1-8: 素材屋カナトの独白‐通り魔の噂
ここ最近、森の素材の流れがおかしい。
ホーンボアの牙も角も、いつもの半分。
毛皮は傷一つついてないのに、心臓だけ消えてる。
それが一頭、二頭じゃない。
“全部同じ死に方”だ。
素材屋をやってれば、すぐ分かる。
これはケモノでも罠でもない。
人間の仕事だ。
酒場の噂はこうだ。
> 「森に入っては、通り魔みたいにホーンボアを消し飛ばす奴がいる」
通り魔、ね。
まあ言葉は物騒だが、内容はもっと物騒だ。
聞く話をまとめると――
姿は旅人
鎧も杖も持たない
戦い方が“魔術”じゃない
詠唱も構築もない
術式の光り方もしない
人差し指と親指を突き出すだけ
たったそれだけで、
> 「バタッ」
この一音で終わるらしい。
冗談みたいな話だ。
……いや、冗談で済めばいいんだが。
魔術ってのは、形がある。
火なら燃える。
氷なら凍る。
風なら切れる。
それがこの“通り魔”は、形がない。
痕跡もない。
炎もない。
焦げもない。
穴も、傷も、裂け目もない。
ただ 心臓だけが消える。
素材屋の目をなめるなよ?
俺は二十年、解体の手を握ってきたんだ。
普通の倒し方なら、
“死んだ原因”は肉の匂いで分かる。
毒なら肝臓。
出血なら首の筋。
暴力なら骨の割れ方で。
だけどこいつは違う。
> 「原因が存在しない死体」
そんなものを毎日見せられてみろ。
そりゃ噂も広まる。
面白いのが、その死体の“綺麗さ”だ。
毛皮は無傷。
肉は柔らかい。
角も完璧。
半分は手間が省けたような状態。
素材屋にとっては――
悪夢じゃない。
ありがたい。
普通の狩りなら、斧跡、牙跡、土の汚れ。
生肉はすぐに腐る。
特に“脳”を撃ち抜くと肉が血を吸う。
でも噂の死体は、何も吸ってない。
肉が新品同様なんだ。
解体の手間もないし、
毛皮の価値が落ちない。
冒険者が集めてくる素材が、最近になってやけに品質良い理由が、それだ。
さらに奇妙な噂がもうひとつ。
> 「ローデ亭で、時々シチューが無料で振舞われる日がある」
あそこのホーンボアシチューは村の名物だ。
ベルトンが作ると、たまに町人が金を置いて帰る。
そんな店が“無料”だと?
……はは。
そりゃみんな行くに決まってる。
俺だって行く。
で、聞けばこうだ。
> 「素材が“突然”増えるから」
どういうことだ。
森に行ったら、
“綺麗なホーンボアが転がっている”って?
そんなん、素材屋泣かせじゃなくて素材屋歓喜だろう。
誰も怪我してない。
消耗品も使わない。
ただ拾ってくるだけ。
“狩り”でも“討伐”でもない。
回収だ。
で、だ。
噂に名前が出てくる。
> 「ベルトンが雇った凄腕の冒険者がいる」
なるほどね。
そうなると全部繋がる。
ベルトンは人を見る目がある。
剣も大したもんだが、何より“判断力”が狂ってない。
そのベルトンが“雇う”ってことは――
危険じゃないと確信した証拠だ。
つまり、そいつは“通り魔”なんかじゃない。
通り魔みたいなやり方で、ホーンボアだけを倒す変人だ。
……まあ、紙一重だが。
だが、ここで素材屋としての思考が顔を出す。
> 「なら、素材がうちに回ってきても……」
そういう話だ。
森に突然転がる素材。
誰の手も汚れてない死体。
傷のない毛皮。
角が新品。
これが一か月続けば――
村の市場が変わる。
肉が増える。
価格が下がる。
料理の幅が増える。
旅人が増える。
素材屋は忙しくなる。
生活が楽になる。
つまり“良い噂”だ。
殺し方がなんであれ、
世の中は腹が満ちれば優しい。
ただ、俺は素材屋だ。
最後に一つだけ考える。
> 「指を突き出すだけで、魔術が発動する」
そんな魔術は聞いたことがない。
魔力制御は腹や胸の中心にある。
指先に“魔力を通す”なんて、
学院の教本には載ってないはずだ。
詠唱もない。
術式もない。
光もない。
ない、ない、ない。
それでも“結果だけある”。
その魔術は、たぶん“魔術”じゃない。
何か別の――
名前のない技術だ。
俺たちの世界で呼べる言葉が、まだないだけ。
次にホーンボアの死体が来たら、
俺は丁寧に解体する。
毛皮を傷つけず、肉を柔らかく、
角の根元を綺麗に処理して、
ミリアやベルトンに喜ばれるように。
> 「この素材は“誰が倒した”のかな?」
と笑いながら。
噂の旅人は、まだ名前も顔も知らない。
でも、素材だけは知ってる。
美しい素材は、戦いの形だ。
死に方が綺麗な素材は――
戦いが綺麗だった証だ。
その戦い方を、俺はいつか見てみたい。
本当に指先だけで世界が変わるなら――
それはきっと、革命じゃなく“技術”なんだ。
素材屋が初めて見る、“未知の技術”。
その噂は、今夜もローデ亭でシチューの匂いと一緒に流れる。




