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 それからしばらくの間、ナイは「知りたいことができた」と言って学院のある海の街や巨大な図書館のある森の街に通い、結局シーカの傍から離れることはなかった。

 すでに魔導学を最高術位まで修め、魔導師の称号を得ているナイを教授として学院に推薦するという話も、今は自分の勉強で忙しいというのを理由に彼は断り続けている。そして、まだ学ぶべきことがあると言う者に師としての立場を強要するわけにもいかず、シーカはそれを黙認した。

 もっとも、ここに来てナイが何に興味を持ったのかは彼も詳しくは知らない。治癒学に類する本を借りて来ては何かを研究しているのは判っていたが、第二術位で止まっていた治癒学を最後まで修めるべく勉強を始めたのだろうかと思った程度だ。

 シーカ自身も薬学の最高術位に達する間近で、研究や薬の製作に追われて(せわ)しない生活を最近は送っていた。

 そんなある日、ナイが外から帰ってくるなり「頼みたいことがあるんだけど」と深刻そうな面持ちでシーカに声をかけた。書き物中だった彼は手を止め、ナイの方を振り返る。その表情と声音から何か大事な用であるらしいと感じ取ったシーカは羽ペンをペン立てに戻し、インク瓶にふたをして体ごと少年の方へ向き直った。そして当たり前のように自分は黙したまま、少年が口を切るのを待つ。

 しかし、珍しく彼が言いよどんでいる様子であるのを見て取り、首をかしげて尋ねた。

「私に何か頼みがあったんじゃないのか?」

「うん……」

 そう言って頷くも、ナイは後ろ手に手を組んでうつむき、すぐには言葉を続けなかった。それは話を切り出せずにいるというよりも、どう言えばいいかを悩んでいるように見える。時間をかけて言葉を選ばずとも、すらすらと話ができる彼がこんな態度をとってみせたのは初めてのことだ。

 シーカがいぶかしむようにフードの下で目をすがめると、ナイはようやく「屍師は魂が見えるんでしょ」と言った。

「魂に干渉することもできるんだよね?」

「……だったら何だ?」

 慎重にシーカが問い返す。

 それにナイは顔をあげ、すがるような表情すら浮かべて言った。

「シーカの魂をちょっとだけ俺にくれない?」

「何……?」

「どうしても俺には必要なんだ。魂に干渉できるなら切り分けることもできたりしない?」

 ナイのそんな必死の訴えにシーカは深いため息で応えた。

「髪の一本でもねだるように軽く言うが、それは私に今ここで目玉をえぐってよこせと言っているようなものだぞ」

「だめ……?」

 ひどくがっかりした様子で言うナイをシーカが眉をひそめながら見返す。

「私の魂を手に入れてどうするつもりだ?」

「誓って悪いことはしないよ。だから、ひとかけらでいいからちょうだい」

 そう言ってナイは不意ににこりと笑ってみせた。そして後ろに回していた手をシーカの方に伸ばす。そこには緻密な細工の施された抜き身の短剣が握られていた。雪のような冷気を感じさせる白い刃の表面を覆っているそれがただの装飾などではなく、何らかの魔術を構成していると気付き、シーカはとっさに身構える。

 しかし、椅子から立ち上がろうとした彼よりも早くナイが短剣をシーカの胸に突き立てた。

 月に似た冷ややかな光を放つ刃は肉を切る代わりにシーカの奥にある魂に触れ、ぱきりと音を立てる――いや、音を立てたのは凍り付いたシーカの魂の方だった。刃が触れた瞬間、わずかに結晶化した魂がシーカから切り離され、引き抜かれた短剣と共にこぼれ落ちる。血の雫の代わりに散ったそのひとかけらにナイは腕を伸ばし、魔具とおぼしき容器でそれを受け止めると、そのまま逃げるように家から飛び出していった。

 シーカはそれを追おうとしたが、氷の刃に胸をえぐられる幻肢痛のような痛みに襲われ、傷などないはずの胸に手を当ててその場に崩れ落ちる。暗くなる視界の先に小さな少年の姿はもうどこにもなかった。

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