プロローグ
本文中では当たり前に語られている「フルダイブゲーム」ですが、「ゲームの世界に入り込んで現実世界のように動けたり5感があるゲーム」のことです。
『私も思わず自分の目を疑ったよ。何回もメールを読み直したけどやっぱり間違いじゃなくて、頬っぺたを抓ってみたら痛かったから、そこで夢じゃないの!? ってようやく驚いたくらいでさ!』
電話口から聞こえる声は、その語調から通話相手がどれだけ興奮しているのかを如実に伝えてくれた。スマホを耳から少し遠ざけながら、円彩芽は思わず苦笑する。
「ハイテンションだねえ、まあ気持ちは分かるけど。あーあ、私なんてZemがキャンペーン開催してることすら気付いてなかったのに」
ベッドの縁に腰かける少女が膝の上で操作するノートパソコンは、ゲーム制作会社である『Zem』の公式ホームページを開いていた。ページを下に移動していくと、多数の広告の群れに埋まる形で、『ゲームソフト配布キャンペーン!』と小さなバナーが表示されていた。公式SNSからの告知も無かったのに、よくこの小さな文字列を見つけ出したものだと感心する。その観察力もさることながら、キャンペーンに応募してしっかりと当選する豪運はもはや羨ましいほどだ。
「えーっとなになに、抽選で100名様に下記の中から一つだけゲームソフトを配布? 下記ってのはこの表か……竜剣にレイゼロ、うわ何これ! スタクロなんて5年前のパッケージじゃん! これ1つしか選べないなんて、迷うなぁ」
キャンペーンの詳細を見た彩芽が、ずらりと一覧になったタイトル群に嬉しい悲鳴を上げる。一番古いものでは発売日が8年前の物まであった。他にもZemの代表作ともいえるタイトルがいくつか並んでおり、その一覧はゲーマーである彩芽にとってまさに宝の山である。
『あ、スタクロって聞いたことあるよ。確か、スタークロニクルって名前だっけ?』
「そう。5年前の代物とは思えない超絶きれいなグラフィックで描かれた広大な宇宙のフィールドを、戦闘用にカスタムされた宇宙服で飛び回るの。今でもアクションRPG界では5本の指に入る名タイトルだね」
その後もスタクロの魅力を存分に語りたい衝動をぐっと飲みこんで、衣装ダンスよりも大きな本棚に目を向ける。そこには大量のゲームのカセットケースが並んでおり、うち一つにはスタークロニクルのタイトルもあった。そして、その隣にあるのは――。
『彩芽ちゃんは本当に大好きだね、スタクロが。去年も第2弾が発売されたって喜んでたし』
電話の向こうでクスリと笑ったのが聞こえた。「私が初めてプレイしたフルダイブゲームだからね」と、昔を懐かしむ目で返す。
「それで、七海は一体どのゲームを選んだの?」
ふと気になって尋ねたその問いを待っていたかのように、七海と呼ばれた通話相手の友達は答える。
「私が選んだゲームはこちら、『クラウンテイルズ・オンライン』です!」
ジャジャーン、と効果音が入りそうなテンションで発表されたのは、彩芽もよく知るゲームタイトルである。
クラウンテイルズ・オンライン――通称テイルズ。1年前に発売されたそのゲームは、『称号』と呼ばれる独自のシステムと広大なマップを好きに走り回れる自由度の高さから、フルダイブMMORPGの中でも頂点に君臨する、Zemの最高傑作だ。
「へぇ、お目が高いね。私もちょっと前までプレイしてたよ」
再び本棚に目を向けると、スタークロニクルⅡの隣にクランテイルズのカセットケースが並んでいる。
『人気のタイトルらしいし、彩芽ちゃんも触ったことがあるんじゃないかと思ったんだけど、予想は的中したみたいだね!』
「お! その言い方は、一緒にプレイのお誘い?」
自慢げな声の七海にそう聞くと、「うん!」と元気な返事が返ってきた。
『フルダイブゲームはあんまり得意じゃないし、ここは経験者の彩芽ちゃんと一緒に楽しくやりたいな! あー、でも今はプレイしてないんでしょ? 飽きちゃってるなら無理にやらなくても大丈夫だけど』
声を落として心配する七海へ見えていないだろうがひらひらと手を振り、彩芽は先ほどまでよりテンション高めに、
「ちょっとリアルで忙しかったからね。半年前にプレイ中断したって感じ」
『……そう、ならよかった。じゃあ、一緒にプレイしよう!』
打って変わって明るい声での七海からのお誘いに肯定の言葉を返し、ノートパソコンに入ったスケジュール帳を眺めながら聞く。
「それで、いつやる? 私はいつでもいいけど」
『うーん、今すぐできる? こっちは電源を入れたら始められるけど』
相変わらずの行動力に思わず感心してしまう。
そして、半年間開けていない物置と化したクローゼットの扉へ視線を向けた。
「ゲーム機を探してくるから、10分くらい待ってて」
***
「よし、見つけた見つけた」
処分に迷ってクローゼットに放り込んでおいた思い出の詰まった品々の山から、1台の装置が発掘される。若干埃が積もったその装置は、『ダイバー』と呼ばれる、フルダイブゲームをプレイするには欠かせないデバイスだ。
形状は直方体のゴーグルとヘッドフォンを組み合わせたような形をしている。この装置を頭に着けることで、プレイヤーは仮想空間に5感全てを投じ、ゲームに没頭することができるのである。
「埃が積もってるな……挿入口が故障してなきゃいいんだけど」
軽く息を吹いて埃を飛ばし、カセットと電源ケーブルの挿入口を覗き込む。外から見た感じ使えそうではあるが、実際に電源を入れてみないことには分からない。とりあえず本棚から適当なゲームカセットを取り出して挿入し、さらに電源ケーブルを取り付ける。ゴーグルとヘッドフォンがデザイン通りの位置に収まるように被ってからベッドに寝転び、側面にある電源ボタンを押した。
ウィン、という音と共に、視界が白く染まる。
『ようこそ、ロックハーツの世界へ』
一瞬だけ気が遠のき、それから耳元に無機質な女性の声が聞こえる。
両手を挙げて目の前で握り、開く。足の裏に感じる地面の感覚といい、現実世界とほとんど変わらない。
久しぶりの仮想空間に身を投じる感覚に懐かしさを覚えると同時に、きちんとソフトが正常に作動していることに安堵する。半年間放置していたせいで壊れたので一緒にゲームができません、では七海に合わせる顔が無い。
「ゲームプレイ」
『既に保存されているデータがあります。続きからプレイしますか? 新規データを作成しますか?』
アナウンスに合わせて目の前にウィンドウが表示される。データの保存領域は全部で3つあり、そのうちの1つは以前プレイした時のもの。つまり、あと2つのプレイデータを新規で作成できるようである。
「まあ、試運転だし。続きからでいいや」
ウィンドウを触ると、プラスチックの下敷きを押すような感覚が指先に返ってくる。タッチパネルの要領でウィンドウを操作し、以前プレイしたデータを選択する。
『既にクリア済みのデータですが、引き続きプレイしますか?』
アナウンスとウィンドウの両方による確認を画面連打でスルーすると、『……了解しました』。なんだか不満げに聞こえるが、気のせいである。アナウンス音声は入力された文字を読み上げているだけで、感情データの入ったAIが喋っているわけではないのだ。
目の前に扉が現れる。石の柱に挟まれる形で、長方形の木の板が2枚合わさったような観音開きの扉が、ゆっくりと開いていく。隙間から向こう側の光が溢れ、一陣の風が注ぎ込む。初プレイしたときの感動が胸の中に再来し、溜め息の形でそれを吐き出す。
扉が全開になる。向こう側には奇妙な形の岩が生え連なる砂漠が広がっていた。
「……よし」
大きく深呼吸してから、意を決して扉の先へと足を踏み出した――。
***
「ごめんなさい」
『本当だよ、全く』
2時間後、彩芽は机の上に置いたスマホに向かって土下座をしていた。スピーカーモードにしたスマホからは、七海の憤りの声が流れてくる
「ちょっと動作確認のつもりだったんだよ? 適当なゲーム起動して、正常にプレイできるかを確かめるための……でも、久しぶりのゲームでちょっとテンション上がっちゃって」
顔を上げて言い訳していると、『はぁ……』と今度は何かを諦めたようなため息が聞こえた。
『もう、分かったよ。こんなことに時間を使うのももったいないし、早く始めよ?』
お許しというよりお呆れを喰らってしまい喜ぶべきか悩む彩芽を無視して、七海はどんどん話を進めていく。
『半年前までやってたプレイデータはまだ残ってるの?』
「あー、いや。残ってるのは残ってるけど、最初からやりたいし、消そうと思ってる」
『はーい、了解。キャラクターメイクってどれくらい時間かかった?』
うーん、と少し首を捻ってしまう。彩芽はサービス初日からプレイしていたのだが、1番にゲームを攻略するためにかなり早く済ませている。大体15分くらいで終わらせているのだが、おそらくこの数字は参考にならないだろう。
「普通は30分くらいだと思う。じっくり作り込んだら1時間でも足りないくらい」
『そんなにかかるんだ!? VRゲームって奥が深いなぁ』
「まあこの手のオンラインゲームはプレイヤー同士の見た目が被らないようにキャラクターメイクの自由度を上げてあるからね」
その後もいくつかキャラクターメイクに関する質問を受けた後、それじゃあゲーム内で落ち合おう、と通話を切った。
「よし、それじゃあ始める――前に、準備しなきゃ」
フルダイブゲームをプレイする際には、ゲーム機とカセット以外にもいくつかの用意が必要だ。まず、ゲームプレイ中にリアルの体が催すとプレイを中断しなければいけないので、トイレに行っておくこと。そして、プレイ中のリアルの体は睡眠と同じ状態になるので、物が倒れたり寝返りの拍子に尖ったものを踏まないように周囲の整頓。その他、水分補給しやすいように手元にペットボトルを置いておくなどの事前準備を全て済ませた後、ダイバーを被ってベッドに横たわる。
電源ボタンを押した後、2時間前と同じように、ウィンという音と同時に視界が白く染まる。