第28話 命の賭け処
アイラとリッシュが村に戻った後、少しして下宿先である村長の家にてカルアと落ち合う。
「カルアさん。事情が変わりましたの。貴女の力が必要ですわ」
そう切り出したのはリッシュだ、それを受けカルアの顔が強ばる。一度覚えた恐怖は簡単には拭えない。その顔を見て「やっぱり無理ですわよね」と小さく溜め息を漏らし、意見を伺うようにアイラの顔を見つめる。
「私一人ならそのうち捕まえれると思うよ。でも私が森に潜伏しちゃうってことはさー、気配の殺し合いになるからねー、もしかしたら私が気付かないうちに先に村に攻めて来るかもだし。村にリッシュ置いとくと不安だなぁ」
「あうぅ……足でまといで申し訳ないですわぁ…」
「そんな事ないよ!リッシュのおかげで簡単な倒し方も分かったんだしね」
「ですが…それにはやはりカルアさんの力が必要ですの」
その会話を聞いてカルアが少し興味を示す。こんなにも苦労させられているジボーゲンの獣を簡単に狩る方法がある、しかも素人が思いついたというのだからプライドが刺激されたのだ。
「あいつを…簡単に…だって?」
「ええ、そうですわ。ジボーゲンの獣は人間に執着してますの。人間が相手なら我を忘れて暴走するみたいでしたの。ですのでカルアさんが単独で森に踏み込んで誘い込んで、一撃バーンって撃ち込んでくだされば後はお姉様が……」
「待て待て待て待て待て!囮になれってこと!?」
「違いますの。すぐに助けに行きますの」
「要は囮じゃないか!第一それ人間なら誰でも良いんじゃないの!?」
「お姉様と私ではダメでしたの」
「やっぱりアイラ人間じゃないんじゃん!…って、あんたも!?」
「まぁ、そこは今は置いておいて欲しいですの。誘い込んだ後一発バーンって足止めしていただけましたらお姉様が遠くの方から走ってきてジボーゲンの獣を捕まえますわ」
「足止め…出来なかったら?」
「お姉様の居る方向へ走って逃げてくださいまし」
「ダメだな、それだと次が無い、次からはそれも警戒されてしまう。狩りは更に困難になる」
「自信がありませんの?」
「馬鹿言え、狙撃ってのは相手の意識外から撃ち抜くもんだよ。向かってくる相手に対面で銃構えると獣だって身構える。それにな、あの兵隊どものせいで銃がどういった武器かも既にバレてる。対面で仕留めるには相手のリーチに入るまで引き付けてから…相手の攻撃よりも先に引き金を引く必要がある。しかも急所を、的確にな。足止めどころの話では無いんだよ」
「そう…でしたの。私の素人意見だったようですわね」
「悪いな…流石にあたしも命は惜しい」
「分かってますわ。私もカルアさんの命を脅かす事はあってはならないと思ってますの」
「あたしも猟師だ。自分の命くらい賭ける。だが…今回は分が悪すぎる…」
「……よし!分かりましたわ。あまりやりたくなかったのですけど、後は最終手段ですわね」
「なんだ、まだ策があったのか?」
「ええ、お姉様の作戦ですの。やはりお姉様はここまで見越していたのですわ。流石お姉様ですわ。…は!もしやあの時もここまで考えていて時間の短縮を狙っていたのでは!?あああああ…私とした事が…お姉様の意図が読めず余計な事をおおおお」
「ん?ん?んん?…嫌な予感しかしないんだけど、その作戦聞いて良い?」
「森ごと灰に変えますわ」
「出来るの!?いや待って!例え出来てもやらないでよ!?」
「お姉様なら出来ますわ。けれど私としても地の精霊様と仲良くなりたい身でもありますし、森を無くしてしまうのは倫理的にもちょっと…」
「この際出来るのは信じるよ!それにあんたに倫理観が少しでもあったみたいで良かったよ!森を消すのは無し!無しだから!」
「でも…そうしますと他に作戦が……」
「それはもう脅しじゃんか!分かったよ!手伝う!手伝えば良いんだろ?」
「本当ですの!?」
「ああ…でも作戦は立て直す必要があるからな。もう少し考えよう」
「ええ、分かりましたわ。では改めてカルアさんを雇わせてもらいますの」
「ん?雇う?」
「そうですわ。ジボーゲンの獣を倒した報酬に牛をもらうとしたらカルアさんへの報酬減りますわよね?割りに合わないでしょう?」
「正直……最初に提示された報酬でも割りに合わない事態になってきてるしな…」
「あら、最初はいくらでしたの?」
「成功報酬で小金貨五枚だよ」
そう言いながらカルアが手を開き指を五本立てて見せると、リッシュはその開いた手のひらに一枚の貨幣を押し付けて握らせた。
「ではそれで、前払いですわ」
カルアはやや困惑気味に握らされた貨幣を確認するが一瞬にして驚きの表情へと変わる。金色の大きな貨幣、大金貨。それは小金貨十枚分の価値がある。成功報酬でもらえるはずだった金額の倍だ。町でまともな職に就いている平民が一月で稼ぐ金額がだいたい小金貨一枚。大金貨なんてものは旅人の懐から簡単に出てくるような代物では無い。
「こんな大金ポンと出して良いのか。そもそも持ち歩いて良い金額じゃ無いよ」
本当はもっと大量に持ち歩いているのだがここは恩を売る方が良いだろう。
「お父様が持たせてくれたなけなしのお金ではありますが、カルアさんにはその価値があるのですわ。受け取ってくださいまし」
カルアは森で大半の生活を行う猟師だ。洞察力には自信が有り、リッシュの軽口にも気付いている。そしてリッシュもまた気付かれている事に気付いている。
うそぶくリッシュとそれを見て呆れ顔のカルア。二人は申し合わせた様に同時に笑い出す。
「ふっ、なるほどな。やっぱ貴族だなあんた。でも分からないな、それだけ金持ってるなら牛くらい普通に買えば良いだろ。なんならもっと良い牛だって買えるよ」
「ふふ、お姉様は今ここで、ここの牛を食べたいのですわ。そして報酬としてくれるというから貰うのですわ。ただそれだけでしてよ。お姉様はそれで納得しましたの。それが全てですわ」
「あんたもそれで納得しちゃえるんだな。そっか…良い関係だな。……分かった、あたしも納得する。そしてこの金貨で雇われてやるよ」
「商談成立ですわね」
リッシュとカルアは手を繋いで商談が上手くいった事を確認し合う。そんな中、奥の部屋から出てきたのは一人の男性、ここは村長の家なのだから当然村長だった。
「すまんな……聞き耳立てていた訳では無いんだが、何分壁の薄い家だ、だいたいの内容は聞こえていたよ。その商談、俺もかませてもらえんだろうか」
嘘である。事が事だ、聞き耳を立てざるを得ない状況なのは致し方が無い。王国の精鋭を全滅させた化け物をどうするのか、気にならない訳が無い。
「囮が必要なんだろう?俺が囮になろう、それで村が救われるなら喜んで引き受ける」
村長の申し出に一番驚いたのはカルアだ、村長は自分と一緒でジボーゲンの獣に怯えていた。自らを差し出すなんて想いもよらない事だった。
「確かに…それなら狙撃も出来るけど。良いの?狙撃が成功するかは村長が焦って逃げ出さないかどうかの話になるよ。正直…一番危ない役割だ」
「怖いに決まってるだろ。逆に言えば俺が死なないかどうかはカルアの狙撃が成功するかどうかの話になるんだからな。怖くてたまらないさ」
「その上で手負いのジボーゲンの獣から逃げ切る必要もあるんだよ?」
「おいおい、不安を上乗せしないでくれないか。決心が鈍るじゃあないか」
「そこまでして…どうして」
「それはもちろん村の為…というのもあるがもう一つ、いや…そのもう一つも村の為なんだが」
と言うと村長はリッシュの方へと視線を向ける。貴族相手に臆したのか、なかなか言葉が出てこない。かしこまった話し方も分からないのだから仕方ない事だろう。
「何ですの?そんなかしこまる必要なんて無いですわよ?」
「あ、ああ。すまない。その…どこの領地の貴族か教えてもらいたいのだが」
「私の名はリッシュ・クライヌ・オブ・ハイラード。ハイラード領を統治する男爵家、ダルモア・クライヌ・オブ・ハイラードの娘ですわ」
それを聞いた村長の顔が明るくなる。理由の一つはカルバディス王国の王都内の貴族では無い末端の男爵家であること。そして農業に明るい領地であることだ。
「おお、そこなら知っているぞ。広大な麦畑を有する豊かな領地で領主も傑物だと聞き及んでいる。ハイラード領の麦はとても品質が良いと噂だ」
「あら、お父様を褒めて頂けるのは嬉しいですわ。自慢のお父様ですもの。さて、貴方のお願いもだいたい分かっておりますわ。本題といきましょう」
「なるほど、お見通しという訳か。それなら素直に言わせてもらいたい。……今後、そちらで牛を買ってもらえないだろうか。うちの牛は品質は良いのだが…王都に安く買い叩かれていてな」
「いくらですの?」
「小金貨二枚、そのうち一枚は運搬の手数料で引かれる」
「まぁ、それでやっていけますの?」
「まぁ…な、自分たちで食べる為に牛を締める事もあるし、ここは緑豊かな土地だ、森に行けば食べれる物もたくさんある。幸いな事に食べる事に関しては恵まれているんだ。村の者たちもそんな生活を愛している。だが…やはりそれだけでは難しい事も多くてな、必要な物資は買わねばいかん。金は無いと困るんだ」
「事情は分かりましたわ。でも問題となるのは運搬費用ですわね。ハイラード領はカルバディス王国よりも遠いですわよ?それにこのガロル村の牛の品質も私には分かりませんわ」
「同じような品質の牛が小金貨三枚でやり取りされているのを見た事がある。それに運搬費用だって本当は小金貨一枚もかからないはず…なんだ」
「なるほど?でもそれだけではこちらに利益がありませんわね?うちの領地には羊がたくさん居ますし、牛だって少なからず居ますわ」
「それ…は…」
黙ってしまった村長を見てリッシュは少し罪悪感を覚えつつも勝機ととらえ切り返す。
「ではこちらからも商談がありますの。今後そちらで麦を買ってくださいませんこと?穀物を与えて育てた家畜は品質が上がりますわ。悪い話では無いでしょう?」
「そんな金は…無いんだが…」
「大丈夫、払うのはこちらですわ」
「…は?」
「運搬費用を差し引いても牛のが高いですわ。そちらが払うのは麦代と運搬の手数料、こちらが払うのは牛代。こちらは品質の良い牛を差額分安く買える事になりますわ」
「なるほど……牛は…いくらで買ってもらえるんだ?」
「それはうちの者と交渉してくださいませ。おそらく最初はそちらの取り分は以前とあまり変わらないかもしれませんわ。ですが品質次第で値段は再交渉していただけますわ」
「ふむ…現状を維持するよりもずっと良い提案だ。村の者のモチベーションも上がるだろうな。よし!それでお願いしたい!」
「では後で書状に纏めますわね。私の名前を出してお父様に見せてくださいまし」
「おお、ありがたい」
「いえいえ、ハイラード領は羊のが盛んなのですけど私本当は牛のが好きなのですわ。羊ってちょっと癖が強いといいますか…何よりあの内蔵を使った料理がどうしても好きになれず、これを機に牛が流行ればあの伝統料理も廃れるはずですわ……ふふふ。…んん、まぁ、冗談はさておき、うちは腕の良い商人を抱えてますの。安くて質の良い肉が安定して手に入るのなら利益に繋がりますわ」
「はははは、最初からその気だったって訳か、これはしてやられたな。だがこちらとしても嬉しい話だ。良い商談が出来たことを心より感謝するよ。で、だなぁ、もし…作戦が失敗して俺が死んだとしても…この商談は反故にはしないで欲しいんだが、良いだろうか?」
「あら、村の為に死ぬつもりでしたの?……分かりましたわ。リッシュ・クライヌ・オブ・ハイラードの名に誓いますわ。クライヌ家の統治が続く限りは約束致しますわ」
「重ね重ね…感謝する」
男爵家にそこまでの権限は無い。万が一にも上の貴族や王国からの圧力がかかれば苦しい契約となるだろう。それは村長も分かっているつもりだ。だがリッシュは誓ってくれた、村長はその言葉だけで安心し、死地に赴く覚悟を固める事が出来た。
村長良いやつなんすよ。名前無いけど。
さてさて、対ジボーゲンの獣も次あたりでバトル回に入れそうですね。
今回は前準備、ほぼ会話でしたね。