ちゃまだからってさ」
「しかし、我々の今後を左右する鍵は姫が握っているようなもの。ああまで馬鹿にする必要はないだろうに」
「はああぁ? あんたなに言っちゃってんのよ、あの女が鍵? あたしらの今後を左右するって? バッカ言わないでよね、代わりなんて幾らでも居るんだから!」
それまで後方に控えたまま成り行きを静観していた二人の男は、アルーシェとファミリオの姿が見えなくなるとフォルミカに歩み寄り、一言咎めらしき言葉を向けるのだが、フォルミカ自身は如何にも不愉快そうな表情を滲ませて二人を振り返った。
そして捲し立てるように、やや早口に――そして間髪入れずに言葉を返す。
「いい? あたしは皇帝に情報を流して、和解の提案を出しただけ。そしたらまんまと皇帝が引っ掛かって、和解に身を乗り出したんじゃない。つまり、あの女もあたしの手の上で踊ってるだけに過ぎないんだよ」
「だが、俺達の本来の目的は……」
次々に繰り出される言葉の数々に、男二人もやや困惑気味だ。困ったように唸り声を洩らす様子にフォルミカは双眸を細めると、改めて不愉快そうに一つ息を吐き出した。
そして胸の前で腕を組み、視線はアルーシェ達の向かった方向へと投げ掛ける。まるで獲物を狙う野獣のような、そんな眼で。
「そ。あたし達の狙いはヴィレス族のアークただ一つ。あのお姫ちゃまがヴィレス族の集落を見つけたら、あとは――分かってんね?」
まだ時間帯も早い為か、周囲には他に人影はない。
だが、幾分潜めた声量で告げるフォルミカの言葉に二人の男は静かに頷く。それを横目に見遣り、彼女はまた愉快そうに、今度は口元のみに薄い笑みを刻んだ。堪え切れないとばかりに両手は自らの身を抱くように両肩に添え、押し殺した笑い声を洩らす。その表情はどんどん愉悦に歪んでいった。
「数日前に捕まえたヴィレス族の言葉が本当なら、アークを手に入れればこの世界を思うままに出来るんだ。あたしはアークを使って、あたしの為の世界を創ってやるよ!」
しっかりとそう呟いて、フォルミカは天を仰ぐ。その紅の双眸は欲に塗れて輝く。彼女が上げた高笑いは、朝の街中に木霊した。