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石の記憶番外編 海と空 恋は紺碧の色

私を相撲に連れてって


金曜日の夜。

安代家の居間でくつろいでいた一同の前に、康二が二枚のチケットを持って現れた。

「真里亞、これを見てごらん」

「えっ?」

差し出されたチケットを見た瞬間、真里亞の目が大きくなった。

「これって……大相撲の観戦チケット!?」

「そうだよ」

「お父さん、これ、高かったんじゃないの?」

真里亞はチケットと父親の顔を交互に見た。

ところが康二は、いたずらが成功した子どものような笑みを浮かべるだけだった。

「まあ、そこは気にしなくていい」

「気にするよ!」

真里亞が思わず声を上げる。

そのやり取りを見ていたイーサンが、不思議そうに尋ねた。

「What's going on?」

「どうしたの?」

真里亞はチケットを掲げた。

「お父さんが、明日の大相撲のチケットを用意してくれたの!」

「Sumo wrestling?」

「大相撲!?」

イーサンは驚き、すぐに満面の笑みになった。

「That's amazing! I've only ever watched it on TV back in Hawaii!」

「すごい! ハワイにいた頃から、テレビでしか見たことがないんです!」

すると康二は、ザックのほうへ向き直り、英語で告げた。

「Mr. Smith, we're going to see a professional sumo tournament tomorrow!」

「スミスさん、明日は大相撲の本場所を観戦に行きますよ!」

「Ohhh! Sumo wrestling!」

ザックの顔がぱっと輝いた。

「You mean, the real thing? Right there in front of us?」

「つまり、本物を? すぐ目の前で見られるのか?」

「That's right. You'll be able to experience Japanese sumo in person.」

「そうです。日本の大相撲を、実際に体験していただけますよ」

「Now that's something to look forward to!」

「そいつは楽しみだ!」

ザックは子どものように目を輝かせた。

隣ではマギーも、驚きと喜びを隠せずにいた。

「Oh, how wonderful! We'll finally get to see sumo wrestlers in person!」

「まあ、素晴らしいわ! とうとう本物の力士を間近で見られるのね!」

「Grandma, I'm excited too!」

「おばあちゃん、僕も楽しみだよ!」

イーサンまで、すっかり興奮している。

普段は研究のことになると冷静な彼も、明日の相撲観戦を思うと落ち着いてはいられないらしい。

真里亞はそんな三人を眺め、呆れたように笑った。

「お父さん、すごいことになってるよ」

「喜んでもらえたなら何よりだ」

康二は涼しい顔で答えた。

「明日は昼前に出発するから、今日はもう休みなさい。長旅の疲れも残っているだろうしね」

「All right! We'd better get some sleep, then!」

「よし! それじゃ、しっかり寝ておかないとな!」

ザックは上機嫌で立ち上がった。

マギーも笑顔で続く。

「Good night, everyone. Tomorrow is going to be a wonderful day.」

「皆さん、おやすみなさい。明日は素晴らしい一日になりそうね」

こうして一同は、それぞれの寝室へと戻っていった。

その夜、ザックは日本で初めて見る大相撲に思いを馳せながら、期待に胸を膨らませて眠りについた。

     *

翌日――まずは腹ごしらえ

翌日。

康二の案内で一行が訪れたのは、国技館へ向かう途中にある定食屋だった。

店内には、揚げ物の香ばしい匂いが漂っている。

「Here we are. Let's have lunch before we go in.」

「さあ、ここで昼食にしましょう。会場に入る前に腹ごしらえです」

康二の言葉に、ザックは店内を見回した。

「What's on the menu?」

「何があるんだい?」

「今日は、とんかつ定食なんてどうでしょう」

「Tonkatsu?」

「豚肉に衣をつけて揚げた料理です。ご飯と味噌汁、それにキャベツなどが付いてきますよ」

「Fried pork? Sounds good to me!」

「豚肉のフライか。いいじゃないか!」

やがて運ばれてきたとんかつ定食を見て、ザックは目を丸くした。

こんがりときつね色に揚がった大きなとんかつ。細く刻まれたキャベツに、白いご飯、味噌汁、漬物。

「Wow! That's quite a meal!」

「おお! なかなかのボリュームだな!」

康二が笑った。

「日本では、こうした定食もよく食べられていますよ」

ザックは箸を手に取り、教わったとおりにとんかつを一切れ口へ運んだ。

サクッ。

衣の軽い歯触り。そのあとに広がる豚肉の旨味。

ザックは一瞬、動きを止めた。

「Oh! What is this texture?」

「おお! なんだ、この食感は?」

もう一口。

「Crispy on the outside, tender on the inside! They fry pork like this? That's brilliant!」

「外はサクサク、中は柔らかい! 豚肉をこんなふうに揚げるのか? これは素晴らしい!」

ザックは感心しながら、次々にとんかつを口へ運んだ。

「Dad, you haven't even tried the miso soup yet.」

「父さん、味噌汁もまだ飲んでいないよ」

イーサンが笑いながら言う。

「One thing at a time, son! I'm busy discovering Japanese cuisine!」

「一つずつだ、息子よ! 今は日本料理の新発見に忙しいんだ!」

「また研究ですか?」

真里亞が笑う。

「ザックさん、昨日のお寿司に続いて、今日はとんかつの研究ですね」

「Exactly! And so far, Japan is doing an excellent job!」

「そのとおり! 今のところ、日本の料理は実に素晴らしい!」

マギーも楽しそうに笑いながら、とんかつを味わっていた。

「It's delicious. I love how the Japanese take simple ingredients and make something so satisfying.」

「おいしいわね。日本の方たちは、身近な食材からこんなに満足感のある料理を作るのね」

「そうでしょう?」

奈緒美がいれば喜びそうな感想だったが、今日は康二が胸を張って答えた。

「さて、食事が終わったら、相撲について少しお話ししましょう」

康二の相撲講座

食事も半ばを過ぎた頃、康二は箸を置いて話し始めた。

「ザックさん、相撲は、ただ体の大きな男たちがぶつかり合う競技ではないんですよ」

「Oh? Tell me more.」

「ほう? ぜひ聞かせてくれ」

「まず、プロの力士になるためには、新弟子検査を受けなければなりません。身長や体重などの基準が定められていて、それを満たす必要があります」

「So even if someone has excellent technique, they can't become a professional wrestler if they don't meet the physical requirements?」

「つまり、どれだけ優れた技術を持っていても、体格の基準を満たさなければプロの力士にはなれないのか?」

「原則として、そういうことです。もちろん、細かな基準や扱いには規定がありますが、技術だけでは越えられない条件があるんです」

ザックはゆっくり頷いた。

「Interesting. In wrestling, you sometimes see smaller athletes make up for their size with technique.」

「興味深いな。プロレスでは、小柄な選手が技術で体格差を補うこともあるだろう?」

「ええ。ただ、大相撲では、まず力士として認められるための条件を満たすことが必要なんです」

康二は続けた。

「新弟子検査に合格した者は、相撲部屋に所属します。相撲部屋は、単に練習する場所ではありません。稽古をし、共同生活を送り、食事や礼儀作法も含めて、力士としての生活そのものを学ぶ場所なんです」

「A whole way of life, then.」

「つまり、生活そのものが修業なんだな」

「そうです。朝早くから厳しい稽古を行い、先輩力士から多くを学ぶ。技術だけでなく、体力や精神力も鍛えていきます」

ザックは感心したように腕を組んだ。

「So becoming a sumo wrestler isn't just about being big and strong. You have to live the life, learn the traditions, and earn your place.」

「つまり、相撲取りになるというのは、単に大きくて強ければいいわけじゃないんだな。相撲の世界で生活し、伝統を学び、自分の居場所を勝ち取らなければならない」

「そのとおりです」

康二は満足そうに頷いた。

ザックはしばらく考え込んでから、ぽつりと言った。

「I see. It's a very different world from what I imagined.」

「なるほど。私が想像していた世界とは、ずいぶん違うんだな」

「実際に取り組みを見ると、もっとよく分かると思いますよ」

康二が微笑んだ。

「立ち合いの一瞬、足の運び、相手の重心を崩す技術。体格だけでは勝てない場面もあります」

「Now I'm really looking forward to it!」

「ますます楽しみになってきたぞ!」

ザックは残っていたとんかつを口へ運んだ。

「But first, I need to finish my lunch. I can't appreciate Japanese culture on an empty stomach!」

「だが、その前に昼飯を片づけないとな。腹が減っていては日本文化も堪能できない!」

「父さん、それはただ食べたいだけでしょう」

イーサンの突っ込みに、一同が笑った。

     *

国技館――驚きの席

食事を終えた一行は、いよいよ国技館へと向かった。

会場に入った瞬間、ザックとマギーはその雰囲気に圧倒された。

館内に響く人々の声。独特の熱気。中央に設けられた土俵。

そして、土俵を取り囲む観客席。

「This is incredible...」

「これは……すごいな」

ザックは思わず立ち止まった。

「I've watched sumo on television for years, but seeing the arena in person is something else.」

「長年テレビで相撲を見てきたが、実際に会場に来るとまったく違うな」

「でしょう?」

康二は笑顔で一行を案内した。

やがて、席にたどり着いた瞬間――。

ザックが目を見開いた。

「Wait a minute... We're sitting right here?」

「ちょっと待ってくれ……本当に、ここに座るのか?」

土俵が、すぐ目の前にある。

力士の表情も、足の動きも、土俵に上がるときの所作も、肉眼ではっきり見える距離だった。

マギーも驚きのあまり、口元に手を当てた。

「Oh, my goodness! We can see everything!」

「まあ! 何もかも見えるじゃない!」

真里亞は父親を振り返った。

「お父さん……ここ、ずいぶん近いんだけど」

康二は、またしてもいたずらっ子のような笑みを浮かべた。

「せっかく日本まで来てくださったんだ。楽しんでもらわないとね」

「だからって……」

真里亞は呆れながらも、父の心遣いが嬉しかった。

康二は、娘の大切な人と、その家族を心から歓迎しているのだ。

イーサンは土俵を見つめながら、興奮を隠せずにいた。

「I've never been this close to a sumo ring before. Not even in Japan.」

「日本に来てからも、こんなに土俵の近くで見るのは初めてです」

「You're in for a treat, son!」

「楽しみだな、息子よ!」

ザックが嬉しそうに肩を叩く。

やがて館内の空気が変わった。

力士たちが土俵へと姿を現し、土俵入りが始まる。

厳かな所作。堂々とした姿。観客席から沸き上がる歓声。

ザックは、先ほどまでの陽気な表情を少し引き締め、じっと土俵を見つめた。

マギーもまた、目の前で繰り広げられる日本の伝統に見入っていた。

やがて土俵入りが終わり、いよいよ本格的な取り組みが始まろうとしていた。

ザックは前のめりになり、二人の力士から目を離さない。

「All right... Let's see what real sumo is all about.」

「よし……本物の相撲というものを、じっくり見せてもらおう」

康二はその横顔を見て、満足そうに微笑んだ。

日本の国技を、ただ眺めるだけではない。

その歴史と、力士たちの努力と、土俵に込められた意味を知る。

ザックとマギーにとって、忘れられない日本体験が、いま始まろうとしていた。

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