1-5: 一般魔術士という嘘と初討伐
村の空気は澄んでいた。
屋根がまだ冷たさを残していて、草の露が細い光を弾いている。
ローデ亭の裏庭には、昨日の爆発を見た男と、その娘を前にした旅人が立っていた。
湿った土の匂いの中で、会話の温度だけが少し高い。
ベルトンは腕を組む。
指先に、あの熱がまだ残っているような顔だ。
「……で。ギルド登録したいと」
俺は頷く。
背中には、夜通し考え続けた疲れが少しまとわりついている。
「うん。生活しないと。パンも宿も……夢じゃ払えないし」
ミリアは父の影に寄り、草を指でつまんで俺を見ていた。
昨日、ひと息で森が消えた瞬間を前に、よく眠れたものだと思う。
人間は、案外“昨日”に順応する。
ベルトンは言いにくそうにした。
「……お前の魔術な」
「うん」
「……怖ぇ」
単語が空気を押し下げる。
“強い”でも“すごい”でもない、“怖い”。
初級魔術で森が吹き飛んだという事実は、言葉を選ばせない。
俺は肩をすくめる。
「俺も怖かったよ」
ミリアがコクコク頷いている。
“森が消える”という体験を、子供は真っ直ぐに受け止めてくる。
(……10歳の順応力って怖いな)
ベルトンは決断するように言った。
「だからだ。ギルド登録は“魔術士(一般)”にしよう」
俺の顔に光が差す。
「それ!すごく助かる!」
森を消した人間が“普通”の肩書きを欲しがるという構図は、どこか狂気じみているが、本人は真剣だ。
ベルトンは続ける。
「魔術は力じゃねぇ。制御だ。
制御できねぇ魔術は、技じゃなく事故だ」
俺は深く頷いた。
「一般人レベルでお願いします。俺、安全第一で生きたい」
ミリアが手を挙げる。
「昨日の魔法は……一般人ですか?」
「違う!!!」
声が裏返った。
ベルトンは話題を切り替える。
「登録には身元引受人が必要だ。
旅人がどこの誰か分からねぇままじゃ、誰かが困る」
(昨日困ったのは森の方だと思うけど)
俺は真面目に訊く。
「その役を……お願いできる人は?」
ベルトンは自分の胸を叩いた。
「俺だ」
「いいの?」
「昨日のアレを見たからこそだ。
あんな魔術を“誰かに試される”方が危ねぇ」
言葉に、実感の重みがある。
俺は深々と頭を下げる。
「ありがとう。本当に」
「礼はいらんが、条件がある」
出た。社会人が一番よく知ってるやつだ。
ベルトンは言う。
「ホーンボアを狩りたい。手伝え」
ホーンボア。
角に魔力が通る巨大なイノシシ。
時折畑を荒らす、村人にとって身近な“危険”。
ローデ亭の看板料理、“ホーンボアのシチュー”にもなる。
昨日は森が消えた。
今日はイノシシ一頭。
落差の大きさが笑えてくる。
俺は確認する。
「危なくなったら……俺が撃つの?」
「そうだ。ただし――俺の近くで撃つな。
……俺ごと消える」
言葉が冗談じゃない音で響く。
俺は真剣に頷いた。
「潜在能力は封印します」
「潜在能力?」
「あ、ただの言い方」
ミリアが首を傾げる。
「昨日のは潜在能力?」
「違う。事故」
「事故……!!」
理解が変な方向に進んでいる。
ギルド。
木材の色が柔らかく、窓から差す光が紙束の上で揺れている。
人の声より、外の鳥の声がよく響く建物。
受付嬢が顔を上げた。
淡い茶髪の一つ結び、村の空気に馴染む柔らかい雰囲気。
名札にはアリサとある。
「こんにちは。登録ですか?」
俺は深く頭を下げる。
この仕草は、異世界でも抜けなかった。
「冴島大輔、35歳。魔術士(一般)です」
アリサはこぼれるように笑った。
「生活魔術が使えるなら充分ですよ。
戦闘魔術は危ないですから」
その言葉が、心に刺さる。
(……俺ほどそれを理解してる人間いないよ)
ベルトンは保証人として言う。
「こいつは魔術に詳しくねぇ。
危なくなる前に俺が前に立つ」
アリサは頷き、書面を整える。
「身元引受人は……ベルトンさんですね。
では、こちらが冒険者カードになります」
カードが木の上で揺れた光を受ける。
その小さな板が、世界に自分の席ができた証になる。
俺の胸が少し熱くなった。
アリサが依頼書を取り出す。
「ホーンボアの討伐依頼があります。
今日は森も静かですよ」
ベルトンが肩を鳴らす。
「初仕事はホーンボアだ。俺の初給金だな」
アリサは笑う。
「無理は禁物ですよ? 一般魔術士さん」
(その肩書き、妙に落ち着く……怖い)
俺はカードを握りしめた。
「……安全運転で行きます」
森。
葉の影がまだ濃い。
土は夜の湿り気を残し、踏みしめるたびに柔らかく沈む。
ベルトンは手を上げ、進む方向を示した。
泉の方角。
ホーンボアはいつも“音の少ない水場”にいるらしい。
息の白さは消え、額に汗が滲む。
時間が動いたことが、温度で分かる。
ホーンボアは木の根を掘り返し、角に微弱な光が流れている。
魔力が走る瞬間は、空気がきゅっと引き締まる。
ベルトンは低く言う。
「真正面はやめとけ。
突進は甲冑ごと貫く。角に力が溜まってやがる」
俺も小声で返す。
(昨日は“アニメの必殺技”で森が死んだ。
今日は“弱いショット”。
威力抑えて……抑えて……抑えろ……)
脳内のBGMまでサイレントモード。
ミリアが袖を引く。
「お兄ちゃん、怖い?」
「俺が一番怖い」
事実しか言えない。
ホーンボアが地面を蹴った。
土が跳ね、木々が揺れる。
ベルトンが剣を構え、角に火花が散った。
「大輔!!やれ!!」
時間が引き伸ばされる感覚。
もう一度、指先から世界を変える瞬間が来る。
小さく、呟く。
「……《ファイアショット(弱)》」
ピッ。
音が軽い。
その一音で――ホーンボアが消えた。
土に穴も開かず、木も折れず、血もない。
“存在”だけが、跡を残さない消え方。
ベルトンは空を斬り、前のめりに転んだ。
「……どこいった?」
ミリアは目をまん丸にして言う。
「お兄ちゃん……生活魔術?」
「違う。事故」
「また事故!!」
発想が強い。
ベルトンが俺の肩を掴む。
「今の……魔術なのか?」
俺は正直に答える。
「俺にも分からない。
怖い。制御できない。
だから……一般魔術士でいたい」
その言葉が、この場の全員を救った。
“魔術の天才”ではなく、
“事故を認める大人”として。
ベルトンは深く頷く。
「ならなおさらだ。
誰かに試される前に……守る」
俺は胸に手を当てた。
「そうしたい」
ギルド。
日差しが斜めに入り、机の上に影が長く伸びている。
アリサが目を丸くしながら報酬を数えた。
「討伐証拠はありませんが……
ベルトンさんの証言で成立します。
銀貨3枚になります」
銀貨が掌に落ちた瞬間、指が震えた。
それは“初めて自分で稼いだ日銭”だ。
異世界の生活が、胸に少しだけ乗った。
アリサは柔らかく微笑んだ。
「初仕事、おめでとうございます。
危険な依頼は禁止ですよ? 一般魔術士さん」
ミリアが手を振る。
「また生活魔術見せてね!」
俺は苦笑した。
「落ち着いてからな」
(絶対落ち着かない!!!)
ローデ亭の前。
影が長く地面に伸び、家の明かりが窓に灯る。
風が少し冷たくなり、草が柔らかく揺れた。
“称号:大魔道士”
能力値はすべて“?”
制御不能。
一般魔術士登録。
でも、銀貨がある。
働いた証拠がある。
世界が、“暮らせる世界”に一歩近づいた。
俺は小さく呟く。
> 「魔術は使える。でも一般人レベルでいく。
本当の力は隠す。
日銭を稼いで、生活する。
……始まりは、革命じゃなく生活からだ」
銀貨が掌で光を返した。




