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へんしーん

作者: フリードリヒ・ハラヘルム・タダノバカ

 気がかりな夢を見ていた。


 どんな夢だったのかは覚えていない。なぜ、夢というものは、目を覚ますなり忘れてしまうのだろう。


 ただ唯一覚えていることは、なんか気がかりだったということだけだ。


 目を覚ますと私は一匹の巨大な蟲になっていた。

 べつに驚きはしない。よくあることだ。というよりは、小説としてはかなり古典的でベタな展開だ。

 これが三人称小説ならそれに気づいた主人公の心情すら描写されないこともある。

 元祖はやはりフランツ・カフカの『変身』だろうか。かの有名な小説の中で、主人公のグレゴール・ザムザは確か、やはり慌てず騒がず、ベッドの上で、家政婦に見つけられるのをただ待っていた。私もそれに倣うとしよう。


 私を最初に発見したのは、妹のグレ子だった。


「お兄ちゃん、朝ごはんできてるよー」


 そう言っていつものように、お兄ちゃん大好きっ子の妹は笑顔で部屋に入ってきて、私を見ると、笑顔が固まった。


 私は『おはよー』と挨拶しようと思ったのだが、人間の言葉は喋れなかった。

 ただその代わりに長い触覚が、何かうまそうなものでも探るように、素速く動いた。


「わぁー、お兄ちゃんが蟲になってる!」

 そう言って、グレ子は爆笑した。


 そして「きもーい!」と言い残し、部屋を出ていった。ドアは開け放されていた。


 寒佐ざむざ家の朝食はいつも家族揃って取る。

 私が階段をのそのそと下りていくと、ダイニングキッチンには既に父と母、祖母も席についていた。グレ子はそこにいなかった。


 私の姿を見ると、まず父がぎょっとした。無言で母に『あれ、あれを見て』みたいにアピールすると、私に気づいた母が、世にも恐ろしい鬼のごとき形相になった。


「たかしっ!」

 母の怒声が飛んできた。

「あんたって子は……! ふざけてんじゃないよっ!」


 べつにふざけているわけではなかったが、口がきけないので弁解できない。

 仕方なく無言で食卓へ向かい、のそのそと歩いていると、痴呆の入っている祖母が、にっこり笑って話しかけてきた。


「あらまぁ、おじいさん、すっかり元気になったわねぇ〜」


「おじいさんは三年前に死んじゃったでしょ、お義母さん! これはおじいさんじゃないです! あなたの孫のたかしですよ、たかしっ!」

 母がまくしたてる。

「この子ったら、今日は会社に行かないつもりかしら? あんな、醜い蟲になっちゃって──」


 牛乳をもって、冷蔵庫の前から妹が戻ってきた。

「いいじゃん、たまには休ませてあげたら?」

 さすがはお兄ちゃん大好きっ子だ、私のことを弁護してくれる。

「こんなキモい姿で出社したら……っていうか会社に着くまでの間にテレビニュースになっちゃうよ?」


「たかしには働いてもらわないと困るのよっ!」

 母が私を憎むように睨みつける。

「お父さんが小指をタンスにぶつけて怪我してて働けない今、うちの稼ぎ頭はたかしなのっ! おばあちゃんがボケてて家のことが出来るひとが誰もいない以上、あたしが働きに出るわけにもいかないし……っ!」


「なんにもできない女子高生でごめんなさい」

 妹が頭を下げた。


「いいのよっ! グレ子は『可愛い』が仕事なんだから。早くアイドルとして有名になって、あたしたちをいい気にさせてくれたらそれでいいの」


 てへっと妹は笑い、ペロッと可愛く舌を出した。


「おいで、おいで」

 祖母が私に手招きをする。

「おいしいベーコンあるわよ。あたしが口で柔らかくしてあげるね。おいで〜、チロ」

 昔飼ってた犬と間違えているようだ。


 父がうーんと腕組みをし、みんなに言った。

「とりあえずグレ子の言うとおり、こんな姿でたかしを外に出すわけにはいかんな……。悔しいが今日は会社を休ませよう」


「チッ……。仕方ないわね」と、母。


「すまない……。俺が小指さえぶつけて怪我しなければ……」

 そう言いながら、父は怪我してないはずの薬指をおさえて母に謝った。


「とりあえずあんたを見てると食欲がなくなるわ。部屋に籠もってなさい」


 母にそう言われ、私は部屋に引き籠もるしかなかった。






 部屋にひとり籠もっていても暇だった。

 とはいえ、蟲の身体ではなんにもやる気が起きない。

 なんにも面白いと思えない。とにかく何をするのもだるかった。身体の奥底から活力が湧いてこないのだ。


 ダラダラとスマホゲームをしようにも、手が自由に動かない。難しい操作ができない。


 ふとフランツ・カフカの『変身』の主人公が、蟲になったあとにどうなったかが、気になった。


 なんにもしたくはなかったけど、なんにもしないというのもまた苦痛なものである。また、自分の身に深く関係のあることだと思えたので、青空文庫で『変身』を見つけると、読んでみた。


 古典ともいえる文学作品にしては面白かった。

 アニメを観てもラノベを読んでも面白いと思えないような精神状態なのに、それは私の興味を引き、ぐいぐいと続きを読ませた。


 主人公グレゴールの身に悲惨なことばかりが起きる。


 妹のグレーテだけは優しく、献身的に世話をしてくれるが、そんな妹に気を遣い、蟲の姿を見せないよう、妹が部屋に入ってくるとグレゴールはベッドの下に身を隠すようになる。


 どうなるんだ、これ……


 どうなるんだ、これ……!


 私は願った、グレゴールがサナギになり、羽化をするようなハッピーエンドを。みにくいアヒルの子が白鳥になるようなどんでん返しを。


 そして、最後まで読みきり……


 愕然となった。


 明るい、ハッピーエンドのような終わり方である。少なくとも家族たちにとっては──

 しかし、主人公にとっては……

 何も救いがない、不条理である。


 このままでは、私も──


 私は初めて身の危機を察した。

 しかし、やはりやる気が出ない。何もしたくない。


「ただいまー! お兄ちゃん!」


 妹のグレ子が、制服姿で、元気よく部屋に入ってきた。

 いつもなら私の背中に飛びついてきて、今日学校であったことを色々と話してくれるところである。

 しかし、蟲の身体には触れるのが嫌なのであろう、約1メートルの距離を置いてクッションの上に座ると、嬉しい報告をしてきた。


「あたし、『お面ライダー』のヒロインに抜擢されちゃったぁ! 『お面ライダーまじ子』の役で、敵と闘うんだよ? もちろん闘う場面はスタントマンのひとだけど!」


 それを聞いて、閃いた。


 私もお面ライダーに変身できれば、最悪の結末から逃れられるのではないか?


 この世は確かに不条理だ。どれだけ家族のために身を粉にして頑張っても、蟲になれば家族からリンゴを投げつけられ、見捨てられ、新しい稼ぎ頭ができればみんなそっちへついていく。


 やる気は出ないが、なんとかハッピーエンドにしたかった。


 私は妹の話を一緒に喜んでやると、切り出した。

「グレ子……。子どもの頃、一緒に遊んだお面ライダーの変身ベルトがあったの……覚えてるか? あれ、今どこにあるだろう? 探してくれないか?」


 私は言った。

 しかしもちろん、人間の言葉が喋れず、ウゴウゴとした動きがグレ子を怖がらせただけだった。


 変身ベルトだ! あれがあれば──


 きっと私は元の自分どころか、超人的パワーをもった男に変身できる……。


「すっごいの見つけたよぉー!」

 興奮した声でそう言いながら、部屋に飛び込んできたのは、祖母だった。

「おばあちゃん、これですっごいのに変身するよぉ〜? いいかい? 見ててごらん?」


 祖母の腰に、目当てのライダーベルトが装着されていた。

 どうやら家じゅうを徘徊していて、どこかで見つけてきたようだ。


 妹が嬉しそうに手を叩く。

「うわぁ、おばあちゃん! ちょうどそれよ! あたし、それに変身するんだから!」


「なんだいおじいさんも変身するのかい」

 祖母はハッスルしながら、ポーズを決めた。

「見ててごらんなさいっ? へーん……しんっ!」


「違う違う、おばあちゃん」

 グレ子が笑う。

「ポーズをとるだけじゃだめだよ。それじゃ昭和のライダーだよ。令和のライダーはスロットにカードを挿し込んで変身するの」


 そうだ。カードがなければ変身できない。


 カードは? 付属のカードはあるのか?


「これ入れてみなよ」

 そう言って妹がバッグの中から取り出したのは、『バケモンカード』だった。

「入れてあげる……。ほらっ、へんしーん!」


 変身ベルトが重厚な音声で叫んだ。


『Bakemon Get!』


 ドギャアッ! という派手なエフェクトとともに、祖母の全身が光に包まれ、変身した。


 まるでARを使ったあのゲームのように、現実空間の中にバカチュウが出現していた。バケモンに変身した祖母はまたたくまに若さと正気を取り戻し、窓を突き破ると表へ駆け出していった。


 いいぞ……あれだ……


 あれを私にも使わせてくれ!


 カフカの『変身』をハッピーエンドにするのだ!


 おばあちゃんを連れ戻せ!


 私も変身させてくれ!








 

 


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― 新着の感想 ―
蟲が何か傷病の比喩だと読めば、イヤンなリアリティがバツギュン! でオレの涙腺がマッハなんだが
どどどどどういうこと!? とにかくシュール! とりあえず小指ぶつけるより蟲になってる方が重症です!
いやいや……そのタンスとやらにぶつけた(と思われる)小指を治療するのが先でしょうwww
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