山奥の屋敷で
翌日。同業者達の集う綺麗なホールに、エリックとサンティはいた。掲示板に提示された中から、自分たちの仕事を探すためだ。そこでふと、奇妙な依頼が目に止まる。山奥のゾンビ退治という、一見簡単そうで報酬もそこまで高くない依頼の紙に、何故か赤い×印が何個もついていたのだ。気になったエリックは、ギルドマスターに問いかける。
「ああ、その依頼か。今まで6組ほどが挑戦したんだが、誰も帰って来なくてな……。しかし依頼者は依頼を取り下げないし、報酬も上げないと言い張るからこうなったんだ」
というのが答えだった。だがとてもじゃないが、6組の冒険者が帰って来なくなるような高ランクの依頼だとは思えない。エリックは面白そうに口の端を上げた。
「…どう思う?」
「どうって……なんか、妙な気配がする。多分、行かん方がいいら」
エリックの問いに、サンティは神妙な顔つきで答えた。
「よし、なら行くぞ。オレ達で謎を解いてやろうぜ」
「なんでそうなるだ?」
喜ぶエリックとは対照的に、サンティは眉をひそめた。あからさまに行きたくないオーラを発している。そのことに気付いていたが、エリックは笑った。
「お前の勘は良く当たるからな。行かない方がいいってことは、この依頼が一筋縄じゃいかないってことなんだろ? ゾクゾクするぜ」
エリックの声には戦いに対する喜びがこもっていた。それが分かっているサンティはただため息をつく。
「なんであんたはいつもそうかなー…」
依頼を受理し、二人は依頼主のいる山奥へと向かった。
依頼主の家は、山の木漏れ日の中にぽつんと立っていた。手入れが行き届いておらず、蔦だらけであったが、赤い煉瓦で組まれた立派な屋敷であった。古めかしいドアをノックすると、中からドアが開けられる。出迎えたのは、しわくちゃの顔をした老婆だった。腰は折れ曲がり、背が半分になってしまったように見える。依頼を受けたのだと伝えると、老婆は顔をほころばせて中へ案内した。
「あなた方が依頼を受けてくださるのですか。こんな山奥までありがとうございます」
壮年くらいの男性が恭しく頭を下げる。その隣には妻であろうか、同じくらいの年の女性が座っていた。彼らに向かい合う形で、エリックとサンティが座る。今度は女性の方が口を開いた。
「山道は大変だったでしょう。今日は日も暮れかかっていますし、ここで休んでいってくださいな」
「お気遣い、ありがとうございます」
二人は客室とは別の部屋へ案内された。屋敷と言ってもそう大きくはないためか、二人は同室となったが。
「では、ごゆっくりどうぞ」
食事を部屋に運び入れ、老婆は退室した。湯気を立てる作りたての料理に、エリックは舌鼓を打つ。
「見かけによらず、いい物を出してくれるじゃねえか」
エリックは出された食事を見渡す。だが。
「待って」
今にも食器に伸ばしていた彼の手を、サンティが掴んだ。不機嫌そうにエリックが睨めば、そこにはやや強張った彼女の顔。
「食べる前に、ちょっと聞いてくれん?」
そう切り出すと、エリックは彼女に向き直った。サンティが口を開く。そして――
「マジかよ…!」
エリックは思わず顔を引きつらせた。
男性に案内されて、二人は山道を登っていた。なんでも、ゾンビが多く出没する場所があり、恐ろしいので退治を依頼したというのだ。しかし、何故他の者が失敗したのかについては触れようとはしなかった。
30分ほど歩いただろうか。木々が密生し、うっそうとして暗い場所に着いた。異様なほどの殺気が二人を襲う。薄暗い森で、うごめくものがある。肉はほとんど腐敗し、骨ばかりが目立つ体。人の形をしているが、どう見てもそれは人ではなかった。意思を持たない生ける屍――ゾンビだ。エリックは大鎌を構える。真っ先にサンティがゾンビの群れに飛びかかった。鋭い爪で屍の骨を断つ。だが、その程度ではゾンビは堪えない。腕を失い、頭蓋骨を破壊されてもなお、サンティに襲いかかる。突如、彼女は飛び退いた。と同時に、それまで彼女がいた辺りを中心に、赤々と炎が燃え上がる。エリックが炎魔法を唱えていたのだ。不死の戦士も、さすがに灰になってまで動くことはなかった。
だがそれで全てではない。鎧を纏い、各々の引きを携えたゾンビ達が群がってくる。サンティが彼らの相手をしている間にエリックは魔法を唱え、彼らを跡形も無く焼き払う。それを何度も繰り返した。
「くそっ、キリがねえ!」
何度目かの魔法を唱えたあと、エリックは悪態をついた。サンティほど動き回っていないとは言え、彼の息は上がっていた。全てを迎え撃つだけの魔力もあまり維持残っていない。
「苦しいですか?」
ふいにかかった声に、思わず顔を上げた。そこには依頼主の家族の一人、十代後半の青年が立っていた。不敵な笑みを浮かべ、エリックを見やる。
「ですが、安心なさい。時期に痛みも感じなくなる。そうなれば、貴方も我々の仲間に――」
青年は腕を突き出し、エリックを招くような仕草をした。やがてエリックは力なく腕を下ろし、招かれるままにゆっくりと歩み寄る。
「エリック!?」
「――それでいい」
青年は嗤った。そして、彼の手がエリックに届くほどまでに近付いた、次の瞬間。
白銀がわずかな陽光に煌めいた。素早く振るわれた刃は誤ることなく青年の胸を貫く。
「なっ、貴様…!」
青年は驚いて目を見開いた。エリックは鎌を青年に突き刺したまま、キッと彼を睨む。
「ったく、手間掛けさせやがって」
エリックは憎々しげにつぶやく。彼が突き刺している刃の先からは、血はあふれてこなかった。
****
「ゾンビパウダー?」
聞き慣れない単語に、エリックは首を傾げた。説明をしていたサンティは彼の質問に頷く。
「そう。生きた人間をゾンビへと変える恐ろしい毒薬――それがゾンビパウダー。そして、それがこの料理の中にも入っとる」
「なっ……!?」
サンティは依頼主の家族が出してくれた料理を指さす。衝撃の事実に、エリックの顔が青ざめた。紡がれる言葉も強張って震える。
「じゃあ、今までこの依頼が達成されなかったのは……」
驚きのあまり、皆まで言うことができない。サンティは、そんな彼に頷いた。
「みんなゾンビにされて操られとるから」
サンティは静かに答えを紡ぐ。エリックは頭を抱えた。この依頼はゾンビを倒させることが目的ではない。武に長けた者を集め、彼らをゾンビ化し、より強いゾンビを得るために出されたものだったのだ。サンティが制止しなければ、気付かないまま従順な不死の僕となっていただろう。
「っ…じゃあ何だ? ここの家族が黒幕だってのか? だったら、オレ達は一体どうすればいいんだよ!?」
堪らずエリックが早口で声を荒げた。声と同様に、その瞳には困惑の色が浮かんでいる。サンティは困ったように眉を下げた。
「さっきから気配を探っとるだけど、黒幕が誰かまではよく分からんじゃんね…。ただ一つ分かるのは――」
そこでサンティは一旦言葉を切った。一呼吸置き、真剣な面持ちでエリックの瞳をまっすぐ見つめる。
「私ら以外、ここに生きた人間がおらんってこと」
「!?」
エリックは目を見開き、サンティを見つめ返した。必死で何か言おうとするが、言葉にならない。部屋を支配する呼吸の音が、無意に思えた。やがて落ち着きを取り戻し、頭を振る。
「どういうことだ? さっき確かにオレ達を出迎えて…」
「彼らからは、生きた人間の臭いがせんかった。腐臭は普通の人間には分からんように術で誤魔化されとったみたいだけど」
私の鼻までは誤魔化されんかったけどね、とサンティは付け加えた。それが意味することは、言わなくてもエリックには分かった。つまり依頼主の家族は、既に生きる屍となっていたのだ。エリックは頭を抱え、力なく肩を下ろした。
「マジかよ…!」
突きつけられた現実に、どうしようもないほどの後悔と絶望感が押し寄せる。怪しげな依頼であることは分かっていた。だが、こうも自分たちを裏切るようなものだったとは、想像だにしていなかった。目の前に出された食事を食べなければ、ゾンビになるのは免れるだろう。だが、それ以上は頭が回らなかった。傭兵としてあるまじく、冷静さを欠いていたのだ。
「とりあえず、この料理は食べずに捨てた方がいいね」
呆然と頭を抱えるエリックの脇で、サンティは動き始めた。その動きを、エリックは目の端で捉える。
「サンティ、何か策はあるのか?」
唐突に切り出せば、サンティは少し間を置いて答えた。
「策ってほどじゃないだけど……生きた人間をゾンビ化させるとき、確実に操るために、主を認識させる必要があるって聞いた事がある。だから何も気付かんかったフリして依頼をこなせば、黒幕はきっと出てくるら」
食器を扱う手を止めずに、サンティは淡々と答える。時にうっとうしく思えるが、その現実的な考え方は今はとても頼もしく思えた。エリックは口の端をニッと上げる。
「へっ、向こうが演技なら、こっちもそれ相応の返し方があるってか」
****
「貴様、なぜ…!」
エリックに刃を突きつけられ、青年は苦しげにうめいた。既に死んだ体では血も流れない。エリックは更に鎌を引く。悲痛な声を上げ、青年の左肩は体から離れた。
「死霊使い、いや、死霊魔導士――こんなところで出会えるとはな」
魔法に対する異様なまでの執着から、死してなお魔導士として生き続ける者。超常の存在に、エリックは嬉しそうに笑った。対して、死霊使いの青年の方は苦しみに顔をゆがめる。
「貴様ごときに、我が倒せるとでも…!」
新たに呼び出される不死兵達。だが、そんなものはエリックの敵ではなかった。深紅の炎がゾンビ達を灰へと変えていく。
「伊達に“魔喰いの死神”と呼ばれてねーよ!」
再び振るわれた鎌が、青年を両断した。支えきれなくなった体が崩れ落ちる。だが、安堵している暇は無かった。ゾッとするほど冷たい腕が、エリックの足を掴む。いつの間にか後ろから羽交い締めにされ、身動きが取れなくなっていた。見れば、あの青年の体は元のように戻りつつあった。
「言ったであろう、貴様に我は倒せぬと…」
青年が腕を掲げた。同時にエリックを押さえつけるゾンビ達の腕に力がこもる。痛みに思わずうめき声を上げた。
「エリック!」
パリンとガラスの割れる音がして、エリックの体は解放された。サンティがゾンビに聖水の瓶を投げつけたのだ。彼女に目配せし、周りのゾンビをなぎ払う。大きな鎌が、青年の体に食い込んだ。だが、苦しそうな顔をしながらもその表情は余裕があった。エリックは魔法を展開し、鎌の先から炎があふれ出る。全て燃えるはずだったが、炎の中で声が響いた。
「無駄だ! 我にはいかなる攻撃も通用せぬ! 諦めて我が下僕となるがよい!」
炎はかき消された。さすがのエリックも疲労困憊していた。息は上がり、鎌を何とかして支えている。どうすればいいのか。分からないまま、エリックは目の前の敵と対峙していた。
突如、甲高い金属音が響いた。同時に青年が苦しみ始める。その血走った目線の先には、サンティがいた。いつもは腰に帯びた短刀を、彼女の足下にある懐中時計に突き刺している。青年は苦しみ、体が崩れながらも必死に抵抗していた。そこでエリックは事情を理解した。今にも彼女に襲いかからんとする青年の前に、土を盛り上げて壁を作る。青年は阻まれて悔しそうにうめいた。
金属の割れる音がして、死霊使いの青年は崩れて土に帰った。サンティが懐中時計を破壊したのだ。いつの間にかゾンビ達もただの屍に戻っている。
「“魂移し”してたのか。道理でいくら斬っても死ななかった訳だぜ」
エリックはやれやれと頭をかいた。“魂移し”とは、自分の魂をよりどころとなる物に移し、肉体を不死へと変える術である。魂のこもったよりどころを壊さない限り、その者は体を裂かれようとも死なないのだ。壊れた時計から視線を外し、サンティは立ち上がる。短刀はまた腰の鞘に収まっていた。
「しかし、後味の悪い仕事だな」
麓への道を行きながら、エリックはつぶやいた。その隣で、サンティが少しだけ頬をゆるめる。
「そうだね、でも――これ以上犠牲者が出んようになったで、良しとしとこうよ」
彼女が語りかけたその背中は、何も答えずに黙々と山を下っていった。