第31話 変化
「追い…ついたぁ!」
アイラがフックを入れる様に弧を描いて拳を突き立てると肋骨の折れる音が木霊し、ジボーゲンの獣はたまらずに慌ててアイラを振り落とそうとする。
「おっとと、もう降りるから…暴れないでよ…っとぉ!」
もう一撃打ち込むと再び肋骨の折れる音が鳴り響き、それと同時にアイラは地面へと着地した。ジボーゲンの獣は苦痛に顔を歪ませ、口を開けたまま必死に酸素を取り入れようとするが、その呼吸はか細く、流石に暴れる事も出来ずにアイラを睨みつけていた。
「お、お姉様!?助けていただいた感謝を述べたいところではあるのですが……その……その御御足はどうなされましたの!?そんな…お美しく………ああ…至高だと思っていたお姉様のお姿にまだ上があっただなんて……私の想像力はなんて貧弱なのでしょう」
アイラの履いていた革の具足は破れ、代わりに白銀の鱗に変わっていた。それはもちろん革鎧のパーツなどでは無い、アイラの脚から直接生えているものだ。
そして変化はそれだけでは無かった。関節が増えた様にすら感じる程に踵が高く、鍵爪の伸びたつま先で地面を掴むその脚は正に恐竜…いや、ここではドラゴンと呼ぶ方が適切だろう。
つま先から踵にかけて長く伸びてはいるが、姿勢のバランスを保つ為に膝を少し前に曲げている。その為か身長はさほど変わらなく見えた。
「うん、なんか……わかんない!」
どうしてそうなったのか、それはアイラにも分からない事ではあったのだが、今のアイラにとってはそんな事は心の底からどうでも良かった。足が速くなった、間に合った、それだけが大事であった。しかし…ふと落ち着いて見返してみると大好きなフラウ婆ちゃんを彷彿とさせる自分の脚に自然と笑みが溢れてしまう。
満足そうな笑みをたたえるアイラ。恍惚な表情を浮かべるリッシュ。痛みに耐えて睨んでくるジボーゲンの獣。ここに居る皆が三者三葉の思い思いの顔をしていたが、この場にはもう一人居る事を忘れてはならない。カルアがその時どんな顔をしていたのか、それは…無であった。狩人として幾度となく感じた大自然への畏敬と畏怖、それを上回る感情を今…一人の生き物に対して感じ取り、脳のキャパシティを超えてしまい表情が追い付いていない。
思えばカルアは最初からアイラに対して畏れを抱いていた。人の形をしているのに人間と認識できていなかった程だ。その答えがようやく今…目の前で形となったのだ。
「神…様?居るんだ……本当…に…」
今のアイラの姿は宗教的な神とは程遠い、むしろ悪魔と言った方がしっくりとくるに違いない。しかし元々大自然の脅威を神の様に敬ってきた狩人にとっては良い意味でも悪い意味でも紛れも無く神と呼ぶに相応しい程の畏れの体現であった。
「あらカルアさん、ようやく気付きまして?私は何度もそう説明いたしましたのに」
「あ…ああ。癪…だけど…リッシュが正しい」
そんな二人とは裏腹にアイラの顔はやや曇る。アイラが望むのは友達であって信者では無いのだ。
「私は……神様なんかじゃ………あ!」
その時、アイラは違和感に気付きハッとして自分の言葉を区切る。ジボーゲンの獣が…居ない。殺気を感じなくなった瞬間に姿が消え、周りを見渡しても姿は見えない。
ジボーゲンの獣は元々臆病で慎重で気配を殺すのが上手い。アイラでさえ策を講じなければ捕まえる事が出来なかった程なのだから逃げに転じれば状況は一変してしまう可能性すらある。
だが……実際はそうでは無かった。ジボーゲンの獣は…落ちたのだ。目の前の恐怖に負け、後ずさりして、足を踏み外した。重々しい音が木霊したことでその巨体が崖下に落ちた事を理解した。
「とどめ刺してくるから二人はここに居て」
アイラは断崖絶壁を真っ直ぐに駆け下りると、喉元を踏み付けて鉤爪を動脈に突き立てる。そして切り裂く様に引き抜くと崖下は大量の血で真っ赤に染まっていった。
落ちかけた夕日よりも…赤く染まっていた。
終わってしまえば呆気なく感じるだろうか。しかし実際には前回倒したオオノヅチよりもずっと苦労した相手である事はアイラが一番理解していた。賢く臆病な獣というのは狩る側からしたら最も厄介な相手だと言える。そして守るべき者の存在がその難易度を更に上げた戦いだった。
「お母さんは…どうして生き物に血を与えるのかな。どうして…創った財宝をほかっておくのかな。血を与えた自覚が…無いのかな」
アイラの竜の知識は古竜であるフラウ婆ちゃんから教えてもらったものだ。お母さんであるアマレットは人間のお爺ちゃんが育てていた。そしてアマレットは突然消えてしまった。
「竜の知識が…無いのかな」
正しい知識を持たぬまま家出をして、アイラを産んで帰って来て、アイラが育つまでどこかへと消え、また…帰って来た?そして今度は顔も見せずに旅立った。
「もー!お母さんは何がしたいのさー!」
ここでふと…疑問も浮かぶ。今まで気にした事も無かった当然の疑問。
「私のお父さんて……誰なんだろう」
アマレットの竜の遺伝子は不安定だった。なら何故…アイラは安定しているのか。いや、本当は…安定などしていないのではないだろうか。アイラの脚が変化したのは…進化と退化を促すアマレットの相克の力なのではないだろうか。
「んーーー!もう良い!考えない!考えるの苦手!」
どうせやる事は変わらない。アマレットに直接聞けば全て分かるのだ。アイラは考える事をやめてリッシュとカルアに会いに行くのであった。考える事が…どれだけ大切な事かも分からずに。
「お姉様ー!?どうなさいましたのー!?」
「んーん!何でもないよ!すぐ戻るね!」
アイラがアイラでいる為に。リッシュがリッシュでいる為に。二人が一緒にいる為に。考える事を放棄してはならない。変化は始まっているのだから。
あーーー、人外百合は大好物なのですよーーー。
本編ちょっと不穏ですけどね!
ジボーゲンの獣、これにて決着!
重苦しい展開が続いたりはしない予定ですので、気楽に読んでもらいたいです。