(8)シーナ様の正体。私、もう無理かもしれないっ……
翌日、いつも通り私は朝を迎えた。特に体調の変化も血液検査による影響も無い。
お昼前になっても何の連絡もないということは、今日はシーナ様にお会い出来るということかしら。
「失礼致します」
いつもの時間にシーナ様の執務室に入った。
「セシリア!!昨日はごめんね?寂しかったよね」
すごい、熱烈な歓迎だわ。
「あの、でも、シーナ様も昨日はお大変だったと……」
「ああっ、会いたかった」
最後まで言い終わる前にしっかりと抱きすくめられてしまった。
「あっ、あの……」
安定のシーナ様で、お変わりが無いのは良いのだけれど……ん?良いのかしら?
「リヴィア、下がっていいよ」
「はっ」
リヴィアさんは凛々しい返事をして退室した。
えっ、ちょっと待って。いつものことだけど、行かないで。このまま私はどうしたらいいの?
相変わらずシーナ様はギュウギュウ抱きしめてくる。
「ちょっ、くるし……」
「はぁぁぁ、セシリア。いい香り。ずっとこうしていたい……」
「シ、シーナ様っ!」
私は少し非難めいた声をあげた。
「ああ、ごめんね。やっと会えたから、嬉しくてつい」
やっとって……昨日一日会わなかっただけなのに。
不思議に思いつつも、私はいつものようにシーナ様にエスコートされてソファに座った。その際も相変わらずシーナ様の手は私の腰に回されていて、お互いの半身が密着してしまっている。
今日も安定のこの距離感。もう慣れるしかないのかしら。
私は諦めにも似た境地で、テーブルに並べられた年表に目を落とす。
昨日の分も頑張らねばと気合を入れるが、一向に開始される気配が無い。気になって、ふと隣のシーナ様を見ると、何故かうっとりと私を見つめていた。何故!?
「そ、そう言えば、昨日私の血液検査をして頂きましたが……。何か、おかしなところはありませんでしたか?」
何とか話題をと、少し気になっていたことを聞いてみた。
「ん?あれね。もう、最高だったよ!!」
「は?」
思わず、素の声が出てしまったわ。最高って何?状態が良かったってことかしら?最悪よりはいいのよね?
「んんっ。そう、異常は無いし何も心配いらないよ」
咳払いで持ち直したのか、最後は王子様スマイルで結果を教えてくれたけど……、何か違和感だわ。
「さて、早速一昨日の続きから、ね」
やっといつものシーナ様に戻って、年表を手に取った。ここ数日で既に近代の所まで来ていた。国が辿った歴史としてはすぐに終わりそうだが、王族に関してはまだまだ色んなことがありそうだ。
「最初に、王族の寿命の長さが一定の周期で変遷していることを話したよね?」
私は最初に知った衝撃と共に思い出し頷いた。
「ということは……近代のこのあたりの王達は、今どうしてると思う?」
シーナ様は悪戯っぽく私を見つめた。
「あっ、まさか、今もどこかで生きておられると……?」
先代国王様は王位をお譲りになってから、王家ゆかりの地で静養されているとお聞きしていたけれど、先々代、更にその前の方は……。
「正解。実は、離宮にいるんだよ」
楽しそうな笑顔のシーナ様に、私は何となく嫌な予感がした。
そんな私の反応をしり目に、シーナ様は年表の下から一冊の本を取り出して私の目の前に広げた。
「これはね、歴代国王の肖像画の模写を載せているんだ。ほら、例えばこうやってさ」
シーナ様は、先々代国王の目元を自身の手で隠して私に見せた。
「これはっ、ウィル様!?」
「そう、先々代のウィリアム国王だよ。じゃ、これは?」
同じように、更に一代前の国王の目元を隠されると。
「アイク様」
「うん。アイザック国王だね」
「で、これが……」
「ジーク様……」
「正解。先代のジークハルト国王だよ」
シーナ様はよく出来ましたというように満面の笑みを向けて下さるけれど、きっと私の顔は蒼白だわ。
良かった……始まりはアイク様の、何とも言えない品格というかオーラを感じたからだけど、きちんと最上級のカーテシーをしておいて助かった。
一般の執事扱いしなくて、本っっっ当に良かった。一気に色んな事が起こって、半ばパニック状態の初日だったけど、あの時の私グッジョブだわ!
何というか、例えるなら細く繊細な一本の糸でかろうじて命がつながった感じ……。
あら?でも、そんな錚々たる皆様が「あの方」と呼ぶ目の前のこの方は?ただの、第三王子ではない……?
「じゃ、これが王家最大の秘密であり、国王当ての最終問題ね」
問題の名前だけ聞いていたら楽しそうだけど、とんでもない事態だわ。
「不老不死である、ゲオルクの父親はどこにいるでしょう?」
急に低く変わった声音に、私はドキリとした。それは本能的に感じた恐怖だった。
身の危険というよりは、知っていはいけない、踏み込んではいけない禁忌を冒すような。生き物としての本能が全力で拒否しているような感覚に襲われた。
考えるな……これ以上、深く考えるな。でも、シーナ様へ返答はしないといけない。表面上の単語を見つけるのよ。感情的に考えると強張って動けなくなるから、あくまで今までの流れの中から最適解を。
「この、離宮にいらっしゃる……のかしら?」
「正解。じゃ、それは……だぁ~れだ?」
正直、もう…恐怖しかない。今は必死に堪えているけれど、気を抜いたら涙がこぼれ落ちてしまいそう。
誰か、なんて。皆様の態度で分かってしまう気がする。でも、それを口に出して認めるのが嫌だ。
「シーナ様…………の、意地悪……」
最後は尻すぼみになりつつ、私の涙腺は決壊した。
恐怖なのか、何なのか分からない涙がぽろぽろとこぼれ落ちていく。
淑女教育なんて、もうどうでもいい。こんな訳の分からない状況に置かれてまで貴族然としていられる人がいたらいっそ見てみたい。
「正か…いって、どうしたの!?泣かないで!!」
私の涙に、今まで余裕ぶっていたシーナ様が途端に慌てだした。
「ううっ……ふっ、んっ……」
私の口からは、およそ淑女とは思えない嗚咽しか出てこない。
最初、そう登城した時から変だなと思っていた。何回も感じた違和感。でも、それを認めて問いただした方がもっと恐ろしいことが起こるような気がして、全て見なかったことにしてここまで逃げ続けてきた。それも、もう終わり。
元々ずっとここにいろと言われていたけど、いつかは解放されるんじゃないかなんて、心の隅では思っていた。
どこまでも甘かったのね。
「どうしよう。セシリア、泣かないで。顔を上げて?」
私のすぐそばで、シーナ様が慌てふためいている。
手には自身のハンカチを持ち、私に差し出してくれているけれど、私の手は胸元できつく握りしめたまま身体を震わせていることしか出来ず受け取ることは叶わない。
シーナ様の手がふわりと私の頬に触れ優しく顔を上げられたと思ったら、目元にそっと柔らかい物が触れた。
少しして、シーナ様の唇が触れたのだと分かった。あやすように優しく、涙を汲み取るように。
「ごめんね、意地悪したり、泣かせたりするつもりは無かったんだ」
目線を合わせようと、シーナ様が私の顔を覗き込んでくる。
「俺は、君が好き。大好き。愛しい君にはいつも笑っていて欲しい。でも、この想いを伝えるなら、同時に俺の正体も明かさないといけないと思って。君に知って欲しくて……」
「正……た、い……?」
「うん。俺はヴァンパイアなんだ」
「えっ……」
おとぎ話の中でしか聞かないような存在に、私の思考は完全にフリーズした。
「信じてもらえないかもしれないけど、君はそんな俺の大事な番。この島国に漂着してずっと1200年探し続けて来た番なんだ。ずっと、ずっと恋焦がれて……」
私の顔に触れるシーナ様の手にわずかに力が入り、覗き込むその眼は想いの深さを表すほどに熱っぽく潤んでいる。
多分、シーナ様が仰っていることは真実。非現実的なことを次々聞かされる中で、でもどこか冷静な頭の片隅で判断する。
番って、あの動物にあるような?私が……番?
目の前のこの人は、本当に1200年生きているんだ。1200年……、せん、にひゃく。
私では到底想像もつかない、理解できない。
でも変な感じだけど、どこか納得している自分もいる。
空を飛べたり不思議な能力があることも、朝が弱くて夜に強いことも、血液の異常を感じることが出来ることも、ヴァンパイアなら納得だ。ん?血液?ヴァンパイア……。
私の頭から、どんどん血の気が引いて行く。
ヴァンパイアの主食は血液。記憶の中から、ほぼ生の肉を召し上がるシーナ様、執務とはいえ血を舐めたシーナ様……そんな姿がどんどん蘇ってくる。
恐怖が全身を支配し、今度は全身がガタガタ震えだす。
「ひっ……」
思わず出てしまった怯えの声に、目の前のシーナ様の眼は寂寥を滲ませた。
「ごめん。どんなに怖がられても、どんなに拒絶されたとしても、俺はもう君を手放せない」
二人の間にある想いのすれ違いも違和感も、全てを塗りつぶす様にしてシーナ様は私をきつく抱き締めた。
「あっ……あっ、…………」
座っていたソファに押し倒されるような形でシーナ様に抱き着かれ、胸元にシーナ様の頭、お腹の辺りにシーナ様の逞しい胸が、背中にはしっかりとシーナ様の腕が回っていて、私は顔を上げて呼吸を整えるのが精一杯だった。
シーナ様はそこまで力を込めていないのに、苦しくはないはずなのに、色んな事が頭を巡ってうまく息が出来ない。
「セシリア?」
過呼吸寸前の私を訝しんだシーナ様は、グッと私を抱き起して先日のカゼボのように自身の膝の上に私を横抱きにした。
「セシリア、ゆっくり呼吸をして。大丈夫。俺は君を襲ったりしない」
どこか切ない声で、私の背中をゆっくりと優しく撫でながら耳元で囁かれる。
それでも、この荒波の様に制御不可能な感情からパニック寸前の私には届かなかった。
「仕方ないっ。セシリア、俺の眼を見て」
頬に手を添えられ、シーナ様の方へ向けさせられた。
目の前には、美しいピジョンブラッドの瞳。その瞳の色が、だんだん濃くなっていく感覚がして、意識ごと吞まれそうになる。
ああ、この感覚。初めて離宮に来た日と同じ。やはりあれはお茶のせいではなく、シーナ様のお力だったのね。
そんなことを感じながら、あの時と同じように私の意識は暗転していく。と同時に呼吸もしやすくなってきた。
ああ、意識が……、もう…堕ちる。
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