反デジタルの打牌
人と運
1.
チャッ・タンッ・カシャッ・トン・ガッ・ドン
僕の居場所であるこの部屋のなかでは、これらの音が日常茶飯事だ。
決して静かではない。むしろ、少々うるさいくらいのこの音は人が出す音の中で1番表現豊かだと僕は思う。
トッ(あ、この人行儀がいいなあ)バシッ(この人は分かりやすい人だなあ)スッ・・・(隠そうとしてもムダさ。静かすぎる)
「あっ・・・」ポロッと音がしたのではという不手際だ。それを咎めるようにパタンと音がする。
「ロン。迂闊だなあ、それだよそれ」
集中できてない。それゆえの失敗だった。
それでも、僕の心は浮き足立っていた。
「なあ今日はさあ・・・、門倉プロの対局見に行くんだろ連れてってくれよ」点棒を懐にしまう佐藤に声をかける。
「お前は本当に門倉さんの麻雀好きだよなあ、弟子にしてもらえよ」
「言ってみたんだけどダメの一点張りでさあ・・・それなら見て勉強するしかないだろ。・・・それにあの人の打牌の音はさあ聞いてて気持ちが良いんだよ」
「いつもそれ言うよな・・・わかったよこれが終わってから案内してやる」
顔が上気するのがはっきりとわかる。それ程に門倉薫の打ち筋に憧れているのだ。いや、彼自身毎好きになっているのである。
麻雀プロになって1年、僕は駆け出しのそれまた以前の存在で当然門倉のようなトッププロが座る会場に来たのは初めてだった。
「もう始まってるぞ!」佐藤が声をかける。僕はその場の雰囲気にのまれていた。以前より麻雀のイメージは良くなったとはいえ、まだまだ「日の当たる」状態には程遠いと思っていたのだ。
それが観客席は満席、モニターを見る人達の目は打牌に釘付けで時には歓声が上がる。熱い場だ。自分たちは立ち見で見るしかなかった。(麻雀界もまだまだ捨てたもんじゃない)と1プロとして1ファンとして嬉しい誤算だ。
1流プロ4人が集まった今大会、それぞれのファンがモニターに向かって声援を送る。だが、門倉に対する声援は心なしか少ない。若手スターはアイドルのようだが、無口でポーカーフェイスな門倉は人気が少ない。がたいも山のようだから怖くてアイドル性がない。
でも、僕が彼を尊敬しているのは現在の麻雀界でも珍しいその打ち筋である。その打ち筋にシンパシーすら感じるのだ。彼は運や流れで戦術を語る「流れ論者」である。そして、その打ち筋は誰にも真似できないといわれる程のトイツ(同じ種類の牌を2つ.3つ合わせる)思考である。同じ牌が4つしかない麻雀にとって、彼の打ち筋は確率論・デジタル思考(僕の嫌いなタイプだ)とかけ離れている。「シュンツ(123.456のように順番に3つの牌を組み合わせること)で構成する方が組み合わせの種類や数が広がるはずだ」というのが確率論者の言い分でそれは数学的にも正しい。しかし、それだけで人間3人と136個の牌と戦おうというのはなんだかさみしい。なにより、見ていてつまらない。
若手は確率を主体とする打ち筋に傾倒しそれが正しいのだと吹聴するがはたしてそうだろうか?僕や(たぶん)門倉さんは違う。確率を超えた言葉で説明できないなにかを信仰している。それが正しいと戦績が物語るのだ。
現在勝負の中盤(東3局)になっていた。今をときめくアイドルプロ3人は声援に比例して点数を積み上げている。そんななか1人門倉は点数を削られていた。ここは大きなあがりをものにして若手に一泡吹かせるべき局面だろう。僕も含め誰もがそう思っていた。そのときである。「ポン」門倉の野太い声がした。モニター越しに彼の手の内を見る。「ポン」や「チー」(いわゆる鳴き)という仕掛けは点数を安くするため現在の局面には不向きである。他に点数を上げるとすればドラ牌(手の内にあると点数を倍にあげるものと考えてくれれば良い)をもっていなくてはいけないのだが、彼の手の内にはない。
22256(マンズ)、4477(ソウズ)、2345(ピンズ)【彼の手の内・・・( )内は牌の種類名ドラ牌はソウズの5】ここからソウズの44をポン(相手が捨てたソウズの4を拾った)したのだ。これでは、点数は1000点(スタート時の持ち点は25000点で、麻雀では1000点の手をゴミ手とも言う程点数が小さい・・・まあこれだけ書けば分かるでしょう)にしかならない。僕もこの1手の意味がすぐには分からなかった。
しかし、場の流れを見ていく内にその意味を知ることになる。まずは点数トップで勢いのあるAプロが挙動不審になる(これはソウズの4が欲しかったことを表している)。おそらく、Aプロの手の内のソウズの並びは3.5もしくは5.6だろう。赤ドラ牌(牌が赤色に塗られている。これが手の内にあると点数が倍になる)有りのルールで勢いに乗った彼のことだ。当然手の内は赤入りドラ入りだろう。しかし、それもシュンツで使おうとすればソウズの4.7が必要不可欠。結果として、Aプロはあがれない形に固定されこの局は脱落。続いて門倉プロの左隣に座るBプロだが、門倉プロが鳴いたことにより牌を引く順番が遠のく。彼の手の内はマンズの2.5待ちであがれる形になっており手役がたくさんついていた(ドラ牌が2つに一盃口と役牌という2つの役入りで8000点)。門倉プロ手の内から1個牌を切らねばならない。切った牌はピンズの2である。これはピンズの5が.トイツ(2つ)である人がいた場合5を切るとポンされることをケアする意図があったのだろう。赤ドラ牌はそれぞれの5の牌に1つずつあるから点数を上げさせないプレーである。Cプロにピンズは3.4.5.5.5(赤)とあって 5を切ればポンされて高くあがれる形になっていた。それがチー(123.345等の並びを完成させるための仕掛け) に代わる。門倉プロ自身が点を上げさせたわけではない。とどめは次の門倉プロのツモ(引き)と打牌(切った牌)である。ツモ、マンズの5、打牌マンズの6である。確率を重んじるならそのまま5.6の形を残して引けるであろう枚数の多い4.7待ちにするところである。だが、彼は違う。僕はこの時点で気付いた。彼は相手の筋となる牌を殺しにかかって流れをかっさらい自分の流れに持っていく算段だったのだ。誰かがマンズの3.4というシュンツの受けで固定しているだろうこと、ソウズの5.6もしくは3.5で形を固定させていることを彼なりの理論と感性で看破したのである。「ポン」の1声で3人の手と流れを寸断した彼の打ち筋をファンは「受け流しトイツ思考」と呼ぶ。結果門倉プロはマンズの2を引いてそれを「カン(同じ種類4つの牌全てをさらして山から1枚引いてくること、その際ドラ牌は増える)」してマンズの2がドラ牌となった。さらにリンシャン牌(カンすることで引いてこれる牌のこと)のソウズの7を力強く叩き付け「ツモ・・・2000.4000」と宣言したのである(2人から2000点ずつ親からは4000点想像していたあがり点数の8倍を卓上の3人からもぎ取ったのである)。
それからの勝負は門倉プロの独壇場だった。得意のトイツ手役の乗った豪快なあがり(打点も高い)で3人を圧倒し、70000点台の大台に乗った。
「自分にはこれしかない」というまさにオリジナルの魅力ある打牌・対局だった。これからも僕はあの人に断られ続けながらも弟子入り志願の声を枯らさないだろう。確率なんかよりよっぽどミステリアスで力強いこの打ち筋をきっと身につけてみせる。そう帰りの電車の中で1人誓ったのだった。
彼はインタビューで自分の今回の対局をこう表現している。「・・・自分の手をみているだけでなく、勝負の流れ・分岐点を突くことができた我慢の麻雀だった」と。
ABC3者は口を揃えて「欲しい牌が全て門倉さんのところで止まっている」「出そうなのに彼は絞りきってなおかつあがる参った」と答えている。