親友の話
親友の話
殺した。それを認識することは出来ても、理解することは不可能だった。
俺が、殺した。現実感が全くない。
それでも、目の前に今、友であったモノが転がっている。
人じゃない。モノだ完全に、言いようのないほど、モノだ。
腕は無造作に投げられていて、腹からは失血死に至るほどの大量の血。
その開かれた両の目は瞳孔が開き、
焦点は定かではなく、どこを見つめているのかわからない。
以前その目に捉えていたのは、俺と、彼女と、そして三人の幸せだった。
こいつは昔からただ、それだけを望んでいたのに。
なのに、俺は―――
信じてやれなかった。
敵国のスパイだと思い込んで、上層部の連中の言葉に甘く騙されて、
“だから”っていうのはただの言い逃れだけど、
友を、親友を、信じてやれなかった。
友を、親友を、手にかけてしまった。
それを理解するのを拒否するように俺の身体は絶えず震える。
まるで拒否反応でも起こしているかのようだと、客観的に思ってしまう。
何をすれば償える?
何をすればあがなえる?
お前がいないなんてこと、考えられない。
お前はどこにいるんだ?
ここにはいない。この街にいない。この国に、この世界に。
どこだっていい。ただ、お前が生きていれば、どこだって―――
おまえは、どこにいるんだ?
あの瞬間が、脳裏に焼きついている。
最期まで、笑っていた。
俺たちを見て、安心したって、言って、笑っていた。
心から安堵した、本当に幸せそうな、笑みだった。
今でもあの笑顔が忘れられない。
いままで、何度も、何度も笑顔を見てきた。
それどころか、笑顔以外はほとんど見たことがない。
俺がこういうのも、変な話だけど、最期の笑顔が一番、よかったと思える。
自分が死んで行こうという時に、
自分たちの顔を見て、心から安堵したように、一番の笑顔で笑っていたんだ。
自分を刺した奴を、自分を殺そうと殺意を持ってナイフを刺した奴をみて、笑ったんだ。
目を閉じなくても、思い出せる、たくさんの思い出。
三人一緒に幸せに暮らしていた、あの日々。
何をやるにしても楽しくて仕方がなかった、平和な頃。
なのに、今、頭の中で一番よみがえる記憶は直前の映像。
この指に残るゆびきりの感触でも、
幼い時に握った手の温もりでも、
花のような甘くさっぱりとした匂いでもない。
見たこちらまでも幸せになるような、あの笑顔とも違う。
一番印象的なのはずっと身近にあった、それらではなく、
むせかえるような、濃厚で存在感のある血のにおい。
それに混ざって微かだけど確かにある腐臭。
ソレら。
それらを鮮明に、覚えている。
あいつが死ぬ時の、人に、
人の身体にナイフを突き立てた、あの感触。
硬くなくて、それどころか柔らかい。
でも、ナイフがするりとは入らない、
実のよく詰まった、重い、肉の感触。
グジャやブスッと音を立てそうなあの、感触。
あいつが死ぬ時の、身体から溢れだしたあの夥しい程の量の血。
俺が刺した傷口から溢れ出す血飛沫に濡れていく自分。
そしてその凄まじく嫌な光景。
突き立てたナイフの傷口から止め処もなく噴射するように飛び出す、
人の体温を削り取る温かな、どろりとまとわりつく、
赤い水。視界が赤一色に染まった。
あいつが死ぬ時の、死人のそれが発するのとおなじ、
おぞましいにおい。
腐臭。腐敗臭。
生理的嫌悪感と吐き気を誘う、あのにおい。
コレ、があいつとは思いたくない。
涙が溢れ出してくる。
でも、俺の脳はまだ麻痺したままなんだ。
どこか、胸にぽっかりと穴が開いてしまっているかのような、
そんな気分。何も、わからない。
いや、何も、わかりたくない。
一番、守りたかったのに。
一番、大切だったのに。
おれは、守りたかったものを、大切なものを、
自分の手で、もぎ取った。
それでも、あいつは―――
最期まで、笑っていたんだ。
俺は一生、忘れられない。
あの、幸せそうな笑顔が頭から離れない。
もう戻れない。
あの時には、戻れない。
あの幸せな時には戻れない。
俺は、あの時、なんの躊躇いもなく、
あいつを殺そうとした。
俺が殺した。
一瞬で、楽しい記憶も、大切なものも、
幸せな未来も、すべてを失った。
自分の手でそれらをもぎ取った。
ソレがどういう行為か、わかってなかった。
わかっているつもりでも、本当の意味でわかってなかった。
人の命は容易く、どんなに強くみえたって、
弱く、小さい、儚いものだって知っていたはずなのに。
なのに、俺は―――
守れなかった。
それどころか、自分で、
壊した。
あの、幸せを。
小さくて、普通で、些細。
でも、それでも、とても幸せだった、大切な日々。
もう、二度と戻らない。




