間抜け顔のトカゲ
ジルグは今日の様な集まりがあった後は、どうにもむしゃくしゃして気分が落ち着かない。部屋に戻り一人になりたいが、王子となるとそうもいかない。自室の扉を開けるとアルマが平伏して待っていた。
「よせ。平伏は嫌いだと言ったはずだ。」
室内に入るや否や苛立ちを隠さずにジルグは言う。
「そうはおっしゃられましても、私の身分では致し方ありません。」
「お前はもう奴隷ではない。俺付きの神子だ。」
アルマは身を起こして、淡々と告げる。
「さように言われましても、神子と言えども貴族、平民の出と奴隷の出では格差があります。貴方様は私などの事はお気になさらずともよいのです。」
ジルグの服を着替えさせようとアルマが近づき、肩に触れようとした瞬間、気が立っていたジルグはアルマの手を振り払った。あまり強く振り払ったつもりではなかったが、小柄なアルマは体制を崩し、倒れた。
「ガシャーン。」
アルマが、倒れた時に部屋のサイドテーブルにぶつかり、上に置かれた水差しがぐらつき、落ちた。辺りに破片と水が散乱する。
「申し訳ございません。今片付けます。」
アルマが割れた水差しの破片を片付けようとするのを、ジルグは手伝おうとしたが、アルマに手を差し止められた。
「貴方様がこのような事をしてはいけません。」
アルマの大きな釣り目がジルグをじっとみる。ジルグはアルマのこの猫の様な目が苦手だった。自分のなにもかもが見透かされたような気持ちにさせられ、動けなくなるからだ。
ジルグはこの部屋に入る前から面白くなかったが、今、淡々と喋るこの女性にも苛立っていた。
「あぁ、そうだったな…。奴隷の分際のお前には地べたを這いつくばって割れた水差しの片づけをしているのがお似合いだなっ!俺は身分が高いからこんなことはしないっ!どうだっ!こう言えばお前は満足でもするのか…っ!」
アルマは答えなかった。代わりに心配そうな目でじっとジルグを見つめて来た。ジルグはそれに耐えられなくなり、部屋の扉を勢いよく開ける。
「どちらへいかれるのですか?」
「ハレムだ。ついてくるな、今日はもう戻らない。お前は寝ていろ。」
アルマの返事をまたず、ジルグは去っていった。
王妃の間に呼ばれたとき、ジルグは決まって荒れる。王妃の間にはアルマはついてゆけない。だから事情までは分からないのだが、王族が集まることだけは知っており、そこでいつも何かがあったのだろうと察してはいた。
ジルグが言っていたハレムは、文字通りハーレムのことだ。宮殿の一角には王子達を癒す女性がいる。こういう日は、ジルグはそこへ行って酒を飲んでいるらしいことを耳にしていた。
翌朝、アルマが起きるとジルグはいつの間にか部屋に戻り、ベッドで眠っていた。寝不足だろうか、目の下に少しクマがある。
王子達には神子が一人ずつ付けられ、本来であれば神子の部屋は続き間になる隣室だが、ジルグは第四王子という事もあって、さほど重用されていないせいか1部屋しか与えられていなかった。ジルグは部屋がないなら、隅にでもお前のベッドを置いておけと言い、ジルグの部屋の隅には小さいながらもちゃんとしたアルマ専用のベッドが用意されている。その一角は簡易ながら衝立で仕切られている。
王子によっては、本来神子の部屋になる部分も、自分の部屋として使い、神子は使用人室で寝ることもあると言うから、それに比べれば随分ましな生活をさせてもらっているとアルマは思う。
ちなみに使用人室というのは、たこ部屋で大所帯が雑魚寝しているような部屋だ。
寝ている主人を起こさないように、ベッドから出て、衝立の後ろで着がえを済ませたアルマはちらかった床を見渡す。
昨晩綺麗に片付けたつもりだったが、水差しの破片がまだ落ちており、拾い集める。主の足を怪我でもさせたら一大事だ。
ふと見ると、ジョーンズ冒険記がジルグのベッド脇に置かれていた。何度も何度も読み返されて擦り切れ、めくれているその本を見てアルマは、くすりと笑った。手を伸ばし、本を拾おうとするとその手をジルグの手が掴んだ。
アルマより大きい、骨格のしっかりした男の手だった。アルマは少しドキリとした。眠いのだろうかジルグは緩慢なしぐさでちらりとアルマを見る。
「主の寝込みを襲うとは、しつけのなってない猫だな。」
アルマは少し考えこみ、淡々と返事をした。
「それは失礼しました、にゃ。(棒)」
とたん、がばっと起き上がったジルグは、アルマの手を振り払いイライラとしながら文句を言う。
「お前のそういうところが可愛くないんだっ!ふんっ!」
そして、ベッドから起き上がると「着替える。手伝え。」とアルマに短く命令した。
着がえを手伝ってもらい、衣服を整えたジルグは、部屋の片付けをしてるアルマを横目で見ていた。昨日、突き飛ばしてしまった時に足をくじいたのだろうか、左足をかばって歩いている。ジルグが読み散らかした本を拾い、書棚に片付けているアルマをみて手伝いたくなるが、昨日言われたことを思い出し手を引っ込める。
しかし足が痛いからか、一度に何冊も運ぼうとしてアルマの手には本がずっしりと抱えられていた。ジルグは本をひょいと奪い、書棚の空いたスペースに適当に放り込んだ。その後、アルマを椅子に座らせ、ねん挫した左足の手当てをし始める。
アルマは、手当てを止めようとするが、ジルグはやめなかった。
「…悪かったな。突き飛ばして。」
バツの悪そうな顔で言う主人を見ていると、ふと目が合う、そしてアルマの左頬が少し擦り切れているのを見ると、しかめ面でうつむいた。
アルマは、ぶっきらぼうだが優しいこの主人が好きだった。「たまには主人の好きにさせろ。」と言われ、アルマは大人しく手当てを受けることにした。
「お前は2,3日仕事をするな。」と部屋を追い出されたアルマは、暇そうに宮殿の庭を眺めていた。ジルグはと言えば、いつものようにまた本を読んでいる。乱暴者と言われているこの第四王子がこんなに書物を読む事を知っているのは、ごくわずかだ。アルマは思う。ジルグは本当はワイバーン狩りなどよりも本を読んでいるのが好きなのではないかと。
「ガサッガサッ。」
暇そうに庭を眺めているアルマの前に大きなトカゲが見えた。アルマは「なんと間抜けな顔のトカゲがいるもんだ。」と、その時は思った。
それから数日経ち、先日第一王子が平定したザイル族の集落にサラマンダーが出たと報せが入った。魔物の討伐ならお前が好きだろうと、ジルグは兄達に討伐を押し付けられた。ザイル族の村までは数日かかることもあり、また、火の神の加護もあるため、今回の討伐にはアルマも加えられた。
10日ほどかけてザイル族の集落に付くと、そこはすでに火の海どころかすべて焼け落ちた後だった。
ところどころにまだ火の手が上がっていたが、焼け落ちた家をみな茫然と眺めており、失意からか何もしていなかった。
「アルマ、加護を頼む。」
「かしこまりました。」
ジルグの額にアルマが触れると、ジルグは炎のような光で包まれる。この火の加護を纏うと、炎に強くなることが出来る。アルマは続けて幾人かの兵士にも加護を与える。
「おい、加護を付与されたものは俺に続け。サラマンダーの討伐にあたる。残りの者は村人の救護にあたれ。」
「「はっ。」」
命令された兵士たちは、ジルグの指示通りついて行くものと救護にあたるものに分かれ作業を始めた。
「…アルマは俺についてこい。…加護持ちだからな、ふん。」
そう言われ、アルマはジルグについて行く。
見つかって討伐されたサラマンダーは3体、逃げた個体がいないか、くまなく探すため兵士達は付近をまた捜索始めた。
ジルグは土魔法で簡易的に土壁を組み上げた。そこへ持ってきた天幕を兵士たちが張っていく。雨露が防げる簡易住居の様なものだ。それをいくつか組み上げるとジルグは、部族長に逢いに行った。
ザイル族の部族長は、老齢の男性で白髪になった髪をいくつかの三つ編みで束ね、さらにその三つ編みをまた頭の後ろで一つに束ねていた。その男の名前は、ウルと言った。ジルグはウルに問う。
「おい、先日、我が兄、第一王子セランがトルント族との諍いを平定したと言っていた。それは間違いないか?」
ウルは少し考え込んだが、重い顔で口を開いた。
「誠にございます。」
「確かに平定されたのか?どうなんだ?」
「…それは……。」
ウルは言い淀んだ。第一王子の顔に泥を塗るようなことを言えば、それが第一王子の耳に入った時、自分だけではなく部族全体に被害が及ぶ。
ウルの答えにくそうな表情をくみ取り、ぼそりとジルグは言った。
「…ふん、まぁ、言いたくないなら別にいい。群れで出るはずもないサラマンダーが3体も集まってここにいる時点で大方察しはつく。」
それを聞いたウルはぶるぶると震え、平伏しながらジルグに告白した。
「わたくし共としては、トルント族には一切危害を加えるつもりはありませんでした。ただ、トルント族はトゥシャ国に組しない部族ゆえ、第一王子がいらっしゃった時に反発も大きかったのでございます。」
「兄上に何を命令されたのだ。」
「第一王子セラン様はトルント族にトゥシャ国に組せよと命じられましたが、逆らったトルント族の部族長は、その場で打ち首にされたのです…。その後のトルント族を我々ザイル族で管理せよ…と。」
「なに?!」
長年の諍いのあったトルント族との諍いの平定自体が不思議な所に、急にトゥシャ国の傘下にまで入る事自体がおかしな事だとは思っていた。だがまさか部族長を打ち首にしているとまでは思わなかった。そんな事をすれば、更なる反発を招くだけだとジルグは親指の爪を噛んだ。
「分かった。明朝、トルント族に逢いに行く。簡易住居はこのまま残していくから後は好きに使え。田畑まで燃えなかったことを神に感謝するんだな。」
「…ありがとうございます。」
明朝、ジルグは兵を連れて密林に入り、トルント族の集落まで移動する。歩きで半日程度の距離になる。