1-20: ごはんがふえる日
ローデ亭の朝は、においから始まる。
ぐつぐつ、ことこと。
鍋の音は、ミリアにとって目覚ましみたいなものだ。
「ミリア、まだ寝てていいぞ」
カウンターの向こうで、父さん――ベルトンが言う。
でも、そんな日はだいたい“いいにおいの日”だ。
「だいじょうぶ。起きてる」
十二歳は、もう子どもじゃない。
そう思いたい年頃だ。
最近、ローデ亭のごはんは変わった。
前は、
・固めの肉
・同じ味のシチュー
・おかわりは一杯まで
それが当たり前だった。
今は違う。
シチューが増える。
焼いた肉が出る。
油の音がして、パンが足りなくなる。
「父さん、また肉?」
「文句あるか?」
「ない!」
ミリアは即答する。
だって、うまい。
あの人は、やっぱり変だ。
いつも泥だらけで帰ってくる。
でも、血はついてない。
疲れてるのに、楽しそう。
「今日は鹿だったなー」とか
「ウサギ多すぎ」とか、
まるで買い物みたいに言う。
ミリアは、もう知っている。
鹿は、ステーキになる。
ウサギは、スープになる。
だから怖くない。
怖いのは、食べられないものだ。
ある日、ミリアは気づいた。
「ねえ、父さん」
「ん?」
「森、静かじゃない?」
ベルトンは、包丁を止めた。
ほんの一瞬だけ。
「……そうだな」
それだけ。
でも、ミリアは覚えている。
前は夜になると、
ガサガサ
ドン
キーッ
変な音がしていた。
今はしない。
代わりに、鍋の音がある。
ミリアは数えてみた。
今日の肉。
昨日の肉。
一昨日の肉。
多い。
でも――
誰も大勢では運んでこない。
だいすけおにいちゃんは、いつも一人。
大きな肉なのに、一人。
ミリアは、少しだけ不思議に思った。
「ねえ父さん」
「なんだ?」
「鹿さんたち、どこ行ったのかな」
ベルトンは、鍋をかき混ぜながら言った。
「……ちゃんと、役に立ってる」
ミリアは、それで納得した。
その日の夜、ミリアはおかわりをして、
お腹がいっぱいになって、
椅子で少しうとうとした。
まぶたが重くなる前に、考える。
この村は、前より安全だ。
ごはんが増えたから。
父さんの顔が、前より穏やかだから。
でも――
森は、逃げている。
鹿も、ウサギも、蛇も。
みんな、前より早く、遠くへ。
ミリアは小さく息を吐いた。
「……明日も、ごはん、あるよね」
鍋は答えない。
でも、ことこと鳴っている。
だから大丈夫。
ミリアはそう思って、目を閉じた。
――フェルミナ村は、今日も平穏。




