1-17: この人は、今日も“ご飯”のために魔術を撃つ
朝の空気は冷たい。
フェルミナ村は“森に囲まれた村”だから、朝だけ空気が濃い。
深く息を吸うと、胸の奥が少し痛くなるくらいだ。
ギルドの扉に鍵を差し込む。
まだ誰も来ない時間。
紙を整え、依頼板を更新し、机を磨く。
この静かな時間が、私は好きだ。
今日は――嫌な予感がする。
理由は簡単。
昨日、大輔さんが言った。
> 「新しい魔術できた」
この言葉は危険だ。
この人の「できた」は、普通の人の「練習し始めた」ではない。
昨日は無かった物が、今日には森ごと失くなるレベルで“完成”している。
だから私は、机の上に鎮痛薬を置いておいた。
理由は言わない。
でも必要になる気がする。
扉が開いた。
「本日も晴天なり!」
大輔さんだ。
今日も元気。
少し怖い。
けど――なんだか、楽しそうな感じは伝わってくる。
私は笑顔で迎える。
「おはようございます、大輔さん」
彼はカウンターにずいっと寄ってきた。
> 「アリサちゃん!今日も美味しそうな討伐ある?」
ちゃん付け。
この人、昨日からずっと言っている。
最初はびっくりしたけど――
村では、親しい人はそう呼ぶこともある。
だから、まあ……悪くはない。
ただ、ギルド受付としては言っておきたい。
「……私、ギルドの正規職員なんですけど」
「知ってる!」
知ってるのに言うんだ……。
この人の発想はやっぱり謎だ。
「今日は特別だぞ」
大輔さんが胸を張る。
私は嫌な予感を抱きつつ、恐る恐る聞く。
「……何がですか?」
「雷魔術。新技だ」
はい、出ました。
私の頭の中で鐘が鳴った。
雷魔術。
村では、誰も使えない。
火ですら“焚き火”レベルの人がほとんどで、
水は“水を出せる”だけですごい。
雷なんて――上級魔術師の技。
「雷って……大輔さん、属性は?」
聞いてみる。
魔術は“属性”が必要。
火属性の人は火が使えるし、水属性の人は水が使える。
複属性?
この村では聞いたことがない。
大輔さんは笑った。
> 「任せろ。理論がある」
この言葉、厄介だ。
この人の「理論」は、私たちの“理論”ではない。
「雷って、どうやって?」
大輔さんは楽しそうに説明する。
「土で微粒子を作って、風で高速回転させるだろ? 摩擦で静電気を貯めて、それを水滴で誘導して――」
そこで私は思考を止めた。
え、なに?
風?土?水?
全部使うの?
「大輔さん……属性って、ひとつじゃ……」
「要はイメージだ!」
この人は――本気で言っている。
私は理解を諦めた。
理解できないものを理解しようとすると頭が痛くなる。
だから経験から学ぶ方が早い。
(この人が新しい魔術を言う時は、森が大変になる)
てことは――今日は森に行く気だ。
依頼表を見る。
大輔さんが“美味しそう”と言いそうなのは……
これだ。
「ストライプ・ホーンディア。肉が美味しいと評判です」
すると彼は即答した。
「それ行く!」
即答。
悩まない。
肉の味だけで判断してる。
私は注意する。
「ただし、かなり速いです。普通の魔術では当たらないほど――」
「だから雷だ!」
……そういう理屈?
私はため息をつく。
「村を吹き飛ばすのはやめてくださいね」
「任せろ。ベルトンさんが泣くことはしない」
――あ、それは一番信用できる。
ベルトンさんが泣く時は、大体“食材が消える”時だ。
この人の魔術で一番被害を受けているのは、森でも魔物でもなくベルトンさんの料理だから。
大輔さんは扉に向かう。
右手を上げ、親指と人差し指だけを伸ばす。
銃の形。
……詠唱も杖もない。
それなのに、このポーズを見ると――
なんとなく“魔術”に見えるのは不思議だ。
「今日は雷だ。二次元が現実になる日だ!」
私は言う。
「それ、昨日までは現実じゃなかったんですね……?」
大輔さんは笑って答えた。
> 「昨日は妄想。今日は魔術。」
そう言って出ていった。
扉の外には青空と森。
本当に“晴天”だ。
私は小さく祈った。
> どうか安全に。
どうか森が焦げませんように。
ベルトンさんのシチューが守られますように。
それから――こう思った。
> この人の魔術は、村を変えるかもしれない。
昨日まではなかったものが、今日ある。
それって、魔術よりすごいことだと思う。
雷の朝。
村はまだ知らない。
今日、新しい味が生まれることを。




