不思議な青いドロップス
真っ白な世界の中、眩しい光が私の上をスゥーと駆け抜けていった。
いつの間に寝ていたんだろう。目を覚ました私はゆっくり身体を起こします。
辺りを見回してみる。そこは目覚める前と同じ、右も左も分からない真っ白な世界でした。
「ここはどこだろう?」
私以外、誰もいない世界。静かで、寂しくて、だんだんと息苦しくなってきました。
「誰かいないの?」
私はそう呟いて、駆け出しました。周りを見ても誰も見えないけれど、私はずっと走り続けました。
何かをしていなかったら、この真っ白な世界に、私も溶けてなくなってしまいそうだったから。
走って走って、いつしか疲れた私は、その場に座り込みます。
何も見つからず、心にぽっかりと穴が空いたような寂しさと、この真っ白な知らない世界が怖くて、私の目から涙が溢れました。
頬を伝って、溢れた涙が地面に落ちた瞬間、その涙は青色に澄んだ一つのドロップに変わってしまいました。
「なにこれ……」
不思議な出来事に目を丸くする私。目の前にある青く光るドロップは、舐めて欲しそうに私を見ているようでした。
私は恐る恐るそれを口に入れて、舌の周りで転がしました。
「おいしい」
転がすたびに、心が温かくなるような、ほのかに甘いドロップでした。
夢中になって転がしていると、いつのまにか口の中は空っぽになりました。ちょうどその時、私の頭の中に、とある言葉が浮かび上がったのです。
「しおん……」
しおん、しおん……。口馴染みのある言葉。
「私の名前」
そうだ。私の名前は、しおん。なんでそんな事も忘れていたのだろうと、私は少し変な気分になりました。
そして、それまで真っ白だった世界にも変化が。私の座り込んでいた地面から、一直線に青色に光る道が出来たのです。
私は導かれるように、その道を歩きました。そして、しばらく行くと、真っ白なウサギが二本足で立っていました。私の方をじっと見ていて、まるで私の来るのを待っていたかのようです。
「私を待っていてくれたの?」
尋ねても、うさぎさんは何も答えません。変わりに、うさぎは手のひらを私の方に差し出してきました。
その手には、青色のドロップが。
「貰っていいの?」
私が尋ねると、今度はコクリとうさぎは頷きました。
私はドロップを受け取って、口の中に放り込みました。
「やっぱりおいしい」
優しい甘さに、私は思わず頬を綻ばせます。
ドロップが口の中で溶けていくうちに、いつしか真っ白だった世界が、青空と太陽を取り戻し、周りは雪化粧をした街並みが広がっていました。
そこはどこか見覚えのある景色で、私はまた不思議な気分になりました。
私が呆然としていると、いつの間にかうさぎさんは私の隣から駆け出して、無人の住宅街へと走って行ってしまいました。
「待って!」
私は慌てて、うさぎさんの後を追いかけます。
うさぎは私の前を二本足でぴょんぴょんと跳ねて、まるでカンガルーのような動きで飛び跳ねています。
なんだか夢にしては街並みが幻想感に欠けていて、現実にしてはうさぎさんがヘンテコ過ぎて、なんだか面白く思えてきてしまいました。
さっきまでは、、一人で不安だったのに、うさぎさんのおかげで、いつのまにかそんな気持ちはなくなっていました。
うさぎさんが足を止めたところは、住宅街の外れにある小さな公園でした。
小さな滑り台やブランコの座るところには、こんもりと雪が積もっていて、今日はまだ誰にも遊ばれていないようです。
その公園の奥には、真っ白な木が一本立っていました。雪のせいではなくて、木の幹まで真っ白で、さっきまでの真っ白い世界の名残のようです。
でも、その木には青色のドロップが付いていました。
「ドロップだ!」
私は木を揺らして、ドロップを落とします。
木から落ちて、雪に埋まるドロップを掘り出して、私は口へと運びました。
雪のせいか、ひんやりして、そしてほのかに甘いドロップ。私はゆっくりと口の中で溶かします。
そして、口の中で溶けていくドロップと一緒に、何故だか目の前にある真っ白い木が段々と元の色を取り戻していきました。
茶色のどっしりとした幹に、伸びていく枝葉にはピンクに花開く桜が色付いていました。
「冬なのに、どうして咲いてるんだろう」
やっぱり、ここは夢の世界なのかなぁと私は首を傾けます。けれど、雪景色の中、咲いている桜は綺麗で思わず見惚れてしまいました。
桜に目を奪われていた私は、いつしか太陽が傾いていることにふと気がつきました。
「あれ、もうこんな時間!」
早く家に帰らないと! 私は慌てて児童公園を飛び出して、家の方へと駆け出しました。
一走りであっという間に、私は家につきました。
私の家の前には、真っ白なうさぎさんが帰りを待っていたように、ちょこんと佇んでいました。その隣には、真っ黒なうさぎさんも立っています。
「私を待っていてくれたの?」
うさぎさんは答えませんでしたが、変わりに家の扉の方を指さしました。
そうだよね。早く帰らないと心配させちゃうよね。
私は扉を開けて、中に入りました。
家の中はガランとしていて、誰もいないようでした。
おかしいな。いつもなら「おかえり」の言葉が聞こえてくるはずなのに。
「違う……。私が、おかしいんだ」
私はリビングのテーブルの上に、青いドロップが置いてあるのを見つけました。
ようやく、見つけた。私の探してた、最後の記憶。
私はゆっくりとドロップを手に取り、口に入れました。
その瞬間、私の視界がパァーと開けていきました。
気がつくと、私は見慣れたリビングの中で、何故だか車椅子の上に座っていました。目の前にはおかあさんとおとうさんが心配そうに私の顔をのぞいていたした。
「どうかしたの、おかあさん?」
私が尋ねると、おかあさんはもっと顔をクシャクシャにして私を抱きしめました。
「よかった! 本当に、良かった……!」
困惑する私に、おかあさんはそう繰り返して、私の身体を抱きしめ続けました。
ーーあの日から3ヶ月。
車椅子から解放された私は、おとうさんとおかあさんと共に、花見をするために児童公園の桜の木の下に来ました。
私が自由に動けるようになったら、皆んなで桜を見たいという約束を二人と約束していたからです。
この日に見た桜は、あの日に見た夢と同じように綺麗に咲いていました。
私がみた不思議な夢。どうやらその前日に、私は交通事故に遭っていたようです。
その日は数十年ぶりに大雪が降り、とても視界が悪かったらしく、家に帰ろうとしていた私のところに、方向を見失ってしまった車が歩道に乗り上げて、私に接触してしまったらしいのです。
幸いなことに、怪我は大した事はありませんでした。けれど、その代わりに私は記憶喪失になってしまって。
「しおん、急にぼーっとしてどうしたの?」
「ううん。なんでもない」
けれど、私はこうして記憶を取り戻すことができた。大好きな二人と、私の大好きなこの桜の木の下で、こうして過ごすことが出来て、私は幸せです。
「おかあさん、私。将来お医者さんになるね」
私がそう言うと、おかあさんは少し驚いた顔で「どうしたの、急に?」と苦笑い。
でも私は決めたんだ。きっとあの夢は記憶喪失になった私の中の世界だったんだと。
空っぽになって、真っ白になって、とっても怖い世界。
それを知っている私だから、記憶喪失の怖さを知っている私だから、できることがあると思うんだ。
「一緒に探してあげたいの。青色のドロップを」