第11話 神の鱗
「して…アイラ様、母上様はお元気ですかな?」
オーバンは背中を向けたままアイラに問う、無手のまま両手を挙げて降伏を示していたが、そんな事に意味など無い事を悟り静かに手を降ろした。
殺意の有無など見抜かれているだろう、それにどんな武器を持っていても勝てはしない。それが分からない程オーバンは愚かでは無かった。
加えて言うのなら、敵意有りと見なされ殺されても構わないと、そう思っていた。考えが正しければアイラこそが相剋の竜姫のご息女なのだから。
「私のお母さん?んー、馬車でも言ったけど…よく分からないんだよねぇ。私の旅もお母さんを探すのが目的だしねー」
「そう…でしたか。馬車では御者の席におりましたゆえ良く聴こえず……ほっほ…歳は取りたくないものですな」
「そう?私のフラウ婆ちゃんはすっごく歳取ってるのにすっごく素敵なんだよ」
「フラウ?…ほ!?もしや……いや、そんな馬鹿な。アイラ様、お祖母様と母上様の名前を教えてはいただけませぬか」
「お婆ちゃんがリープフラウエン、お母さんがアマレットだよ」
それを聞いたオーバンの目が大きく見開き、つい振り返りそうになったが踏み止まった。敗北が決まった上にこれ以上リッシュの怒りを買いたくは無かったのだ。
「お、おお……それは…なんたることか。白灼の竜姫様と相剋の竜姫様が…まさか親子であらせられたとは」
「そうこく?何それ?私のお母さんについて何か知ってるの?」
「アイラ様が相剋の竜姫様のご息女であられるのならもう何も隠す事はありませぬ。私が裏切った理由もひっくり返ってしまいましたのでな。知っている事は全て話しましょう。そして全て話し終えた後……私を殺していただいても構いませぬ」
「えー…ちゃんと理由話すなら殺さないって私言ったよ?それにリッシュを殺すつもりも無いんでしょ?ならオーバンの命なんていらないよ」
アイラがオーバンを警戒していた理由はリッシュの身を案じていただけの事であり、確実にリッシュを守る為だけにオーバンを威嚇していたのだ。今となってはもうオーバンの事なんてどうでも良くなっていた。
「ほっほ……では……私の命はリッシュ様に委ねましょうかな…」
そうして語りだそうとするオーバンであったが、その言葉はリッシュの強い口調によって遮られる事となる。思えばそれは当然の主張だろう。
「ちょっと待ってくださいまし!…お腹も調子良くなったし…すぐトイレから出ますわ。話は違う場所でお願いしたいですの!」
やはり当然の主張だ。領地を揺るがす大事件を便座に跨ったまま聞かされるのは罰ゲームにしたって出来が悪い。
「ほっほっほ、では…話をするなら応接室がよろしいですかな、先に待っておりますので準備が出来たらいらしてくだされ。なあに…いまさら逃げはしませぬよ」
───── ─── ─
その後10分も待たずして応接室の扉が開かれ、オーバンは主を迎えるかの如く姿勢を正して二人に礼をした。
「早かったですな」
アイラからしたらオーバンと相対するのに準備など必要無く、リッシュはただトイレに入っていただけなのだから服装を正す以外の事は必要無かった。
早いのは至極当然なのだがオーバンとしてはやや複雑な想いを抱え苦笑いが漏れ出る。オーバンにはその辺の兵士や騎士よりも腕が立つという自負がある、それに罠を仕掛ける時間だってあった。だというのにアイラは躊躇なく無策に扉を開けたのだ。何をされても対処可能だと判断されている、これはそういう事に他ならないのだ。
「さて、何から話ましょうか…」
「一番聞きたいのはお父様の安否ですわ!」
「旦那様は重症で動けない状態ではありますが、命に別状はありませぬゆえそこだけは安心してくだされ」
「重症…」
「はい、私が刺しました。私が裏切り、私が傷を負わせ、こうして屋敷まで出向き、アイラ様を亡きものとし、リッシュ様を拐う算段でございました。後半に関しては失敗に終わりましたが、旦那様を傷付けたのは間違い無く私でございます。ですので…話が終わった後の私の処分は如何様にも、気の済むようになさってくだされ」
それを聞いたリッシュの手に力が入る。今にも殴りかかりそうな表情でオーバンを睨むが大きく息を吐いてグッと堪えた。殴って済む問題では無く、殴ったからといって気が晴れる事も無いだろう。それに…オーバンは家族と言っても過言では無いのだ、本当は殴ったりなんてしたくない。
「それ…で、どうして…裏切ったのかしら」
家族だと思っていたのに…と、リッシュの言葉にはそんな想いが込められていた。
「そう…ですなぁ。リッシュ様に古竜伝説を聞かせてたのは私だという事は覚えておいでですかな?」
「ええ、覚えてますわ。お父様は古竜伝説には否定的でしたもの、私が古竜伝説に魅入られたのも元はと言えばオーバンの影響でしたわ」
「ほっほ、私もね、好きだったのですよ。古竜伝説が」
「そういえば…さっき相剋の竜姫と言いましたわね。それ、何ですの?私の知らない古竜伝説かしら?」
「その通り…ですが、伝説では無いのですよ。それを説明するにはまず私の雇い主を明かしましょう。それは…フィディック商会の会長、グレイン・フィディック」
「…あの方…でしたの。という事は、お父様は今フィディック商会に居ますの?」
「はい、ですが…治療はしてありますし、殺す気もございませんので落ち着いて行動していただきたいのです。アイラ様であっても…で、ございます。その理由も…後ほど」
「それが古竜伝説に繋がりますのね」
「はい、グレイン殿は実際に相剋の竜姫様に会い、この地を任されたと…言っておりましてな。その証拠に一枚の鱗を託されたらしいのですが、それは神聖な物だからと…見せてはもらえず、私も信じてはいなかったのですがね。代わりにある物を見せていただいたのですよ。それを見た私は年甲斐も無く興奮したものです」
「それは…私達クライヌ家を裏切る程のものでしたの?」
「……領主よりも、神に仕えたくなってしまったのですよ。アイラ様にご執心なリッシュ様であれば少しは理解していただけるのでは無いでしょうか」
「そう…ですわね、お父様には申し訳ないのですが、お父様かアイラお姉様どっちかを選べと言われたら……はっ!いえ、いえいえ、それでも流石に裏切ったりまでは!」
「ほっほ…私は…裏切ってしまったのですよ」
「それ程の物を見てしまったのかしら?」
「はい。相剋の竜姫様がもたらす力はとても歪なものらしく、その鱗を欠片でも取り込めば進化と退化がその身を襲うのだそうです。殆どの場合は耐えきれず死んでしまうらしいのですが、私が見たのはその中でも成功した事例との事でしてな。グレイン殿は…古竜に魅入られ、自分で作ろうとしていたのです」
「まさか…新竜にお義母様の鱗を!?」
新竜というのは古竜とは別種であり、爬虫類や鳥類等が大型化しドラゴンと似通った姿に収斂進化した生き物である。色んな種が存在し、その強さもドラゴンを名乗るのに相応しいものとなっているのだが数は少なく、認知度はあれど目撃例は少ない。
「ほっほっほ、そうしたいのは山々でしたでしょうなぁ。ですが如何せん新竜はそう容易く捕まえられるものでは無いのが実状。仮に捕まえたとしても貴重な新竜をいちかばちかで殺してしまっては如何にフィディック商会であろうと破産してしまうというものです」
「では…何に鱗を?」
「イモリ、ヤモリ、トカゲの類いですな。まぁ、無難なところではないでしょうか。そして出来上がった物を見せられ愕然としましてな。それは今まで見たことの無い不思議な生き物だったのです。決して竜とは呼べない姿ではありましたが…私が古竜の存在を信じるに足るものであったのは間違いありません」
「結局…何を見たのかしら?」
「トカゲとも蛇とも言えぬ物でしたな。足は退化し、一見蛇の様に見えるのですが瞼が有り、蛇にしては短い上に胴が異様に太いのですが…尾は細く、やはり蛇の様にも見えるのですが…蛇行せずに跳ねるのです」
「何か…想像すると間抜けで可愛いですわね」
「ほっほっほ、ただ…その体長は5メートルを超え、人を丸呑みに出来る程巨大な口を有しておりましてな。グレイン殿はソレをオオノヅチと呼び、飼っております。フィディック商会に乗り込むのでしたら…けしかけられるやもしれませんな」
いやはや、更新遅くてもうしわけございませぬー。
見に来てくださる方々に感謝!
さてさて、グレインが作り出した怪物、いったいどんな姿なんでしょうね、分からないですね。