-序章-
荒れ果てた大地の上に、数人の騎士が剣を構えて立つ。
四方八方から襲い掛かってくる狼型の魔物と戦闘を行っているのだ。
乗っていた馬から降り、飛び掛ってくる獣へ無遠慮に剣を振るい、次々に叩き落としていく。腹部を切られた獣は大量の鮮血と悲痛な声を周囲に撒き散らして大地へと落ち――程なくして、絶命。
甲冑に身を包んだ騎士達は、焦ったような様子もなく、事務的に魔物と対峙していた。
「アルーシェ様、最後の一匹です!」
「分かった!」
そんな騎士達の中に、一つ戦場に相応しくない高い声が響く。
プラチナベージュの艶やかな長い髪を靡かせ、自らの身を軸に半回転することで勢いを付け、片手に持つ剣を獣へと叩き付けた。
その刃は獣の胴部分を見事に打ち付け、身を吹き飛ばした。剣撃で裂けた魔物の腹部からはやはり大量の血が溢れ出し、大地に夥しいまでの血溜まりを作る。
先程までは十匹前後は居た獣達だったが、戦い慣れた騎士達の力の前に、呆気なく全滅したのであった。
アルーシェと呼ばれた一人の騎士は長い髪を背中へと払い、一つ安堵の吐息を洩らす。
陽光を受けて艶やかな輝きを纏うその髪は、左側の低い位置で三つ編みに結われており、先には白いリボンが一つ。騎士でありながら肌は白く、余計な傷などは全く存在しない。
瞳は澄んだ水色で、何処か気品さえ漂っていた。
白と水色の騎士服の上から白銀の肩当てと胸当てを身に付け、両手には同じく手甲。足元もグリーブでしっかりと固められた――騎士そのものの姿。
しかし、周囲の騎士と明らかに異なる点と言えば――――
「姫様、お怪我は御座いませんか?」
――アルーシェと言う騎士は、男性ではなく女性であった。
白く長い髭を生やした老騎士は彼女の傍らへ歩み寄り、身の安全を窺う。アルーシェは彼に向き直ると、ふと眦を和らげて微笑み、そして頷いた。
「ああ、問題はないが……ファミリオ、戦場での私は皆と変わらず一人の騎士だと言っている。そのような気遣いは不要だ」
「この爺は姫様が幼少の頃よりお世話をしているのです。心配するのは当然のことで御座います」
「あははっ、ファミリオ様はアルーシェ様の心配をさせてもらえなくなったら、早々にボケてしまいますよ」
困ったような表情を浮かべるアルーシェと、至極当然のように返答する老騎士ファミリオ。
しかし、ファミリオに助け舟でも出すように、彼の後ろに一人の少年が駆け寄り軽口を叩いた。するとファミリオは厳つい表情を更に歪ませて振り返り――そして少年の頭を兜の上から小突く。
すると、少年を筆頭に周囲の騎士達からは一斉に笑い声が上がった。
アルーシェとファミリオは互いに一度顔を見合わせると、周囲につられるように彼らもまた愉快そうに笑い声を上げたのだった。
「ふふ、はははっ、……さて、そろそろ戻ろう。これで暫くはこの辺り一帯も大丈夫だろうから」
「まったく、こやつらには再教育が必要なようですな。このワシを笑い者にするなど……」
「別にいいじゃないか、ファミリオのお陰で皆も纏まっているようなものなのだから」
アルーシェは純白の愛馬へ跨ると、傍らの老騎士を見下ろしながら微笑む。無論、彼が冗談で口にしていると言うことはアルーシェ自身も理解しているのだが、彼女が言ったこともまた事実。
十人で結成されるこの一部隊の隊長はアルーシェが務めているのだが、彼女はまだ十八歳と言う若い身。更に言うのであれば女性だ。彼女一人でこの部隊を完全に纏めるのは、まだ難しいものがある。
しかし、その補佐をしているのがファミリオだ。騎士として長年務めてきた彼が居るからこそ、この部隊はしっかりと団結していると言っても過言ではなかった。アルーシェに人望がないと言う訳ではないが、戦場では地位よりも信頼の方が重要になるのだ。他でもない、生き残る為に。
「私ではこうはいかない。ファミリオにはいつも感謝しているよ」
「……勿体ないお言葉で御座います、アルーシェ様」
アルーシェは馬上から騎士達を振り返る。彼らは皆一様に何処か楽しそうで――安心したような、そんな表情。
ファミリオは歴戦の勇者、と言っても過言ではないほどの手練であるが、彼が部下に慕われる理由は他にあることをアルーシェは理解している。
それは、彼の気さくな性格だ。周囲のことを考えた言動が出来る、それがファミリオと言う男。一言で言うのなら、誰かを笑わせる為なら自分が笑い者になっても問題はないと――それが出来る性格をしているのである。
アルーシェはまだ若く、更に性格はどちらかと言えば不器用。彼女はファミリオのような気さくな部分は持ち合わせていない。それ故に、彼に救われている部分が非常に多いのだ。
――羨ましい。言葉にはしないが、アルーシェはそう思いながら傍らの老騎士を見下ろした。
彼女の名前はアルーシェ・フォルティア。
北の帝国オフェーロにある一つの公国、フォルティアの公女である。元々は女性らしい淑やかな性格をしていたのだが、過去の痛ましい記憶と経験を機に彼女は剣を取る道を自ら選び取った。最初こそ周囲の反発も多かったが、それでも彼女は己の信念を曲げることはしなかったのだ。
――この世界には幾つかの国と大陸が存在しているが、そのいずれも大地は荒れ果て、草木はほとんど存在していない。
水はその多くが干上がり、周囲には水による海ではなく、細かな砂による砂海が何処までも広がっている。雨が降らず、その為に作物は育たない。世界では常に食糧や水が不足し、人々は飢饉に喘いでいた。
だが、食糧が不足しているのは人間達だけではない。動物や魔物達も自然に食べるものがないからこそ、人々を襲い食すのである。
そして、その魔物や肉食動物から人々を守る為に騎士が存在している。アルーシェもその内の一人だ。
「アルーシェ様、どうかされましたか?」
「――いや、なんでもない。さあ、街に帰ろう!」
傍らから掛かるファミリオの言葉に、アルーシェは静かに微笑んで小さく頭を振ることで意識を切り替える。そして手綱を握り、愛馬を走らせた。
この世界は、何処も彼処も荒れ果てている。
太陽が無情なほどに大地を照らし世界中の水を干上がらせ、雨を呼び込むこともない。自然豊かな緑は何処にも存在せず、在るのは果てなく無限に広がる大地と、砂の海だけ。
それ故に、人々は自分達の住まうこの世界をこう呼んだ。
神々に打ち捨てられた世界――ディザード、と。
この話は、神に見放され打ち捨てられた世界ディザードに生きる姫騎士アルーシェと、悲歎の宿命を背負った青年の哀しき愛の物語――……。