(1)健康診断が終わったのに、領地に帰れないっ!!
背後から聞こえてくる怒号、それは民を守る騎士か、雇われのハンターか、はたまた使命に燃える神父か。
共に逃げていたのは父だったか兄だったか、もしかすると祖父だったのかもしれない。
自然界の理から逸脱した存在の俺達に、年齢に見合う容姿など関係ない。
そこで存在することが難しくなった俺達は、逃れ逃れて海に出た。
いつの間にか俺は独りになり、波間を漂ううちに意識を失った。
このまま死ぬのか……いや、どうすれば死ねるのか、俺はまだ教えてもらっていなかった。
次に気が付いた時には、見知らぬ島の砂浜に打ち上げられていた。
どうやら結構な距離と時間を波に揉まれても、俺は死なないらしい。
しかも五体満足な上に、どこも怪我をした形跡は無い。強靭という言葉をはるかに超えた、不老不死の身体。
それでもさすがに海中で体力は奪われていたようで、立ち上がるのが億劫だった。
ここまで頑丈な身体なら、たとえ今この場で野生動物に襲われても死なないのだろう。
いや、それでもさすがに真っ二つにされたら死ぬのか?しかし、確か共にいた人は身体を霧状に変えていたことがある。ならば真っ二つにもならないのか?うん、いつか試してみようかな。
未だ何もする気が起こらない俺は、どうでもいいことばかり考えていた。
この永遠とも思える退屈な生の中では、特に急ぐ必要も無い。ましてや、ここがどこなのかも分からない今、何もかもどうでもいい。
しばらく打ち寄せる波に脚部を濡らされながらぼうっとしていると、目の前に影が落ちた。
「おい、お前、生きているのか?」
どこか威厳のある不思議なトーンの声だった。
俺は首だけを動かして声の主を仰ぎ見た。
「うむ、少しは動けるようだな。見たところ外傷は無い様だ」
これが、彼女との出会い。そしてこの国の始まり。
あれから約1200年。もう自分がどこから来たのか、親の顔すらも覚えていない。他に仲間が生き残っているのかさえも。
でも、そんなことは些末なこと。彼女が星見でみてくれた、俺の欲しかったものがもうすぐ手に入る。こんな俺でも、さすがに1200年は長かった。
やっと会えるよ、俺の、俺だけの……
◇◇◇
ここはヘルシーナ王国。他国と陸地を隣接しない島国。
この王国では貴族も平民も18歳で成人を迎えるまで、毎年誕生月に王国の専門機関で健康診断を受けなければならない。
身長、体重、内科検診、血液検査、視力検査に歯科検診その他諸々、可能な限り全身をチェックする。
おかげで乳幼児死亡率が他国に比べて圧倒的に低い上、健康に対する国民の意識が早い段階から高められ、ヘルシーナ王国は長寿大国とも言われている。
私セシリア=チガボーノも今日はその健康診断で、王城に隣接する健診棟へ来ていた。
毎年誕生日が近付くと領地から王都のタウンハウスへやって来る。
健康診断の後は王都でお買い物を楽しみ、タウンハウスにてお祝いの晩餐を頂く。
そして数日王都で過ごして、また領地に戻るというのが我が家の慣習である。
健診棟は貴族専用で、平民用には各地に健診館がある。健診棟とは場所が違うので、同じ誕生月でも貴族と平民が一緒になることはない。
「あら、セシリア様。ごきげんよう。ご一緒するのは2年ぶりかしら」
健診棟で侍女に着替えさせてもらい、診察を待つための待合室にてエレノア=フィプソン伯爵令嬢に話し掛けられた。彼女は私と同じ誕生月のため健診日が重なることがたまにある。
「ごきげんよう。エレノア様。ご一緒出来て光栄ですわ」
何度か健診や夜会で話したことがあるものの、そこまで旧知の仲ではない。しかし特にすることもないため、そのまま世間話に興じる。
「セシリア様、お聞きになりまして?第二王子殿下の婚約者をそろそろお決めになるとか」
「そうなのですね」
第二王子殿下は現在16歳で、あと2年で成人を迎えられる。
王子妃教育もしないといけないのに、婚約者が決まらないというのは大変なことだ。主に婚約者になる令嬢にとって。王子妃教育の詰め込みなんて恐怖でしかない。
「この時期になると、やはり侯爵家以上のかなり優秀なお方でないと大変ですわよねぇ」
エレノア様も同じ考えのようだ。
「エレノア様も、大変優秀でいらっしゃると耳に致しましたが」
実際に社交界で聞いたことがある。フィプソン家は伯爵家ではあるが、領地運営や投資でも成功しており家格や淑女教育の面でも侯爵家に見劣りしないと評判である。
「いえいえそんな、畏れ多いことですわ」
品よく笑いながら、エレノア様は耳打ちするように私の方へ少し近寄った。
「それよりも、幻の御方の方が興味をそそられますわ」
幻の第〇王子。噂のような、伝承のような、本当に幻の存在。
ヘルシーナ王国では、王太子であらせられる第一王子と、第一王子に何かあった際に立太子される第二王子までは公表されている。
しかし防犯上の理由からか、それ以外の王子も王女も公表されておらず他に何人いらっしゃるのか、またはいらっしゃらないのか全く公表されていない。
それ故に、他国と婚姻を結ぶことも無い。交易上の理由でどうしても他国と婚姻を結ぶ際は、合意の上で公爵家または侯爵家の方が嫁ぐか、逆に娶っている。
でも何十年かはたまた何百年かに一度、第三王子又は第四王子の婚約者が選ばれる。しかし、その王子はほぼ表舞台には出ず、また婚約者の令嬢もその後表舞台で姿をお見掛けすることは無いというほど秘密のベールに包まれている。
そのため王国内の貴族の間ではまるで都市伝説のように、各御世に必ず幻の第〇王子がいらっしゃるのだとまことしやかに囁かれている。
「あら、次は私の番のようですわね。ではセシリア様、お先に失礼致しますわ」
優雅に微笑んで、エレノア様は診察室へ入って行かれた。
私も貴族的な笑みを返し見送った。
それにしても、まさかの幻の御方狙いとは。
でも豊かなブロンドの髪に透き通るような美しいブルーの瞳をお持ちのエレノア様なら、王族に入られても全く見劣りしない。
対して私は、焦げ茶色の髪に赤茶色の瞳。この国に一番多い平凡な容姿をしている。まあ一応貴族令嬢であるが故に、日々髪や肌を磨いてそれなりには見えていると思うのだけど。
私の父チガボーノ伯爵は厳格な人だ。
生まれてすぐに私は勤勉で完璧な乳母を付けられ、早々に家庭教師をつけられ、これまで十分な淑女教育を施されてきた。
市井で何か流行りのものがあったとしても、それよりもまずは目の前の勉強。流行りはいずれ廃るが、教養は裏切らないという方針だった。
家のためひいては国のためになる行動をと、貴族たるものとしての精神を幼い時から叩き込まれ、先ほどのエレノア様のように何かを欲したり夢を見るような暇さえ無かった。
正直、伯爵位でここまでの教育や精神が必要なのか、物心ついた時からずっと甚だ疑問だった。しかも我が家は他家に比べて特に秀でたものがあるわけでも無い。
しかしそんなことを口にしようものなら、基礎から再度叩き込まれるため何も言わずとりあえずお父様に付き従ってきた。
本当、私の人生なんてつまらないわよね。
嫌味ではなく、都市伝説を信じているエレノア様のような純真なお心があれば、私ももっと楽しめたのかしら。
一通りの健康診断を終えてからいつも通りの誕生日を過ごし、明日はまた領地へ帰ろうとしていた時だった。
帰りの支度は侍女がしてくれるが、私自身も自室で最終確認を行っていたところ、お父様が部屋に飛び込んできた。
いつも厳格なお父様にしては珍しいことだ。
「セシリア、大変だ。明日の帰還は中止だ!しばらく領地へは帰れなくなりそうだ」
お父様が何か書状を持って慌ただしく部屋に入ってきた。
「どういうことですの?」
とりあえず淑女教育を発揮して、驚きを抑え込んで平静を装う。
「王家から、明日の夕方に登城するようにと書状が来た!」
「なんですって?」
私は王家という、特に自分が関わると思っていなかった単語に驚愕する。
「詳しいことは書かれていないのだが、とにかく行くしかない。詰めてしまった荷物を即刻解き、相応しいドレスを選びなさい」
さすがのお父様も動転しているようだが、準備しないことにはどうしようもない。登城出来ない正当な理由も特に無いのだから。
「それにしても、夕方とは不思議な時間帯ですね」
「そうだな。夜会や晩餐に呼ばれたわけでも無いようだ」
ともかくと、言われた通りに私は明日の準備に取り掛かった。
国王陛下の前に出ても恥ずかしく無い様な装いを整える。
夜会ではないのだから華美になり過ぎず、しかし礼を欠かない程度には華やかに。
両親や侍女と共に明日の準備を行った。まあ、夕方からだからそんなに急ぐ必要もないのだけれど。
翌日は皆、朝からずっとソワソワしていた。
いっそ早く夕方になって欲しいような、なって欲しくないような。
軽く昼食を摂った後は、湯あみをして全身を整えていく。そして全ての準備が整うと、お父様と共に馬車に乗った。
我が家の嫡男である弟は私より5歳下でまだ少し幼いため、お母様と共にタウンハウスに残った。
「緊張しているか?」
「はい」
「私もだ。元々我が家は、登城するほど王家に近くもないしな。とりあえず国王陛下の命には従うのみ。何を言われようとすぐさま拒否することはせず、一旦持ち帰らせてもらおう」
確かに普段は領地運営をして、たまに呼ばれたら夜会に行くくらいしかやっていない我が家。爵位もそこまで高くは無いし、目立った功績も産物も無い。唯一の取り柄は厳格な家風と実直さのみ。
なのに何故……考えても仕方がない。
私は馬車の窓から近づく夕闇をじっと眺めていた。
王城に到着すると馬車を御者に任せ、お父様と私は待ち構えていた王城の侍従に案内されて城内を進んだ。
謁見の間に入ると、姿勢を正し陛下のお出ましを待つ。
しばらくすると玉座の奥の扉が開き、陛下がお見えになった。
私たちは頭を垂れて臣下の礼を執りつつ、陛下からお声が掛かるのを待っていた。
「よく来てくれたな、チガボーノ伯爵並びにセシリア嬢。面を上げて楽にせよ」
赦しが出たので、父と共になおり顔を上げた。
「陛下におかれましては……」
父がまず口上を述べようとするが、陛下は右手を挙げて遮った。
「堅苦しい挨拶はよい。此度はこちらから、是が非でもお願いせねばならぬことだ」
心なしか、陛下の顔色が悪く見える。
そんなに悪い話なのかと、私は思わず身構えた。隣の父も、うっすら額に汗を滲ませている。
「何と申せばよいか……。単刀直入に言うと、セシリア嬢には王家に入ってもらいたいのだ」
陛下の御言葉に、私と父は凍り付いた。
王家に?ということは、私が王子妃にと……。しかし、王太子である第一王子殿下には既に婚約者がいる。では未だ婚約者の決まらない第二王子殿下の?
「それは……」
王子の婚約者を選ぶというのは、何の先触れも打診もなく詳細すら聞かされないまま、しかもこんな時間に呼び出されて行われるものなのかしら?
私と父は、ありえない状況に戸惑いを隠せない。
「よい、発言を赦す」
「はっ、セシリアを王家にとのことですが、お相手は第二王子殿下であらせられますか?」
父の言葉に、陛下は玉座の肘掛けに肘を置き眉間を押さえた。
その不可解な様子に、私と父の緊張が極限まで高まる。
「いや、第二王子ではない」
何と!しかし、公にされている王子は他にはいない。ということは……。
「そなたらも、市井の噂くらい聞いたことがあるだろう。その…幻の王子だ」
私はヒュッと息を吞んだ。
お読み頂きありがとうございます。