第5話 御者と馬
詠唱魔法初登場。
投稿が遅くて申し訳ないです。今回は道中の話で少し短めですね。
「旦那様、準備が整いましたぞ。出発いたしますかな?」
続いて馬車に入って来たのは黒いスーツを着た初老の男性だった。しかし馬車の中を見渡した後「おや?」と一言口にして笑いながら馬車から降りてしまう。
「ほっほ、私は御者の隣に乗るといたしましょう」
元々そんなに大きな馬車では無い。アイラが楽しげにパンを広げていたせいでスペースは更に狭いものとなってしまっていた。
初老の男性は外を通り前の座席へと移動する。そこには先程怯えるばかりで何も出来なかった青年が座っており馬の手綱を握っていた。
初老の男性はダルモアに仕える執事で、青年は馬を操る御者である。御者が何度も執事に頭を下げている事からこの初老の執事はそれなりの立ち位置なのだろう。元々執事というのは誉れ高い仕事であり、時には貴族が執事を務める事さえあるのだからそれも頷けるというものだ。
「すまんなオーバン。それじゃあ出発してくれるか」
執事の名前はオーバン、背筋の伸びた紳士な佇まいは御者の隣に座ってもなお気品に満ちており、木の板を張っただけの座席さえも高級な物に見えてくる。歳を重ねた人間の出せる渋みというものが感じられた。
一言「かしこまりました」と告げた後、馬車がカラカラと音を立てて動き始め、それと同時に馬車の後ろでは悲鳴も聴こえてくる。
「うわぁあ!…おい!もっとゆっくり走りやがれ!」
「町に着く前に死ぬだろうがクソが!」
当然の事だが盗賊用の席などありはしない。手を縛られ、体も縛られ、その縄は馬車に繋げられている。必死に走らないと馬車に引きずられてしまうだろう。
騒ぎ立てる盗賊達を制したのはダルモアだった。こういう輩に対して効果的なのは、より強い脅威で脅す事。
「さっきの少女…アイラが食事中だ。うるさく騒ぎ立てるのはお勧めしない。食事中の猛獣ほど怖いものは無いだろう?」
一瞬にして盗賊達の口が閉じる。荒くれ者というのは強さで優劣を測るものだ。盗賊達の目にはアイラは猛獣どころか化け物として映った事だろう。
化け物を怒らすくらいなら足が折れようとも走り続ける方が遥かにマシな心休まる穏やかな一時だと言える。
そしてその当の本人であるアイラはと言うと…もう既に盗賊達の事など眼中に無く、パンを食べ終えた次は馬車の揺れにご満悦だった。
「あはははは、馬車ってけっこう揺れるんだねー」
「ええ…そうですの。お尻が痛くて仕方ありませんわ」
小石を踏む度に小刻みに揺れる馬車の乗り心地は決して良い物では無い。最初こそ揺れを楽しんでいたアイラであったが次第に口数が減っていき、ついには黙ってしまう。
感覚の鋭いアイラには小刻みな振動はストレスとなり、不快感へと変わる。
「……降りる」
「え!?危ないですわ!」
制止を無視して馬車から飛び降りたアイラは馬車と並走する。元々馬車の速度なんてアイラにとっては小走りみたいな物だ。遅い上に乗り心地も悪いのであれば何のメリットも無い。「やっぱり人間ってよく分かんないな」なんて口に出しながら期待外れだった馬車をじっとりと眺めていた。
そんなアイラを見て驚いたのはリッシュだけでは無い、その様子を後ろで見ていた盗賊達に緊張が走る。皆一様に「自分達に関心を向けないでくれ!」と祈っていた。
しかしアイラの関心は元々そんな所には向いていない。アイラが関心を持っているのは初めから馬車の前、二頭の馬だ。
パンは確かに美味しかった…が、足りない。空腹は治まったが食欲はむしろ促進され、馬のお尻を眺めながら涎が垂れる。
強靭な体というのは燃費が悪い、アイラの体もまた常に栄養を欲して飢えている。
「う、うああ!領主様!馬が!馬が興奮してしまって手綱が効きやせん!」
もちろんアイラに食べる気は無いのだが馬からしてみればたまったものでは無いだろう。捕食者が後ろから走って来ている状態で落ち着けと言われても無理がある。
しかし御者もただの無能では無い、戦闘では不甲斐なくとも領主に仕える身だ。要人の御者ともなれば特殊な技能が求められる。特殊な技能…つまり魔法だ。
「こ…呼応せよ、四足の獣!大地を駆ける旧友よ!汝の脚を今一度我に委ねよ!」
詠唱魔法、それは人間が編み出した魔法。言語能力が発達したからこそ生まれた新たな時代の魔法である。言葉が持っている伝えるという力を己の魔力で強化する。
だがそれは決して対等な対話では無い、その為フラウはこれを精霊に対して使用する事を禁じた。精霊は自然現象の概念そのものであり、通常の生き物とは一線を画する存在だ。文字通り次元が違う存在に人間の都合を押し付けるという行為にはリスクが付きまとう。
だが他の生き物に対してならどうだろう。ペット等、人間に懐く動物は元々人間の言葉をある程度理解する。そこに魔力を追加する事でより強く指示が出せるのだ。
フラウが間違った魔法だと言った詠唱魔法も使い方一つでまた違った顔を見せる。
馬達の耳がピクピクと動き、御者の言葉を優先した事で手綱の存在を改めて認識し、少しずつだが歩を緩めていく。
余談だが詠唱魔法というのは相性があり、誰にでも動物を操れる訳では無い。
それに人間に対して好意的な生き物でないと効果が薄く、大抵は馬や犬に対しての魔法を修得する。
特に馬に適正を持つ御者は貴族や商人等から需要が高く高給な職業だったりする。
この御者も当然の事ながら普通の御者に比べて高給だ。だが…所詮は男爵家。ダルモアは下っ端貴族にしては金がある方ではあっても雇える御者のランクには限度がある。
「ねぇ!今の魔法だよね?凄いなぁ、そんな使い方知らなかったよ!」
いつの間にかアイラは御者と向かい合って座っていた。御者と向かい合って座れる席など一つしかない。馬の背中だ。
御者の使った魔法は馬の意識を少し自分に寄せるだけの些細なもの。馬にとっての脅威がより大きなものになってしまえばその限りでは無い。
「う、うわぁあ!馬が!馬が暴れる!頼むから馬から離れてくだせえ!」
次回はようやく屋敷です。進みが遅いですかね。
今回の物語はじっくり長めになる予定ですよー。
いやぁ、盗賊の足が心配になりますねぇ。