(3)離宮の朝と散策。他にも人が居た。
私が目を覚ますと、そこは全く知らない部屋だった。
とても手触りの良い上質なベッドに寝かされ、広々とした清潔な部屋によく見れば繊細な細工の施された美しい調度品の数々。
最初、自分がどこにいるのか本当に分からなかった。
そこで順を追って昨日のことを思い出していく。
確かお父様と共に登城して、陛下から第三王子殿下の婚約者となり王城に残るように言われた。それから離宮に移動して……。
記憶が途切れる直前に、私を見つめるルビーの瞳。
シーナ様に勧められた紅茶を飲んだ後に意識がなくなって…ってまさか!あの紅茶に薬が?でもそんなことをして、誰に何の得が?
ふと、私は身を起こして自分の身体を眺めた。
寝巻を着ている?しかも昨日は湯あみもしていないのに、どこか身体が爽やかで化粧も落とされていた。一体誰が?何が起こったの?
専属の侍女もいない身で、しかも昨日はシーナ様とアイク様という男性にしか会っていない。まさかという思いで、私はパニックに陥りかける。
するとふと、サイドテーブルに置かれたベルが目に付いた。
それは朝日を受けて美しく輝く透明なガラスのようだった。細かな金細工により模様が刻み込まれており、思わず手に取った。手になじむが予想よりも重く、クリスタルガラスなのだと分かった。軽く振ると、リィーンと澄んだ音が空気を震わせた。
心地よい音につい三度ほど慣らすと、しばらくして部屋の扉がノックされた。
「どうぞ」
誰が入って来るのかドキドキしながら許可すると、一人の褐色の肌をしたメイドが入って来た。
「失礼致します」
この離宮にて初めて見る女性に驚きつつ、ベッドまで近寄って来るのを待つ。
「おはようございます。リヴィアと申します。あの御方…シーナ様よりセシリア様の身の回りのお世話をと仰せつかりました。よろしくお願い申し上げます」
出たわ、「あの御方」。アイク様といい、何なのかしら?
それにリヴィアさん。女性ながらに背も高く、引き締まって体格もいい。所作を見ていても、メイドというより騎士と言われる方が納得なんだけど。
「よろしくお願い致します」
突っ込みどころが多すぎるせいで、そう言うのが精一杯だった。
とりあえず、リヴィアさんが昨晩の私の世話をしてくれたのかしら。というか、もしここで聞いて否定されてしまったらと思うと、怖くて聞けない。
「では、早速ではございますがお召替えの準備を」
リヴィアさんは扉の前に持って来てくれていた湯を部屋の中に運び込み、洗面器に湯を張ってくれたり、柔らかなタオルを準備してくれる。
てきぱきと無駄のない動作で全てやってくれるため、私はなすがままだ。
そして、クローゼットから淡いピンクの美しいドレスと爽やかなミントグリーンの品の良いドレスを出してきてどちらが良いか尋ねられる。
私は後者を選んだ。ここにきて戸惑うことばかりで、あまり華やかな色を身にまとう気分ではない。
全ての準備が整い姿見で全身を映すと、実家の伯爵家で身支度を整えてもらっていた時の何倍も素敵に見えた。
「朝食はダイニングで召し上がられますか?それともこちらの方がよろしいですか?」
ダイニングがどこにあるか行ってみたい気もするけれど。
「あの、いつもシーナ様はどの様にされているのですか?可能でしたら、ご一緒出来たらと思うのですが」
とりあえず独断よりはシーナ様のご判断を仰ぎたいという思いと、知り合いというと語弊があるけれど、見知った方のお顔を見て安心したい気持ちがあった。
「シーナ様はいつも朝食は召し上がられません。この時間はまだお休みでございます」
「えっ……」
朝寝坊する王族?領地の民の模範になるようにと厳しく躾けられた私には理解できない。
そもそもシーナ様って、普段何をされているのかしら?表舞台に出ない王族の役割って何?
「でっ、では、ダイニングの方でお願いします」
「かしこまりました。では、こちらへ」
リヴィアさんに連れられて、私は部屋を移動する。
昨晩は通った記憶の無い廊下を通り、階下へ降りていく。
私が過ごした寝室は二階にあった。
ダイニングには、10人ほどが腰掛けられるほどのテーブルがあり、その一つに食器などの準備が施されている。
「おはようございます。セシリア様」
アイク様がお声を掛けて下さり、私は少しだけ緊張が解れた。
「昨晩は、よく眠れましたか」
「はい……」
言葉を交わしながら、そう言えばこの人の淹れた紅茶が原因で意識を失ったのでは?と思い出す。そう思い始めると、だんだん目の前のベールで覆われた瞳の奥で一体何を考えているのか、とても怖くなってきた。
「セシリア様?」
急に足がすくんで動きが鈍くなった私を、アイク様が気遣って声を掛けて下さるけど、原因はあなたです……とも言えず、貴族的な笑みでごまかすしか出来ない。
その空気を読んでか読まずにか、リヴィアさんが椅子を引いてくれて私は着席した。
するとそれを見計らったように、瑞々しいサラダや湯気を立てるスープ、焼き立てのパンなどが運ばれてきた。
昨晩はろくに食べていなかったことを思い出すと急に空腹を感じ、私はとりあえず様々な疑問を横に置いて食事に集中した。
薬を使われた疑惑もあるけれど、陛下は年に何回か家族に合わせる約束をして下さっていたから、命までは取られないだろうと割り切った。それにお腹が空いていては思考がついネガティブになってしまう。
朝食はこちらも実家とは比べ物にならないほど美味しく、ついつい食が進んでしまった。我ながら、豪胆になったものである。
特にマナーなども注意されなかったけど、王族としてのマナー教育はいいのかしら?昨晩シーナ様は自由に過ごせば良いと仰って下さったけど。再度確認しようにもまだお休み中なのよね。
「あの、アイク様」
今もまた紅茶の準備をするアイク様に、私は声を掛けた。
「何でしょうか?」
「この後、私はどの様に過ごせば良いのでしょうか」
「おや?昨晩シーナ様から何もお聞きではないですか?」
「いえ、シーナ様からは自由に過ごして良いと言われましたが」
「では、その様になさいませ」
アイク様は取り付く島もない。
「いえ、あの、私はしがない伯爵家の娘です。この離宮で過ごすにあたり、例えば食事マナー一つとっても至らない部分もあると思い、それ相応の努力というかレッスンが必要になるのではと思い至った次第で」
「なるほど。噂通り、真面目なお方ですね」
アイク様は顎に手を当てて頷いた。
「しかし先ほどから拝見している限り、セシリア様のマナーに特に問題点はございません。それに、何より外交や社交に出ることもほぼ無いので、特別な講習も必要ありませんしね。稀に王家主催の夜会などに出ざるを得なくなったとしても、直前のレッスンで大丈夫でしょうし」
褒められて嬉しいような、でもしなければならないことが何もないというのも不安だ。
「そうですねぇ、人間、太陽に当たらないと生成されない栄養素もありますから、離宮の中庭でも散歩されますか?」
「良いのですか?」
てっきり建物から一歩も出てはいけないのかと思っていた。
「まあ、中庭なら建物の一部のようなものですしね。他にもこの離宮内をリヴィアに案内してもらうと良いのではないでしょうか」
私は傍らに立つリヴィアさんに視線を送ると、リヴィアさんは了承したように頷いてくれた。
そして食後の紅茶を飲み終わると、約束通りリヴィアさんは中庭へ案内してくれた。
中庭と聞くとこじんまりした庭を思い浮かべていたけれど、実際は庭園といって差支えの無いほど立派なものだった。
この若干緩い空気の中で、ここが王城の敷地内であるということをすっかり失念していたわ。
陽光に輝く美しい木々や芝生に、とりどりの季節の花が咲き誇る花壇があり、その花々の中を歩きやすいように石畳が敷かれている。
広さが十分なことと、うまく調和がとれていることで、互いの色彩が邪魔することなく品良く景観が保たれている。
驚いたのは途中人工的に作られた小川や小さな泉があり、時期が合えば美しい蓮の花を真上から堪能出来る、これまた美しいガゼボがあった。
「何て素敵なお庭なの」
思わず感嘆の声が漏れ、私は夢中になって中庭の散策を行う。
こんな素敵な場所で、シーナ様とお茶が出来たらいいななどと思いを馳せていると、中庭の奥まった場所に、透明の建物が見えた。
「あちらは?」
思わず振り返ってリヴィアさんに尋ねた。
「あちらは温室にございます。この国の中でも、貴重なバラの育成をしていると聞いております」
何やら重要な場所みたい。折角だから中に入ってみたいけど、さすがにシーナ様やアイク様の許可が必要そうよね。
「中に入ってみますか?」
私の逡巡を見て取ってか、リヴィアさんが提案してくれた。
「良いのですか?」
「ええ、この離宮内でセシリア様が入ってはいけない場所はほぼ無いと言われております」
ほぼとは……多少はあるのね、まっ当たり前か。でも、とりあえずここはいいんだ。
「では、中を拝見したいです」
「かしこまりました」
リヴィアさんが前に出て先導してくれ、温室の扉を開けてくれた。
貴重な場所なのに鍵も無いのね。それとも、庭師の方が中でお仕事されているのかしら?
温室の中は外よりも少し蒸し暑いというか、当たり前のことだけど温度と湿度が完璧に管理されているようだった。
そして、共に咽かえるようなかぐわしい香りが鼻腔をくすぐる。
バラの育成といっても無頓着に鉢が並べられている訳ではなく、屋内庭園の様に美しく配置され整えられていた。緩やかなカーブを描く舗装された小道の途中には、休憩用なのか綺麗な装飾を施されたベンチやサイドテーブルまである。
可愛らしい小さくてたくさんのバラを咲かせる品種から、大輪の見事な花を咲かせる品種、様々な品種を目にしながら私はゆっくり歩いた。
ここに通うだけでも暇をすることは無さそうなくらいに、それはそれは見事な物だった。
しばらく進むと、曲がり角に人の気配を感じた。
「ん?どなたかな?」
じっくり観察していた一輪のバラから手を離し、一人の背の高い男性が私の方へ振り返った。
「えっ」
その男性の目元には、アイク様と同じようなベールが付いていて私は戸惑った。
見た目の年齢はアイク様とそう変わらないようにも思えるのだけど、ここで働く男性はみなベールをつけないといけない決まりでもあるのかしら。
「おや、リヴィアじゃないか。久しぶりだね。君がそんな恰好でここにいるなんて。そちらの御令嬢は?」
その男性はリヴィアさんと親しいらしい。
「はっ。シーナ様の婚約者セシリア様でございます」
リヴィアさんはメイドというより騎士のような返事をして、私を紹介してくれた。
「初めまして。チガボーノ伯爵家長女セシリアにございます」
きっとこの人も、ただの庭師なんかじゃない。醸し出す雰囲気が、明らかに私より上の出身だと知らしめている。私は最上級のカーテシーを行った。
「婚約者。なるほど」
その男性は、まるで品定めをするかのようにじっと私を見つめた。いや、ベールで目元は見えないから、私が勝手にそんな気がしただけだ。
この空気間に耐え切れず、一瞬肩をビクリと動かしてしまう。
この男性といい、アイク様といい、ベールを付けた男性には何か底知れぬオーラがありどうしても緊張してしまう。
「おっと、失礼。不躾に見過ぎてしまったようだね。私はここの温室の管理を任されている者だ。そうだな、ジークとでも呼んでおくれ」
「ジーク様、よろしくお願い申し上げます」
その後、親切なジーク様に色々温室の中を案内して頂き、ここに咲いているバラについていくつか説明をして頂いた。
楽しい時間が過ぎるのは早く、気付くと昼食の時間になっていた。
私はリヴィアさんに促されて離宮の建物内に戻ることになった。
「こちらをあの御方に」
温室を出る際に、リヴィアさんはジーク様から何かを受け取っていた。
やはりここでも「あの御方」だ。
リヴィアさんに聞いてみたい気もするけれど、来たばかりの離宮であまり詮索するのもはしたなく思えて躊躇ってしまう。この時ばかりは、厳格な淑女教育が恨めしい。
「リヴィアさん」
私は前を歩くリヴィアさんに声を掛けた。
「はい。何でしょうか」
「昼食は、シーナ様とご一緒出来るのでしょうか?」
リヴィアさんは一瞬だけ眉を動かした後、いつものポーカーフェイスに戻った。
「いえ。おそらく既に食事は終えられて、今頃は執務中かと」
なるほど。朝が遅い分、昼食と合わせてブランチになったってことかしら?
となると、結局夕食までお会い出来ないのかしらね。
「ただ、執務中でも一緒にお茶くらいは出来ると思いますよ」
落ち込む私を見かねてか、リヴィアさんが教えてくれた。
「そうなのですね。では昼食の後、シーナ様のお邪魔にならない時間帯にお茶をご一緒したいです」
「かしこまりました。その旨、アイク様にお伝え致します」
お読み頂きありがとうございます。