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「あら、珍しいものを連れてるわね、シーカ。あんたの子供?」

 不意にそんな女の声が響き、少年はびくりと肩を震わせてその場に立ち止まる。いつの間にか地下一階まで降りてきていたらしい。

 先ほどこの地下で声をかけてきた強面の男がいたところに今度は『背の高い』女が腰かけ、露店のカウンターに頬杖をつきながら少年と男の方を見ていた。

「……」

 シーカと呼ばれたフードの男が何も答えないのを見て、女は「冗談よ」と機嫌良さそうに笑う。

「でもその子、見ない顔ね。さっきフランクが新しい住人が来たみたいだけど見失ったって言ってたわ。子供だったそうだけど」

 興味深そうに少年を見ながら言う女――モニカにシーカは頷き、「地上で見付けた」と応じる。

 それに彼女は「まあ!」と驚きの声をあげた。

「よく無事だったわね。それとも『手遅れ』だった?」

「いや……」

「そう? どちらにせよ良かったわ。その子、案内も聞かずに逃げちゃったそうだから」

 そんなことを言いながらカウンターの上に身を乗り出して見下ろしてくるモニカに怯えるように少年はシーカの背後に隠れる。それを面白がっている様子で「ずいぶんと懐かれたわね」と言い、モニカは身を引いて椅子に座り直した。

 そしてシーカに視線を移し、ふと思い出したように「そうそう」と言って手を打つ。

「次の石塔の件だけど、上から許可が下りたわ」

「早いな」

 少し驚いたような声音でシーカが呟き、モニカも「まあね」と軽く肩をすくめて同意した。

「これまでの実績が認められたってことじゃない? 実際、地上は少し変わったもの。自称墓守がたった一人で始めて、少なからず成果を挙げてるんだから無視はできないでしょうよ。何なら今回から資金を出すとまで言ってるわ」

「自称した覚えはないし私一人で実現していることでもないが……これはあくまで私の個人的な行いであって自治局の関与を求めているわけではないし、それを許すつもりもない。よって資金も必要ない。『賛同』に感謝するとだけ伝えておいてくれ」

 淡々とした返答にモニカはもう一度、今度は大げさに肩をすくめてみせた。

「そう言うだろうと思ってたけど、ますます溝が深まりそうね」

「私の望んだことじゃない。だが、そこは譲るわけにはいかない」

「判ってるわよ。私は中立ですからね、あんたの言葉通り、『許可』じゃなく『賛同』と上に伝えておくわ」

 ため息をこぼしながら頬杖をつくモニカにシーカは無言で頷く。そんな彼を横目で見るように視線を投げ、「それで」とモニカは話題を変えた。

「その子、あんたが面倒を見るの?」

 そう言って彼女が指差す先にいる少年は、未だにシーカの背後からおそるおそる顔を覗かせた状態で大人二人のやり取りを見守っていた。話の内容がまったく判らない彼は不安そうに何度も二人の顔を見比べるようにして様子をうかがっている。

 そんな少年を見下ろし、何事か考える素振りを見せたあと、シーカは「彼が望むなら学院への入学を薦めようかと思う」とモニカに言った。

「魔術に対する好奇心も素質もあるように思えるし、少なくともここよりできることが多い分、得るものも多いだろう」

「それじゃあ海の街へ転送?」

「学院に入るとなればそうなるだろうが、先にこの街の市場あたりで字を覚えるのがいいかもしれないな。多少ここに慣れて、転送費も貯まる頃には読み書きくらいはできるようになっているだろう」

「あら、あなた字が読めないの?」

 不意に話を自分に振られ、少年は再び身をすくませながら「ごめんなさい……」と消え入りそうな声で呟いた。

 それを見てモニカが目を丸くして両手を振る。

「別に怒ってるわけじゃないのよ。若草の民も子供には自分の名前くらいは読み書きできるようにさせると聞いたから、珍しいと思っただけ。あなたはまだ子供みたいだし、別に何も問題はないわ。ここでゆっくりいろんなことを学んでちょうだい」

「あの……俺、何か教わるなら、あなたから教わりたいです」

 そう言って少年はシーカと呼ばれる傍らの男を見上げる。そして黒いフードの奥に見える赤い瞳を逃すまいとするかのように見据えた。

 その目がそらされることはなかったが、どこか否定的に細められる。

「私に教えられることはない」

「そうは思いません」

 少年は即座にそう言って抗議するように背伸びをし、シーカを見返した。そのローブを握っている手にぎゅっと力がこもる。

 その様子を面白そうに見ながらモニカも「賛成」と言って片手を挙げた。

「教えてあげればいいじゃない。あんただって弟子をとったり他人に教えることを許された『師』の称号を持つ魔術師の端くれなんだから」

「……本気で言っているのか?」

 とがめるようにシーカはモニカを睨む。

 それをさらりとかわすように肩にかかった髪を払いのけながらモニカはそっぽを向き、「もちろん」とあっさり答えた。

「屍学を教えろと言ってるわけじゃないし。魔術の基礎は共通なんでしょ」

「しがく?」

 少年が興味を引かれた様子でおうむ返しに尋ねる。

 その隣で億劫(おっくう)そうに息を吐いて黙り込むシーカに代わり、モニカが愉快そうに「魔術の系統の一つよ」と言った。

「そして彼は、途中で挫折する人が多いと言われる屍学を最高術位まで修めた変人。ルル・シーカという名前も屍学で使われる言葉から採られているのよ。意味は『深淵を覗く者』、だったかしら。屍師になった時に正式な名前としてそれで登録されてるのよね。最近――と言っても結構経つけど、屍師になったのは彼だけ。そしてこの街に住んでいる屍師も彼一人よ」

 屍師というのは屍学を最高術位まで修めた人に与えられる称号のようなもので、『師』の一つだとモニカは言い、にやにやと笑みを浮かべながらシーカを見やる。それにつられるように少年も彼を見上げ、尊敬の眼差しを向けた。

「面白半分に適当なことを言うな」

 いささか険しい口調でシーカは言い、再度モニカに非難の目を向ける。

 それに対し、彼女はけろりとした様子で「どれも事実でしょ」と返した。

「本の虫なら読み書きもお手のものだろうし、教えてあげれば?」

「私が教えることになったら、読みづらいと悪名高い字を書く者が一人増えることになるが」

「大丈夫よ、さすがに見慣れたから。フランクの悪筆とあんたの飾り文字が読めたら地図屋としてはプロだと自分でも思うわ」

「……」

 散々な言われようにそれ以上の反論をあきらめ、シーカは黙り込んだ。

 モニカは目を細め、「気を悪くしないで」と言って微笑む。

「私はこれでもあんたを買ってるのよ。専門分野においては知識も能力も優れていると思うし、無愛想だけど意外に面倒見がいいんじゃないかって」

 そんなモニカの言葉を最後まで聞かず、シーカはおもむろにきびすを返して歩き出した。

 そのあとを少年があわてて追いかける。その二人の背に向かってモニカは楽しそうにひらひらと手を振った。

「待って下さい!」

 歩幅の大きなシーカに少年が追いついたのは、地下二階への階段付近だった。

 しかし、声をかけてもシーカは立ち止まる様子を見せず、階段を下り始める。ゆるやかな螺旋状の石段を降りていくその足取りは慣れたもので、淀みも迷いもない。

 そんな彼を必死に追いながら少年はもう一度「待って」と声をかけた。

 それにシーカは振り向くことなく淡々と言葉だけを投げる。

「墓地街まで案内はした。あとはお前の好きにすればいい」

「じゃあ俺はあなたと一緒にいたいです」

 意気揚々と言う少年の言葉にシーカは足を止め、振り返った。段差のおかげで二人の顔がほぼ同じ高さに並んでいる。

「……何故私にそこまでこだわる?」

 いぶかしむような口調でシーカは言い、目の前の無邪気な少年を見返した。薄明かりの中で軽く息を弾ませている彼の表情に喜色が浮かぶのが判る。

「あなたに恩返しをしたいからです」

 そう言って少年はにこりと笑ったが、シーカはわずかに沈黙したあと、感情のうかがえない語調で「必要ない」と短く言った。

 それに少年が不服そうに首をかしげる。

「どうして?」

「ずいぶんと恩に着てくれているようだが、私のしたことなど当たり前のことだからだ。通りがかったのが私でなくとも同じようにしただろう」

「そうですか?」

 少年は実感がなさそうに今度は反対側へ首をひねり、「今まで俺にこんな風に親切にしてくれた人なんて誰もいませんでしたけど」と反論した。

「それに、たとえそうだとしても俺に優しくしてくれたのは他の『誰か』じゃありません」

 そう言いながら少年はもう一度シーカのフードに手を伸ばし、それを後ろに払って言った。

「あなただけです」

「……」

 何も応えないシーカの赤い双眸を見据えたまま少年は言葉を続ける。

「他にやりたいことはありません。できることも……たぶん何もないんだろうけど、それなら他のところに行っても俺がいる意味なんてどこにもないでしょう? 必要とされるわけないんだから。でももし俺に何かできると、あなたがそう言うなら……そしてもしも本当に俺に何かができたなら、まずはじめに俺はあなたの力になりたいです」

 そんな少年の訴えにもシーカは口を閉ざしたままだった。その赤い瞳からも表情からも感情が読み取れない。

 それでも少年はあきらめずに食い下がった。

「それに俺、背の高い人たちに今まで会ったことがなかったから上手くやっていけるか判らないし、背の高い人たちの街のことも知りません。知らないところで、どんな人かも判らない人たちに囲まれて独りでいるのは不安です」

「それは得体の知れない私でも同じだろう」

「あなたは違います。だって俺のことを助けてくれたから」

 少年がそう言うと、やがてあきらめたようにシーカは息をついて背を向け、再び階段を降り始めた。

 そしてふと呟くように「私は人付き合いが苦手だ」と言う。

「そうみたいですね」

 あとを追いながら少年が頷く。

「教えられることはろくにないし、教えることにも長けているわけではない」

「構いません」

 あっさりと少年は言ってシーカの横に並び、顔を見上げた。それをシーカの赤い二つの目が静かに見下ろす。

「……なら、お前が独り立ちするまでは面倒を見よう」

 そう言ってシーカはフードをかぶり直し、黙々と階段を降りていく。それを数秒の間呆然と見守ったあと、少年は「はい!」と元気に声をあげて駆け寄った。

 そんな少年に「名は?」とシーカが尋ねる。

「え?」

「お前の名前だ」

「名前……」

 少年はぼんやりとそうくり返し何事か考え込んでいたが、やがてぱっと明るい表情を浮かべて「あなたが決めて下さい」と提案した。

「俺はあの山で転んで、落ちた時に死んだんだ。そしてあなたに会って生まれ変わった――いえ、やっと本当に、村の英雄の息子でも出来損ないでもない、ただの俺になれたんです。だからあなたが付けて下さい」

 それにシーカはしばらく何も言わずにいたが、少年が再び催促しようかと思い始めた時にぽつりと「自分で決めろ」と疲れたように言った。

「魔術師にとって名前の意味は大きい。お前の人生が今お前のものになったと言うなら、お前自身で付けるのが一番だろう。その一部を私が背負うのは荷が重すぎる」

「それ、どういう意味ですか? 俺と関わるのは嫌ってこと?」

 少年は不満そうに尋ねたが、シーカは断固としてそれには折れなかった。

 何度何故と聞いても彼の答えが変わらないため、少年はついに「判りました。それじゃあ少し時間を下さい」と渋々言って、隣を歩くシーカを見上げた。

「あなたのことは何と呼べば? シーカ? それともルル……」

「シーカでいい」

 おそらく彼にしては珍しい即答を返し、シーカは黙り込む。その黙然とした様子からは一切の追及を拒む何かがうかがえた。初めて彼の感情の断片が垣間見えた気さえする。

 そのことを少年は興味深く思ったが、彼の機嫌を損ねたくはなかったのでそれ以上は尋ねなかった。

 その代わりとばかりに少年は別の問いを投げかける。

「森でも訊いたけど、何故顔を隠すんですか?」

「服の好みについて他人に口出しされるいわれはない」

「そういう服が好きなんですか? 俺はすごくもったいないと思うけど……あなたみたいな人は初めて見ました」

 それにもシーカの返答はなかった。

 彼が答えを返すことなく黙り込むのは訊かれたくないことだからなのか、それとも一度彼自身が理由として口にしたようにただ説明が面倒だからなのか、はたまた別の理由があるのか、少年には判然としない。

 だが、そんな無言の対応に早くも彼は慣れ始めていた。

「あなたは墓守なんですか?」

「……」

「あと何だっけ。屍師?」

「……」

「どれが本当のあなたなんですか? それとも全部?」

「……」

 立て続けに投げかけられた問いすべてに沈黙を返し、シーカは規則正しい靴音だけをかすかに響かせて階段を下っていく。その音と音の間を埋めるように少年の軽い靴音が入り、まるで途切れることのない会話のように続くそれが少年にはやけに心地良く思えた。

 それに満足したかのような口調で少年が呟く。

「俺、たぶん今が一番楽しいです」

「バカを言うな」

「どうして?」

 不思議そうに首をかしげなら自分を見上げてくる少年にシーカは答えるか答えまいか一瞬悩むような素振りを見せたあと、やはり平板な口調で答えを返した。

「こんなことを一番だと思っていたら、この先何度そのセリフを言うことになるか判らないぞ」

 母親から悪魔と呼ばれた少年はシーカのその言葉を聞いて一瞬目を見開き、そしてどこにでもいる子供のようににこりと笑うと、「だったらいいな」とありきたりな希望を呟いた。

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