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メイドさんのお仕事  作者: 好観
7/13

お嬢様とご主人様④

 実里ちゃんがお客様と一緒に外へ出て、本当にすぐの事だった。


 扉が開いて一人の男性が来店した。


 橘さんが彼と話をしている間に、私・片平ハルは珈琲を淹れて彼の前へお出しした。勤め先ではお客様にはお茶を出す、のが基本だったがここは喫茶店だし珈琲でもいいだろうという私の勝手な判断だ。苦手だったら他のものを出そう、その思いは杞憂に終わり、カウンター席へと座った男性はありがとうとカップに口をつけた。



「えーと。俺は高野聖一、52歳」



 私が何か質問をする間もなく、彼は自身のこれまでの生きてきた道を話し始めた。話はこうだ。彼は20代の頃に結婚し娘も二人生まれていた。だが数年後に妻と上手く行かなくなり別々の住まいで暮らし始め、その際娘二人は母親の方へとついていったため、彼はそれ以来一人で過ごしてきたという。



「最近、職場の健康診断を受けたら病院に行けって書かれていた。だけど後回しにしていたんだ。時々胸が苦しいような、痛い感じがしていたんだけどね。まだ大丈夫だろうと高をくくっていた。そしたら、今日……。」



「……。」



「そっか……俺、本当に。こうなるって分かっていたら、最後にあいつと娘たちに会って話がしたかったな。あいつ……妻は希美子っていうんだ。娘は千乃と夏乃。あいつは、二人は今泣いてくれているのかな。流石にもう連絡が入っているはずだよな。なあ、メイドさん。俺はあの三人にもう一度会うことはできないのかい?」



 質問に、答えられない。だって今、この男性は何と話していたのだろう。病院に行くようにと言われていて、今日…もしかして今日死んだ?死亡した?それで家族にもう一度会いたいと言っている。


 今日死んだ、それはどういうこと。この人は死んでいて、この店に訪れた客人は全て死んだ者で。それはつまり私も彼と同じ死んだ人間だという事なのだろうか。


 私が、死んでいる…。



「申し訳ございません、それは出来ないのです。」



 黙ってしまった私の隣に橘さんが現れて、彼にそう答えた。


「そう、ですよね……。」


 彼も黙ってしまう。



 そんな彼を見て私も呆然とその場に立ち竦んでいた。点滅するみかん色の光から「私が話を聞くから、君も一緒に聞いていてほしい」と声がして。私はカウンター席のすぐそばの、一人がけのソファーへと落ちるように座り込んだ。



「あの世にいく前に、一つやり残したことがあるんだ。私は家族に、お礼を言いたいんだ。」


「そうなんだね。」


「妻と娘に会いたい。最近の私はずっと二人に会うのを避けていて、でも時々連絡はくれていて、だからこそいつか会ってお礼を言いたいと思っていたんだ。思っていたのに行動できずにここに来てしまった。後悔したってもう戻れないのに…。」


「そうだね…。」


 橘さんと彼の会話のやり取りを聞いていて、会話の内容から推測は確信に変わった。橘さんが彼に言ったのだ。「この店は冥土に行く前に、死者が立ち寄る店だ」ということを。



 そうか私は死んだのか、そう思いながら彼らの話を聞き続ける。先ほどの動揺していた時とは打って変わって、自分が明らかに落ち着いているのがよくわかる。


 不思議なもので、時に人は目の前で他の人間が慌てていたり苦悩する様子を俯瞰的に見ていると、本来ならば混乱するはずの自分の頭が急に冷静になったり、ものごとがすんなりと受け入れられたりする。彼が頭を抱えている様子を見ていて、なぜかこの短い時間の間に私は私の死を受け入れはじめている。そう分析できるくらいには今の私の頭は冷静に動いていた。



 珈琲を飲み始めた彼は、何度もため息をついている。それはそうだろう、さっきまで彼は生きていて、必死に自分の死を受け入れている真っ最中なのだから。そう考えると自分の冷静さが可笑しく感じた。何だろう、この冷静さは。もしかして生きていた頃の自分は、死への覚悟ができていたとでもいうのだろうか、思い出せないだけで。


(もしかしたらそうなのかもしれないわね。)


 私にとっての忘れ物は、“自分が死んだ事”だったのだろうか。そう思いながら視界に入った自分の髪を触った。灰色の髪だ。白い髪も混じっている。


(白い髪、生まれた時は私は確か黒髪だったはずよ。)


 はたと気が付いた。実里ちゃんと話していた時は、自分も彼女と同じくらいの歳だろうと思い込んでいたけれど、もしかしたら私は高齢のおばあさんなのではないだろうか、と。咄嗟に両手で頬を覆った。触った感じの肌は特に老いを感じない肌だ。今度はその頬に触れた両手をまじまじと観察する。手のひらを見て、甲を見る。


(髪以外は、若いままだ。でもなんだろう、私はおばあさんという感覚がしっくりくるんだよね。)


 鮮明な記憶はないのに違和感を覚えないという感覚。これが私の忘れ物の正体なの?いつまでも変化の見られない手のひらを見つめていると、ねえ、と声を掛けられて私は顔を上げた。



 お客さんの彼だ。こちらを向いて座っている。



「メイドさんは歳はいくつになる? 俺の娘より少し若いか、同じくらいじゃないか?」


「私は、…分かりません。自分が何歳なのか思い出せないのです。」


「そうなのか。」



 目の前の彼が動きを止めてじっと何かを考え出した。視線を逸らし考え込んで、それから私の方をチラリと見る。そしてまた考え込んでしまう。そして顔を手で覆い、「娘には長生きしてほしい」と呟いた。



「メイドさん…君もいつか冥土に来るのかい?」


「ここで自分の忘れ物を思い出して、見つけることができたら行くことになると思います。」


 そう、私もいつかはこの店を出て行くのだ。大事なものを思い出したら。



「そうか。いや、あの世に心残りがないと言うと嘘になるんだ。家族に会いたいという気持ちは変わらないし、後悔も消えないだろう。でも俺はあいつたちに会うことと同じくらい、誰かに俺の話を聞いて欲しかったんだろうな。その気持ちを思い出したよ。突然来た俺の話を聞いてくれてありがとう。」



 お客様にお礼を言われてしまった。それに私はただ、彼と橘さんの会話を聞いていただけだ。そんな事はと言いかけると、彼に「いいんだよ」と言葉を遮られた。



 彼が椅子から立ち上がる。


「珈琲ごちそうさまでした。じゃあメイドさん…、えっと名前を聞いてもいいかい。」


「片平ハル、と申します。」


「またどこかで会おう、片平さん。」


「え?」



 お礼に加えてまた会おうと言われた。死んだのに、また会うとはどういうこと?

 そんな私の頭の中が彼には見えていたらしい。この店に来てから初めて笑った彼は、私の前に静かに立つ。


「俺が死んでから冥土に行くまでの間に、こうして君と過ごしたことには何か意味があるのかもしれない。縁を感じただけさ。もしかしたらまたどこかで会えるかもしれないだろう。だから、また会おう。」


「は、はい。……またお会いできるのを、私も楽しみにしております。」


「じゃあ、短い間だったけどお世話になりました。」


「あの、行ってらっしゃいませ、高野様。」


 そう言って彼は私に会釈をすると、玄関の扉を大きく開けて外へと出ていった。彼の向かった先は、どうしてか私には見えない。ただただ白く光り輝く世界。ああ、あの世界には一体何が広がっているのだろう。冥土には何がある。私は想いを馳せながらも彼の後ろ姿に頭を下げた。



 扉を閉めると店の中はシンと静かになった。元々静かな店内だったが、お客様がいた店内を覚えてしまうと、やはり静かに感じてしまう。


 カウンター席の真上には、柔らかい照明と一緒に、みかん色の光が点滅している。店長の橘さんだ。途中から姿を見せなくなった彼だったが、もしかすると彼はこの店の明かりに紛れて私たち「客人」の様子をずっと見ているのかもしれない。



「あの、橘さん。あの方の、ご家族に会いたいという願いはやはり叶えられないのですね。」


「そうだね、あちらの世界の人と会わせることはできないんだ。」



 なるほど。橘さんが最初に説明してくれた通り、ここは忘れ物を見つけるための店であって、願いを叶える店ではないということだ。願いはあった、忘れてしまったものを思い出し元の世界に戻るというものだ。



「それは私も同じということで、もうあちらの世界に戻ることもできないのですね・・・?」


 答えはもう分かっている。私はもう戻れない。忘れ物が何かを思い出して見つけたら、戻るのではなく先に進むしか道がないという事を。



 座って話そうか、と橘さんはカウンターテーブルの側まで降りてきた。私は先ほどの彼の隣の席へと座らせてもらう。彼の席は今は空けておきたかったのだ。もしかしたら先ほど店を後にした彼が、今この席に座って私たちの話を聞いているかもしれないと思って。



「さて、片平君。君は何を思い出したのかい。」


「忘れ物は1つではなかった事。私はそのうちの1つを思い出しました。」


「うん、どんなことだ?」


「私が死んだ時のことです。」


「そうかい。」


 相変わらず橘さんの受け答えは淡白だ。私はそれでも特に構わないのだが、実里ちゃんはちょっと気にしていそう、と思いながら私は口を開く。



「私は、病に倒れてからずっと病院に入院していて、そのままでした。」


 そう。お客様をお見送りした際のその扉の向こうに消えていく後ろ姿を見た時に、私は思い出したのだ。病院のベッドに横たわる自分と、誰かが部屋を出ていく後ろ姿を。待って、帰らないで。もう少し話を聞かせて。私には話を聞くことしかできないけれど、それが私のたったひとつ残された大事な生きがいだから…。



「その時の気持ちは思い出せるのです。自分が何もできないもどかしさや虚しさ、それから後悔も。家族が大事だった事も。ただ・・・その肝心な家族の顔と名前が、まだ思い出せなくて。それが私のもう一つの忘れ物なんだと思います。」



 情景は浮かぶのに肝心な人の顔が浮かばないのだ。靄のかかった人の影がずっと私に話し掛けている。それが誰なのか思い出せない。病院に見舞いに来てくれるほどの、私にとって大事な人だったはずなのに、だ。



「ここは死後の世界だったんですね。」


「そうだよ。君も、あの子も、もう死んだ人間だ。」


 あの子、実里ちゃんも死んでいるのね。あの不思議な格好をした「メイドさん」の女の子。明るくて元気いっぱいで、表情がコロコロと変わって可愛いらしいあの子がもう死んでいるだなんて、自分のことよりも信じられない。



「彼女はまだこのことを知らないのですよね?」

「そうだね。知らないね。」



 あの子はちゃんと受け入れられるのだろうか。自分が死んだということを。この世界に来てからすぐ、もしも知ることができていたらまた受け入れ方は違うのだろうか。いや遅くても早くても、生きていた頃への想いに変わりはそれほどないのかもしれない。人やものへの想いは…。



「実里ちゃん、ちゃんと受け入れられるのかしら。」


「君は自分の心配をしたらどうなんだ、まだ思い出せないことがあるのだろう」


「そうは言っても、あの子のことが心配ですもの。そうね、彼女が何か思い出せたら、私もこのこと話そうかな…」



 橘さんが何か私に言い返していたが、私の頭の中は彼女の事でいっぱいになった。ほとんど同じタイミングでこの店に訪れた彼女のことだからか、気になる。私はそのままカウンター席に座り、ああでもないこうでもないと一人考え事をはじめた。



 その後、お客様の対応から店へと戻った彼女からは、彼女が何かを思い出したという情報は得られなかった。彼女はそのことを随分と気にかけているようで、沈んだ顔をしていた。



「凄いというか、ちょっと凹む。」



 落ち込んでいるという彼女。お客さんたちがこの短い時間で其々忘れ物を見つけていったという事に対し、未だ忘れ物が分からない自分に焦りを感じているのだろう。何が分からないのか分からない、という状況が一番不安になる。それはよく分かる。そういう時は待つしかないのよ、と彼女に言いたいのだが若い彼女にはまだそれが分からないのかもしれないなと思い、焦らずにねという言葉を掛けた。



 うん、と頷く彼女は何だか泣きそうな顔をしている。



(そんな彼女に、私たちはもう死んでいるのよ、なんて言えないわ。)



 自分が死んでいるという事実を知った時は、衝撃を受けたけれど何故かすんなり受け入れられたのだが。それよりも彼女がまだその事に気付いていなくて、これからそれを知る事になるというのは、今は避けたい。現に彼女は「帰りたい」と言っている。帰るというのはもちろん生きていた頃の、元いた自分の世界にという事だろう。



(実里ちゃん、残念だけどそれは、もう二度とできない事なのよ。)



 そう教えてあげたいけれど、今はまだ教えられない。こんなに元気のない彼女の希望を絶望に変えるだなんて、今は言えない。私からではなく橘さんから話してもらうという手も考えたのだが、時を見て私から話す方が良い気がするのだ。きっと私たちがこうして一緒にこの店のメイドをしているという事に意味があると信じて。



 私は持っていた巾着の中から飴を取り出した。はちみつの飴だ。みかん味と一緒に持っている私のお気に入りの味。ミツバチのメイドさんをしているという彼女にはちょうどいい味だろう。メイド喫茶という不思議な喫茶店で働く彼女が、少しでも元気になりますように、と祈りながら彼女に飴を渡す。



 飴を舐め始めた彼女はしばらく顔を伏せていだが、やがて顔を上げてぼんやりと店の外の景色を眺めはじめた。高いカウンター席の椅子に座り両脚をプラプラと揺らしながら物思いに耽る彼女の姿。



 一瞬、何かの景色と重なった。けれどすぐに消えてしまう。なんだ、どこだった?誰が居た?それは今はもう思い出せない。


(でもこの感じ、どこかで見たことある。)


 どこで見た景色だろうか、これも忘れてしまった忘れ物の一つなのか?人がいたような気がする。私の大切な思い出の中に…。


「誰だったのかな。」

「ん、何?」


 呟いた私に彼女が振り向く。


「ううん、何でもない。」



 彼女のことを見守りながら私は過ごそう。



 ここのぼんやりとしたものが何なのかは、きっとこの店を出ていく時には分かっているはず。ならば彼女に言い聞かせたように、私も焦らずに自分の忘れ物探しをしようと、私は崩していた姿勢を伸ばして立ち上がった。


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