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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

シスコン男に買われた妻ですが、十年経った今では、夫が異常だとは思わなくなりました

作者: Ash

「でね、フリードったら、こんなこと言ったのよ」

「それはフリードが悪いな」

「そうでしょう。お兄様もそう思うわよね」


 カトラリーとお皿が擦れる音が僅かに響く中、婚約者の妹を中心とした会話が盛り上がっていました。

 家族でもなく、話題に入れない私は食事にだけ集中します。

 前菜として出てきたのは、向こうが見えないハム。我が家では向こうが見えるハムがメインです。

 続く料理も、我が家では食卓に上らない品々です。

 一口一口の味を噛み締めて、シスコン婚約者一家との晩餐を乗り越えます。

 私の婚約者はシスコンだからこそ、妹に幻滅されたくないと、学校を卒業したら即結婚をしようと、貧乏な我が家に結婚を申し込んできました。週に一度、晩餐を共にして、泊まらせて、文句を言えない相手の家を選んで。


 単に事業提携がなくなったなどの政略結婚の旨みがなくなったことで解消されたのなら、傷物にはなりません。

 婚約解消で傷物になる、と言われるのは、政略結婚を我慢してきた先人から見て、我が儘を言っているように見えるからでしょう。現に何度も婚約解消した殿方もまた傷物扱いされます。爵位持ち以外は。

 爵位持ちだけが、夫人にもレディの称号を与えられるので、人気はなくなりません。

 流石に妻殺しを何度もしている疑いのある殿方は倦厭されますが、それでも、娘婿が爵位持ちという魅力に目が眩んだ家は、娘を嫁がせます。


 婚約解消されようがされまいが、今の私は既に傷物です。

 妹に幻滅されたくない、という理由で結ばれた婚約なので、結婚まで確実だとしても、私の心は削れていきます。

 翌日、婚約者とその妹の楽しげな会話が聞こえる部屋の前を通り過ぎて家を出るまで、この美味しい食事だけが婚約者の家の訪問の楽しみです。




 ◇◆◇




「でね、フリードったら、こんなこと言ったのよ」

「それはフリードが悪いな」

「そうでしょう。お兄様もそう思うわよね」


 今日もまた夫の妹が来ていたようです。婚家で何か不満があったのでしょう。

 かつては、私の心を抉っていた彼女の声も、今では何の効力もありません。

 何故なら――


「おとうさま~!」


 まだ幼い子どもたちが夫のところに突進していきます。


「ロイド! メリッサ! お父様がいなくて寂しかったのか?」


 かつて見たシスコン男の表情で我が子を見る夫。表情だけでなく、猫撫で声まで同じでした。

 つまり、シスコン屑男は血族愛が重いだけで、血縁である我が子と血縁ではない妻では、天と地ほど対応に差があるのです。


「おとうさま~!」

「きゃあー!」


 二人いっぺんに抱き上げられ、子どもたちは大喜びです。


「お兄様!」

「後にしてくれ、ローズ。ロイドとメリッサが寂しがっているんだ。相手をしないと――そ~れ、グルグル~」

「きゃあ~!」

「もっともっと~!」


 ――子どもたちは楽しそうです。

 夫の妹は凄い顔をしています。何度、見たら、妹の自分より我が子である子どもたちを優先されることを憶えるのでしょう。




 ◇◇◆




 愛することも愛されることも求められずに、心が壊れた私でしたが、子どもたちは慕ってくれていますし、夫からは子どもたちの母親として尊重されています。


 それに夫からの愛ではありませんが、小遣い程度で買える愛があるので、それで充分だと思います。

 初めは弟の友人でした。我が家は私の婚約で何とか社交生活にも支障が出なくなりましたが、彼の家はそうではありません。服は親戚からのお下がりか、家族の手作り。

 紳士倶楽部に毎日、通えるだけで縁ができ、仕事を紹介してもらえたり、家門の再興ができる家の令嬢を紹介してもらえます。

 しかし、弟の友人には毎日、紳士倶楽部に顔を出すお金がありません。

 彼と彼の家は、裕福な貴婦人たちからの愛人契約を取るか、裕福な商家の令嬢と結婚するか、選択を迫られていました。


 家を継がない次男や三男なら、裕福な貴婦人との愛人契約を容易に選べたでしょう。

 貴族との愛人契約は、結婚を諦めなければいけません。よくいるでしょう? 昔、求婚者だっただけで、今も愛されていると勘違いする御婦人が。裕福な貴婦人は、援助してやったんだからと、一生、恩に着せて、嫌がらせをするのです。跡継ぎの必要な身では、絶対に受け入れられない選択肢だと、母方の伯父から聞きました。

 裕福な商家の令嬢との結婚は、令嬢本人と子どもたちに苦痛を強いる選択肢です。公爵家が伯爵家と結婚するだけでも、とやかく言う人間はいるのです。商家の令嬢が子爵家以下の跡取りと結婚しても、裕福な子爵家以下の令嬢が、高位貴族の跡取りと結婚した時と同じことが起きます。

 家の為に下の身分と結婚することも、愛人家業に足を踏み入れるのも、跡継ぎではない次男以下しか許されていないのです。


 弟の友人が選べる選択肢は、跡継ぎの座を兄弟に譲って、裕福な貴婦人と愛人契約を結ぶことだけでした。


 裕福な貴婦人は弟の友人の決断を待っていました。

 何故なら、爵位でゴリ押しした結婚や愛人契約は許されていないからです。

 それは上流階級の人間にとって、ノブレス・オブリージュに反する行為だと、判断されます。どんなに爵位が高かろうと、どんなに権勢を誇っていようと、貴族の矜持がない、と看做されます。

 そこで、他家や商人と取引できないように圧力をかけて、にっちもさっちもいかない状態にして決断を迫るのです。

 裕福な貴婦人たちがいくら裕福でも、そこまでの権力はありません。彼女たちは未亡人や夫のいる身なのですから。

 若い未亡人なら実家に財産を盗られるか、実家に再婚を迫られる身です。圧力なんてかけられません。

 夫が妻の火遊びの為に他家に圧力をかけるなんて、妻が欲しがる愛人を用意した寝取られ夫は自分だ、と屋根の上から叫んでいるようなものです。

 だから、裕福な貴婦人たちは、獲物が身動きできずに落ちてくるのを待っているのです。


 彼は友人の姉の話し相手として、社交界や外出に付き添うだけで、お小遣いが貰えると知り、喜んで相手をしてくれました。

 紳士倶楽部に毎日、行けて、三ヶ月ごとに社交で着る服を新調できる程度のお小遣い。それは月にドレス二着分。それだけで夫に顧みられない私の自尊心を満たしてくれました。

 没落貴族では紳士倶楽部に出入りできても、その回数は少なく、奢ることもできないので、知人友人頼みになってしまいます。

 弟の友人は毎日、紳士倶楽部に通って、仕事を見付けました。


 弟の友人の後は、自分を売ることを良しとしない青少年たちを雇いました。

 彼らは弟の友人や弟の友人の友人なので、自立できるようになった後も声をかけてきて、社交界では私を目印に集まって情報共有するようになりました。

 ただの情報共有やたわいもない話をするだけでも、彼らが集まって楽し気に話しているので、私は人気者だと思われています。

 人によっては、貧乏な貴族に慕われても人気があるとは言えない、と言いますが、求婚者が五人いても、結婚したいと思える条件を満たせるのは一人か二人なのが実情です。半数以上が結婚する条件を満たせない殿方をはべらしておいて、貧乏な貴族をはべらして人気があるとは言えない、なんて、どの口が言うのやら。


 エスコートと話し相手になってくれる弟の友人たちは、紳士倶楽部に行く係を決めて、有益な情報が手に入れば適任の人物を紹介して、時間とお金を有効活用しました。一人だけなら三ヶ月はかかった自立が、一人平均一ヶ月で自立できるようになりました。


「ペニー」

「伯父様」


 母方の伯父に声をかけられ、私はそちらを向きました。

 彼は裕福な貴婦人と愛人契約を結んだ実体験を、私たち姉弟や弟の友人たちに話してくれました。

 伯父には妻どころか、婚約者がいたこともありません。愛人契約をすると決めたからには、被害者は少なくしようと、独身を貫いています。

 ただ、そのせいで妹だった母が被害を被りましたが、母の実家は伯父の献身のおかげで、没落を脱したそうです。伯父が次から次へと結ぶ愛人契約のおかげで。

 そのおかげで、母は父と結婚する持参金ができました。


「大丈夫か? 辛いなら、ミント家(母の実家です)に泊まったらどうだ? なんだったら、うちでもいいぞ」

「大丈夫ですわ。弟たちがかまってくれますもの」


 伯父は顔を合わせると、いつもそう言って来ます。

 父には才覚がありませんでした。没落していく家を留めることもできず、娘を売った金と援助金で何とかしている才覚しかありません。

 弟は母方の血が強いのか、私の状況を少しでも良くしようと、友人達に働きかけてくれます。

 お陰で、私は社交界の人気者の一人となっています。


 夫はシスコンもとい、血族への家族愛が重い人物で、経済的も問題がなく、愛人の影もなく、虐げられることもありません。

 ただ、家族に向ける重い愛が私に向けられないだけ。


「そうか? 辛いと思ったら、いつでも逃げて来るんだぞ。子どものことを想うなら、お前が幸せでなければいけないからな」

「そうでしょうか?」

「母親が幸せなら、子どもは安心する」

「私、うまく笑えていませんか?」

「笑っていなくても、子どもは母親が幸せかどうかぐらいはわかる」

「・・・」

「母親だってそうだ。子どもが幸せかどうかぐらいはわかる。お前の父親は悪く言いたくないが、お前を売ったことで、バナナ(母の名前です)を悲しませた。自分のプライドのほうが、お前やバナナより大切だったんだろうよ」


 吐き捨てるように言う伯父もまた、シスコンかもしれません。


「あの男にとって、お前たちが大切なら、お前を金で売ったりはしなかった。私に頭さえ下げれば、お前を売るような羽目には陥らなかった。全部、あの男の優先順位はお前たちではなく、自分のことばかりだった」

「伯父様・・・」


 伯父は自分でも事業をしている今も、裕福な貴婦人たちとの愛人契約も続けています。愛人契約は年齢的に少なくなっても、続けていなければ事業に不調が出るからです。

 男性側が歳をとると、裕福な貴婦人たちも若い相手のほうがいいと愛人契約を打ち切ります。40を越えても愛人契約を続けられる伯父は魔性の男かもしれません。


「だから、逃げても子どもたちは理解してくれる。自分を大切にしなさい。買われた妻とは言っても、私が後ろ盾になる。何の負い目もなく、逃げて来なさい」

「・・・」


 本当に伯父は悪魔かもしれません。囁きにしては大きな声は、非常に私の心を揺さぶるものでした。


「妻に変なことを吹き込まないでください!」


 仕事の話が終わったのか、やって来た夫がそう言います。


「変なことじゃない。身内として、ペニーを心配しているんだ」

「妻の伯父だからといって、言って良いことと悪いことがある」

「それは君にとって都合が良いか、どうかだろ。私は姪にとって都合が良い話をしているだけだ」

「それがどうして、逃げろという話になるんですか?!」

「妹の夫が自分の心を守るしか考えられない人物だからですよ。若いツバメになる度胸もなければ、妻の実家や遠い親戚に頭を下げて家族を守る度量もない。あるのは娘を金で売ることも厭わない高いプライドだけ。普通なら、愛する妻が産んだ娘を金で売るなんて、どこに頭を下げても金策ができなかった最終手段ですよ。あの男は私に頭を下げるより、娘が金に買われたと肩身の狭い思いをするほうを選んだんです」


 確かに、愛する家族と言いながら、父はシスコン夫との縁談に乗り気でした。持参金も要らず、それどころか、支援金をくれると約束されたこの縁談に。


「・・・!」


 伯父は言葉を失った夫を鼻で笑うと、少し離れた場所で固唾を飲んでいる弟たちのほうに私をエスコートしてくれました。

 母の実家のミント家と夫の家では、爵位も権勢も違います。

 それでも、貴族が妻を金で買うことは、ノブレス・オブリージュに反する恥ずかしい行為です。

 夫は伯父の言葉を咎めることはできません。

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― 新着の感想 ―
伯父さまつぉおい…!! そういうシゴトをし続けていてもまだ相手がいるというのは相当ですね。相手の貴婦人たちも、若いツバメのあふれる生命力ではない経験に裏打ちされた振る舞いや言葉に慰められたりしているの…
それでも心を守る手段があって幸いでした。 同じような状況で身内を見捨てることも出来ず心を壊していった人々は表舞台に出ることのないままひっそり消えていったことでしょう。
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