【短編】とある夜の日に
賑やかな時間が過ぎた夜、人通りの少ない表通りが少し外れた路地に一匹の蛾が死んでいた。
何気ない日常、よくある光景だ。
その日だけはなぜだかソレがとても気になった。
「……汚ねぇな」
アスファルトにどれだけ羽根を打ち付けたのだろうか――。
ボロボロに破け、鱗粉をまき散らし、焼け焦げてのたうち回ったであろうソレの見上げる先を見やった。
古びた自販機の上に設置された青紫色のライトトラップに数えるのもバカバカしいくらいの羽虫達が群がっては落ちていく。
「止めときゃいいのによ」
タバコに火をつけ、湿って重たい空気を飲み込むように吸い込み、大きく吐き出した。
「こんばんわ、こんなところでなにをしていらっしゃるのですか」
音量は小さいがやけにはっきりと聞き取れる若そうな女の声が聴こえた。
「チッ、職質か? だりぃな……」
タバコを投げ捨て足で火を揉み消しながら吐き捨てるように言いながら振り返った。
「悪かったよ、ここは喫煙禁止だったな。もう消したからさっさと消えな、お嬢さーー」
「いえ、別にそれを咎めるつもりはありませんよ?」
振り返った先にいた彼女は月の明かりを真に受けて白い肌をより一層白く見せていた。亜麻色の髪が卸し立ての絹糸のようにさらさらと流れ、その髪を白磁器のような手が押さえてほほ笑んだ。
「飲みすぎたか? 夢にしちゃ妙にリアルだな、おい」
「変わった方ですね、アナタ」
少女は誰が描いたも知らないグラフィティを背負い、まるで足元に転がる何かがソコにいるかのようだった。
「どうしてここへ?」
「意味なんかあるわけねぇだろ。たまたまここを通りかかって、たまたまこの自動販売機で酔い覚ましになんか買おうとしてただけだ」
「ふふ、その”たまたま”が私を引き留めたんですね」
「アンタ、家出少女かなんかか? そっちの方が変わってんだろ、こんな時間にゴロツキに声をかけるなんざ」
「まあ、おおむね正解……といったところでしょうか……」
またタバコに火をつけ、星のない不気味な空を見上げて白い煙を吐き出すと白煙はうっすらと吹く風に流れて路地を駆けていった。
少女はこちらに近付いてくると玉石のような黄色い眼をくりくりとさせて興味深そうにこちらを覗き込んでいた。
『わたし、11月生まれなんだよねぇ~』
懐かしい声がセピア色の記憶と共に聴こえた気がした。
吸い終えたタバコを足先でもみ消してポケットにあった小銭で缶コーヒーを二本買う。
「お嬢さん、これ飲みなよ」
「いいんですか?」
「ああ、懐かしいもん思い出させてくれたお礼だ」
彼女の青白い体は古臭い自販機の明かりにチラチラと照らされ、明かりが強く照り返す度に息苦しそうに輪郭をぼやけさせる。
「人は見かけによらないってのはホントなんですねぇ」
「どういう意味だ、こら」
静かな路地で甲高い音が二つ、響いた。
――ぷしゅっ…。
――ぷしゅっ…。
それきり黙り込み、缶コーヒーを飲み終えた彼女は捨てられたタバコを拾い上げ、こちらを向いて微笑んだ。
「ごちそうさまでした、とても美味しかったです」
「ああ、気にすんな。大したモンじゃねーよ」
くるりと前を向き歩き出した少女の足取りは心なしか弾んでいるようにも見えた。
「まっすぐ家に帰れよ、深夜徘徊はアブねぇぞ?」
「はい、そうさせてもらいます」
路地の中に溶け込んでいく彼女の背中を見えなくなるまで見送った。