バザールの絵描き
写実的だね。
それは褒め言葉ではなく、宣告だった。
教授はそう言って、僕のキャンバスから視線を外した。
美大三年。就活用ポートフォリオ制作期間。
僕の絵は、写真みたいに正確だった。
光の反射も、肌の質感も、空気の色も、忠実に再現できる。
だが、それ以上がない。
「君の絵には、君がいない」
意味が分からないまま、焦りだけが募る。
このまま、器用なだけの人間で終わるのか。
夕暮れのバス停で立ち尽くしていた、そのときだった。
強い光。
クラクション。
世界が横倒しになる。
⸻
目を開けた瞬間、肺が焼けた。
熱。
金色に近い砂。
聞き慣れない言葉。
香辛料の匂い。乾いた風。
ここはどこだ。
「すみません」
誰も振り向かない。
もう一度叫ぶ。
返ってきたのは、意味の分からない音の連なりだった。
言葉が通じない。
心臓が速くなる。
僕は砂漠のバザールの片隅に崩れ落ちた。
⸻
……絵を描こう。
ポケットを探る。
小さなスケッチブック。
短くなった鉛筆。
角の欠けた消しゴム。
よかった。残っている。
どうしようもないなら、せめて最後に一枚。
僕は膝の上にスケッチブックを置き、大きな形から取った。
屋根の傾き。
人の流れ。
遠景の建物。
何度も線を引き直す。
砂の照り返しを濃淡で探り、消して、重ねる。
気づけば、太陽の位置が少し傾いていた。
描いている間だけ、呼吸が落ち着く。
顔を上げると、子どもがいた。
大きな瞳で紙を覗き込んでいる。
小さな声。
意味は分からない。
だが、その目ははっきり語っていた。
──すごい。
⸻
子どもは走り去り、すぐに大人を連れて戻ってきた。
布を巻いた女性と、日に焼けた男。
二人は絵を見て息を呑む。
人だかりができる。
女性が胸に手を当てる。
「サラ」
僕も胸に手を当てる。
「悠斗」
サラが親指を立てた。
それが始まりだった。
⸻
彼らの家は日干し煉瓦の平屋だった。
子どもはラヒムというらしい。
サラは五歳のラヒムと、夫のゴヤと暮らしていた。
得体の知れない僕に、家族は驚くほど優しかった。
⸻
翌日から、僕は市場の一角で似顔絵を描くようになった。
最初は半信半疑だった客も、描き終えた紙を見た瞬間、声を上げた。
「本当に自分だ」
その声が広がる。
次の日には小さな列ができ、三日目には別の商人が「うちの客も描いてくれ」と頼んできた。
輪郭を取り、影を置き、皺の一本まで再現する。
それだけで硬貨が増えていく。
だが、通ううちに少しずつ気づく。
果物屋の主人は、豪快に笑うが、客がいないときは静かに空を見上げている。
香辛料を売る老婆は、おつかいの子どもにだけ少し多めに量る。
水売りの少年は、炎天下でも弱音を吐かず、誰よりも先に老人へ水を差し出す。
僕は、ただ顔を描くだけでは物足りなくなった。
皺の深さだけではなく、その人の笑い方を。
目の形だけではなく、視線の優しさを。
ほんの少しだけ、線を柔らかくする。
光を、少し強く入れる。
僕が見るリアルが、少しずつ変わっていった。
出来上がった絵を渡すと、人々は笑う。
「ユウト!」
そして僕の絵を嬉しそうに指さす。
「ユウトの絵だ」
その声が広がる。
市場のあちこちで、僕の名前が呼ばれる。
気づけば僕は、バザールで“絵描き”として知られる存在になっていた。




