第29話 精霊魔法
作戦決行は即日夕方。今日のジボーゲンの獣の行動は明らかに今までよりも攻撃的であり、更にドラグーン隊の突撃により手負いとなっていれば凶暴性が増している事が予測される。
しかしそれは普段用心深いジボーゲンの獣を誘き出すのにも適していると言えた。
「悪いけど作戦の細部まで考える時間は無い。村長が誘き寄せて、あたしが高台から狙撃する。あたしが気を引いた反対方向からアイラが突撃する。村長を挟んであたしらが陣取る事になるね」
カルアが作戦の概要を伝えると村長の顔が青ざめていく。覚悟を決めたとはいえ改まって囮を言い渡されると恐怖が感情を支配していくのは致し方のない事だろう。
「俺は…どうしたら良い?正直殺されるイメージしか…沸かなくてな、情けない話…ビビっている。もうな…叫びながら走り去りたいくらいさ」
「情けないなんて、そんな事無い。あたしがその立場でも御免こうむりたいよ。それでも村を守る為に命を賭ける男を…誰が情けないなんて言えるんだ」
「……すまない、あんたみたいな女の子に気を使わせてちゃ世話ないな。……もう…やるしか無いな!で、俺はどうしたら良いんだ?」
「あたしが撃つまでは逃げない事。逃げるタイミングは…発砲音を合図にしたいところだけど…あたしのエアライフルは銃声が極めて小さい。着弾を合図に逃げてほしい。あたしの弾が当たれば…怯むはずだから。一発当たって隙が出来たら後はまぁ…撃ちまくるよ。足止めに撤する。それでもジボーゲンの獣は村長を追うかもしれない。あの兵隊達は銃を撃っていたにも関わらずそのまま殺されていたからね。村長はアイラの居る方に向かって走るんだ。あたしが守るから、信用してほしい」
「はぁ…、つまり俺は…その初撃を外せば死ぬし、当たっても怯まなきゃ死ぬ。それにカルアが足止め出来なくても死ぬ……そういうことだろ?」
「外さない。それにあたしの弾はマスケットより強力だ。でも…村長が囮をやめたいのなら……やめても誰も咎めない」
「いいや、俺が俺を咎めるさ。きっと…ずっと後悔することになる。……やるよ」
カルアは村長の決心に無言で頷き、ポジションの説明を始める。
村長は森の端のなるべく木々の少ない所で待機。射線を遮る物は極力減らす。
カルアはそれを目視出来る崖の上に陣取る。ジボーゲンの獣には遠距離攻撃は無く、空を飛ぶ翼も無い。高台はまず安全なポジションだろう。リッシュはカルアの更に後方、今回は役割は無い。出来ることが無いと言い換えても良く、リッシュ本人は悔しそうにしていた。
アイラはというと、開けた草原の彼方、人間の目では姿すら見えない。アイラの存在を気取られたらジボーゲンの獣は出てこないのだから用心に越した事は無い。
深緑の森が夕陽の茜色を浴びて哀愁が漂う中、件の獣の狩りの時間が訪れる。
アイラとカルアは既に所定の位置にて待機していた。最後に村長が森に足を踏み入れた事で作戦が開始されたが、その村長はというと…草木のざわめきや虫の鳴き声など、森が織り成す一挙手一投足に怯えてびくびくと周りを見渡しながら震えが治まらない様子だ。まるで森そのものが化け物にでもなったかのような威圧感が村長を襲っていた。
そんな村長の様子を崖上から見つめる浅黒い一人の少女。カルアもまた一抹の不安を抱えていた。ドラグーン隊は銃を撃っていたにも関わらずそのまま殺されていた。これは先程自分で言った発言だ。ならばジボーゲンの獣は村長では無く標的を自分に移したりはしないだろうか?
崖の高さは50メートル程だろうか、平地を含めると更に作戦地点からは遠ざかる。アイラは作戦が上手くはまった場合にのみ村長を助けにいけるギリギリの距離に待機している。つまりジボーゲンの獣が村長では無くカルアをターゲットとした場合……カルアを助ける事は出来ないのだ。
「いや……杞憂だな。この崖を登ってこれるはずが無い」
頑丈な巨岩で出来たその崖は正に断崖絶壁。村長を無視して岩を登るなんて事は考え辛いし、そもそも登れるなんて事が有り得ない。今回の作戦において最も安全なポジションだと考えているし、だからこそリッシュもここに居るのだ。
「ふっ…あたしとした事が…恐怖に呑まれていたようだ。……さぁ、風よ、応えてくれ。なぁに、やる事はいつもと変わらないさ」
カルアに寄り添うようにして吹いた風は全身を撫でるようにまとわりつき、カルアの持つエアライフルへと収束していく。バレルを折り曲げ、弾丸を装填して戻すと、それと同時にピストン内部へと風達が自ら流れ込み内圧を上げていく。
カルアは知らない。自分の銃はとうの昔に壊れている事を。ピストン内部のバネは折れており、弾を撃ち出すだけの内圧を生み出す事など、本来であれば到底不可能である。
カルアは今まで知らなかった。風の精霊が自分に力を貸してくれていた事を。本来バネの力だけでは成しえない程の空気の圧力を精霊が生み出し、バネが折れている事でむしろ銃身のブレが抑えられて精度が増していたのだ。
「今日の風は一段とご機嫌だね。ふふ…いいさ。やってやろうじゃないか」
息を潜め、獲物を見つけたカメレオンのように静かにゆっくりとエアライフルの引き金に指を掛ける。アイラでさえ撃たれる直前まで気付く事が出来なかったカルアの狙撃。それは相手がジボーゲンの獣であっても気付くのは容易では無い。
事実として、ジボーゲンの獣は気付いていなかった。村長はジボーゲンの獣が近付いて来る事に気付いておらず、ジボーゲンの獣はカルアの銃口が向いている事に気付いていない。
そう、カルアの銃口はジボーゲンの獣を捉えている。ジボーゲンの獣が…そこに居た。
戦いの狼煙は静かに上がっていく。燻る火種のような、ただただ緊張感だけを煽る静かな開戦。村長の背後から象の様に巨大な獣が現れ、ネズミの様な小さな気配で忍び寄る。
赤茶色の厚い毛皮に覆われ、大きな顎には大きな牙、太くしなやかな足には大きな爪、そして特徴的なのは背中に見える縞模様。背骨に沿う様に一本の太い線が有り、そこから左右に何本か細い線が伸びた独特な縞模様。狼に似ているが狼では無い、それは確かに謎の獣だった。
ジボーゲンの獣は村長に近付くと興奮を抑えきれずに低くグルルル…と唸り声を上げた。村長はその声に心臓が止まる程の衝撃を受け振り返る。
…カルアが撃つまで逃げるな?冗談じゃない。逃げるどころか瞬きすらできない。何をするべきなのか分からない。頭の中は「死んだ」「食べられる」この二つで埋め尽くされて他の思考が巡らない。だが結果としてそれは良い結果を産んだ。囮としては理想的な挙動であった。
カルアが引鉄を引く。風の精霊はその動作そのものを魔法の発動合図と認識していた。本来魔法とは詠唱する物では無い。詠唱による命令は必要無いのだ。
魔法とは、時間をかけて精霊と仲良くなる事こそが真髄である。魔法はあくまでも精霊の力であり、人間の力では無いのだ。ここを履き違えてはならない。
エアライフルのピストンに溜まった空気が弾丸を押し出し、弾けるように銃口へと疾走する。そうして撃ち出された弾丸は精霊の力により空気の抵抗を受けず、横風も弾丸を避けて通る。
静かなエアライフルでありながら火薬以上の威力が有り、ライフリングも無いのに弾がブレない。銃が開発段階のこの世界においてこの精度と威力を兼ね備えた銃というのはまだ存在しない。
その規格外の銃弾はジボーゲンの獣の頭部、こめかみの辺りを正確に捉えて射抜き、その巨体を大きく揺るがした。短い悲鳴のようなものを上げ、倒れそうになる体を支えようと地団駄を踏んで耐える。予定通り大きく怯んでくれたが、やはり予定通りこれでは終わらない。
それでもその怯んだ姿を見て村長もようやく正気を取り戻すと、役割りを思い出してがむしゃらに走り出した。後はアイラと交代するだけ、振り向かず、ただ走れば良い。後はカルアとアイラを信じる事。もうそれだけが村長の役目だった。
だった…はずだった。村長は走る事に必死で気付いていない。ジボーゲンの獣が…村長を追いかけていない事を。実の所村長の役目はもう…終わっている。逃げなきゃいけないのは…カルアの方だったのだ。
カルアを睨むジボーゲンの獣の眼光は…怒りよりも哀しみに満ちていた。怯えているようにも見えるその瞳は恐怖を乗り越えようとする健気さすら感じる。だが…カルラにはジボーゲンの獣が睨んでいるのは自分では無く、銃に向けられている様に感じてハッとした。
ジボーゲンの獣の攻撃性が増したのは「人間」に対してでは無い。「銃を持った人間」に対してだ。この獣は…初めから銃を知っている。
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── うばわれる ──
── またうばわれる ──
── かえしてくれ ──
── かえしてくれ ──
── 返してくれ ──
── 帰してくれ ──
ようやくジボーゲンの獣戦です。
ジボーゲンの獣の正体はとある動物がモチーフなのです。
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