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外的世界の真理の概念は『自我』の確立を促進する

絶対的な真理の追究とは、『自我』が伴って初めて開始できるものだ。

社会の客観性に身を任せた従服的な思考を持つ者には、合理的形而上学の概念――実体と属性、原因と結果を探求できやしない。

知覚に依存することなく精神観念で根元的な因果要因を帰納するには、『自我』は必要不可欠だ。

自らを『自ら』だと認識している人は、果たして世界にどれだけいるのだろうか。

きっと、一握りでもいればいい方だろう。

自分は自分だ、と人は言う。

だがそれは頑なに何を主張する。

自らを定義づける根拠がなければ、人はやがて自己矛盾に陥り、苦悩する事だろう。

僕の存在定義。

人の存在定義。

僕の存在規定。

人の存在規定。

無矛盾性のない安定した存在である為には、人は近付く必要がある、と僕は思う。

想像と創造の神なる、一つの絶対領域。

リアリティ・ヤハウェ(神の現実)。





杉浦という女生徒が呼ばれ、壱岐という男子生徒が呼ばれ、会議室にはすでに三人だけとなっていた。

(……ってか、メチャ気まずいんですけど)

中身のない湯呑みを手の中で弄びながら、美咲は内心ため息を吐いた。

チラリと同室の二人を一瞥する。

谷は美咲の視線に気付くと、『大丈夫よ』的な笑顔を返してきた。

一方のフェラムはというと、俯いているので前髪で顔が隠れ、何を考えているのかさっぱり分からない。

いや、普段から分かった例がない美咲だった。

「谷 姫子さん。順番です」

「えっ、私?」

会議室に訪れてきた尾崎に聞き返す谷。

「私より、先にこの子達を優先してもらえないかしら。こんな状況だし、きっと疲れてるでしょうから」

流石に教師だけあって、生徒の事を最優先に考えているらしい。尾崎はやや黙考し、承諾した。

「分かりました。では先に、周防さん。お願いします」

「あ、はい。分かりました」

美咲が立ち上がり、出口にいる尾崎の元まで歩いていくと、フェラムが俯いたまま口を開いた。

「周防さん」

「ひゃっ?」

肩を震わせ、振り返る。その表情はあからさまに、驚いた様子である。

「な、何?」

「思考の複雑化を図るには異質な現状の認識を必要とする。君の基底にある論理構造を把握し、主観的な視線で臨む事だ。例え君の真実と現実との相互的相違があるとしても、真理は一つだけという事を覚えておいた方がいい」

淀みなくスラスラと、まるで呪文を唱えるかの様なフェラムに、揃ってポカンとする美咲ら三人。

「……それは、何なの?」

話しかけられた事もあり、代表して美咲が訊ねる。

「理解しなくてもいい。ただ、覚えておくだけでいい。今のところは」

「あんな長文……覚えとく方が難しいわよ」

とは言いつつも、優等生である美咲は一字一句間違えずに頭に刻み込んだ。

何を意味するかまでは分からないが、まぁそれは追々明らかにしよう。

「んじゃ、行ってくるね」

美咲はフェラムに向かって軽く手を挙げたが、微々たる反応すら返ってこず、美咲は不機嫌顔のまま会議室を大股で後にし、尾崎の方がついていく羽目となった。

「何だったの、さっきの……?」

俯いたままのフェラムに言葉を掛ける谷。

が、あまり答えを期待していなかったのか、視線を逸らした。

「――――」

よそ見していた谷の耳に、言葉らしき何かが届いたのだが、それが何なのかは判別できない。

「えっ、聞こえなかったから、もう一度言って!」

身を乗り出して言葉を待つ。

俯いたままのフェラムはあくまで俯いたまま、もう一度言った。

「Forsan et haec olim meminisse juvabit……」

「えっ?」

何か。

英語ですらない何かを呟いたフェラム。

それきり、谷が何を訊ねてもフェラムが口を開く事はなかった。





「それでは四時五三分、事情聴取を始めます」

先輩刑事の滝野が言う。若手刑事である遠野は特に何も喋らなかった。

一方の美咲はと言うと、不機嫌そうな表情でムスッとしている。

「聴取も何も……私はずっと寝ていましたから、証言は少ないですよ」

美咲はそう言うが、その証言を出来る者がいない限りはいつまでも容疑者扱いなのである。

そもそも、事情聴取とは情報を仕入れる為に行うのではなく、あくまで対人の態度を観測して挙動の不審の有無を調べる事に意義があるのだ。

他者との証言の誤差を図るというのは、副産物に過ぎない。

「一応、貴女には黙秘権があります。答えたくない、または答えられないと思う質問は黙秘が出来ます」

「……」

遠野が(表面上は)優しい言葉をかけるが、言外に『喋らなかったらその分は疑いますがね』と言われた気がして、美咲は更に気分を害した。

思いやりの言葉とは、時としてとんでもない毒を持つものである。

尋問役なのだろう、滝野が訊ねてきた。

「保健室はいつ頃、利用されましたか?」

「一限目終了後の休み時間から。……大体、九時四〇分ですね」

「事件に気がついたのは何時くらいですか?」

「分かりません。起きて人が死んでいる所を見て、またすぐに気を失ってしまいましたから……」

「何か、不審な音が聞こえたりとかはありましたか?」

「分かりません。朝から調子悪くて、ぐっすり寝てましたから」

「他に気付いた事は?」

「分かりません。記憶している事は……紅い、血の海だったという事だけですので」

その場面を思い出したのか、美咲は顔をしかめた。

吐く程の衝撃ではなくなったとは言え、不快である事に変わりはない。仏に失礼だとか、知った事ではない。

これ以上は無意味だと感づいたのか、滝野は締めに入った。

「それでは最後に。事件について、関係ないかも知れない些細な事でも構いません。……何かありませんか?」

「ありません」

即答する美咲。難色を示す遠野と、腕を組んで黙考する滝野。

「ありがとうございます。それでは、何か事件について聞きたい事はありますか?我々で答えられる範囲ででしたら答えますので」

ピクッ、と美咲の肩が動く。

「死亡推定時刻、凶器を教えてもらえませんか?」

「……すみません、お答え出来ません」

肝心な事を秘匿された。これ以外に、何を聞けと?

あ。

一つだけあった。

「フェラム……柊 瑪瑙はどうして容疑者扱いされているんですか?」

「フェ……?あぁ、第一発見者なんですよ、彼。現場を荒らした訳ではないのですが、両手を血塗れにしていましたし。重要参考人として証言を聞きたいだけです」

やはり、あれは夢でも幻でもなかったらしい。

あの時――美咲が一度目を覚ました時、隣のベッドの前で佇んだ青年は、やはりフェラムだったのだ。

それにしても気に喰わない。

疑っているのなら『参考人』なんて言わずに『容疑者』と言えばいいのに。美咲は思う。

「もうありませんか?」

「はい」

「本日は誠にありがとうございました。お引き取り頂いて結構ですよ。もしご所望でしたら、我々がご自宅までお送りしますが」

「いえ……結構です」

席を立ち、美咲は淡泊に答えた。

応接室を後にしようとして、廊下の壁にもたせ掛かっていた尾崎に気が付く。

一瞬だけ視線を絡ませ、美咲はわざとらしくそっぽを向いて早足で尾崎の前を通り過ぎた。

八つ当たりをしているのだと頭では理解しているものの、不思議と自己嫌悪は感じなかった。

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