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それから数日後、シーカが出先から帰ってくると誰もいないはずの家に一つの人影があった。ひょろりと背が高いので若草の民の少年ではない。ナイはあれから一度も戻ってきていないし、客が来る予定もないはずだ。
そうなると空き巣か何かだということになるが、シーカはその侵入者に見覚えがあった。その目で直接見ることは決してないが、よく知っている姿かたち――。
肩までの黒い髪を揺らしてその者は振り返り、人懐っこい笑みを浮かべて気安く彼に声をかけた。
「おかえり。こんな時間から出かけてるなんて珍しいね。まだ日が落ちて間もないのに」
自分と同じ顔、同じ声なのにそれは明らかにシーカ自身とは別物で、違和感を通り越した一種の嫌悪感を感じさせた。
「ナイ……?」
玄関に立ち尽くしたまま呟くようにシーカが呼ぶと、彼と同じ姿をした妖精族の青年が「びっくりした?」と愉快そうに笑いながら頷く。
「すごいでしょ。肉体転換の魔術を使ったんだ。めちゃくちゃ大変だったんだから」
そう言ってナイは先日持っていた短剣と、聖銀製とおぼしき容器をテーブルの上に置いた。短剣は魔術の効力を失っているのか、白かったはずの刃は黒く穢れている。そしてシーカの魂のかけらを入れたはずの器は空になっていた。
「最初は若返りとか整形とかやってる治癒師に頼もうとしたんだけどさ、体を成長させることはできるけど俺は若草の民だからあなたみたいに大きくはなれないし、背の高い人たちみたいになろうと思うなら、治癒師に体を作ってもらうしかないと言われたんだ。でもそうするとその治癒師の創作性みたいなのが入っちゃうって聞いたし、誰かとまったく同じにするのは無理だって言われた。肉体情報がつまってる魂がないと『その人とそっくり同じ』にはなれないって。しかも他人の魂を使うのは治癒術の専門外だし、禁忌だから引き受けることはできないって言うんだ。それで仕方なく自分で勉強したんだよ。こうして道具もそろえてさ、魔術をかけるのも全部自分でやった。成功して本当に良かったよ」
「そんなことのために私の魂を盗んだのか」
ナイよりもトーンの低い声でシーカが言う。その声音は静かだったが、杖を握っている手には力がこもっていた。
この言いしれぬ嫌悪感はなんだろう、とシーカは苦々しく思う。おそらく他人が自分の目玉をえぐり、それをはめて訪ねて来てもこれほどの不快感を味わうことはないだろう。それを超える、生理的な拒絶に近い感情だった。
しかしナイはそんなシーカの心の内などまったく気にした様子はなく、むしろ傷付いたような顔をして「ひどいな、『そんなこと』だなんて」と言う。
「俺にとってはすごく大事なことなのに」
そう不平をこぼすも、すぐにナイは機嫌を直した様子でにこりと笑い、自分の体を見下ろして満足げに言った。
「まあいいや。それより見てよ。これで俺はシーカと同じになれた。もう家族みたいなものだよね? 同じなのは見た目だけだし血のつながりはないけど、魂のつながりができたからさ。それに大人になったし、背が高くなってできることも増えたから今まで以上にあなたの役に立てるよ。だからもう独り立ちして離れろなんて言わないよね?」
軽やかな足取りで歩み寄り、無邪気にそんなことを言うナイをシーカはただ静かに見返した。自分のものより色あせて見える目を同じ高さで見据える。
やがてシーカは苦渋のにじむ声音で呟いた。
「……お前は誰よりも賢いのに、本当に愚かだな」
「何で怒ってるの? 俺が魂を盗んだから? でも、ああでもしないとシーカはくれそうになかったじゃないか」
ナイは不満そうに言いながら負けじとシーカに視線を返す。その横顔のシルエットはまったく同じで、傍目にはフードをかぶっているかいないかの違いしかない。
しかし、それにもかかわらず両者の間にはそれぞれがまとっている空気に確かな違いがあった。
「お前、自分が何をしたか判っているのか? 私の魂のかけらを取り込んだ状態で作り変えたなら、もう元には戻れない。それに他人の魂を盗むのも、許可なく使うのも禁忌中の禁忌だ、見付かれば糾弾されて最悪は処刑されることさえある」
硬い口調でシーカが言い、対するナイはどこか軽薄さを感じさせる仕種で肩をすくめてみせた。
「見付かれば、でしょ。あなたが被害者として名乗りをあげなければ関係ないよ。これで商売をしたとかなら問題だろうけどさ。俺は自分の体に自分で望んで魔術を使った。だから後悔はないし、リスクがあったのは俺だけ。誰かに迷惑をかけたわけじゃない。それこそ、あなた以外にはね」
「……」
「ねえ、散歩でもしようよ。地上墓地でもさ。俺もこの姿なら死霊に襲われないかな」
「……」
にこにこと上機嫌で言うナイとは対称的にシーカの態度や表情は硬いままだった。その静かだが揺るがない視線からは無言の拒絶と否定、そして弾劾の意思が感じられる。
それにひるんだのか、ナイは「おかしいな、こんなはずじゃなかったのに」と呟いた。
「シーカ」
すがるように師の名前を呼ぶが返答はない。
「何か言ってよ」
「……」
しかし、返ってきたのは彼が犯したあやまちと同じだけの重い沈黙だけ。
それに耐えきれず、ナイはシーカと入れ違うように玄関の扉を押すと外に出て行った。
ばたん、と音を立てて木製の扉が閉まる。するとそこにはもうシーカだけのいつもの空間が眼前に広がっていたが、彼の心の中には何かを失ったような奇妙な感覚が残り、孤独を好む彼の誰もいない自宅には居心地の悪さばかりが横たわっていた。
杖を握るシーカの手にいっそう力がこもる。
やがて彼は一度小さく舌打ちし、一瞬で狼のような黒い獣に姿を変えるとナイを追うように家を飛び出した。




