絶対に評価してはいけない動画
それはちょっとした偶然だった。
いつも見ている動画のお勧め欄に並んでいたからと、何も考えずにクリックしただけである。動画の題名は「あいつらの顔に害虫とかいてやりたい」、だ。
生田綾斗は鬱憤を抱えていたのだ。
彼は同級生に「いじめ」といえない「嫌がらせ」を毎日受けていた。
体がぶつかっただけと誤魔化せる体当たりと、すれ違いざまに「死ね」と囁かれる、それらをそれぞれ一日に一回ずつを毎日毎日受けていたのだ。
綾斗に嫌がらせをするのは、同級生の大滝翼。
まだ小学五年生の綾斗が嫁姑戦争のようなドラマやドキュメントを好んで見る子供なのは、大滝の行為が陰湿でねちねちとした嫁いびりみたいだからだろう。
家庭科の授業では、針に糸を通そうとしている綾斗にわざとぶつかり、綾斗が針で目を突く寸前だった。掃除の時間は真面目な綾斗に掃除をさせておいて、担任の見回り時には掃除用具を綾斗から奪って綾斗がサボっていたと言いつける。
それらの嫌がらせについて、家庭科担当教師やクラス女子からの目撃証言があっても、担当教師は頑なに認めなかった。
クラス担任は、綾斗からの相談など全く取り合わなかったのである。
綾斗がほっそりした体つきに可愛らしい顔立ちをしているのと対照的に、大滝は見た目が固太りの普通体形であり顔の作りも普通だ。
担当は常に差別が大嫌いと広言している通り、ルッキズムの反対の姿勢で、可愛い外見の子供の申し出よりも普通の外見の子供の言い分の方を信じたのである。
もちろん担任は教師として大滝を諭してはいた。
大滝の綾斗への体当たりには「これからはぶつからないように気を付けましょうね」程度であったが。
綾斗の担任は、「まだ小学五年生の子供がそんな陰湿な事をするはずは無いだろう。生田こそ被害者意識が強すぎるのではないか」から、「可愛い子はそれだけで言い分が通り庇われるのだから、ここは私が鬼となって生田を真っ直ぐに育てなければ。そして誤解されやすい大滝の真実を信じて、担任の私こそが庇ってあげねばならない」と妙な使命感に浸っていると思われる。
担当こそ大滝を不細工と思って不平等な見方をしているのは確実だが、正義と平等と博愛主義で、子供の為ならば残業も厭わない活力的なベテラン教師を咎められる人間など教育現場にはいない。
また、学校長も「いじめゼロ」を推進している手前、「いじめといえないいじめ」を無しにしてくれる担任の肩を持った。
家庭科担当は教師ではなく非常勤講師だ。
クラス女子は大滝翼を嫌っている傾向がある。
「生徒間の誤解を解いて仲の良いクラスを目指す」担任の後押しすることに何の問題があるだろう、そんな考え方だった。
だから、綾斗が「あいつらの顔に害虫とかいてやりたい」という題の動画に心惹かれたのは仕方が無い事だった。
綾斗はもういっぱいいっぱいだったのだ。
―――――――
「うそ」
綾斗の手は震えた。
自分が視聴している一分程度の動画の最後、そこに映る人物の顔が自分に嫌がらせをしている大滝の顔そのままだったのだ。
動画の内容は、いじめや酷い犯罪をしているのに罪に問われないまま社会に出て普通に暮らす人間を見分けられたらいいのにね、というものだ。
「罪に問われず牢屋に入っていないなら、顔に「害虫」と書いて奴らが社会生活できないようにしてやろう」
その最後のセリフの後、画面に男の子の顔が大映りした。
動画の男の子の目は二重であるが、可愛らしさもカッコ良さも感じない。厚ぼったく浅黒い肌と恨みがましい目つきのせいで、その顔は中年の男にも見えるのだ。
まさに、この顔は大滝翼。
綾斗は大滝の顔を見たことでぞわっと震えスマホを取り落としかけたが、動画の続きによって今度はスマホを凝視することになった。
なんと大きく映っている大滝の顔に、大きく真っ黒な字で右の頬に「害」左の頬には「虫」と、「害虫」と描かれたのだ。
「ハハハ。あいつじゃないけど、あいつそっくりなやつに害虫!!」
綾斗はそれだけでうれしくなった。
きっとこの動画を作った人も、自分と同じような嫌な目に遭っていて、それで、その人に嫌がらせするする人も大滝そっくりに違いない。
仲間だと、孤立を感じるばかりの綾斗は動画の主に共感したのだ。
それで彼は迷わずに動画の評価に「イイネ」を押した。
「この動画みたいに、大滝の顔に害虫って書ければいいのに」
綾斗は終わった動画の繰り返しの矢印をタップした。
殴ってやりたい大滝への鬱憤を込めて。
―――――――
「本日大滝君は体調不良でお休みです」
綾斗は教師の台詞に、今日は大滝に悩まされることが無いんだと、物凄くほっとした。久しぶりに深呼吸できたような感じだった。
家に帰ればスマホを覗き、自分のお気に入り動画の閲覧数とイイネ評価が増えていることににんまりと微笑む。
綾斗は動画主が自分の親友どころか自分自身のように感じていた。
同じ気持ち同じ憤りを持った同士として、自分と同じように苦しんでいる自分自身とも言える動画主。
その動画主の動画がぐんぐんと閲覧数を伸ばしている姿に、自分こそが不特定多数からの応援を受けているように感じるのだ。
「同じぐらい苦しんでいる人がこんなにいるし、きっと応援してくれる人もずっといるんだ」
―――――――
大滝は一週間学校を休んだ。
綾斗は大滝一人いないだけで学校はこんなにも楽しかったのかと、驚くばかりだ。
綾斗だけでなく担任以外の先生もそう感じているはずだと、綾斗は思った。
なぜならば、授業時間が静かなのである。
綾斗のクラスの男子は、一人が騒ぐと自分こそはと思うのか、次々と男子は大騒ぎして授業崩壊を起こすのだ。綾斗の家は綾斗を中学受験させることなど考えていないので、彼は塾に行っていない分学校の授業を聞くしかない。だから、静かに授業を受けられる環境はとてもありがたかった。
しかし綾斗は自分が授業中に騒がない子なので女子受けが良く、女子受けが良いせいで男子の目の敵にされていることなど知らない。また、静かにしていた方が女子受けが良くなる事実を女子にモテたい男子達こそ理解していない。女子に注目を浴びようと必死なのだ。
それなのになぜ大滝不在で授業が静かになるのかと言えば、実は大滝が綾斗に暴力を振るうために騒ぎを起こしていたからに他ならない。騒いでいたついでにぶつかっただけ、誰かが席を立って壁になった所に小突く、など、ちゃんと大滝は綾斗への暴力が暴力認定されないように計算していたのだ。
もちろんその他の男子達も大滝のすることは理解しており、ちゃんと連携して綾斗への虐めに加担していたのである。
いじめは大多数が加担しなければ起こせない犯罪行為なのだ。
ついでに虐めに加担する者は、最終的に全部を擦り付けられる主犯がいなければ、わざわざ自分が表立って行動を起こさない小賢しさもある。
それで大滝が不在のこの間、男子達は静かにしていたのである。
けれど、己のストレスで綾斗へのいじめで解消していた子供達だ。
大滝という虐め主犯がいないことでいじめができず、さらに自分達にとって下の下の人間が幸せそうな顔をしていることが癇に障ると苛立ちがたった一週間でかなり募ってしまった。
綾斗は翌週、二時間目の体育のための着替えの最中、引き倒され、男子達に囲まれた、のである。
「お前が呪ったんだろ」
「かわいそ~。ツバサが外に出られなくなったのお前のせいだろ」
「なんのこと?」
「しらばっくれんなや。テレビでやってたじゃん」
「なんのこと?」
綾斗は何も知らない風を装うが、実は心臓がドキドキである。
彼も週末のニュースは見ており、その時にキャスターが今流行の動画として綾斗の大好きな動画について紹介していたのだ。
呪いの動画として巷で有名な動画です、と。
動画はすでに閲覧数は万を超え、イイネも同じぐらいだ。
そして、そのニュースの後に動画は閲覧不可になった。
綾斗は動画が消えた事に不安なあまり、親に閲覧を許可されていない巨大掲示板に行った。ここだったらきっと動画について誰かが言及しているはず、と。
そこで綾斗が知ったのは。
その動画にイイネをした人の嫌いな奴の顔に「害虫」という文字が浮かび上がる。
ただし、相手が人に害をなす人物で無ければならない。
大滝の顔には「害虫」が浮き出ているはずだ!!
綾斗はにやけそうになる口元を手で覆い、その代わりに眉根を寄せて、いかにも何を言われているのかわからない困惑顔を作った。
今までは正直素直を大事にしていたが、それで自分の境遇が良くなるどころか担任教師は嘘ばかりの大滝の言い分しか聞かないのだ。
「呪ったって、どういうこと?」
「だから、お前が呪ったんだろ!!」
「わかんない事ばっかり言わないでよ!!」
「呪ったのはお前だ!!」
「いくたはのろいま~」
「のろ~いのろまいくたはのろいま~」
「いいからお前のスマホ寄こせよ。履歴見てやるよ」
「え、ちょっと――わあ」
突き飛ばされて綾斗は尻餅をつく。
それで目の前では、勝手にランドセルの中身を漁る男子達。
「やめてよ。なんで、やめてよ!!」
取り出された教科書ノートは適当に放り投げられ、筆箱は床に叩きつけられ。
まるで猿が観光客に襲い掛かるみたいだと綾斗は思った。
「てか、ねえよ」
「どこ隠したんだ?」
「エロ動画ばっかみてて、それで隠したんだろ?」
「忘れたんだよ。それに学校に持ってきたら、先生に渡すのが決まりでしょ」
「加藤先生が無いって言ってんだよ」
「ええ? あったら加藤先生は僕のスマホを田口君達に渡すの? 田口君はそうやって人のスマホを覗いていたの?」
「うっせえよ!!」
「うわっ!!」
勢いよく顔を蹴られた。
床には綾斗の鼻血が滴る。
「大丈夫か~。着替えている最中に走るからだよ」
「そうそう。着替え終ってから走れよ~」
「可哀想だから、俺が保健室に連れて行くよ」
「俺も行くよ。目撃者がちゃんと説明してやらなきゃな~」
綾斗は早退したかった。
昨日覗いた巨大掲示板には、「いじめを受けた場合」の対処法も載っていたのだ。
毎日やられた事を日記に書いて記録する。
それから、病院に行って暴力を受けた記録を残す。
「頭を打っていないなら大丈夫ね。鼻血が止まったら授業に出られるわよ」
「おか、お母さんに連絡して、ください」
「鼻血ぐらいでお母さんを呼ぶ必要もないでしょ。お母さんもお父さんも一生懸命お仕事されているのよ。このぐらいで呼び出すのは申し訳ないって思わない?」
……そう。僕を病院に行かせたくないんだね。
教室に戻ると、綾斗は四面楚歌になっていた。
いつもは親身になっている女子達こそ、綾斗に向ける視線が冷たいのである。
「生田君さあ。いくら咄嗟だからって、給食袋で床の鼻血拭くのはどうかな。すっげ、気持悪いんだけど?」
「そんなこと」
「ほんっと困るよな。俺達がそれでどんだけ迷惑したと思ってんだよ。お前が給食当番な。それ着て配膳されたら汚えからさ、お前は予備の奴来てお前が汚した二人分の仕事な」
綾斗は自宅に帰ると、自分のスマホではなく家族用のパットを立ち上げた。
綾斗のスマホは制限がつけられており巨大掲示板を覗けない。
そこでのパソコンだ。
掲示板には動画が消された事についての私見が溢れていたが、そこには視聴者が動画主の代りに消された動画を再投稿するアドレスも貼ってあったのである。
「うそ」
最初のアドレスに飛べば綾斗が見て来た同じ動画が開始されたが、その動画のお勧めは同じ動画の再アップがずらりと並んでいるばかりである。
そしてなんと最後の「害虫」と顔に書かれる男の子の顔が、大滝では無いのだ。
「田口になっている」
綾斗は悩まずに「イイネ」を押した。
それからその動画をお気に入りにすると、動画の隣にあるお勧めである同じ動画をタッチする。
「ハハハ。今度は曽根か~」
もちろんイイネ、だ。
綾斗は今日自分を囲んで暴力を振るった男子達と、彼について親に連絡を入れてくれなかった保険医が映る動画にイイネを押した。
どうして次から次へと綾斗が呪いたい人物の顔になっているのか、綾斗は悩むべきだったが彼が感じる鼻の痛みが彼の思考を妨げる。
綾斗の鼻は大きく赤く腫れていた。
本来ならば保険医が病院に連れて行くべきケガだったのだ。それなのに保険医はベテランであるからこそ、子供が鼻血を出すなどよくあることですぐに鼻血が止まったから問題なしと結論づけた。
綾斗が必死に蹴られたと伝えていたにも関わらず。
それゆえ綾斗は鼻がじくじくと痛むごとに、誰も信じてくれない苦しさを思い返してどんどんと孤独に追い詰められていた。
だから彼は、七つ目の動画再生が終わった瞬間、迷わず「イイネ」を押していた。
それはもともとの動画主が投稿していた新着動画だった。
「害虫はこの世にいらないよね。燃やしてしまおう」
―――――――
綾斗は翌日学校を休んだ。
綾斗が受けた暴力を知り、母親が学校を休ませたのであるが、彼女は学校に息子の虐めについて事情を尋ねに行く事はしなかった。
なぜならば綾斗が閲覧していた動画に付いたイイネの数だけ、前夜に焼死者を出す火事が起きたからである。
彼女は息子が受けた暴力にかなり憤ってはいたが、息子に暴力を振るった同級生の家も全焼していると聞けば、大騒ぎをするよりも口を拭ってしまった方が良いだろうと判断したのだ。
―――――――
さて「燃やそうか」動画は、今回の悲劇の原因だと騒がれたが、最初の「害虫」動画のように削除されはしなかった。
それどころか削除されたはずの「害虫」動画が再アップされ、その代わりに削除後に増えた子動画の方が全部削除されたのである。
数か月後、正体不明の動画主による「害虫」動画は、閲覧数も「イイネ」評価もどんどんと増やしていた。しかし「炎上」動画の方は閲覧数は伸びるが「イイネ」は連続火災事件の後は一か月に二つか三つ増えるだけとなった。
「誰が余計な事をしやがったんだ?」
呟いた人物は、自分のものでない余計な動画を削除しようとする。
けれど何度も試して来たとおり、今回もクリックも何もできなかった。
「くそ!!」
パソコンは持ち上げられ、床に叩きつけられた。
彼が苛立つのも当たり前だ。
全国連続火災事件はニュースでは同じ日に起きた大事件とされているが、同じ日なだけで時間がバラバラであったことで全て台無しとなったのである。
彼は机に座り直すと、新しいノートパソコンを立ち上げる。
「新しいアカウントで、新しい動画か。また一からか。今度は害虫にこそ力を与えて見ようか。死にたくなければ何だってやるだろう」
―――――――
「ママ。お姉ちゃん、両方のほっぺに大きな絆創膏が貼ってあるよ」
幼い子供が隣に座る母親に囁いた。
母親は子供が不思議がる人物が目の前に立つ女子高生だと知り、その女子高生に対して舌打ちしたい気持ちになった。汚らしい存在が純粋な我が子の近くにいる事への純粋な忌避感だ。短いチェックのスカートは短すぎ、だぼっとしたセーターの胸元にあるエンブレムなど見たことも無い学校のものだ。
彼女の両の頬に貼られた大きな絆創膏は、頬に浮き出ている「害虫」という文字を隠すためだろう。この娘は同級生へのいじめか、パパ活という名の売春行為、あるいは、痴漢冤罪などしたのでは?
「しっ。見るんじゃありません。あれは――ぐぎゃ!!」
母親は痛みよりも驚きばかりだった。
自分の鳩尾に女子高生の拳がめり込んでいるが、その拳は何かの柄を握っているのだ。ナイフか何かの柄を。
「こそこそ陰険なお前らの方が害虫だよ」
「うぐぉあ」
女子高生はナイフを捩じってから抜いた。
母親は口と鳩尾から血を吹き出す。
「ママぁ!!」
「ひぃ、人殺し!!」
母親にナイフを刺した少女は自分の左手首を見て、時間ぴったし、と言って笑う。
それから彼女は自分の右頬に貼られた絆創膏を乱暴に剥がした。
彼女は電車の窓に薄く映る自分の影を見て笑う。
半年以上彼女を悩ませたあの文字が、彼女の頬から消えている。
「ハハッ、ハハハ!!ざまあ、アアアアアアア!!」
電車は脱線し、彼女は頭から強化ガラスの車窓に突っ込んで、頭部を潰してガラスを割った。顔の皮膚は剥がれ、消えた文字の方がまだ良かった状態だ。
だが彼女はそこでこと切れて幸せだった。
この日日本は一万人の生贄を同時に屠り、そのために魔界が召喚された。
今までの日常生活など、完全に崩壊してしまったのだ。
害虫たちのせいで。
読みにくいのでスペースを入れ、文章を少し加筆訂正しました。
お読みいただきありがとうございます。




