第10話 トイレ
遅くなりましたm(_ _)m
今回はアイラとリッシュの話しに戻ります。
「お父様…遅いですわね」
食事を終えてもダルモアは帰って来なかった。そんな切なげなリッシュの声は小さな個室の中での独り言。お独り様の独り言。
「リッシュもずいぶんと遅いね?」
「はひゃ!?」
突然聴こえてきたアイラの声に驚いたリッシュはその驚きのあまり体勢を崩しそうになりながらもキョロキョロと周りを見渡す。…が、小さな個室には自分しか居らず驚きは困惑へと変わっていった。そう、居るはずは無い。こんな場所にアイラが居るはずは無いのだ。
この部屋と繋がるのは鍵のかかったドアと換気の為の窓くらいしかない。ドアの鍵は閉まっているし流石のアイラでも鍵を破壊してまでは侵入しないだろう。
「居ない…ですわよね。流石にお姉様にこんな所見られたら死ねますわ」
もちろんこれも独り言、俯いて小さな吐息を漏らし軽く目を閉じた。こうしていると心が落ち着いていくのを感じる。
「いや、死なれるのは困るかな」
「ひゃあ!?お、おおお、お姉様!?なななな何でここに!?」
強制的に瞑想を終了させられたリッシュが顔を上げると、外からの爽やかな風とともにアイラが現れた。
「え?戻ってくるの遅いなぁ、どうしたのかなぁ?って気になって。そしたら窓開いてたからねー。外から様子見に来た」
「手段を聞いた訳じゃありませんのよー!ここ、ここはトイレですのー!」
「あー…ここトイレなのかー」
そう、リッシュが居たのは屋敷のトイレなのだ。食事を終えた後、お腹の痛みを覚えたリッシュがトイレに駆け込み今に至る。
「お姉様!後生ですから、何卒、何卒今だけは外で待ってていただけませんか!」
「人間て変わってるよね、縄張り主張するのに自分の匂いは消したがるもんね」
「う…うぅ…こんなはしたない姿を最愛のお姉様に見られてはもう…本当に恥ずかし過ぎて…恥ずか死んでしまいますわぁ……」
「え!?人間にはそんな死因があるの!?フラウ婆ちゃん教えてくれなかったよ!?ご、ごめんね、すぐ出ていく!」
窓から飛び出したアイラを見てリッシュはハッと驚いた…が、そんなものは今更だろう、実はここが二階だった…なんて事はアイラには些細な問題に過ぎなかった。
そして独りになり改めて冷静になったリッシュは二つの葛藤に頭を抱えた。それは恥ずかしい所を見られてしまった羞恥心と、敬愛するアイラに意見し部屋から追い出してしまった自責。帰って来ない父親への心配なんてどこかへ消し飛んでしまっていた。
トイレのドア越しにアイラの声が聴こえてきたのはそんな時だ。屋敷の外を回って再びドアの前までやってきたアイラは心配そうにリッシュに声をかける。
「大丈夫?死んでない?」
「お、お姉様!先程は申し訳ありません!大丈夫ですわ、リッシュはお姉様の許可無く死んだり致しません!」
「そっか、良かった。…で、まだそこから出てこないの?」
「…う、どうにもお腹が痛いんですの。多分ただの食べ過ぎだとは思うのですが、もうちょっとだけお待ちいただけると…」
「そっかぁ、私のせい…かなぁ…」
自分のせいでリッシュが苦しんでしまっていると思ったアイラはしょんぼりと項垂れる。自覚は無くともアイラにとってもリッシュは特別な存在だったのだ。
深い森で暮らし、会話相手はフラウ婆ちゃんしかおらず、遊び相手は大自然。そんなアイラにとってリッシュは初めて出会った友達と言える存在だった。
フラウもアイラには人間と共に暮らせるようにと教育してきたし、仲良くなった人間に対して仲間意識が芽生えても何も不思議な事は無いだろう。
「そ、そんな!お姉様は神様のお孫様なのですから間違った事なんてしてませんわ!お姉様の期待に答えられない私の胃袋が貧弱なのですわ!」
「んーん、前も言ったけど、フラウ婆ちゃんも私も神様なんかじゃないよ。そんな遠い存在なんかじゃない。フラウ婆ちゃんが言ってたんだけどね、人間は凄いんだって」
「人間が…凄い?」
「うん。欲の深さと小賢しさに関しては人間に勝てる者は居ないって言ってた」
「それは…どちらかと言えば悪口ではありませんの?」
「んーん、褒める時の顔してた。人間に負けてしまったよって、そう言って笑ってた。嬉しそうな顔だったから多分お爺ちゃんの事だと思う」
「お爺様は…人間でしたの?」
「うん。お爺ちゃんと出会った時にはもうフラウ婆ちゃんはあの森に住んでたらしいから、お爺ちゃんはもしかしたらこの街の人だったかもしれないよ」
「では…お姉様にはこのハイラード領の血が…」
「んー…分かんないけどねー。でもそう考えると…楽しいと思わない?」
「たの…しい?」
「そうだよー。特別な神様なんかじゃなくて、近くに住んでただけの人だって考えたらさ、友達になれそうじゃない?」
「そ!そんな!お姉様と友達だなんて!対等な立場に立つなんて恐れ多いですわ!」
「え……そう…なの?嫌…なのかな。そっか、うん、ごめん。友達になれるかもって、勘違い…しちゃってたよ。そっかぁ。ごめん、ごめんね」
「え?え?おねえ…さま?」
それ以降は口を閉ざしてしまったアイラに対し、リッシュは何も言えなかった。ドア越しではアイラがどんな顔をしていたのか…リッシュには分からなかったのだ。
それからどれだけ時が経ったのだろうか、おそらくはほんの数分だろう。それでもリッシュにはとても長い時間のように感じてしまっていた。
アイラはまだドアの向こう側に居るだろうか、顔を見た時に何と言えば良いのだろうか。アイラは自分に何を求めていたのだろうか。
言葉は出てこないけど、それでもアイラに会いたかった。なのに…なのにどうして………こうもお腹が痛いのか。シリアスな場面だと理解しているのにお腹を押さえてトイレにこもる情けない自分の姿は今後一切忘れる事は無いだろう。そして、次にドアの向こうから聴こえて来た信じ難い会話も…リッシュの記憶から消えたりはしないだろう。
「おやおや、アイラ様?そんな所でいかがなされましたかな?ほっほっほ、元気が無いようですが、何か悪い物でも…食べましたかなぁ?」
アイラの様子を窺いにやって来たのは初老の執事、領主であるダルモアと共に屋敷を出たオーバンだった。しかしおかしい、オーバンが帰って来たのならダルモアも帰って来ているはずだ。だと言うのに屋敷は主の帰還に湧く事も無く静まりかえっていた。
「白々しいよ?知り合いだから殺さないでおいてあげるけど、何をしたいのか、何をするつもりだったのか、ちゃんと話してくれないと…ちょっと怒るかも」
「……いつから…気付いておいでで?」
「さっきちょっと外出た時にオーバンの匂いがした。それなのに侵入してきた気配は一つだけ、しかも獲物を追い詰める獣のような気配だった」
「これはこれは…驚きましたなぁ。気配を絶つのは得意であると自負しておりましたゆえ、なかなかに悔しいものですな」
「うん、上手だと思う。でも、上手過ぎた。ここに住んでるはずの人の匂いなのに気配を殺して入ってくるんだもん。どう考えても怪しいよ」
「ほっほ、なるほど。ご教授感謝いたします。私もまだまだ未熟なようです」
そう言うとオーバンは距離を測るように慎重に一歩前に進む、アイラがドアの前から動かない事を確認し、更にもう一歩。
「止まれ、近付いたら殺す」
「おやおや、何か動けない理由でもお有りですかな?例えば…毒で身体が思うように動かない…とか」
「毒?」
アイラに元気が無いのは全く別の理由であり、動かないのはドアの向こうに居るリッシュを守る為なのだがオーバンは勝機と見なしまた一歩前へと進む。
「ほっほっほ、それには気付いておられませんでしたか。屋敷を出る前に仕込み中の羊の内臓に一服盛らせていただきました。空を飛ぶ飛竜さえ堕とす猛毒です。流石のアイラ様もただでは済みますまい。むしろ何故生きているのか……いやはや恐ろしい」
「あー…あの内臓料理?ん?ってことは…もしかしてオーバンのせいでリッシュお腹痛くなっちゃったのかな」
それを聞いたオーバンの顔が青ざめていく。あの料理はリッシュが頑なに食べようとしなかった物のはず、父親であるダルモアが何度言っても口にしなかった。それが何故今回に限って食べる気になったというのか。オーバンにとってリッシュとダルモアは今まで共に過ごしてきた家族のようなものであり、命までは奪いたくなかったのだ。
「なん…ですと。まさか…そんな。リッシュ様も食べてしまわれたというのですか。私が…リッシュ様を…殺してしまったと…」
「え?リッシュ死んだの!?」
慌てたアイラがドアノブを引きちぎり、トイレのドアが豪快に開かれる。壊れたドアが壁に当たり大きな音が響いた……が。
「きゃあああああ!!し…閉めてくださいましぃい!」
それよりも大きな声でリッシュが叫ぶ。うら若き乙女が便器に座している所を強引にあばかれたのだから叫びたくもなるというものだ。しかも今度は男性まで居るのだから尚のことだろう。そして無常にも壊されたドアが閉まる事は無い。
「あ、良かったー。生きてるじゃんかー」
「生きてますわ!さっきまでお喋りしてたじゃありませんのー!」
「えー、でも途中から喋らなくなったしー」
「シリアスでしたでしょ!?さっきまでシリアスな会話してましたでしょ!?私にとっては家族も同然だった執事に裏切られて泣いてしまうようなシーンだったのですわ!言葉も出ないとはまさにこの事!みたいなシーンでしたの!今は違う意味で涙が出そうでしてよ!?」
シリアスさんがお帰りになられた後、オーバンは状況を飲み込めず呆然と立ち尽くしてしまっていた。リッシュが生きている事は素直に嬉しく思う、しかし何故死んでいないのか。常識外れの強さを持つアイラが生きてるのはまだ良しとしよう。しかしリッシュは常識の枠の中に居る普通の人間だ。お腹を壊すだけで済むはずが無いのだ。
「リッシュ…お嬢様、おお…なんという奇跡でございましょう。舐める程度で留まってくれていたと…そういう事ですな。本当に…嬉しゅうございます」
「ちょっとオーバン!まじまじと見つめないでくださいまし!というか、食べましたわ!皿に盛られた分は残さずいただきましたわ!」
「な!?では何故生きておられるのです…」
「どうでもよろしいでしょう!?良いから回れ右!ですわ!」
後ろを向け、と言われてもアイラから目を逸らす訳にもいかずオーバンはただただ立ち尽くす。もうそこに殺意は無いのだが敵に背を向ける事も出来ず困り果てていた。
そしてオーバンから殺気が消えた事でアイラはリッシュの方へと近付いていく。もうリッシュは色々と諦めており、半ば放心状態となっていた。
「リッシュから私の匂いがする」
「うう…追い討ちは……って、はい?私からアイラお姉様の?」
「うん。ほんの少しだけどね。リッシュ、もしかして…私の血…飲んでた?」
「う……ごめんなさいまし。ちょっとだけ…私の手に付いたのを、ペロっと」
「そっか…私の血が馴染んだんだね。段々匂いが増してる。毒に抵抗してるのかな。もう…リッシュは本当に困った人間だよぉ。でも、そのおかげで今生きてるのか」
「どういう…事ですの?」
「大昔の竜達はね、火と毒の争いだったらしいよ」
言いながらもアイラはリッシュへと更に距離を詰める。その距離は既に吐息が掛かる程に顔を寄せていた。
「お、おおおおお姉様!?」
「口、開けてて」
「ふぇ!?な…はふぁ!?」
困惑するリッシュの口をアイラは自らの口で塞ぐ。それは傍から見ればキスに他ならず、突然唇を奪われたリッシュでさえそう思っていた。
しかしアイラの思惑は全く異なる物だ、赤面し硬直したリッシュの口内に熱が広がる。それは体内を焼く炎、アイラの炎の吐息がリッシュの体へと侵入していく。
アイラはリッシュが逃げぬように頭を抑えるが、当のリッシュは驚く程に無抵抗だった。例え体を内から焼かれようとも唇を離す事の方に抵抗を感じてしまっていたのだ。
少ししてその唇が離れていくのを感じ、リッシュは名残惜しそうに小さく手を伸ばす。
「ん、終わったよ。リッシュは我慢強いね」
「ふぇ………」
「毒を内側から焼いたんだよ。今のリッシュならあれくらいの熱は大丈夫だと思うんだけど、どうだった?」
「正直たまりませんでしたわ。もう…もう…凄く…ドキドキしましたの」
「ん?そんなに怖かった?」
「怖い?ええ、ええ!そうですわ!今の私は感情を抑えるのでいっぱいいっぱいで…」
「安心して良いよ、私の血が馴染んだリッシュはもう私のモノだから。焼き方も自由自在なの。実はフラウ婆ちゃんのとっておきの技の応用でね、さっきのはね、リッシュの体から焼く部分を選んで…って聞いてる?」
「お、お、お姉様の、物。私が…お姉様の…うふ、うふふふふ」
「おーい、もしもーし、リッシュー?」
「はぁ~ん、もうたまりませんわ!ドキドキしっぱなしで頭が沸騰寸前ですの!もう、もう、もう感情抑えるの無理ですわー!お姉様ー!」
「え!?えええ!?何で抱き着いてきて…って、恥ずかしいんじゃなかったの?それはもう良いの!?」
「え!?………きゃあああああ!そうでしたわぁ!」
「オーバンも見てるよ?」
「オーバン!あなたどうしてまだそんな所に居ますの!?空気呼んでくださいまし!」
すっかり戦意を消失してしまっていたオーバンは眉をひそめて「それは私の台詞では無いでしょうかな?」なんて呟き、ため息を漏らしながらアイラとリッシュに対して背を向けた。それはアイラに対して白旗を挙げたのと同義であり、オーバンが事の全容に気付き始めてしまった事とも同義だった。
神話や伝承に残るドラゴンってほとんど火か毒ですよね。今回の私の作品でも古竜は火と毒を扱う種族となってます。
お互いに火に耐え、毒に耐え、耐性が上がっては更に火力を、更に猛毒を…みたいな脳筋進化ですw
ですがフラウ婆ちゃんの種族だけは火を扱いつつも少々変わった進化をしております。それはいずれ。
はい、ちゃんといずれ書きます!ちゃんと!