7話 色々あったんだ
(留守電を入れたとはいえ、本当にあれだけで誤魔化せるのかどうか…)
今、大亜は自分の家の前に立っている。
生きてきた中でも、家に帰るだけでここまで緊張するのは初めての経験であった。
(うう…でもこうやってドアの前に経ってるだけじゃ埒が明かない…もう覚悟を決めるしか!)
ドアノブに手をかける大亜。
しかし、大亜が回す前にドアノブは回され、扉が開かれてしまう。
「きゃっ…危ない!誰かいるの?インターホンを押して…って大亜?帰ってきたの!?」
「か、母さん!はは…た、ただいま…」
「ちょっとあんた!友達の家に泊まりますー、って留守電入ってるけど何時に着信があったか分からないわ、こっちから電話かけてもつながらないわ、学校にも行ってないわ…心配したんだからね!」
「うう、ごめんなさい…実は留守電の後からずっと体調悪くて、薬買ってきてもらったから飲んで寝かせてもらってたんだ。昼ぐらいにようやく体調も落ち着いたからとりあえず帰ってこようと…」
「友達って小太郎くん?あんた、あの子にどれだけ面倒見てもらったら気が済むんだか…小太郎くんの家、よっぽど電波が悪いのね。全然電話繋がらない…」
「あはは…実は最近電波悪いらしくて…」
「とにかく!次からはもっとはっきりとした連絡をしなさい!いいわね!本当にもう…体調はもう大丈夫なの?」
「大丈夫。買ってきてもらった薬がよく効いたんだ」
「大事を取って今日はもう家で寝ておきなさい。ゆっくり休んで、明日からちゃんと学校行きなさい!テストも近いんだから」
「うん、そうするね…ところで母さん、今からどこへ…」
「警察!あんたが行方不明になりましたって言いに行くところだった!」
「それは…ごめん、本当に心配かけて」
「あんたまで…突然消えられたら母さんやっていけないんだから…でも安心した。晩御飯、何がいい?」
「晩御飯…そうだなあ、カレーをお願いしようかな」
「なら材料買いに行ってくるね。…ちゃんと横になってなさいよ!」
「わ、わかってるよ!行ってらっしゃい…」
大亜の母親は早足で去っていった。
パワフルな大亜の母は、働きながら女手1つで大亜を育て上げた。
夫に先立たれたのである。
大亜の物心が付く前に、事故で亡くなったと聞いている。
大亜も父の記憶というものはほとんど無い。はっきりと残っている記憶は、うとうとする大亜に子守唄を歌う父の姿…ぐらいだ。
母を見送ると、大亜は家の中に入る。
こちらの世界で見れば1日も経っていないが、大亜にとっては実に数日ぶりの我が家になる。
(…帰ってこれたんだな)
自宅の空気というものはやはり温かいもの。
母と対面する緊張の糸も解けたのか、大亜の肩の力もすっかり抜けていた。
帰るべき場所に帰れるということは幸せだ。
靴を脱ぐと、大亜はある場所に向かう。家に帰るといつもやっている、習慣のようなものであった。
向かう先は、仏壇。父の魂が眠る場所。
線香を焚き、手を合わせる。
遺影の父親は、大亜に優しく微笑んでいる。
「父さん、ただいま。…色々あったんだ。本当に」
大亜は父に話しかける。父には、真実を伝えておきたかった。
「僕は…人間の僕は、もういないんだ。今いる僕は…妖怪なんだ。信じられる?でも、僕は僕だ。母さんを悲しませたりなんかさせやしない」
溜まっていた感情が次々と出てくる。
親友の前でも、母の前でも表に出せない感情が。
「妖怪になったからこそ知れることもある…狐白さんにはそう言った。でも…本当は怖いんだ。妖怪として生きていけるのか?これからどんな将来を歩めばいいのか?もし人間に戻れるというなら…戻りたいと言いそうだ。僕は…僕は…!」
大亜は、ずっと我慢していた。
怖い、辛い。でも、親友の前でそんな姿は見せられない。母にも真実を伝えることはできない。
しかし、ここは自分の家。そして、今はどんなことでも聞いてくれる父と自分しかいない。
大亜は涙を流した。ずっと我慢していた分を全て。
1匹の妖狐の泣き声は、天井を突き破りそうなほどだった。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「ただいまー、あれ…大亜ー?寝てるの?」
大亜の母・真凛が、買い物袋をぶら下げて帰宅した。
和室から、線香の香りがする。大亜がいつもの如く、仏壇に手を合わせたのだろう。
「だ、大亜!なんでこんなところで…!」
仏壇の前には、座布団を枕にして眠る大亜の姿があった。
「病み上がりなのに、こんな所で寝たらまたぶり返しちゃうじゃない…」
しかし、大亜の寝顔はとても安らかだ。無理やり起こすのは申し訳なさを感じるほど、気持ちよさそうに寝息を立てていた。
真凜は大亜の毛布を運び、そっと掛けてやる。
(何かあったのかな…?あの人に話を聞いてもらってたりして)
帰宅後に仏壇に手を合わせるのは大亜の習慣だが、真凜は彼が稀に仏壇へ話しかけている姿を見ていた。それは自慢であったり、悩みであったり…大亜はあまり覚えていないであろう父だが、なんでも話を聞いてくれる父は心強い存在だったのかもしれない。
(しかし寝顔なんかはもうそっくり。それに、さっきの立ち姿も、雰囲気も…)
面影を感じた。生前の彼。元気だった彼。愛していた彼の。
真凜は仏壇に置かれた、夫の写真を見る。
(透也、見てる?…大亜、あなたに凄い似てきた)
息子が帰ってきて本当に良かった。
大亜の安らかな寝顔を見て、心の底からそう思った真凜だった。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「…!まずい、こんなところで寝ていたら、母さんに…あれ?」
目を覚ました大亜だったが、毛布がかけられていた。
大亜が自分で出した覚えはない。ということは…
「母さん!帰ってたの?」
「あら、おはよう。よく寝てたから起こすのも悪いなって思っちゃって。ご飯できてるよ。食べれる?」
「食べれるよ、よく寝たらお腹空いちゃった」
正しくはたくさん泣いたからだろうけど───
母にあの姿を見られていないだろうか。いや、母が帰ってきた時には既に眠っていた…はずだ。
流石にあれだけ泣いている姿を見られると恥ずかしい。
「母さん帰った時には寝ちゃってたんだよね?」
「ええ、本当はベッドで寝てて欲しかったけど…」
「あはは…ごめんなさい。自分が思ってたより疲れてたのかも」
どうやら泣いているところは見られていないらしい。
ほっとする大亜だった。
「まあいいけど。明日からは学校行けるの?」
「うん、大丈夫!」
「そう、良かった」
カレーをよそう母の表情は何故か優しげ。
あんな場所で寝ていたから怒られる可能性もあると思っていた大亜だったが、予想に反しており少し驚いていた。
「ねえ、大亜。なんかあんたの寝顔見たら、父さんを思い出しちゃった」
「父さんを?」
「凄く似てきたなって。寝顔とかはもう瓜二つだった」
「寝顔かぁ…変な顔じゃなければいいけど」
「ふふ、変な顔じゃないから安心なさい。それに雰囲気も…雰囲気も…あれ?」
「どうしたの、母さん?」
「え?いや!雰囲気も似てきたなって!そうそう!」
「雰囲気もかぁ、やっぱり家族は似てくるものなのかな。あ、カレー頂きます!」
うーん、おいしい!とカレーを頬張る大亜を見る真凜の目は驚いたものだったが、大亜はそれには気づかなかった。