名前に修道院ってつければいいってもんじゃない
断崖絶壁と言っても過言ではない立地に聳え立つのは、空模様とためをはるくらいにどんよりとした灰色の建物であった。荘厳、というよりは物々しさを感じさせる。見てくれは教会に近いけれど、それが本当に中身も正しく教会であるかまでは見上げたままのイーリにはわからなかった。
聖キャロライン修道院
それが、現在イーリが見上げている建物の名である。
ぶっちゃけ修道院という言葉から想像するようなものとは大分かけ離れているな、と思えるのだが場所が場所だ。物々しさ満点だろうと修道院である、と看板が主張してるのだ。修道院なのだろう。
ア〇カバンとかアル〇トラズとか、そういう名称の方が余程しっくりくるとは思うのだが。
イーリは罪人としてこの修道院に送られる事となってしまった。
元は平民だったが母親が貴族に手を出され、そうして生まれたのがイーリである。
貴族の屋敷で働いていた母は流石にそのままあの貴族の屋敷にいる事ができなかったけれど、愛人として他の家を建ててもらっていたし、生活費もそれなりにもらっていた。だからこそ、他の平民と比べればイーリの生活は裕福であったと言える。
別に自分が貴族になって、だとかまでは考えなかった。暮らしに文句はなかったのだ。
だがしかし、母が死んだあと、父親である貴族の家には跡取りもおらず、それ故イーリを使えると踏んだ父はイーリの意見など聞く耳持たずに屋敷に迎え入れた。
イーリの母ではない、正妻でもある女性はあまりいい顔をしなかったけれど、養子を迎え入れて跡取りとしての教育を施すにしろ、イーリと結婚させて婿入りしてもらう相手を跡取りにするにしろ、何もしないという選択肢だけは存在しない。
貴族としての教育を受けることになったイーリは今まで悠々自適に過ごしていた生活から、水準こそ落ちなかったが厳しくなった日常にうんざりしていた。
とはいえ、高位貴族ではなく下位貴族の結婚相手というのは見つかる時はするっと見つかるが、そうじゃない時は中々いいお相手に巡り合えない。しかも平民から貴族になったばかりの娘の婿になろうなどと思う者は、いないわけではなかったがあまりいい相手ではなかった。跡継ぎになれず、このままでは平民になるしかない貴族の次男三男あたりでもマトモな相手であれば良かったが、噂に聞こえてくるのはぼんくらっぷりばかり、というような男を流石に婿にするつもりはイーリの父親にもなかったらしい。
男爵家とはいえ、領地があって事業も行っているのだ。莫大な財を持っているというわけではないが、それでもその財を傾かせるような真似はしないだろう。
とはいえ、出会いがあまりにもなさすぎて、十五歳から三年ほど、貴族が通う学院へイーリも通う事が決定されてしまった。厳しく躾けてくる正妻よりは学院の方がまだマシではないか、と思ったイーリは一も二もなく飛びついて、そうして学院生活を満喫していた。
成績があまりよろしくなくとも、どうにかマシな結婚相手が見つかればどうとでもなる。そんな風に考えて。
できれば面倒な事はしなくてもいい、それでいて贅沢な暮らしができればもっといい、そんな風に思いながらイーリは学院で学ぶというよりは男漁りに精を出していた。今更他の平民みたいにあくせく働くなんてもっての外だし、ただ楽ができればそれでいい。そんな向上心も何もあったもんじゃない考えであった。
その出会いが運命の悪戯であった、と言われたら恐らく誰もが信じただろう。
イーリはふとした事で学院に通う王子と知り合い、物珍しさからちょっかいをかけるようになった王子と共にいるようになり、そうして王子の周囲にいた側近たちともそこそこの仲に発展した。
高位貴族、将来有望。顔も良くて凡そ誰もが夢見るような理想的な好物件。
婚約者がいたのはわかっていたけれど、イーリは別に彼女たちを追いやってまで自分が正妻の座に収まるつもりはなかったのだ。ただ、愛人とかにしてもらって、将来何不自由なく暮らしていければそれで。
けれども、イーリの望むままにはいかなかった。
嫉妬した婚約者令嬢たちによる虐め。
生まれた時からそれなりにぬくぬく過ごしていたイーリにはとてもじゃないが酷いものだった。たとえそれが傍から見れば可愛い嫌がらせ程度のものだとしても。
だからこそ、されたことを大袈裟にそれぞれの婚約者である令息たちに零したのだ。やられた事そのものは本当にちょっとした牽制程度のものであったとしても、その仕打ちを受けたイーリには耐え難いものだったから、針小棒大に語るのはある意味で当然の流れだった。
イーリの愛らしさに絆されていた令息たちは令嬢の行いに酷く怒り、皆がイーリを守ると言ってくれた。もう心配しなくていいからね、君の事は私が守ろう。
恐らくは、身分違いの恋に酔っていたのもあるのだろう。冷静に考えれば婚約者のいる異性に近づいたイーリに非があるはずなのに。
イーリとその家くらい、婚約者である高位貴族の令嬢たちが本気を出せばどうとでもできたというのに。
かくして、断罪劇は行われた。
イーリはただ守られるように令息たちの中心にいて、可憐に佇み場の状況を見守っていればいい。そうすればあとは勝手に彼らがどうにかしてくれる。
そんな風に思って、庇護欲をそそるように大きな瞳に涙を浮かべ、たとえ虐めにあっていてもそれでも決して屈しない、健気な令嬢を演じた。
だがしかし、勝ち目は端からなかったのだ。
確かにイーリは嫌がらせを受けた。
だがそれは婚約者に近づく女を追い払おうとする程度の……いや、それ以前のちょっとした牽制程度のものだったのだ。本来ならばそうされた時点で自らの行いを振り返り、すぐさま彼らと距離を取るべきだった。けれどもイーリは彼らと居続けた。結果として忠告とも警告ともとれるそれらを何度も受ける事になったに過ぎない。
イーリが近づいた男が一人であるならまだしも、複数の男性に近づいたのだ。それもいずれも婚約者のいる相手である。
一人一人の警告は些細なものだが、数が集まればその分受ける精神的なダメージは大きい。だが、それもイーリが自らの行いに気付いてしまえばすぐに対処できるものだ。
結果として断罪しようとしていた令嬢たちの華麗な返り討ちに、令息たち諸共玉砕したのである。
ある者は後継から外され、ある者は家との縁を切られ。
中にはどうにかやり直しの機会を得た者もいたけれど、諸悪の根源でもあったイーリにそのような温情は与えられなかった。その場で即処刑という事がなかっただけで充分温情である。
だがしかし、かわりにイーリは王国の最果てにあるとされる聖キャロライン修道院へと送られる事となったのであった。
修道院とは名ばかりの要塞か、はたまた監獄か。そんな見た目の建物にイーリはしぶしぶと足を踏み入れた。行きたくはない。行きたくはない、がイーリを既にここまで運んできた馬車はイーリをおろすとさっさと来た道を引き返していった。今から徒歩で自分も戻ろうとしたとして、一日二日で王都に辿り着けるような距離ではない。旅支度もロクにしていないイーリがどこか他の人里を目指したとして、間違いなく途中で力尽きるのが目に見えていた。
修道院の中に足を踏み入れたイーリを迎えたのは、イーリよりも小柄に見えるシスターであった。ただしその目はとんでもなく淀んで死んでいるようにしか見えない。
そうでなければ、もう少しは可愛らしいのに……とイーリは思った。
まぁ!? でも!? あたしの方が可愛いですけど!?
一体何と張り合っているのか。ともあれイーリは小柄なシスターを見て、これなら何かごり押しで自分の要求とかいけそうね、と内心で思った。だがしかしその考えが甘い事を知るのはそう先の話ではない。
「今日来るって連絡があった新入りがお前、ね……ふーん、男複数手玉にとったっていうからどんな美女かと思ったらなんて事はねぇ、量産型ビッチじゃねぇか」
「なっ!?」
見た目は小柄で可憐なシスターの口から、しかし可憐さとは程遠い言葉が出る。
ついでに述べるのであれば、シスターの声は思った以上に低く彼が男である、というのが一度でわかるようなものだった。
「えっ、何、男!?」
「あ? 何か文句でも? ぶっちゃけこんな所に送られてくるあばずれどもを相手にマトモなシスターがいるわけねぇーだろ常識で考えろよ脳みそ入ってんのかブサイクが」
「じょ、女装癖の変態に言われたかないわよ!?」
「あぁ!? 可愛いだろうが目ぇついてんのか少なくともお前よりかは可愛いわ!
あとお前と違って身持ちは固いんでぇ、肉便器女と比べりゃマシなんでぇ」
わざと語尾を上げて喋るシスター♂にイラっとし口の端を引きつらせるが、イーリはそれ以上の反論をしようにもできなかった。
シスター♂の手にはとても本来の修道女が持つとは思えない、棘付きこん棒が握られていたので。
「いいかここに来たからにはここのルールに従ってもらう。逆らってもいいけどここではオレがルールだ。つまりオレの機嫌を損ねたらその時点で折檻も可。覚えておけ。一秒でも長生きしたかったらな」
とんでもねぇ暴論である。
「あ、あとオレの事は看守長と呼ぶように」
「ここ修道院だったわよねぇ!?」
「そうだが?」
「何きょとんとして言ってるの!? 修道院と看守長って絶対何か間違ってるじゃなッ!?」
ごきんっ。
言い終わる前に、イーリの頭の中にそんな音が響いた。
何があったのか、というのを理解するよりも早くイーリの身体はバランスをとる事ができなくなってその場にどしゃ、と音を立てて倒れ伏す。
棘付きこん棒で殴られたのだ、と理解したのはそれからややあってからだ。
「口の利き方に気をつけろよって言ったばっかだよなぁ。生憎とこの仕事長くやってると、死なない程度に痛めつけるのは得意なんだわ。日常生活に支障が出ない程度に骨折るのも得意になったし、痕が残らないように痛めつけるのもすっかりお手の物。なぁ、今頭ぶん殴られたけど意識ははっきりしてるだろ? つまりはそういうこった。
で、いつまで寝てんだ早く立てよ」
「ぅ、いっ……!」
ぐり、と足首のあたりを踏まれ痛みに思わず顔を顰める。確かに頭を結構な力で殴られたはずなのに、意識が飛ぶような事はなかった。ただただひたすらに痛い。いっそ気絶できていたら、と思えるくらいの痛みだが、しかし意識はどこまでもハッキリしていた。
看守長の言葉が何一つとしてハッタリなどではない、と理解するしかなかったイーリは、足首を踏まれているにも関わらずどうにか必死になって身を起こす。起き上がろうとした直前で足首から負荷が消えたのでどうにか立ち上がった。
「ここにはお前みたいな相手がいるにもかかわらず身の程を弁えずに男に言い寄ったのみならず、相手の女を陥れようとして逆に返り討ちにあった馬鹿が送られてくる。
言っとくけど掃除だとか洗濯だとかの清掃活動だけして生きていけると思うなよ。ここはお前らの性根を叩き直すための修道院だ」
道端で死んでる虫けらを見るような目を向けて言う看守長に、イーリは修道院ってそんな施設だったっけ……? と思ったけれど口には出さなかった。下手な事を言ってまた殴られるのを避けた結果だった。
「とはいってもなぁ、精神だの人間性だの、目に見えないものを良くしようってんだ。一筋縄でいくわけがない。とりあえずは――健全な精神は健全な肉体に宿るっていうし」
ついてこい、と言って先導していた看守長がすっとイーリの前から身体をずらし、さ、行けと言い放つ。
「とりあえず今日からここで生活するのは何がどうあっても決定事項だし。まずはお前の部屋に案内してやろう」
「いやあの、ちょっと……!?」
「なんだよ部屋に行きたくないのか? ここ共用部分の廊下なんだけどここで寝泊まりしたいっていうなら別に止めないぜ。ただ、食堂もこの先だから、その場合食事もないけど」
「や、そうじゃなくて」
「なんだよ言いたいことがあるならハッキリ言えよ」
その方が手っ取り早く殴れるから。
そう言われて、思わず口を噤みそうになったけれど、しかし言わねばならない。そう心に決めてイーリはきっと看守長を睨みつけた。
「この先が部屋っていうのはわかったけど、なんなのよこれはぁっ!!」
「何って廊下だろ」
「あたしの! 知ってる! 廊下じゃないいいいいい!!」
だんだんと足元の床を踏みしめて叫ぶ。
さぁ行けと言われて見せられたそこは、今いる廊下部分とは大きく違う。
まず、マトモに歩けそうな場所が一本道状態になっているのだが、その幅おおよそ十センチ。その両横は大きな段差になっているようではあるのだが、そこからにょきにょき生えているのはどこからどう見ても攻撃力の高いトゲトゲである。ハリネズミの針だってこんなえぐくない、と思ったが何がアレって、所々に血のシミがついている事だ。
例えばそこで死んでいる誰かの姿があったならもっと違った反応を示したかもしれない。けれども、良いか悪いかはさておき白骨化した死体も、ヤバイサイズの針に突き刺さって呻き声を上げている生者もいなかった。だがしかし所々で主張しているのは明らかに血のシミである。
「あ、あー、もしかして落っこちて刺さったら死ぬとか思ってる? んなわけないじゃんこの針山には癒しの魔法がかけられてるから、うっかり落ちて刺さってもすぐ怪我が治るようになってるから安心しろ。落ちて即死レベルの怪我は基本しない」
「何一つ安心できないんだけどお!?」
「あ、でもそうだな。落ちてすぐに這い上がらないとそのままの状態で怪我が治るようになるから、時間がかかりすぎると今度は起き上がって脱出する時に刺さった針を引っこ抜く形になるから、脱出した時点で怪我が結構酷い事になったりする」
「治癒魔法の意味!」
「死なないための措置だな」
「何も安心できないし嬉しくないんですけど!?」
「大体お前らを矯正させるためなんだから、そんな親切設計なわけねーだろ」
とても正論に聞こえるがその実暴論である。
「いかねーなら後ろから蹴っ飛ばして運んでやるけど」
「い、行くわよ行けばいいんでしょ!?」
後ろから蹴っ飛ばされようものなら間違いなく針山一直線に落ちていくだろう。落ちても治癒魔法があるから怪我はすぐに治ると言われても、刺さった状態で治ったら今度は引っこ抜く時にまた怪我をするわけで。絶対楽に死ねないのがわかりきっている。そもそもここで死ねるのか。死にたいわけではないけれど、疑問がよぎった。
日常生活において十センチというのはそれなりなサイズだと思うのだが、しかしこうして足場とみるととんでもなく心許ない。それでも他に足場があるわけでもなく、だからこそイーリは覚悟を決めてその足場に恐る恐る足を乗せた。
普段、普通に歩くだけならこんなにふらふらしない。
けれども今いる場所は、マトモな足場は幅十センチと限られていて、しかもその両隣には殺傷能力が高そうなトゲトゲがびっしりである。
向こう側に渡り切れればマトモな廊下が見えているとはいえ、ほんの数メートルの距離が永遠にも感じられた。落ちたら大怪我、というのもあって余計にバランスを取ろうとすると身体はぐらぐらと不安定極まりない事になるし、イーリは段々呼吸が浅くなるのを感じていた。
一瞬だけ足を滑らせて片足が針山に落ちたけれど、看守長の言葉通りすぐさま治癒魔法が発動して怪我は治った。治ったけれどすぐに足を引き上げたのでかすり傷が残ってしまった。けれども看守長はそちらの怪我に関してはノータッチらしい。ずきずきひりひりと痛む足を再び落とさないよう細心の注意を払ってどうにか渡りきる。
そうして案内されたイーリの部屋とやらは、独房かと思う程に狭く質素な場所だった。窓もろくにない閉塞的な空間。こんなところに閉じ込められたらすぐに気がおかしくなってしまいそうだ。
というかだ。
「ねぇ、あの、ベッドの上の天井のアレ、何」
「ギロチン」
「なんでベッド上の天井にそんなもん仕掛けられてるのよおおおお!?」
「んなもん、処刑するように決まってるだろうが」
「寝れない! あんなのあって眠れるわけないじゃない!」
「まぁ安心しろ。意味もなく刃が落下したりはしない。あれはこちらの手元のスイッチで落下するようになってるから、刃が落ちるのはそうなると決まった時とあとはオレのその日の気分次第だ」
「何も! 安心できないいいいいいい!!」
再びイーリは地団太を踏んで抗議したが、看守長は部屋の片隅で乾燥して死んでる虫を見る目を向けただけだった。
その後もこの修道院で過ごすためのルールとやらと共に、修道院内部を案内される。
「ね、ねぇ、どうしてこんなところに煮えたぎったマグマがあるの?」
「風呂に入れつっても入らない奴がいるからな。そういう時はここに叩き落すんだ」
「死ぬ! 死んじゃうから!!」
「安心しろ、治癒魔法がかけられてるから落ちても火傷はすぐに治る」
「そういう問題じゃないいいいいいい!!」
「ね、ねぇ、ここ礼拝堂よね」
「そうだが」
「女神さまの像とかあるならわかるんだけど、アレ、何」
「オレの像だな。お前らは毎日朝にここで祈りを捧げろ。精々オレの機嫌を損ねず今日を生き延びられるようにな」
「祈りっていうかそれもう命乞いなのよ」
「あ? お前らにマトモな人権があると思ってんのか。お前らはとにかくここでその歪んで矯正するのも一苦労な人間性をせめてアリの触覚レベルにマトモになるために毎日修行に勤しむのが義務づけられてんだよ。
つべこべ言わずにオレの像の前でひれ伏して一日も早く真人間になれよ。手間かけさせんな」
「ねっ、ねぇっ、なんでこんな無駄に長い階段上らされてんの……!?」
「そりゃ上の階に用事があるからに決まってんだろ。言っとくけど毎日ここ上るんだから早いとこ慣れろよ」
「むっ、無茶をおっしゃる……」
ぜひゅぜひゅと明らかにヤバイ呼吸音をさせながら、イーリは無駄に長く急な階段を上っていく。
ちなみに辿り着いた場所は作業場で、毎日お勤めと称して針仕事をするらしい。わざわざ上の階に移動する意味がまるで見いだせなかった。
他にもいくつかの部屋を案内されたが、いずれもこんな部屋が修道院にあってたまるかい! と叫びたくなるようなものばかりで、しかも度々見かける他の女性――間違いなくイーリと同じような理由でここに送られてきた元令嬢だろう――たちは誰もかれもが死んだ目をしていた。時折延々とごめんなさいを繰り返す女や、突如奇声を上げる女、ふひひ、いひ、いひひひひと気味の悪い笑いを上げ続ける女と、元は美しく可憐だと称されるような女性ばかりだっただろうはずなのに、目が逝っちゃっていて妙な凄みのある頭のヤバイ女ばかり。お前の未来の姿がこれだと告げられたようで、イーリは思わずぞっとして二の腕を抱きしめるようにしながら擦った。
「こいつらもなぁ、最初はここから脱走しようとしたり逆にオレをどうにかすればいいんじゃないかと襲い掛かったりもしてたんだけどなぁ……すっかり大人しくなったものだよ。大人しくなっただけで人間性がマトモになったわけじゃないからここから出られないんだけどな」
一通りやべぇ女コレクションを目の当たりにさせられて、もしかしてここって思ってたよりもヤバイ場所なんじゃ……と思っていたイーリに、看守長がしみじみと語る。
親指を咥えて何かをブツブツと延々呟いている女だとか、確かに大人しいけどこれを外に出したらいつどこで豹変するかわかったものではない。
平民にしろ身分が低かろうとも貴族であったにしろ、今はどこからどう見ても否定しようがない不審者であった。
修道院内部を一通り案内されたころには、イーリの精神はすっかり消耗しきっていた。
えっ、これからここで毎日を過ごさなくちゃならないの……!? そんな気持ちで一杯である。
不安は不安なのだが、なんというか本当にここで生きてやってける……? という不安がとても大きい。
例えばイーリと似たような事をしでかしてここに送られてきた女が他にいると聞かされて、最初は上手く結託できればここから脱出できるのではないか、と考えたりもしたのだ。
まぁ初っ端から精神が逝っちゃったとしか思えない女と遭遇してその考えは早々に打ち砕かれたが。
それに案内された修道院内部は、無駄にあちこちを移動できるような状況ではなかった。部屋を移動するのになんでそんな所にそんなものを設置したのか、と言いたくなるような構造。両脇が針山になってるとても細い通路とか無駄の極みでしかない。修道院に入ってすぐにその洗礼を受けたけれど、似たような通路が他にもあってイーリは軽率に絶望したのだ。
修道院内部のほとんどには怪我をしてもすぐに治るように、と治癒魔法がかけられているとはいえ状況次第ではその治癒魔法が逆に自らを余計窮地に追い込みかねない。
実際修道院の中をぐるっと回り切る頃には、イーリが怪我をした回数はあっという間に二桁に突入した。
怪我をしてもすぐに治るけれど、正直なところそれは単に苦痛を長引かせているだけにしか思えなかった。
早急に体幹を鍛えなければ移動もままならない――!! 令嬢としての発想ではないが、割と切実にそう感じた。少なくとも細い通路を移動するにはバランス感覚は必須である。
何が恐ろしいって、イーリがしこたま怪我をしながら移動していたというのに看守長はすっかり慣れたものか、一切の怪我をしなかったのだ。かすり傷すらついていない。なんなら目を閉じて移動する事もあったし、軽やかなステップを踏みながら移動したりもしていたのに一部の狂いもなく怪我をする事がなかったのだ。
それだけでこの看守長のフィジカルがとんでもない事は察するしかなかったというのに、ここから脱出したいがためにかつて彼に襲い掛かった女がいると聞けば、なんて命知らずな……としか思えなかった。
ここに来たばかりの頃はどんな手段を用いてでも、なんて考えもあったけれど、修道院内部をぐるっと一周した時点でそんな考えは吹っ飛んでしまった。
もし他の女性がもう少しマトモに会話が通じそうなタイプであったなら、イーリの考えはもうちょっと異なっていたかもしれない。仲間と結託して、ここを出る事ができずとも、ここでの実権を握ってやろうと考えるくらいはしていただろう。
しかし今いる修道院の中の女どもは、どいつもこいつも焦点の合わない虚ろな目をして会話すらマトモな受け答えができそうにないようなのばかり。
ここでの辛い境遇を愚痴りあって慰めあうのも不可能。マトモに会話ができそうなのは困ったことに看守長だけという始末。
しかもその看守長はこちらを慮ってくれるような人物ではない。敵か味方かで言えば間違いなく敵だった。
だが、とはいえ。
だからといって簡単に先住の女たちと同じ末路を辿るつもりはイーリにはなかった。
何が何でも乗り越えて、いずれここを出てやるんだ……! そう固く決意する。
この日から、イーリの辛く苦しい血のにじむような生活が始まったのである。
――名は体を表す、そんな言葉があるが、しかしそれは全てに該当するわけではない。
この修道院で看守長を名乗る男は新入りの無駄にやる気に満ちた表情を見て内心でいつまでもつかな……なんて考えていた。
聖キャロライン修道院
ここは確かにそう呼ばれている。
最低限の体裁も一応整えてないわけじゃない。
だがしかし、そういう名前であるだけで実際ここは修道院ではないのだ。
ここに連れてこられた女性のほとんどは、高位貴族の怒りを買った者たちだ。
婚約者がいる相手に言い寄って、その仲を引き裂こうとした者というのが多い。
中には王族相手にそれをしでかした者もいて、危うく戦争を引き起こしかけた者もいるのだ。
政略結婚で愛がない、のだから愛がある者同士でくっつくべきだ。
そんな理屈を掲げて人間関係を引っ掻き回したが、相手が悪すぎた。
隣国の王族の血を引いた者が被害者の中にいたのだから。危うく国交が断絶する一歩手前になっていた、なんてものもあるのだ。
本来ならば公開処刑をするべきだったのかもしれない。
だが、あまりにも多すぎたのだ。
一体何に感化されたのかわからないが、そういった不名誉な出来事が乱発した。たまにであれば公開処刑も一種の見世物だが、そう何度もやりすぎてしまうのはよろしくない。正当な理由があっても処刑やりたさに罪をでっちあげているのではないか? などと勘繰る者が出てきかねなかった。
たとえその噂が荒唐無稽であっても、一度広まった噂はそれが一切真実でなかったとしても真実味を帯びて広まる事が多い。そうなるととても面倒なのだ。
だからこそ、考えられた苦肉の策としてこの辺境に作られたのが聖キャロライン修道院と言う名の――処刑場であった。
やらかした女の大半は、修道院送りと言われれば大抵は安堵する。処刑を免れたと思い込む。
高位貴族のみならず、王家などから敵とみなされて無事でいられるはずなどないのに。
ここでの裁量は全て任されている。
まさしくここでは看守長である男がルールなのだ。
早々に死なれても楽しくない、という理由で無駄に苦しむ設計になっているまさに悪夢のような施設。だが修道院という言葉によって、見事にオブラートに包まれていた。
家族からも見捨てられるような女が送られてくるような所だ。修道院という言葉にそんな元家族であった者たちも何も疑問に思っていない。
そろそろ駄目だな、と思った者は看守長がサクッと処分するし、案外多く送られてきても空きは常にある。
ここはまさしく看守長にとっての遊び場であった。
ちなみに、裁量を任されているというのは何も殺すタイミングに限った話ではない。
本当の意味で更生した、と判断できればここから出す事も許可できるのだ。まぁ、今までにそうして恩赦を与えられ出る事が許された者は未だいないのだが……
今回来た新入りも頑張り次第では、ここを出る事ができるのだ。
とはいえ、それらは全て看守長の気分一つであり、またイーリの精神が壊れる事なく更生できるかにかかっているのだが。
イーリが精神的に廃人にならずここを出る事ができるかどうかは神のみぞ――いや、看守長のみが知る、といったところであった。