第9話 相剋の竜姫
いやぁ、筆が遅くて申し訳ないです。本当に。
今回は会話多めでお送りします。
時はほんの少しだけ遡る。これはアイラとリッシュがお風呂で騒いでいた時分の事、ハイラード領の領主たるダルモアの話。
流石のダルモアも一日中馬車に揺られていては気も滅入る。だがこれから更に気が滅入る話を尋問せねばならないのだ。凛々しい顔をしつつもその内心は疲れ果てていた。
何故あの時間にあの場所を馬車が通過する事を盗賊達が知っていたのか、偶然にしては出来すぎではないだろうか。どこからか情報が漏れていた可能性は捨てきれない。
自分の知らない所で何者かが暗躍している、そんな得体の知れない恐怖感がダルモアの心をすり減らす。
「格好つけずにアイラに同行してもらうべきだったのかもしれないな」
ダルモアはプライドの高い男だ。出会って間も無い少女に、それも歳も自分の娘と大差の無い様な小娘に自分の領地の問題で泣き付くなどあってはならない事だった。
それでもポツリと泣き言の様に本音が漏れてしまったのは命の危険に晒された記憶があまりにも新しいからだろう。馬車の中という今の状況も事件当時を彷彿とさせた。
「ほっほ、だからこそ屋敷に置いて来たのでしょう?」
ダルモアの独り言に応えたのは執事のオーバンだった。二台ある馬車のうち一台はダルモアとオーバンが乗っており、兵が御者を兼任している。荒事になる事も想定し本来の御者を屋敷に置いて来たのはオーバンの提案だった。襲撃時の失態を省みるとそれも仕方の無い事の様に思う。
そんなオーバンと二人の空間である事がダルモアの気を更に緩めさせていた。心情を見透かされたダルモアはバツが悪そうに苦笑いを見せる。
「まあ…な。利用しているようで気は引けるのだが、アイラが屋敷に居てくれればリッシュの安全は保証されたようなものだからな」
「そうでしょうなぁ、アイラ様はお強いですからなぁ。それにあの食欲、食事で気を良くしていただければ敵にはなりますまい」
「まいったな…オーバンにはそこまで読まれていたのか。確かにそういう打算があった事は否定出来ない。うちの食事がアイラの口に合えば良いのだが」
「長い付き合いですからなぁ。しかし…今回の盗賊の件、もしかしたら屋敷に…」
「内通者…か?ふむ…考えなかった訳では無い。最近の治安の悪化に加えてタイミング良く現れた盗賊達。クライヌ家を良く思わない輩が居てもおかしくは無いし…屋敷に裏切り者は居ないなんて楽観視も出来ないだろう。それをこれから尋問に行く訳だが…正直に言うと気が重いな」
「ほっほ、旦那様は優しいですからのう。そういう甘さは命取りになりますぞ。実際…今現在も楽観視が過ぎるのでは無いでしょうかな?」
「む…何を……いや、オーバンの意見だ。聞こう」
執事というのは位の高い職種であり、時に主の間違いを正し導くだけの器量が求められる。主に従うだけでは執事は務まらない。ダルモアもオーバンの言う事には耳を傾けてきたし、一番信頼している人物だと言って良い。
「そうですなぁ、例えば…今こうしている間にも屋敷で裏切り者が暗躍していてリッシュ様を狙っている…とかはどうでしょう」
「なんだ…そんな事か。それこそ心配は要らん。アイラに勝てる者など思い付かんからな。リッシュもアイラに懐いている、離れる事もあるまい」
「そうですかな?いかに強くとも毒物への耐性はどうでしょうなぁ。例えば…食事の中に毒が入っていたら…食いしん坊なアイラ様は気付かず食べてしまうのでは?」
「アイラの強さを知っている者は少数だ。見た目にはただの少女だぞ?もしもそこまで警戒されているとしたらもう既にアイラの情報が敵に回っている事になる。俺は最短で最良の行動をしているはずだ。問題は無いさ」
「そう…ですか…ほっほっほ、いやはや残念ですな」
オーバンの言っている事はどこか不自然に感じた。屋敷を出る前にすべき警告を今更進言し、既に情報が筒抜けになっている事を前提に話している。
「いったいどうしたというのだオーバン。らしくない……ん!?くっ…かは!」
ダルモアは突然崩れ落ちるようにその場へと膝を着き、馬車の床が赤く染まっていく。床を赤く染めている液体はダルモアから流れ落ち、その源流となる腹部には銀色に煌めく刃物が深々と突き立てられていた。
領主が刺されたというのに馬車は依然として走り続ける。不思議な事に執事であるオーバンも、ダルモアの私兵達も誰一人として騒ぐ者が居なかった。
この異様な光景が不思議で無いとしたら考えられる事は一つしか無い。
「ほっほ、私が内通者だという可能性は鼻から念頭に無かったようですなぁ、ここに居る兵達も私が声を掛けて集めた事を忘れておいでのようで真に残念でございます」
「オーバン……何故…だ…何故…」
「何故…でございますか?何故…なのでしょうねぇ。そう…ですなぁ。リッシュ様と同じでございましょうか。古竜伝説に魅入られてしまったのです。ああ…白灼の竜姫なんていう御伽噺ではありませんぞ?彼の御方は相剋の竜姫様にございますれば」
ダルモアにはオーバンの言う事は何一つ理解出来なかった。理解出来たのは自分の死、そして娘にも危機が迫っているという絶望のみ。
「おや…旦那様、もう喋る気力も無いようですな。しかし安心して眠ってくださって良いですぞ?ちゃんと止血はいたしますゆえ。それにリッシュ様も殺しはしませぬ。毒はリッシュ様の嫌いな料理に混ぜておきましたゆえ口は付けぬはず。どうかご安心くだされ…ん?おやおや、もう気を失ってしまいましたか」
ダルモアがどこまで話を聴いていたかは分からない。絶望感に呑まれたままその意識は深く深く暗い場所へと落ちて行く。
…………… ………… ………
どれだけ気を失っていただろうか、ダルモアは目が覚めると同時に自分の腹部を確認する。包帯が巻かれた腹部は血で滲んではいても既に止血は済んでいるらしく、新たな血が広がる様子は無かった。それでも再び気を失いそうな程の痛みでダルモアは自分が生きている事を自覚した。
「どうやら…俺は生かされているようだな」
硬いベッドに寝かされたダルモアは体を起こそうとするが腹部の痛みがそれを許さない。拘束はされていないが拘束する意味も無いという事なのだろう。
改めて周りを見渡したダルモアは自分が窓も無いような殺風景な部屋に閉じ込められている事を理解してため息をついた。
部屋にあるのは外に繋がる扉だけ、内側に鍵が見えないという事は外から鍵を掛けられているはず。これでは体が動いたとしても外には出られない。
誰か部屋に入って来ない限りは何も出来ないと知りもう一度だけ深くため息を漏らした。これは完全に詰んでいる。
そんな時だ、扉が開く音がし、その隙間がゆっくりと広がっていく。その勿体ぶった動きにダルモアは嫌気が刺した。隙間から顔を覗かせた人物は知っている者だったのだ。
「グレイン・フィディック……」
ダルモアがグレインと呼んだのはやや小太りな中背の壮年男性。ハイラード領の商業を牛耳るフィディック商会の会長であり、ダルモアとは旧知の仲でもある。
「領主殿をお迎えするには少々殺風景な部屋で申し訳ない。ご訪問痛み入ります。ようこそフィディック商会へ」
拉致しておいて白々しい…そう怒りを覚えつつもダルモアは煮えた頭を冷やす事に集中していた。冷静さを欠けば事態が好転する事など有り得ない。
「ふぅー……ここは…フィディック商会か。あぁ…寝たままですまないな。何故か腹が痛くてな、出来れば商談なら後日にしてもらえないか?」
「それはそれは…いけませんね。何か悪い物でもお食べになられましたか?」
「ああ、大量の煮え湯をな…」
「ふふ…良い返しです。思っていたより元気そうで何より」
「ぬかせ…」
ダルモアに茶番を楽しむ余裕は無い、薄ら笑いを浮かべるグレインを睨み付けるもグレインは更に楽しげに笑みを浮かべるだけだった。
「いやいや申し訳ない。実は今朝の商談で伝え忘れていた事がありましてね。こうして御足労いただいた次第です」
「ふん…思えばお前の所から帰る道中で盗賊に襲われたんだったな。随分と荒々しい使いを送ってきてくれたものだ」
「職員の教育が行き届いていなかったようで重ね重ね申し訳ない。あんな簡単なお使いも出来ないようじゃうちの信頼に関わりますので既にクビにさせていただきました」
「クビ…ねぇ。口封じに殺したのか」
「ふふ…人聞きの悪い事を」
「聞く人は居ないようだがな。どうせ俺の口も封じるんだろう?」
「面白い方だ。もうちょっと怯えてくださるものと思っていたんですけどね?」
「怯えて事態が好転するならそうするさ」
「ふむ…これ以上の茶番は楽しめそうにないですね。では商談に移りましょうか」
「商談…か。どうせ一方的な要求だろ?言ってみろ」
「ふふ…こちらが求めるのはハイラード領の土地全て、事は荒立てず穏便に譲渡して頂きたい。代わりと言っては何ですが…リッシュ様の身柄をお返ししましょう」
「な!リッシュに何をした!」
冷静さを欠いて大声を出してしまったが為にダルモアの腹部に赤い血が滲み波紋の様に広がっていく。傷が開いた腹部を手で押さえながらもその目はグレインを睨み続け、今にも噛み付きそうな剣幕を見せていた。
「おお怖い怖い。んーそうですねぇ…貴方が気を失ってからおよそ半日が過ぎました。そろそろオーバンがリッシュ様を連れて来る頃でしょう」
という事は…まだリッシュは拉致されていない?リッシュの安否は不明だが屋敷にはアイラが居たはずだ、毒殺されていなければ…あるいは。今はアイラを信じる他無い。
ダルモアは少しだけ冷静さを取り戻し息を整える。
「オーバンは…何故お前に従っている」
「領主殿は古竜伝説…信じますか?クライヌ家がハイラード領を統治しているのも白灼の竜姫の伝説から来ている訳ですし、他人事では無いですよねぇ?そしてその当時、領地争いをしていた権力者の中に我がフィディック家が居たのもご存知ですか?」
「あんなものは…ただの御伽噺だろう」
「そう…思われますか。まぁ良いでしょう。では…オーバンもそれなりに由緒ある家柄の者だという事は…当然ご存知ですよね?で…あれば…当時の領地争いの時にも絡んでいる…と、考えるのも自然な事でしょう」
「何が言いたい……いや、待てよ…あの時オーバンも何か言っていたな。確か…相剋の竜姫…と」
「ふふ…オーバンめ、存外お喋りな奴ですね。そうです、御伽噺などでは無い、本物の古竜、相剋の竜姫様により領主が再選定されたのですよ。相剋の竜姫様はこの私を、そう!この、私を!選んでくださったのですよ!そして私に力をくださった!オーバンにはその力の一端を見せてあげたのです!」
息を荒らげて興奮するグレインは懐から透明なケースに入った一枚の白い鱗を取り出して勝ち誇った顔でダルモアに見せ付ける。その白い鱗は根元から錆色が浸食する異様な物だった…が、ダルモアは最近それと似た様な物を見た記憶があった。
「その鱗が…どうしたと言うんだ」
「ふふ…光栄に思っていただきたい。他人にこれを見せるのは始めてなのだから。これこそが相剋の竜姫様より戴いた統治者の証、古竜の鱗なのです。古竜の血は乾く事が無く、この鱗は相剋の竜姫様の血を吸っている。進化と退化がその身を喰らう事から付いた異名、それこそが相剋。この鱗にはその力が宿っているのですよ」
「仮に…その話を信じるとして、何故そんな物をお前が持っている?」
「出会いこそ偶然でしたが…相剋の竜姫様はたいそうお腹を空かしていましてねぇ。いや…まぁ、それは良いでしょう。とにかく…です。領地を豊かにして欲しいと頼まれ、この鱗を授かったのです。そしていずれ訪れるであろう相剋の竜姫様のご令嬢にお腹いっぱい食べさせてあげて欲しいと、この私に直々に任命してくださったのですよ。だから私はこのハイラード領を荒らす事無く豊かなまま手に入れなくてはならない。と…いう事です。ご理解はいただけましたかな?……ん?何を笑っておられるのです?」
この時ダルモアは全てを理解した。その理解はグレインの物よりも余程正確な物だ。グレインはミスを冒していた。その鱗は事前にオーバンに見せるべきだったのだ。
「そのご令嬢なら既にハイラード領に来ているぞ」
新たな謎の古竜、相剋の竜姫。いったい誰なんでしょうね。分かりかねますね。
さておき、最近筆が遅くてすみません。書いてはいるのですがなかなか時間が取れません。それでもエタらない事を約束しますのでどうか、なにとぞ。なにとぞ。
モンハ〇ライズもやっと上位に上がったところです。なかなか進まないカリピスト生活。