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俺とあたしの恋愛事情


記憶なんてなくなってしまえばよかったんだ。

そうすれば、「私」は「俺」になって今を精一杯生きれたかもしれなかったのに。


俺の記憶が今を拒絶する。何かが違うと訴える。

俺はその違和感を常に抱きながら今の世界を生きていく。



「私」から「俺」になった元女の子の少年とその幼馴染である少女との恋愛事情。




 前世の記憶をもって生まれた。それが何を意味しているのか、今でもわからない。

 新しい身体に戸惑いを感じ、思い通りにいかない身体に苛立ちを感じ、前世とは違う身体に不安を感じた。

 いっそのこと、前世の記憶が消えてしまえばいいと幾度となく思った。そうしたなら、この身体に違和感をもつこともなかったのに。




「また眉間に皺がよってるよ」

 ぐい、と眉間に指を押し当てられた。いつの間にか目の前を遮る見慣れた制服に、慣れたように押し当てられた指を避け視線を上にあげれば、そこにいたのは幼馴染の少女だった。


「…………」

「ほら、また皺がよった」

 何が面白いのか、彼女は笑いながらまた指を俺の眉間へと伸ばす。それを視線でやめろと訴えると彼女は苦笑いして指をひっこめた。

 それを確認して俺の視線は彼女から周りへと向けた。

 いつのまにかガランとした教室に、残っているのは俺と目の前の彼女だけだ。さっきまで彼女もいなかったから、俺はこの教室で一人ぼーっとしていたのだろう。

 放課後のすこし暗くなった時間帯。他の人たちは皆下校したか部活や委員会に行っているのだろう。

 夕日の光が赤く教室を照らし、窓際の席に座っていた俺は、窓に視線を向けて目を細めた。


 真っ赤なその色に、自然とわき上がるのは嫌悪感。前世の記憶が、またよみがえる。




「こーら、またそんな顔して。君はどうして目の前のあたしをおいて意識が飛び立っちゃうのかなぁ」

 ぐい、と窓に向けてた顔を無理やり彼女の方へと方向を変えられ、また意識が彼女へと戻った。

 今度は彼女が眉間に皺をよせて俺を見ていた。俺はため息を吐いて彼女の手をやんわり外した。


「デートじゃなかったのか、彼氏と」

「今日は突然の委員会活動のために中止でーす」

「………なら、さっさと帰ればよかっただろう」

「あたしもなんだかんだで日直の仕事してたら遅くなって今に至ります」

「だから、さっさと帰れば、」

「もう時間も遅いし、こんな美少女が一人で帰ってたら変質者に襲ってくれっていってるようなものじゃない?」

「……………」

「ね?」

 にっこりと綺麗な笑顔で首を傾げられたらよその男はみんなやられるだろう。彼女の彼氏であるあの生徒会長もその笑顔にやられたのだから。

 だが生憎と幼馴染として他の男たちよりも長い間一緒に過ごしてきたのだから彼女に対しての耐久はついている。

 はぁ、とため息を吐く。


「……他の男と二人で下校するのは、彼氏のいるお前にはマナー違反だと思うけど?」

「いいじゃない幼馴染なんだし」

「幼馴染なら特にだろう。仲が良い男とちゃんと関係を線引きしておけ。彼氏が悲しむから」

「えー」

 頬を膨らませる彼女にまたため息を吐いて、俺は机の脇から学生鞄を手に取り、そろそろ家に帰ることにした。

 夕日の光を背にして、教室の扉に向かっていた足を進める。教室から出るところで、俺の席の前の椅子に座っている彼女をちらりと見てから教室を出た。





 幼馴染の彼女は昔と変わらず俺と接してくる。

 彼氏ができても、友達が増えても、変わらず俺と関係を保っている。

 だからどうしたと言われればとくに何もないが、それでも。

 俺のどこに彼女は惹かれているのかそれがわからない。わからないけれど、彼女は決して俺との関わり合いをなくそうとしない。









* * *









『お願いだからあの幼馴染の彼と必要以上に仲良くしないでくれ』

 そう言って彼女を抱きしめている生徒会長を見て、ああこの人が幼馴染の彼氏か、とそう思った。


『君たちが仲が良い幼馴染だというのは分かっているんだ。けど、やっぱりそんな君たちを見ているのは僕はつらい。』

 当たり前かと思った。

 せっかく彼氏彼女の関係にありつけたのに、それでも幼馴染との仲の良さを見せつけられるのはつらいだろう。

 そういうことなら彼女とは極力話さないでおこうかと、俺が思ったのはこんなことだ。

 けれど彼女の言ったその言葉は、この場から去ろうと足を進めるところだった俺を引きとめた。



『無理だよ』

『え……』

『彼と距離を置くのは私にはできないよ。それは先輩の頼みであっても無理』

『どうして…』

『でも安心して? 私が好きなのは先輩だから』

 先輩が聞きたかったのはそんな薄っぺらい愛の言葉ではなかっただろう。だけど、彼女の微笑みながらのその言葉は先輩にとって何よりも重要な言葉だったのかもしれない。

 顔を赤くして彼女を抱きしめるその姿に、単純な男だな、と俺は心の中で呟いた。

 それからは二人仲良く手を繋いで帰る姿を俺は静かに見送った。







 ずっと昔のことのように、あの時の記憶がよみがえる。前世とは違う最近の記憶。

 彼女がどうしてあんな言葉を言ったのか、俺はいまだに理解できない。それでも、彼女が変わらず俺との関係を保っているから、俺はそれを無理に変えることはしなかった。




 後ろから聞こえてくる足音に、俺はゆっくりと歩調をかえ彼女を待つ。

 そうしたら、彼女は俺の隣に並んで腕に抱きついてくるだろうと予想して、案の定抱きついてきた彼女をそのままに、俺は学校の廊下を彼女と共に歩いていく。






 この関係は酷く曖昧で複雑で矛盾に満ちているけれど、俺はそれに気付かないフリをした。









* * *









『お願い、お願いだから、俺を好きにならないで』

 まるで神様にお願いするかのように懇願する彼の姿を見て、あたしはたまらなく不安を感じた。

 もし、あたしが彼に想いを告げたら、彼はこうして拒絶するのかと。



 彼に告白をした女の子はとても可愛い利発な子だったけれど、彼のそんな姿を見て泣きそうになりながらその場を去った。

 あたしは教室の掃除当番でたまたま裏庭にゴミを捨てに来ていて、そのやりとりを聞いてしまった。

 女の子が去った後、彼は俯いたまま拳を握っていた。俯いた顔から零れた水滴は、きっと涙なのだろうとあたしは思わず動揺してしまった。




 いつも窓の外を見てぼーとしているような人だった。

 人と会話していてもぼんやりとしていて、かといって運動も勉強もできないわけではなくて、真面目でも不良でもないそんな中間にいるような人だった。

 男友達と話しているけどどこか馴染めている様子は見えなくて、かといって女子と話していても違和感を感じた。

 けれど紳士的で女子には人気があり、男たちの間でも嘘は言わないし約束は守るしそれに無意識にしてくれる親切なところを変な奴だと好意的に見られている。

 女子に人気があるのに男子からの嫉妬がないのは彼があまり女子に関わらないせいだろう。

 それは中学に入ってから誰が見ても女子を避けているとわかるくらい、関わろうとはしなかった。あたしは別に。


 そうだ。彼はあたしだけは傍にいるのを許してくれた。

 他の女子が彼と接触しようとするとそれとなく避けていたのに、あたしが抱きついても彼はあたしの好きなようにさせた。



 彼はあたしが好きなのだろう。



 そう自惚れしていた。今日この時までは。

 女の子の告白の中に私に対する言葉があった。あたしの事が好きなのではないのかと、


『それは違う。彼女とはただの幼馴染だ』


 その言葉だけなら、それが本当の言葉だと納得できなかったかもしれない。

 けれど、彼の表情はそれがまったく恋愛感情がないのだと告げていた。いうなれば家族に向けているかのような、そんな表情。

 まさか彼はあたしを妹としてでも見ているのかと思わせる、そんな表情だった。


 それを見て、あたしは自分が思っている以上に衝撃を受けた。

 自惚れしていた。完璧に。自分が想っている以上に彼から想われているのだと。

 あたしは自分の容姿が男子に好かれやすいとわかっている。家族から指摘されたし女友達からも言われた。

 そして飽きることなく自分に告白してくる男子達に自分はそういうものなんだろうと気付いた。

 だから彼の場合も例外ではないと思っていた。


 だけど違った。

 

 彼はあたしをそういう感情で見ていない。見ていないどころか、彼はもしかしたらこの先ずっと、そいう感情をもたないかもしれない。

 さっきから俯いていた顔をゆっくりとあげた彼の顔は、どこか苦しそうで悲しそうで、あたしはそれを見て泣きたくなった。


 どうしてそんな顔をするの。何が君をそこまで頑なにさせるの。


 彼が他の人とは違うことに気付いていた。何が違うのか、それははっきりとはわからなかったけれど、それでも何かが違うとあたしに訴えていた。

 時折遠くを見ながら眉間に皺を寄せている姿を見て、何か別のものを見続けているような、そんなことを思うことがあった。

 まるで今を拒絶しているかのような、どこか今を現実としてみていないかのような、そんなことを思わせることもあった。



 ねぇ、君は何をそんなに拒絶しているの。



 苦しくて切なくて悲しくて寂しい。

 ずっと一緒にいた幼馴染なのに、あたしには君が理解できない。

 その時のあたしにできたのは、その場から逃げるように去る事だけ。



 いつも傍にいてくれる幼馴染に時折感じる寂しさに、あたしは耐えられるほど強くはない。

 だから寂しさを紛らわせてくれる存在を傍に置く。特別な気持ちは幼馴染へあげた。寂しさを埋めてくれる心地よさを他人に求めた。

 これが人として褒められるべき行為ではないことは最初から分かっている。それでもあたしは自分の為に求めた。









* * *










「………今日は生徒会の仕事で一緒に帰れない、かあ」

 携帯のバイブに気づいてメールを見れば、あたしの彼氏からだった。

 帰れる日はいつも一緒に帰っていた。幼馴染とは帰らない。帰りたいけど帰れない。幼馴染はいつも彼氏を優先しろと素っ気なくあたしを突き放す。

 だから彼氏と帰っていた。でも今日は彼氏が不在だ。


「………………」


 一人で帰れないほど暗くはないけどそれでも用心に越したことはないよね、と心の中で誰に対してなのかわからない言い訳を呟き、あたしは幼馴染の元へ行く。

 どうせまだ帰らずに教室で一人ぼーっとしてるんだろう、と思って教室に向かえば案の定、幼馴染は教室の窓の外をぼーと眺めていた。

 幼馴染はあたしに気づいていない。夕日に照らされる教室の中、幼馴染の顔に影ができている。

 静かに歩み寄っても気づいていない。それが少し寂しくて、あたしは幼馴染の前の席の椅子を引いて腰掛けた。まだ気づかない。

 どこまでぼーっとしている気だろう、この幼馴染は。

 表情が暗い。眉間に皺が寄っている。何を考えているの?

 目元に視線がいったのは、幼馴染の泣いている姿をさっき思い出してしまったからだろう。でも幼馴染は泣いていない。

 そうだよね、昔のことだし。なんて思いながらも不安が募る。だからあたしはワザと明るい声を出して幼馴染の意識をあたしへ向けさせた。



 それからはなんとか幼馴染と一緒に帰れるように仕向ける。

 彼氏を優先しろとうるさい幼馴染。素っ気ない態度で一人教室から出ていった。

 けれどそれが了承の合図だと誰がわかる?

 きっと教室から出たあとゆっくり歩いているに違いない。無意識な親切、女の歩調に合わせるところ。そこが女子にとって好ましいと思われてるんだよ?

 教室から荷物をもって幼馴染を追いかける。やっぱりそれほど距離はない。嬉しくなって笑いが溢れた。

 空いた隣を陣取って腕に抱きつく。幼馴染は慣れた様子で抵抗しない。あれだけ彼氏がってうるさいくせに腕を組むのを許してる。なんて矛盾なんだろう。


 でも、それを許してくれる幼馴染が、あたしは好きなのだ。









* * *










 歳を重ねていくにつれて感情も大きく変わっていく。

 小さい頃は平気だったことでも、今ではとてもじゃないが真似できない。

 それは全部幼馴染が関わることに関してだった。





「ねえ、一緒にご飯食べよう?」


 食べたくない。幼馴染が嬉々として俺の為に手料理を振舞う姿に、込み上げる想いがある。



「ねえ、一緒にテレビ見よう?」


 見たくない。当然のように俺の隣に座らないでくれ。密着して座るから、彼女の香りが俺を刺激する。



「ねえ、一緒に寝よう?」


 寝ることなんて出来るわけがない!

 やめてくれ、冗談でも俺にそんな事を言わないでくれ。――――柔らかな彼女の肌に、泣きたくなるのはどうしてなのか。




 一緒になんていられない。お願いだから彼氏でもなんでもつくって俺から離れてくれ。

 俺がお前に優しくできなくなる前にとっとと消えてくれ!



 ああ、どうして。どうして、神様!



 どうして俺に前世の記憶があるのですか。前世なんて忘れて生まれてくるのが普通ではないのですか。何故俺に忘れさせてくれなかったのですか。

 前世さえ忘れていれば、俺は感情のまま動いても何も感じなかったのに、何も抑えるものなどなかったのに!




 気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。


 この感情が一般の男が抱く普通の感情だということは既に知っている。

 むしろ抱くのが正常で受け入れるべきことなのだと理解している。


 でも、嫌だ。


 嫌だ、嫌だ。嫌なんだ。




「ずっと、一緒にいようよ」



 無邪気な顔で笑った幼馴染が今でも忘れられない。

 何も知らない。気づいてもいない。

 俺が、お前の事をどう思っているかなど。俺がお前をどうしたいと思っているかなど。



 こんなにも、どうしようもなく、どす黒い、汚い感情を沸き上がらせているのに。




 前世なんかいらない。

 昔など、俺のものではない。――――でも、俺のもの。

 なんてどうしようもないものなのだろう。

 俺のものなのに、俺ではどうすることも出来はしない。




 俺が俺でなく『私』だった時の記憶が、どうしようもなく疎ましい。

 最後まで人の欲望に無垢なままでいた『私』がこんなにも煩わしい。

 欲望が何なのか、何も知り得なかった昔の『私』

 経験さえあれば、理解できたはずなのに。『私』には経験がない。

 最後まで夢物語のような恋物語を信じた馬鹿な『私』

 今は俺なのに『私』の思考が俺を責め立てる。




 なんて浅ましく、なんていやらしい男なのかと。





 俺は俺のはずなのに、『私』が俺を奪っていく。俺の思考を侵していく。

 男の俺が『女』の『私』に成り代わる。


 その『私』が俺に言う。



 幼馴染に〈欲情〉するなど、なんていやらしいのだろう、と。



 『女』の俺が、女の幼馴染に、欲情するのは可笑しい。

 お前は変だ。可笑しい奴だ。そう俺を侮辱する。

 たかが俺の前世が何を言うのかと、俺は頭に浮かぶ前世の『私』に掴みかかる。

 でも掴めるはずもなく、『私』は俺の手を通り抜ける。




 そら見たことか。お前に『私』を消すことなどできはしない。

 浅ましくいやらしい、可笑しなお前。

 お前を慕う幼馴染に、邪な想いを抱く、汚らわしいお前。

 なんて醜悪な奴だろう。消えてしまえ、お前なんか。





 女に欲情するのは男として普通のことだ!


 ―――では女が女に欲情するのは普通のことか?


 でも今は同性愛者も存在する!


 ―――ふざけたことを。お前は同性愛など許してはいないくせに。


 俺は否定してはいない!


 ―――でも自分自身では受け入れていないくせをして。






 嘲笑う『私』に泣き崩れる俺。


 『私』の声が耳に焼きついて離れない。










 前世の『女』の記憶があるからと言って男に興味などない。

 でも女に興味をもつことを『私』は許さない。

 思春期の頃から感じる〈性欲〉に、思春期少女特有の潔癖さをもつ『私』は許さない。

 女に近づけば、すぐにでも俺を嘲笑う。なんていやらしく汚らわしい、と。

 だから逃げた。女から。でも幼馴染とは一緒にいたい。


 『私』は幼馴染だけは近づくことを許す。それが俺の支えだとわかっているのだろう。

 でもすこしでも〈欲〉を出せば攻撃する。無理にでも押し通せば頭が痛くなる。我慢できぬほどでもないが体がだるい。

 なんて厄介な『私』なのだろう。体にも影響を及ぼすなんて。


 ならばせめて、許される範囲で許される間、俺は俺の感情を封じ込めて幼馴染の傍にいよう。

 誰にも悟られることなく、幼馴染にだって気づかれぬよう、この想いを封じてしまおう。




 そしていつか、この想いを消してしまおう。



 それが一緒にいられるための条件だから。










 幼馴染が抱き込んだ俺の腕に視線を落とす。

 視線に気づいたのか、上目づかいで見つめてくる幼馴染に、俺は溢れ出る感情を耐えるしか術を知らない。



 まだ大丈夫。まだ、我慢できている。






 だけどいつかは崩壊する。それがわかっているから俺は――――






「なあ、」

「ん?」

「明日は、ちゃんと彼氏と帰れよ」

「………うん」



 腕の熱が一瞬震えたことに気づかないフリをした。










 この腕にある愛しいぬくもりを守るその為に、この想いを消す覚悟を、俺は決めた。







登場人物紹介




「俺」

前世で女の子だった少年。断片的だが前世を思い出すせいで思うように行動できない。

『あたし』とは幼馴染で両片想いな間柄。

幼馴染が好きすぎて、理性が崩壊して傷つけてしまう前に遠ざけることを決意した。



「あたし」

『俺』の幼馴染。

幼馴染が気になる程度の付き合いだったが、幼馴染が告白されているの見たのがきっかけで自覚と失恋を経験する。

幼馴染との距離に寂しさを感じ、その寂しさを他人から与えられる心地よさで抑えている。

でもやっぱり幼馴染が好き。



「私」

『俺』の前世で夢物語を本当に信じているような夢見がちで潔癖な女の子。

人の欲というものを感じると過剰なまでに排除したがる。自分の理想や夢が崩れるのが大嫌い。



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