1-14: 革命は鍋の中で起きる
ブラッディパイソンの巨体は、店の前の地面を覆い尽くした。
赤黒い鱗が陽に照り返し、村の子どもたちは近づいては逃げる。
大人たちも足を止めて見上げた。
「……本当に背負って帰ってきたのか」
ベルトンは、呆れたより先に“笑って”いた。
心底嬉しそうに、蛇の頭を見て、そして大輔の背中を見た。
「こいつぁ、ローデ亭の運命かもしれんぞ」
大輔は肩を回した。
筋肉痛が未来の美味しさに変換される感覚が、ここにはある。
「食えるなら、全部お願いします」
ベルトンはうなずいた。
> 「任せろ。元Cランクの腕、見せてやる」
巨大な蛇は、裏庭に吊られた。
カナトが呼ばれ、助手に入る。
素材屋の店主は、目を輝かせた。
「なんだ、この鱗……金属じゃねぇか。力で剥がすんじゃなくて“切り取る”んだな」
“魔物解体”が始まる。
ベルトンの手は迷いがない。
大輔の魔術が一点を消すだけだったおかげで、肉は傷ついていない。
鱗の下には、光沢のある白い肉。
筋線維が細かく、繊維が柔らかい。
カナトは息を呑んだ。
「この密度……熱を入れたら、絶対にほろほろだ。骨の香りが強い肉は、煮込みに向く」
ベルトンは手元を見ながら言った。
「ローデ亭のシチューは、“骨から作る”んだ」
蛇の骨は太くて重い。
これを火にかけ、野菜・塩・香草を合わせる。
火を弱め、じっくり煮る。
鍋の中で、蛇の骨から“白濁したスープ”が出る。
油が浮かず、滑らかな膜だけが広がっていく。
> シチューの色が、変わる。
キラキラとする油の粒。
ミルクを入れていないのに、淡く白い。
ベルトンは笑って言った。
「これだ。こいつは、森の味だ」
ミリアは鼻を近づけて、うっとりしている。
「ホーンボアより、甘い匂いがする……」
「脂じゃない。骨の旨味だ」
料理人の目が、少年のように輝く。
木の皿に乗った蛇シチュー。
白濁したスープの中に、厚めの肉が沈む。
表面には、ベルトンの秘伝である“焼き根菜”が彩りを添えた。
大輔は一口目をすくった。
舌に乗せた瞬間、“味の方向”が分かる。
ホーンボアのような野性味はない。
代わりに、深い甘み。
骨から滲む旨味が、舌の奥に広がっていく。
繊細なのに、強い。
> 「うまい……」
言葉が漏れた瞬間、ミリアが身を乗り出す。
「でしょ!? これ、絶対売れるよ!」
ベルトンは腕を組んだ。
「ローデ亭の看板シチューが変わる。
“蛇と骨の白シチュー”。
今日から、特別メニューにする」
アリサが目を丸くして言った。
「……名前が増えていくんですね、この村に」
午後。
厨房から漂う香りは、通りを歩く人の足を止めた。
噂は速い。
「蛇の肉が食べられる?」
「白いシチューって何だ?」
「ベルトンの新作だと?」
そして――
行商人たちが足を止めた。
彼らは“蛇の恐ろしさ”を知っている。
襲われ、荷物を奪われ、旅が止まる。
多くが命を落としてきた。
その魔物が、
皿の上に乗っている。
一口食べた商人は、泣いた。
「……こんな味になるのか。
血で殺される魔物が、こうなるのか」
それは救いだった。
敵が――食べ物に変わる。
生き延びた者だけが味わえる“復讐じゃない救い”。
噂は瞬く間に広がる。
子どもが興奮して叫ぶ。
「蛇って食べられるんだって!」
「ローデ亭に行ったら蛇があるよ!」
老人は目を細めて言う。
「昔は食べるしかなかった。
今は食べたいから食べるんだ」
笑い声が増えた。
恐怖の象徴だった蛇が、村の味になる。
暖炉の火が静かに揺れる。
客が次々と皿を返し、声が上がる。
大輔は静かにスープを飲んでいた。
背中の筋肉痛がまだ残る。
でもそれも、今日の味の一部。
アリサが近づいて、控えめに聞いた。
「大輔さん。
どうして蛇を選んだんですか?」
大輔は器を見ながら答えた。
「美味しいって聞いたんで」
アリサは笑った。
その笑いは、どこか安心したような笑いだった。
ベルトンがカウンター越しに言った。
「魔術ってのは、派手じゃなくていい。
誰かが生きる理由になれば、それで充分だ」
ミリアが声を弾ませる。
「次はね、蛇の骨でスープ取って、もっと白くするの!
あとね、角みたいに切って盛るの!名前は――」
ベルトンが止めた。
「名前は俺が考える!」
笑いが起きた。
蛇の味が、村に広がった。
それは戦いの痕跡でも、英雄譚でもない。
> 魔術が、初めて“生活”になった日だった。




