13
もう少しねばれるかと思ったが甘かったようだ、と思いながらシーカは自分を見下ろしている同じ顔を静かに見返す。いつの間にかフードははずれ、その手にももはや武器はない。腕を横たえている地面の少し先に杖――いや、大鎌が落ちているのが見えるがそれを拾う隙が与えられるとは思えなかったし、拾えたところで目の前の男を倒せるとはシーカには思えなかった。
シーカの仕込み杖は大鎌に変形する屍師用の魔器で、魂を刈り取りやすい形状になっている。それとあわせて屍師のみが扱える即死魔術――強制的に魂を肉体から引き離す魔術を使えばナイを殺すことも不可能ではなかったが、シーカはそれを発動させることができなかった。
ナイもそのことに気付いていたのだろう。地面に仰向けに横たわり、かすかに息をついているシーカにいぶかしむような目を向けて尋ねる。
「あなたの杖は魔力薬を装填できる低魔力の魔術師向け。最大装填数は二本。それに加えてあなたの魔力総量と、使った魔術のマナ消費量から考えてもマナが足りなかったとは思えないし、あなたがマナ配分を間違えるとも思えない。それにあなたの集中力なら多少攻撃を食らったくらいじゃ呪文の詠唱が切れることはないから、多少命を削ってでも魔力を底上げしてそのまま押し切れば、あなたでも俺の魂を刈り取ることはできたはず。そうすれば『俺を完全に殺す』ことだって可能だし、本当に相手が敵ならあなたは迷わずそうしたはずだ。なのに何故そうしなかったの? 何を迷った?」
シーカのかたわらで膝をつき、その顔をナイはのぞき込む。
しかしシーカはそれに答えなかった。目をそらし、切れた頬から流れる血を無意識にぬぐう。腕はまだ何とか動くが、片足は感覚がなかった。フェイントを食らってよけられず、ナイの魔術が直撃したせいだ。
しかもナイはシーカの使った魔術から彼のマナ残量を計算し、残りの魔術に必要なマナ配分まで割り出している。その一流の魔術師だけがやってのける戦い方や持ち前の戦闘センスからして、まともに正面からやりあってシーカに勝機があるはずもない。
そして唯一の勝機である即死魔術を使う隙を彼は作ることができなかった――いや、そんな隙があったとしても、できなかった。その理由はシーカ自身にも判らない。ただ彼の中で何かがそれを制止したのだ。
「あなたは本当に弱いよ」
ナイが吐き捨てるように言う。
それに対し、シーカは真っ直ぐに見返して淡々とした口調で応えた。
「確かに私は強くない。だが、それ以上にお前は恐ろしく優秀だ」
しかしナイは関心がなさそうに冷めた視線を返しただけだった。
そんな彼の胸倉をつかみ、同じく凍えるような目で――しかしその奥に怒りをたたえてシーカがうなるように言う。
「それなのに、そんな姿になってまで何を望む?」
ナイはそれにひるんだように一瞬顔を歪め、シーカの腕を振り払って叫ぶように答えた。
「何度も言ったじゃないか。俺の望みはただ一つ、あなたと一緒にいることだけだって」
その想いには師弟愛や家族愛、友情あるいは恋愛感情ばかりか、美しい音楽や景色を愛でる想いといったすべての愛念が含まれていた。それにもかかわらず、彼はそれらを区別することはおろか、その感情の扱い方さえ知らない。何故なら、彼にはそれらが与えられてしかるべき時に誰からも与えられてこなかったからだ。シーカにはそれが判った。そして悟った。自分が師として、親として、また友として可能な限り与えてきたものだけでは足りなかったこと、力不足であったことを。それほどまでに彼の孤独は深く長く、渇望はあまりにも貪欲だった。
だからこそ、自分には与えきれないだろうと思ったからこそ自分の傍にとどまらず広い世界に出ることをすすめ、望んだというのに。
無邪気で素直で勉強熱心な彼は多くの人の力となり、愛されるはずだった。
しかし、他の環境に触れさせても友人一人作ることがなかったその理由にもっと早く気付くべきだったのだ。その盲目的すぎるとも言えるシーカへのかたくなな執着心に。
「今になって親父が俺に向かって愛していると言った意味が判った気がする。こんな気持ちだったのかなって」
ゆらりとした緩慢な動作で体を動かし、シーカの顔の傍に両腕をついて覆いかぶさるようにしながらナイはシーカを見下ろした。
「俺は今でもそれを憎んでいるし恨んでいるけど、他にやり方が判らないんだ」
シーカの赤い両目に、泣きそうな顔の自分が映るのが見える。シーカと同じ顔をしたそれが本当に今の自分の感情を表してくれているのかどうか、もはやナイにはよく判らなかった。
「ただ、あなたならどう思うのか知りたいと思うし、見てみたいとも思う。どんな気持ちになるのかは俺が一番判ってるのにさ」
そう言って微笑む。
いっそ憎んで殺して欲しいと――魂に干渉できる屍師でも蘇生できない完全なる死をナイが願っていることがシーカには判った。彼が父親にそうしたように。
だから父親にされたことを彼はやろうとしている。
ならば絶対に殺すことはできない、とシーカは思った。そんなことをすれば彼は死ぬまで父親に支配され、とらわれたままだ。
だが、このまま身を任せることもできない。殺したいとまで思い、実際その命を奪ったほど憎んだ父親と彼を、同じにさせるわけにはいかなかった。
呼吸がかすかに速くなる。
それを見てナイが無邪気に笑った。
「あなたでもそんな風になるんだね。ああ、でも発声のために肺は動いているのかな? それとも怖いから?」
その言葉にシーカの表情が強張る。それを図星だと思ったのか、「心配しなくてもすぐにどうでも良くなるよ」と悲しそうにもう一度ナイは微笑んだ。
自分と同じ顔をしているはずなのに――いや、だからこそおぞましく見えるその表情にかつての少年の顔が重なる。母親から悪魔と呼ばれた、ただ純粋で、素直で、寂しがり屋で才能にあふれた無邪気な少年。もはや戻ることはないであろうその姿を記憶越しに垣間見て、結果的に自分があの若草の民の少年を、その存在を消してしまったことに気付く。今目の前にあるこの現実を彼に選ばせてしまったのは他でもない、シーカだからだ。
「すまない」と小さく呟く。
救い出せなかった弱さを許してくれとは言えなかった。




