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感覚の刺激による意識の覚醒と現実ないし虚構の出来事

聞こえてくる声に意味はない。聞こえる事にこそ、意味がある。

静寂の空間では、あらゆる声が聞こえる。本当に些細な音でさえ。

主観性を補う為の客観性。

ならば、この声はどこから響くのかを考えなければならない。

思考の先の真理を追究する、『私は考える』こそが『私は存在する』という事なのだから。

僕の存在規定を提唱するには、まだ足りない。

数式に表し、秩序だてて『自我』を確立するには、まだ僕は及ばない。

虚数的な存在。

フェラムと呼ばれる事を、僕は甘んじよう。





翌日・金曜日。

「無糖コーヒー一本のカフェインで眠れなくなり、夜中の三時まで起きててしまった私はバカですか?」

ふわぁ、と美咲は欠伸をする。

ついてない。こんな寝不足の日に限って日直なのだから。

寝不足のせいで目元はやや黒ずんでいるし、肌も荒れ気味。

更には髪の調子もおかしいのか、至る箇所からビンと寝癖が生えている。

極めつけはなんと言っても、この腹痛だ。

あの日はつい一週間前に迎えて落ち着いたから……何が原因なのかは分からない。寝坊しかけて、朝食を抜いたからか?

美咲はため息をつき、ショルダーバッグを掛け直す。

思考の泥沼にハマればハマる程、どんどん気が滅入っていく。

「こんな状態で、日直……」

正直、今歩いている通学路を引き返したいという気持ちでいっぱいだが、生理痛での休みはつい最近とったばかりなので、病欠になる事は御免被りたい。

トボトボと歩いていると、ようやく高校が見えてきた。

色んな方面から通学する生徒らが必ず通るこの交差点は、いつもなら生徒でごった返しているところだが、早朝なので人は殆どいない。

信号が青になって美咲は歩きだし、その横をスルリと抜ける人影が。

「あ……フェラム」

まるで美咲なんていないかの様な歩き方で、スタスタと歩みを進めるフェラム。

(って早ァ!競歩並のスピードじゃん!)

歩けば歩く程、フェラムと美咲の距離は開く。

昨日はあんなに話したし、朝の挨拶でもと思って追いつこうとしていた美咲は、強行手段に出る事にした。

「フェ……柊、おはよう!」

背後から大声で叫ぶ美咲だが、フェラムは微動だにしない。聞こえていない事はないだろう距離。

これはつまり、アレですか。

(シカト?)

振り向きもしなければ、急に大声で呼ばれてビックリもしない。

何事もなかったかの如く、フェラムは呆然とする美咲の目の先で、校門をくぐった。





今日は朝から災難だ。

寝坊しかけるし寝不足だし、お腹は空いたしでも腹痛だし、肌は荒れるし髪は跳ねるしクマは出来るし、元気よく挨拶した同級生はシカトするし。

「大丈夫、美咲?かなり気分悪そうよ」

「何か変な物でも食べたんじゃない?賞味期限きれた牛乳とか」

朝から不調な美咲に、心配しているのが香苗で、ケラケラとからかっているのが梓である。二人とも、美咲の友人だ。

「……本気で気分悪いの。放っといてよ」

机に突っ伏し、美咲は顔をしかめた。

引いていた痛みの波が、再び襲いかかる。キリキリキリキリと締め付けられる感覚。

美咲は額に一筋の汗を浮かべながら、横目でフェラムを覗く。

やはりいつも通りの、空気の様な儚い印象のまま、黙して読書をしている。

「ほほう、美咲さん。フェラムに目をつけられましたか」

面白いネタを見つけたと言わんばかりに、ニヤついた梓が美咲の視線の先を眺めながら耳元に囁く。

美咲は反射的にフェラムから視線を逸らす。

「確かに、成績優秀・運動神経も抜群な、ルックスもいい殿方ですものね」

「ちょっと、香苗までやめてよ」

フェラムに聞こえない程度に声をひそめ、香苗と梓の襟首を掴んで引っ張る。

「本ッ気で怒るよ」

「ヤッベ、怖っ」

「冗談よ、冗談」

苦笑を浮かべる二人を見つめていると、再度、腹痛が美咲を襲う。

災難とは、続くものだ。





「それじゃ、私は職員室に用事があるから。すぐに戻るから、ゆっくり寝ててね」

女の保健の先生が言い残して保健室を出ると、美咲は真っ白なカーテンを閉めてベッドに横たわる。

胃薬を飲んだから、先程よりは大分マシになったものの、念には念を入れて休む事にした。

ハァ、とため息を一つ吐き、保健の先生に入れてもらった紅茶を一気に飲み干す。

ティーカップを脇のチェストに乱雑に置き、ちらりとケータイの時計を見る。

時刻は九時五〇分。すでに二限目が始まっている。

(どのくらい寝れば治るかな……)

出来れば、今すぐにでも治ってほしい。

今日の三限目は体育――しかもバスケなので、出れないのはこの上なくツラい。

身長の低い美咲は、小学生の頃から何かと苛められていたのだが、そういう人達を見返す為にも、彼女は常に努力を惜しまなかった。

勉強しかり、運動しかり。

そうした努力の甲斐あり、彼女は常に優等生として成績を修めていた。

まぁ、たまに授業をサボったりしているが。

そんな中でも特に好きな授業は体育という、現代の女子高生としてはなかなか特殊な趣味をしている彼女なので、体育だけは今まで一度もサボった事がない。

「つまんない……暇……」

目元を腕で隠し、外界の光をシャットダウンした美咲を襲ったのは、腹痛ではなく睡魔。

「ふわぁ……」

混濁した意識を引き戻す気も起きず、美咲はそのまま、眠気に心身を委ねた。


目覚めた時、悪夢を見るとも知らずに――。





何か、不快な何かが嗅覚を刺激し、美咲の脳は急速に覚醒を始める。

(……なんだろう)

噎せ返りそうになる異臭。ウッ、と美咲は嘔吐感に口を押さえた。

暫くベッドでもがき、ある程度まで臭いになれると、それの発生源が隣のベッドである事に気付き、肩を震わせた。

これは、何?

これは、何?

これは、何?

目を見開き、浮かぶ涙を抑えようともしない。

不思議と過呼吸になる。

しかし、吸っても酸素は吸収できず、吐いても二酸化炭素を排出できない。

何か。

得体の知れない何かが。

隣のベッドにいる。

嗅ぎ慣れた人の臭い。

脳内に、そのイメージが浮かぶ。

赤。

紅。

赫。

緋。

それは。

これは。

だから。

きっと。

ふと 何か、 隣の ベッドの カーテンが 動いた 気が する。




「!?」

ほんの数秒だけ意識が飛びはしたものの、何とか持ちこたえ、そっとカーテンに手を掛ける。

外をチラリと一瞥して、美咲は恐怖のあまり、息を呑む。

隣のベッドを隠す純白のカーテンに。

赤い紅い、ひたすらに赫い緋い、何かの染み。

心を抉るナイフ。

「あ、あ……ぅあ……」

悲鳴すら出ない。

まるで、背中に刃物を突きつけられ様に。

動けない。

動かない。

動くはずがない。

手も、足も、指も首も目も口も何もかも。

硬直したまま、カーテンを呆然と眺める。

意識するな。

嫌いな物を克服した時の様に。

考えるな。

視るな。

嗅ぐな。

忘れろ。

終われ。

血じゃない。

カーテンの赫い染みは、血じゃない。

違う。

違うんだ。

違うはずだ。

違うはずなんだ。

違うに決まっている。

でも、この嘔吐感をはらむ異臭は――。

もし血だと言うのなら。

誰の?

私の?

誰の?

――人の。

「……」

怖い。

やめておけ。

美咲は、伸びる手を自制する。

それはとても怖い。

それはとても醜い。

それはとても汚い。

だから、やめておけ。

内心ではやめろと叫んでいるのだが、手はゆっくりと、隣のカーテンに伸びる。

そして、カーテンを掴む。

緋い染みの部分を握ってしまったので、指の間から《グチュリ》という嫌な音が響いた。

開けるな。

開けるな!

開けるな――!!

シャッ!

力を込め、勢いをつけて横にスライドさせ――――――

真っ赤な血の海。

ベッドに横たわる何か。

そして……両手を血で染めた青年。

「………………フェラム?」

血を纏ったフェラムが、血の海に立っていた。

「おはよう、周防」

抑揚のない平坦な声。

「ィ……ぁア……」

美咲は、力の限り叫んだ。

「イヤぁぁァァァァあああアアァァァァアアァァァァァぁあアアァぁぁぁぁァァァァァァァッ!!」

喉が破れそうな絶叫と同時に、美咲の意識は途絶えた。

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