未開の地の開拓
ジルグが王位継承権を放棄してから1か月後、ジルグとアルマ、ケセルの3人で先にログオム族の集落へと向かった。
ログオム族の部族長はニギルといい、部族長と言うにはまだ若い男性だった。
ログオム族の集落は密林の中にあり、長雨が降ると度々近くを流れる川が氾濫し、田畑が流され飢饉に見舞われていた。移住とは別問題としてジルグはこの状況をどうにかしたいと考えていた。ニギルはまだ若いため、新しく作る村の開墾にも意欲的で、ジルグが尋ねてくる度に川の整備や、田畑を畔で囲むなど、色々と試していた。
「ニギル、田畑はどうだ?順調にいってるか?」
「いえ、それが川の水量が思った以上に多く、畔に水を引き入れると水の勢いが強く、崩れてしまいます。」
それを聞いたジルグは少し考え、提案した。
「ならば、一旦、貯水池を作るのはどうだ?」
「貯水池ですか?」
「ああ、川から一旦池に水を引き入れる。余分な水は下流へと流す。」
これにはケセルが賛同した。
「それはいいですね。水がない時にも一時的に貯水池から水が引けますし、欲しい水量になるように板なにかで調整すればいい。土魔法で大き目の板状の岩を作り、上げ下げ出来るようにしましょう。」
ケセルの言葉を聞き、ジルグは頷きながら付け加えた。
「そうだな。密林地だと樹木の根があり、開墾には向かない。だから密林を抜けた辺りに貯水池をいくつか作り、そこまでは密林地に流れる川の水を引っ張る。その後は緩やかな傾斜になっている地形を利用して、北に流れるナイレ川支流に水を流そうと思っている。」
ケセルはお任せください!と喜んだ。
ニギルは話の意を汲みとれず不思議そうな顔をしていたが、「よく分からないが水が多くも少なくもいなら、いい。」と何か納得したように頷いた。
「族長ニギル。当面、ケセルと新しい土地への開墾を行うが、その間、世話になるが。」
ジルグがお辞儀をすると、ニギルは鼻の下を指で擦るようなしぐさをしながら言った。
「何を水臭いことを…。今まで私たちの集落の改善に付き合ってくれていたではないですか。私達も幾人か手伝いに回しますし、あなた方の暮らしはこのニギルの名において、保証することを誓いましょう。」
「ありがとう、ニギル。」
ジルグがそう言うと、続けてアルマとケセルも言った。
「ありがとうニギルさん。」
そこからは、ジルグとケセルの土魔法で昼夜を問わない開墾を進めることになる。一度にオセアの都から移住させることは出来ないので、ひと月置きに必要物資を持ってこさせる手はずになっている。そして合流した者から、また開墾の手伝いをする予定になっている。
「アルマ、ケセル。ニギルはああ言ってくれたが、すまない。しばらくは芋続きになる。」
ジルグは苦笑いしながら言った。2人は「水臭い人ですね!」と鼻の下をこすりながらニギルのものまねで言った。移住に際して、ログオム族への土産と、自分たちの食料として保存に向く芋を取敢えず持てるだけ持ってきていた。当面の食事はそれになるという事だろう。
「まずは、貯水池から作りますか?」
ケセルに問われると、ジルグは辺りを見渡した。密林を抜けた後は、木がまばらな草原が広がっている。ジルグはしばらく歩いた後、当たりを付け、土魔法でおもむろに溝をつけながら歩き始めた。ケセルはその溝をもう少し深くしながら歩いていく。
土魔法が使えないアルマは後ろをついて行くが、後ろをついて行くことに大して意味がないと思い始め、その内、密林との境目辺りでかまどを作り始めた。
ジルグがそれを見て竈づくりを手伝おうとするが、「私の仕事を取らないでください。」とアルマに文句を言われ、ケセルと一緒に溝を作ることに専念し始めた。
ジルグは溝を作りながらケセルに言う。ここは西にある海側へと向かって、緩やかに傾斜になっているのだと。そして北側へ向かっても傾斜があるが、下ったところにはナイレ川の支流があることも説明した。ジルグは元々この土地の地理を上手く利用できないかと考えてはいたが、イメージがざっくりとしたもので上手くいくかどうかは分からなかった。そこへケセルが相談に乗ってくれることで、何となくジルグの作りたい街の形が作られていった。
「とりあえずは、最初の移住者分の開墾ですかね。にしては広すぎませんか?!」
溝を掘り進めながらケセルは言う。
「そうだな。」
ジルグは飄々としているように見え、ケセルには何を考えているのか分からなくなる。ケセルはそんなジルグの考えを読もうと必死だった。ジルグは実はそこまで深く考えてはおらず、お構いなしに溝を掘り進め、ナイレ川の支流まで溝を通すと一旦引き返した。
ナイレ川の支流と言えど、今は大して水量がない。ただ雨季になるとナイレ川から一気に水が押し寄せてくるため、辺りは氾濫した川へと変貌するのだ。
ケセルは実際に歩いて、結構な傾斜がある事に気づいた。ジルグはナイレ川の支流には村で余った水を流そうと思っていると説明した。その内、土魔法が使えるものが幾人かそろえば、川が氾濫しないように川の整備をしたい、とも。
その後は、貯水池の位置取りを二人で考え、2つほど用意し、貯水池から最初に付けた溝へ向かって流れていくように、更に溝を足していった。村の作物を育てるための用水路を引っ張ったのである。
アルマの元へ行くと、アルマが竈で芋を焼いていてくれた。二人は差し出された芋をほおばりながら「道のりは長いな…。」とつぶやいた。
そこからひと月、新しい移住者グループが来るまでは、貯水池とそこから流れる用水路の整備をひたすら繰り返した。ログオム族の人たちが交代で手伝いに来てくれて、順調に整備は進んでいった。
その間、芋を食べ続けたケセルは「もう芋は見たくない…。」とつぶやいた。アルマも芋を見ると嫌そうな顔をしはじめたので、ジルグはニギルに断りを入れてから時折密林に入り、獣を狩ったり、芋以外の食料を分けてもらってくる。
「ジルグ様は本当に元王族なんですか?」
ケセルとアルマは、黙々と芋を食べるジルグを見て不思議そうに言うだった。
ジルグは苦笑いしながら言う。本当は飽きてるが、仕方ないから食べるしかない、と。
ジルグはケセルの土魔法を見て、驚いたことがある。元々あまり得意ではなかったはずのケセルが意外なまでに土魔法を使いこなしていることを。ケセルにそのこと言うと、ケセルはジルグの見よう見まねで使っていたら段々と得意になって来たという。ジルグはそんなこともあるのかと感心した。
そんなジルグだが、火魔法を嫌い、土魔法ばかり使っていたことから土魔法で言えばかなりの魔力を使う事が出来る。一旦、当たりを付けた貯水池を一気に窪ませ、縁を硬い岩盤で固めた時には、ケセルもアルマも目を丸くしていた。
アルマがジルグに魔力量を問うと、「大がかりな魔法を今まで使ったことがないから、よく分からない。」と答えた。そう言えば…と、ケセルは思い返す。ワイバーン討伐の際にジルグがやっていた礫を勢いよく上空まで飛ばす攻撃だが、ケセルも真似をしたものの、かなりの魔力量が必要だった。それを何匹も撃ち落としているのに、ジルグが魔力で疲れているのをケセルは一度も見たことがなかったのだ。
アルマにそのことを伝えると、アルマはジルグをじっと見て、呆れたような顔をするのだった。当のジルグは気にすることなく、黙々と作業を進めていく。
大がかりな作業はジルグがどんどん進めていくので、ケセルはその内、ジルグに任せることにした。代わりにジルグが堀った貯水池と、用水路をつなぐ場所に水量を調節できるポイント作り始めた。岩の板をを作ることは容易かったが、その岩盤を上げ下げすることに苦慮していると、手伝いに現れたニギルさんが木材を組み上げ、動かせるようにしてくれた。
用水路と貯水池が整ったところで、密林の上流を流れる川から水を引いてくる。溜まった水を用水路に流していくと、下流に向かってゆっくりと流れ始めた。それを見ていたジルグとアルマ、ケセルは感慨深い気持ちになる。
一からの開墾なんて出来るのかと、半信半疑だったログオム族たちも整備された水路をみて、喜びで涙を流すものもいた。ログオム族の集落は常に水害との戦いだった。水が不足しても作物は減り、水が多すぎても水害で作物はダメになる。飢えないように常に気を張り続けていた部族にとっては、新しい生活に期待を寄せざるを得なかった。
きゃっきゃとここに家を作ろうなどと言っているログオム族たち。ジルグに、アルマは「いいのですか?」と言ったが、ジルグは「好きにさせておけ。」といい、今度は田畑の畔を作り始めた。
田畑の整備に取り掛かったころ、第二移住者の兵士達が、頼んでいた積み荷と一緒に到着した。収穫までが早い作物の苗と、そして保存に向く穀物や野菜の種だった。なぜジルグがここまで色々と詳しく知っているのか、兵士達は不思議がった。それを聞いたアルマは、ジルグが討伐に出ていない時はずっと本を読んで勉強していたことをこっそり教えた。
ここからは、合流した兵士達とログオム族達で、家と畑づくりを進めた。移住してきた兵士達が合流するにつれ、村はよりしっかりしたものへと発展していくことになる。
ジルグは3か月経ったころに、ニギルと一緒にザイル族の村に訪れた。ザイル族のウルはジルグ達を歓迎してくれた。ジルグは、トルント族の捕縛を命じたことを詫びたが、ウルはザイル族にも罪はあったと言い、ジルグが詫びることを断った。
ジルグとニギルは、ウルに新しく作っている村について話をした。ジルグは国境に住むことで国家間の要らぬ巻き添えを食うなら、いっそ移住したらどうかと提案したのだ。ウルは最初驚き、すぐには決めれないと言っていたが、ザイル族と新しい村は馬を使えば2日程度の距離だから、まずは見に来て欲しいと言い、ウルを説得した。
最初の頃はしぶっていたザイル族も、その内ちらほらと移住して来て、ジルグが移住して来て3か月になるころには全ての者が済み始めていた。
ログオム族は20人程度の少数部族だ。ザイル族もそれより多いとはいえ30人には満たない。元々大家族の様な暮らしをしていたので、大き目の家を3つほど建ててやればそこにみんなで生活するようになった。ザイル族は畑も持つが、放牧を好むため家畜を持っている。
ジルグの配下の兵士達は総勢30人程度、それも半数は都に待機させており、5人程度ずつを1月置きに移住させた。心配していた作物も順調に育ち、徐々に村も機能し始める。
ジルグ達が移住して来てから4カ月が過ぎる頃、雨季に差し掛かる前に水害対策をすることになり、村の外側に大きな堀を巡らせることにした。そして余分な水は村の北側を流れるナイレ川の支流に流すようにする。
雨季と言っても長雨が続くわけではない。一時的なスコールが毎日、同じような時間に降るようになるだけだ。ただ、乾季に比べれば水量は上がるのでナイレ川の支流では水量が大きく増す。ナイレ川の支流が氾濫すれば、宮殿までの道は閉ざされ、帰ることが出来なくなる。
「雨季までに支流の整備と出来れば橋をかけて置きいたいな…。」
ここまででも急ピッチな村の整備を進めて来たのに、ジルグがポツリと零すものだから、兵士達も部族たちも、ぞっとした。
特にジルグを追いかけて移住して来た兵士達は、ジルグの行っていた「土魔法が得意なもの。」の意味を今やしっかり理解できていた。用水路の整備はすでに整っていたものの、移住してからやる事と言えば、ひたすら煉瓦と瓦を造り、それが出来れば家を組み立て、家が出来れば内装、竈を作り、田畑を耕し…。とにかく土土土…毎日が土魔法。
移住してひと月も経てば、兵士達はみんな土魔法のベテランになっていた。
そんな兵士達でも唖然とするくらいの土魔法で開墾をすすめるのがジルグだった。大がかりな魔法と言えば、ほぼジルグが担っていた。そんなジルグはいつしか「開墾王子」と村でささやかれるようになっていた。
「それで、開墾王子のジルグ様。」
湯網をした後に椅子に座り、布巾で濡れた髪を拭っていると、アルマに声を掛けられた。
「なんだ?アルマ。そろそろ様はやめてくれないか。」
アルマは、ジルグの後ろに立ち、布巾を取ると代わりにジルグの髪を拭き始めた。
「…やめてもいいんですが、それには私にも立場と言うものが必要になります。いつまで待てばいいんですか?」
ガシガシとジルグの髪を拭きながら、アルマは文句を零した。
移住してからジルグはアルマに傅くのを止めてくれ、様付けも嫌だと言って来た。アルマはその意味をなんとなく理解してはいたが、待てど暮らせど中々ジルグの方からは言ってこないものだから、ついには焦れて確信を突いた。
「…いいのか?俺なんかの奥さんになるんだぞ。」
「ここまで付いて来て、もう断るはずもありません。第一あなた以外の誰の妻にになれると言うんですか。」
ジルグが椅子の背もたれに頭を乗せ上を見上げると、アルマの膨れ面が視界に入る。
「他の男性の奥さんになれと言うならそうしますが…。」
アルマがそう言いかけたところで、ジルグはアルマの頭を自分の方へそっと引き寄せた。
数日後、ささやかながら周囲の人に祝われて、ジルグとアルマは夫婦になった。