1-19: シチューの村に、炎の皿が生まれた日
ホーンディアを背負ってローデ亭に帰った時、
村の空気が変わった。
「鹿だ!」「ホーンディアだ!」
子どもたちが跳ね回り、大人たちが目を丸くする。
角の黒い縞模様に、魔力が僅かに揺れていた。
魔獣は“脅威”であるはずなのに――
今は、ご馳走に見える。
大輔は笑う。
理由はひとつ。
> 「飯になるから」
裏庭に吊られたホーンディアを前に、
ベルトンは腕を組んで唸った。
「……綺麗だな」
以前の“蛇”の時と同じだ。
大輔の攻撃は 肉を傷つけない。
一点貫通。心臓だけ。
皮も筋も――食材として完璧。
素材屋カナトが眉を上げる。
「これ……炎症がない。
魔術で殺したってより、“壊れてない”」
「俺の魔術はな、食材を残す魔術なんだ」
大輔が言うと、
ベルトンは顔を覆って笑った。
「そんな魔術聞いたことねぇぞ」
そう言いながらも、目は真剣だ。
刃が走る。
皮が剥がれ、赤身が現れる。
筋がきめ細かい。
鹿肉特有の深い赤。
触ると弾力があり、重たい“香り”がする。
「……こりゃ、煮るより焼いたほうがいい」
ミリアが目を輝かせる。
「ステーキ!?ステーキだよね!?」
「そうだ。
シチューの村が、今日はステーキの村になる」
厨房の鉄板に火が入る。
ベルトンは塩だけを振った。
他に何もいらない。
素材が強ければ、塩で勝負できる。
肉を置いた瞬間、音が爆発する。
ジュワァァッ!!
脂が跳ね、鉄が鳴る。
香りが立ち上がり、空気が揺れる。
村の外で嗅いだ草の香りが――
今は、肉の甘さに変換されている。
「ミリア、皿を用意だ!」
「はいっ!」
ミリアは走る。
皿が並び、パンが切られ、客が集まってくる。
昼でも夜でもない時間。
村全体が匂いに吸い寄せられてくる。
大輔の目の前に皿が置かれた。
厚切りのホーンディアステーキ。
断面は濃い赤。
中央は淡く光る。
肉汁が皿に落ち、塩が溶ける。
ベルトンが言う。
「フォークとナイフは要らねぇ。
かぶりつけ」
大輔は噛んだ。
肉が裂ける。
舌の上で“鉄の甘み”が爆発する。
鹿肉特有の旨味――
血の匂いではなく、森の味。
草を喰って育った肉の香り。
魔力で締まった筋が、噛むほどに溶けていく。
「……うまい」
声に出す前に、体が理解する味。
濃い。
深い。
強い。
ミリアが口をぱくぱくする。
「どう!?どう!?」
大輔は言う。
> 「歯が喜んでる味だ」
意味はよくわからないが、
ミリアはなぜか誇らしそうだ。
「でしょ!でしょでしょ!?
ホーンディアはね、噛むとね、頭の中が森になるの!」
説明は雑だが、言っていることは正しい。
味が風景になる。
そんな肉だ。
その日のローデ亭は、坐席が足りなかった。
村人、旅人、行商人、農夫――
皆が皿を前に笑っている。
誰かが言った。
「シチューもいいが……焼くのもいい」
誰かが答える。
「焼きで勝てる味だったんだな……
この肉」
ローデ亭は、煮込みの店だった。
それが今日――
初めて“焼き”の店になった。
老人が皿を撫でながら言う。
「昔、旅で食ったステーキを思い出す……
でも、あれより美味い」
若者が目を輝かせる。
「魔獣のステーキ……
都会の飯よりすげぇ」
行商人が笑う。
「蛇のシチューがあって、鹿のステーキもある。
この村……なんだ?」
誰かが言う。
「ローデ亭は――森を料理する店になった」
片付けが終わる頃。
アリサは厨房の隅で、そっと呟いた。
「……今日、歴史変わりましたね」
大輔は水を飲みながら答える。
「大げさだよ。
シチューとステーキが増えただけだ」
アリサは首を横に振った。
「違います。
“魔獣を恐れてた村”が、
“魔獣を食べる村”になったんです」
大輔は笑う。
「飯が美味いなら、それでいい」
その言葉に、アリサは気づく。
この人は魔術師じゃない。
英雄でもない。
理論も規格外、行動も無茶苦茶。
だけど――
> “生活を変える魔術”だけを使う人だ。
今日、村は新しい味を覚えた。
森の恵みを、“焼き”で食べる味。
それを教えたのは、魔術じゃない。
食べたいという欲望だった。
森の暗闇で撃たれた一発は――
皿の上の革命になった。




