第30話 ジボーゲンの獣
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綺麗だった。…空も…大地も…海も、とても綺麗だった。
綺麗な空は、綺麗な海と同じで、大きく青かった。何故どちらも青いのだろう。空が海の青を映してるのか、海が空の青を映してるのか、考えても、考えても、答えは出なかった。
時間はゆっくりと流れているのだから空を仰ぎ見るくらいの時間はいくらでもあった。ぼーっと、答えの出ない思考で暇を潰す。海に囲まれたこの大地は変化を拒む様に静かに時を刻んでいた。
ある日、「変化」は船に乗って突然やって来た。
船から降りて来たのは二本の後ろ脚で真っ直ぐに立つのっぽな生き物、人間。手には筒状の棒を持っており、その筒から撃ち出される小さな弾が次々と仲間を殺していった。
殺された仲間は船に乗せられていく。食べる訳でも無く、数を数えた後、僕に指を差した。
怖かった。指を差され、向けられた殺意が、怖かった。
怖かった。鉄の筒から火花が飛び散るのが、怖かった。
怖かった。鉄の筒から大きな音が鳴るのが、怖かった。
怖かった。殺される理由が分からないのが、怖かった。
ただ、怖かった。
怯えて何も出来ない僕を見て、人間たちは馬鹿にするように笑っていた。
その後なぜか僕は殺されず、生きたまま運ばれていた。勇敢だった仲間たちの死体の隣で縛られて運ばれていた。臆病で弱い僕だけが、生きていた。
いずれ陸に着き、船から荷馬車に変わり、大地の上を運ばれていく。その途中で空を仰ぎ見た。
ああ…海が無いのに空が青い。青いのは…空だったのか。
その時、一際大きく馬車が揺れた後で景色が一変した。空を仰ぎ見ていた僕を覗き込む様に見下ろす…何か。人間の様な顔をした何かが僕を見ていた。その顔は痣で変色して痛々しいが神々しい程に美しくもある。その口が小さく開き、囁く様に言葉を紡ぐ。
「珍しい…模様の毛皮だね。人間は…珍しいモノを…欲しがるらしいの。私の娘は…とても…とても珍しいわ。困った…かもしれない…かも。もうちょっと…だけ…かんがえる」
僕に語りかけていたのかと思っていたがどうやら独り言の様だ。
この時既に荷馬車は止まっていた。乗っていた人間がどうなったのかは分からない。馬がどうなったのかも分からない。ただ僕と、その人間みたいな女の人しか、この場には居なかった。
その女の人は僕への興味を失うとフラフラとこの場を去って行く。その背後からフワフワと浮かぶ小さな生き物が女の人に付いていくのが見えた。虫の様な羽が生えた小さな人間の様だった。
そして…その女の人が去った後、荷馬車には一枚の鱗が落ちていた。その鱗は…血が滲む様に変色している。黒とも赤とも言えぬ、錆びた様な色をしていた。
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村長への興味を無くし、カルアを見つめるジボーゲンの獣。
カルアには分からなかった。ジボーゲンの獣の殺意は何故目の前の村長より自分に向けられているのか。しかし崖の上という優位性を持った今の状態ならむしろ好都合であるようにも思えた。
ジボーゲンの獣が崖に向かって走ってくる…その時までは。
「な!崖に怯んでいない!?……そんな」
ならばジボーゲンの獣は崖の上に届くと考えているに違いない。カルアは急いで次弾を装填する。その焦りに釣られてか、風の精霊達もいつもより大きな力をエアライフルへと注いだ。
注いで…しまった。カルアのエアライフルは元より壊れているのだ、ピストンのバネが折れているのは安物の銃が劣化した結果によるもの。ならば想定より遥かに強い力を注がれたならば粗悪なエアライフルがどうなるかは明らかだった。
大きな音とともに破裂した銃の破片がカルアの頬を掠めるようにして飛散し、その肌を大きく切り裂いた。それでも致命傷を避ける事が出来たのは風の精霊が破片の軌道を逸らしてくれたからだ。本来であれば顔の近くで構えていた銃が破裂なんてしようものならばその顔は見るも無惨な物になっていただろう。
「うぅ!……くぅぅぅ」
カルアは自分の頬から滴り落ちる血を見て傷が深い事を悟った。深い傷は縫う必要もあるだろう。しかしそんな時間は無いし、もしかしたら縫う意味も無いかもしれない。きっと…死ぬのだから。
ジボーゲンの獣は助走を付けて崖に跳びつくと、それだけで30メートルは跳躍していた。巨体でありながら動きはしなやかで、切り立った崖を勢いに任せて駆け上がる。
それでも崖の上まであと5メートルくらいという所で失速し、岩肌に爪を食い込ませて崖に張り付く事となった。ここで止まってくれたら……そう思うカルアの気持ちとは裏腹にジボーゲンの獣は少しずつ少しずつ…上へ上へと登っていく。
異変に気付いたリッシュが駆け寄るがカルアがそれを静止する。今リッシュが来た所で死体が増えるだけの結果しか生まないからだ。
「リッシュは来るな!……こいつの狙いは…あたしみたいだ。こいつは元々あたしの獲物だったんだから……リッシュを巻き込みたくは…ないんだよ……」
リッシュにも分かってはいた。自分が駆け付けたところで何も出来ないだろう。しかしリッシュはそれが嫌で嫌で仕方なかった。いざという時になると自分には出来ない事が多すぎる。アイラの旅に付いていくのだからこのままで良いはずが無い。…大きく息を吸い込み、そして…叫ぶ。
「呼応せよ地の精霊!世界を支える礎よ!彼の者の足を拒め!」
それは詠唱魔法であった。かつてグレインとの戦いで相手の足場を流砂に変えた魔法。崖の一部を砂に変えればジボーゲンの獣は崖下へと落ちると考えたのだ。
しかし…物事というのはいつも思い通りに運ぶとは限らない。前回魔法が発動したのはその場限りの奇跡だったのだ。ここ一番の見せ所とはいえ都合よくまた発動するなんてことは…無い。
「そんな……やはり…私では…ダメですの……」
リッシュの魔法は詠唱だけが虚しく木霊して何も起きる事は無かった。そして…ジボーゲンの獣は崖の頂きへと爪を引っ掛ける。
アイラの足を持ってしてもカルアとリッシュの居る崖の上に辿り着くのはもう少し後だ。それはほんの数秒の事、しかしその数秒はカルアとリッシュが殺されるのには十分な時間だと言える。
そしてこれは…その数秒前の事。アイラは…自分の弱さを嘆いていた。
「あっちは…あっちは…ダメ。ダメだよ!リッシュが居る!私の…財宝なんだから!」
必死に走るがアイラには分かっている。自分の足では僅かに時間が足りない事を。
「炎を呑んで白灼を……ううん、ダメ……すぐには溜まらない」
炎の熱を己のエネルギーに変える白灼の力、それには炎を溜める時間が必要になり、更には身体に熱を伝える時間も必要となる。瞬時にパワーアップ出来る便利な力という訳では無いのだ。
白灼の竜姫たるフラウ婆ちゃんから受け継いだ能力は…今の状況下では無力だった。
「リッシュが……死んじゃう!」
自分の足は何故これ以上速く走れないのか。何故地面を蹴る為の鍵爪が無いのか。足の腱がもっと…太く…長ければ…。アイラは…強く願った。速く走れる足が欲しい…と。
かくしてカルアとリッシュの目の前に絶望の時が訪れる。崖の頂きへと爪を掛けたジボーゲンの獣が顔を覗かせ、大きな牙を見せて低く唸ると…その獣は崖の上へと躍り出た。
リッシュを庇う様にして前に出たカルアが立ち塞がり相対する。しかしその顔からは血が流れ続けており、銃の爆発の影響で肩から腕にかけてまともに動かせない。
ここから助かる方法は…無い。手持ちの術では全てにおいて詰んでいる。
ならば…これはどういった手品なのだろうか。
ジボーゲンの獣の背中にしがみつく人影、それはまさしくアイラの姿に間違いない。しかし…夕日に照らされたアイラの足は銀色に鈍く輝いて見えた。
ジボーゲンの獣は密猟者によって連れて来られたという形になります。
その元となった生き物は…〇ライドン!
…ごめんなさい、フクロオオカミ説を採用しております。
次あたり決着かなと思います!