妹に全部を押し付けて悪役令嬢な前世の恋人と二人で逃げる話
「ロレッタ・リオノーラ・ブルームフィールド。貴様との婚約は本日をもって解消とする!」
広いホールに声が響く。薄い肩を抱いた男が一人の女性に対して高飛車に言い放った。ざわざわとどよめく観衆を他所に、ポツリと一人立ち尽くしている女性──ロレッタは男の顔をしっかりと見据えたまま冷静に問いかける。
「……一応理由をお伺いしても?」
「あぁ、いいだろうとも。貴様はここにいるエミリーに対して貴族らしくもない非道な行いをした! 目撃者も証人もいる。エミリーは怪我もしたんだ。言い逃れはできないと思え!」
大きな目に涙を湛えたエミリーと呼ばれた少女が男の腕に縋る。黙したままのロレッタをチラリとも見ずに男は尊大な態度で話を続けた。
「貴様の行いは許されるものではない! 本当は死罪もやむなしと思っていたが、エミリーがそれはあんまりだと言ってな……。自分を害したやつにまで気を使うなんて素晴らしいと思わないか? ──だから貴様は国外追放だ。命があるだけ有難いと思え」
ニヤリと嫌らしい笑顔でやっとロレッタを見た男の視線は明らかにロレッタの胸を見ていた。惜しいものをなくしたという意志を持って。
スっと美しいカーテシーをしたロレッタは観客が見惚れるような美しい笑顔で言った。
「──承知致しました。そこの女狐の温情に感謝致しましょう。では、準備がありますのでこれで」
クルリと背を向け颯爽と扉から出ていく。すんなりと了承されるとは思っていなかったのだろうか。男はぽかんと間抜けな顔を晒していた。ロレッタはそれに見向きもせずに“偶然”そこにいた家の馬車に乗り込む。扉を開けた先に座っていたメイドを一目見ると勢いのままに抱きついた。
「若菜、やっと終わったよ! 家帰ろ!」
「今までお疲れ様、絵梨。準備は終わってるからこのまま向かうね」
そうして二人を乗せた馬車は国境付近で損壊した状態で発見され、馭者を含めた三名は生死不明の行方知らずだと国中に知らされた。
自分が転生したと気が付いたとき、どうしたらこんな状態になるのか考えた。何か恨みがあった訳でも強い願いがあった訳でもないはず。正直死ぬ直前の記憶だけはないので断定はできないが。
神に会った訳でもない。何か使命がある訳でもないときたら後は何も考えずにそのまま生きていくしかない。幸いにも赤ん坊の時から記憶があったので、人生のボーナスステージだとお気楽に考えていた。
私の前世は日本で暮らしていた成人女性だったので母親の乳を吸うのに少し抵抗があったが、慣れてしまえばどうということはなく、何もかもお世話される楽さの虜になった。
そしてあるときふと気が付いた。え、妹がいる……。しかも双子だ……。
どうして今まで気が付かなかったのか。ベッドが離れていたからか一人ずつお世話をされていたからか。まぁ兎にも角にも妹がいた。アウアウと正真正銘の赤ん坊らしい赤ん坊だ。ちょっと可愛いと思った。
そう思ったのが間違いだったと気が付いたのは私達が五歳になったころ。頭を強く打ち付けて気絶した妹が目を覚ました瞬間からここは乙女ゲームの世界だと言い始めたからだ。お前も転生者かよ……と思ったのは内緒の話。なんだか妹の熱量が怖くてお姉ちゃん自分も転生者だって言えなかった。
どうやらここは『インターリュード』という名前の乙女ゲームの世界らしい。学園モノらしいが、私は詳しくは知らない。インターリュードって名前なのに音楽要素が一切ないと話題にはなっていたからそこだけは知っている。きっと語感で選んだんだろうな。
そして妹はそのゲームの主人公が自分だと言うのだ。
「それでね、エルス聞いてる?」
ピンクブロンドの髪を揺らしながら妹が問いかける。
「あ、あぁ、うん。それでなんだっけ……。悪役令嬢……?」
「そう! 一週間後のお昼、エルスは町にお使いに行って公爵家の悪役令嬢ロレッタと出会うの! ロレッタとぶつかったエルスは責任を取れって無理やりブルームフィールド邸に連れていかれちゃうの! エルスは私にロレッタの情報を流してくれる重大な役割があるの!」
「そう……なんだ?」
令嬢とぶつかって何故家まで連れていかれるのか。うちの家は貴族と言っても下っ端も下っ端。父が王の命をたまたま助けたとかいう眉唾物で貰った男爵の地位があるだけ。つまり平民と変わらない身分の者をわざわざ公爵家の者が連れていくメリットはない。もちろんゲームだからと言われてしまえばそれまでだが……。
「だからぜっっったいロレッタとぶつかってね! 銀髪でエメラルドグリーンの目だからすぐにわかると思う! 私、絶対推しと結婚したいの! 可愛い妹の頼みなんだから協力してくれるよね?」
圧が凄かったからというか、前世の妹と同じ匂い(つまり人の物を奪って喜ぶ癖)がしたというか。お使いったってそんな都合よく言われないだろうと楽観視していたからか。約束の当日、私は妹が言っていた町に来ていた。見事にお使いを頼まれてしまったので、これがゲームの強制力かと遠い目をしてしまった。
仕方がないのでそのロレッタとかいう人物を探す。妹の推しは第一王子らしく、その推しと結婚するには婚約者のロレッタが邪魔だと。王妃になる女が妹だったら正直国の未来が心配になる。その妹をもし王子が選んだら尚更。そうやってフラフラと考え事をしながら歩いていたからか、前から来る人に気が付かず私はぶつかってしまった。倒れ込んでしまった相手に慌てて謝りながら手を差し伸べると可憐な声と共に顔がはっきり見えた。
「……絵梨」
それは前世での私の恋人。早川絵梨にそっくりだったのだ。髪の色や目の色は違うが、日本人に見えない美貌はそのまま。生き写しのようだった。そう、髪は黒くて目は茶色で、こんな銀髪とエメラルドグリーンでは……。銀髪?
私がぶつかった相手は奇しくもロレッタ嬢そのものであるようだった。これがゲームの強制力か。
「……どうしてその名前を?」
呆然としていると小さな口から可憐な声が聞こえた。やば、声までそっくりじゃん。
「……ねぇ」
「あ、えと……」
これはなんと答えたらいい? 前に恋人だった女です? もし彼女が絵梨の転生先ではなかった場合頭のおかしい奴認定されてしまう。さすがに恋人の顔で侮蔑の目を向けられると泣いてしまうかもしれない。だが、その名前と彼女は言った。もしかしたらもしかするかも。
「えっと、覚えてる……? 若菜だよ」
「若菜……?」
「うん、そう。恋人だった……んだけど……」
言葉尻が小さくなる。本当にこの人は絵梨なのだろうか。不安で頭も下がっていく。お互いの靴だけが見える視界でロレッタが何かを言うのを待つ。とりあえず不敬でもなんでもいい。何かを言ってくれさえすれば。
いや、ロレッタの靴めちゃくちゃ高そうだな……。さすが貴族様。
「ほんとに若菜なの? 前田若菜?」
「え、うん……。うん、そう!」
バッと顔を上げた瞬間信じられない程の力で抱き締められた。この細腕のどこにこんな力があるのか。でもこの力強さは確実に絵梨だ。正直少し苦しかったが絵梨が泣き始めてしまったのでとりあえずそのままにさせた。恐る恐る背中を優しく叩きながら絵梨が落ち着くまで待つ。数分後、私の体を離した絵梨は「話したいことが沢山あるから家に来て」と私の腕を掴み、見知らぬ馬車に乗り込んでしまった。あぁ、これがゲームの強制力か……。
ブルームフィールド邸はとてつもなくでかいお屋敷だった。一代限りとはいえ貴族である我が家が馬小屋に見える程だ。大きな格差に遠い目をしながら馬車から降りた絵梨の後を追う。どう説明をしたのか私は何も疑われることなく、絵梨が着替えるまでの間客人として丁寧にもてなされた。自分の家では見ないようなお高いティーカップにお高い紅茶。割らないようにと慎重に口に運んでいるとクスクスとこれまた可憐な笑い声が耳に入った。視線を向けると着替え終わった絵梨がメイドと共に部屋に入ってくる所だった。
「お待たせ。待たせちゃってごめんね」
「あ、ううん……、あ、いえ、大丈夫です……」
メイドの目がキラリと光った気がした。男爵家の娘が公爵家の娘にタメ口なんて首が飛んでもおかしくない。メイドの反応は気の所為でもなんでもないだろう。絵梨はそんな私を見てメイドに人払いをするように言付けた。渋るメイドを無理やり外に押し出し絶対に入ってこないようにと念押しまでして。軽やかな足で戻ってきた絵梨は私の向かいではなく隣に腰を下ろした。慣れた様子で紅茶を飲み、普段通りに話してくれていいと前置きをして喋り出した。
「久しぶり、若菜。また会えて嬉しい」
「うん、久しぶり。絵梨」
遠い遠い前世で恋人だった私達。辛いことも沢山あったけれど幸せだったことの方が多かった。どうして転生しているのか、前の自分はどうなったか覚えてはいないが、絵梨とまた会えたことに感謝しなくては。あぁ、そういえば。
「ね、ねぇ絵梨。ここが乙女ゲームの世界だって知ってる……?」
「え、なにそれ」
私は妹から聞いた話を全て絵梨に伝えた。絵梨もといロレッタが悪役令嬢だということ、妹が主人公だということ、そして私はそんな妹にロレッタの情報を渡すスパイのような役割があること。絵梨はふんふんと真面目に聞いていたが、第一王子の婚約者辺りで表情を変えた。
「え、まって……。昨日婚約の話が出たところなんだけど……」
「え」
王家からの打診に貴族は異を唱えることはできない。つまり話が出た時点で終わり。何かしらの不備がない限り、ロレッタが第一王子の婚約者になることが決定されたも同然であった。これはやばいかもしれない。ウンウンと悩んでいる私を横目に、絵梨はあっと声を上げた。
「でもそのゲームのロレッタって癇癪持ちで使用人虐めたりする人なんでしょ? 私は生まれた時から記憶があったからそんなことしてないよ。みんないい人達でお父様お母様とも仲良いよ」
「じゃあ大丈夫かな……。でも心配事は減らした方がいいよね。──妹は第一王子と結婚したいらしいからさ、このままゲーム通りに進めて妹に王子押し付けちゃえばいいんじゃない? それで二人で逃げちゃお!」
それは名案だと二人で手を取り合いこれからどうするべきかを話し合った。私は妹が言っていた通りにロレッタ付きのメイドになることにしたし、ロレッタの情報も手紙で渡すことにした。嘘に少しの真実を混ぜればバレにくいらしいと前世で聞いたのでその通りに。逃げた後の住処は頃合いを見て絵梨が今世の父親に打診するという。話を聞いただけだが、たしかに用意してくれそうな感じだ。そして月一で貰える休みには必ず実家に帰って妹と会話した。確実性を持たせるためにロレッタが転生者である可能性も伝えて。
「エミリー。ロレッタがもし転生者だった場合、エミリーが言っていた通りにはならないかもしれないよね? その可能性は考えてた?」
「……たしかに、私がそうなんだからロレッタも有り得るかも」
「それで考えたんだけど、やっぱり目撃者とか証言者って大事だと思うの。主人公補正? とかなんとかで大丈夫な可能性はあるけど手数は多いに越したことはないよね」
「エルス何かいいアイデアある?」
「うーん、そうだなぁ。あ、階段から落ちて怪我をする場面があるって言ってたよね? たまたまロレッタが階段の前を通りかかる時に落ちるなんてのはどう? さすがに目の前で見ちゃったらみんな信じるでしょ。ロレッタが助けようと手を伸ばしてくれたら一番いいんだけどなぁ」
我ながら性格が悪いとは思った。でもこれも絵梨との未来のため。前世で出来なかったことを二人で思いっきり楽しむため。妹に情がないとは言わないけれど、私は今世の家族よりも絵梨が大事だった。絵梨が傍にいてくれたらそれで良かった。こんなことを思うなんて、前世の死に際に何かあったのだろうか。何も覚えていないけれど。
「──それから王にも認めてもらうために勉強とかは頑張ったほうがいいかも。何事も結果が大事だからね。未来の王妃になっても大丈夫って思わせないと」
たぶん、今の私の顔は絵梨には見せられない。でも、エミリーを唆すには丁度良かったらしい。エミリーはなんの疑いもなく私の言葉を信じたから。
そこからはトントン拍子に進んでいった。エミリーは無事に学園に入学したし、ロレッタはエミリーを虐めることはなかった。エルスの言った通りかもしれないと手紙が来た時は笑ってしまったが、こんなに上手く行くと少し不安になる。それでも何か大きな問題が起きることもなく、エミリーは順調に第一王子の好感度を上げていったらしい。第一王子、アイザックといったか。公爵家の娘より男爵家の娘を懇意にしていいことなどなさそうだが、上手くエミリーと嵌ったようだ。それもそれで不安だ。
私はブルームフィールド邸で仕事をしながら一報を待った。メイドの立場で学園に入ることはできないから、絵梨とエミリーからくる手紙だけが情報源だ。上手い具合に悪役令嬢として名を馳せているらしい。噂が一人歩きをしていて笑ってしまう。
日々が過ぎるのは速い。私との未来のためにと我慢している絵梨を時々慰めたり、いつの間にか用意されていた新居に荷物を運んだりしている間に話が動いた。アイザックがロレッタを処刑すると話しているとエミリーから手紙が来たのだ。そんな結末はエミリーから聞いていない。平民落ちになると聞いていたのに。余程上手くことが運んでしまったせいか、どこかでズレが生じたらしい。元はそうだったとしても、今いるここはゲームの世界ではない。結末が変わることくらい予想できたはずなのに。
『うーん、処刑かぁ。結構重い罰だね? まぁ話を聞く限りじゃかなり溺愛されてるみたいだし、そうなるのも無理はないか。でもここで処刑は止めてってお願いしたら優しい心の持ち主だって殿下の好感度更に上がったりしないかな? やっぱ重要なのはどれだけ相手に好印象を与えるかだよね。念には念を。無駄にはならないと思うよ』
カタリとペンを置く。エミリーは私のことを完全に味方だと思っている。この手紙を無視することは絶対にないだろう。
勢いに任せてくしゃくしゃにしてしまったエミリーからの手紙を引き伸ばす。絵梨にも伝えないといけない。万が一があるかもしれないと。
かくしてエミリーは私の手紙の通りにアイザックに進言したらしく、絵梨の処刑は免れた。一応絵梨に処刑の話はしたが、本当にそうならなくて良かった。私は帰ってきた絵梨に抱き着いて、恥ずかしげもなく泣いてしまった。もし絵梨が処刑なんてされたら、後を追うくらいの覚悟はできていたけれど。できれば前世で歩めなかった未来を二人で生きたいから。
──そして、運命の日はやって来る。
学年が上がる度に行われる催事。エミリーが言うには学園内の大きな特別ホールで今日、悪役令嬢ロレッタの断罪式が行われるらしい。時間を見計らって、用意した馬車を学園前に止める。私は中に入れないから、絵梨が無事に出てくるのを祈ることしかできない。両の指を絡め神に祈る。神様なんて信じていなかったけど、こうして絵梨とまた会えたのだ。もしかしたら、この世界にはいるのかもしれない。
どれ位時間が経っただろうか。予想よりも大幅に長引いている滞在時間に焦りが募る。あまり長居をしては、隣国に行く時間が遅くなってしまう。野生動物や盗賊だっている。いくら備えているとはいえ、無事に国境を超えることは難しくなるだろう。
それから数分、バンッと勢い良く扉が開く。顔を上げると肩の荷がおりたと晴れやかな顔をしている絵梨がいた。
「若菜、やっと終わったよ! 家帰ろ!」
「──今までお疲れ様、絵梨。準備は終わってるからこのまま向かうね」
ポロリと零れた涙を拭って合図を出す。軽やかに動き出した馬車は、隣国の国境に向けて足を進める。私達はこれから二人で生きていく。平民になって、幸せに過ごすのだ。ロレッタの髪の毛は目立つから、平穏にとはいかないかもしれないけれど。
ガタガタと揺れる馬車が次第にゆっくりと足を止める。完全に停止したのを確認して馬車を降りた。目の前には商いを生業としている者が使う馬車。まずは私が安全確認の為にその馬車の扉を開けた。大丈夫そうだ。
「この馬車に乗るよ。乗り心地はあんまり良くないけど我慢してね」
「大丈夫。平気だよ」
絵梨が馬車から降りるのをエスコートする。そして新しい馬車の扉が閉まるのを確認してから馭者に話しかけた。
「これを一緒に壊して欲しいんです」
「宜しいんですか? 公爵家の物でしょう」
「大丈夫です。許可は貰っています」
座席から取り出した手斧を馭者に渡す。馬を繋いでいたハーネスも斧で切り落とした。馬にはまだ頑張って貰わなくてはならない。水を与えて毛並みを撫でて。もう少し頑張ってねと声をかけた。
背後で馭者が馬車を砕く音がする。私も用意した手斧で馬車を破壊した。ある程度争った形跡がないと困るからと少し肉処理の際に持ち出した豚の血を馬車や地面に残して完了だ。血の違いなんか誰にもわからないだろう。
「……ありがとうございます。隣国までまたお願いします」
「はい、必ず」
新しい馬車は乗り心地が最悪だった。でも不思議と気分は良かった。
たった今から私達は何にも縛られずに生きて、二人で幸せになる。お互いの手を握り支え合い、これからもずっと。