第八幕-7
デルンの東にある広場には、昼頃から急に人だかりが出来始めたのだった。その集団は年齢から種族まで様々な屈強な男達で構成されていたが、彼等こ格好はデルンの街中では異様に浮いていたのだった。
「なぁ、お前ら。こんな格好で1人でも目立つのに、集まるのは不味いんじゃないのか?」
その男達の集団の一人は自分達の格好について呆れるように周りへ向けてぼやいた。彼等傭兵団は、雇い主である南方貴族のフリッチュ公爵から出来るだけ目立たず帝都に潜伏して暴動を起こせという指示を受けていた。
そんな帝国南方の傭兵達は、目立たないようにタイミングを何回かに分けて帝都へと入った。だが、指示通り帝都の住人について知っている範囲で目立たない格好をした彼等だったが、街に住む多くの住人は彼等の知識と異なった格好をしていたのだった。カイム達親衛隊の帝都復興によって市民の生活環境飛躍的に向上した結果、市民の殆どは貴族が着るような上等な品では無いが、ボタンで閉じるシャツにベルトなどの近代的な格好であった。
そのため、傭兵達が偽装のために着ていた上から被る様に着るシャツに紐で結ぶ半ズボンでは無駄に目立ってしょうがなかった。彼等は、帝都へと向かう難民や浮浪者に化けて侵入しようと計画したのだったが、街に実際着いてみると、道中や街中にさえ似たような格好の者達が不思議な程にいなかった。彼等の住む比較的裕福な南方地域でさえ、戦後では仕事に溢れた貧乏人や難民が石畳の道上で座り込んで居るのだから、更に戦災が酷いといわれていた帝都の状況は、彼等は知識と大いに違いその肝を潰したのだった。浮浪者も追い出される訳ではなく、帝都デルンの復興事業で老いも若きも駆り出されているのだがら、半月程前から彼等が工作活動の暴動に参加する帝都住人の協力者を求めても、出稼ぎ労働者の与太話と勘違いされ話さえ聞いてもらえなかった。偽装のための武器として持ってきた鎌や鍬、農耕具がさらに田舎の農民感を出させるために、彼等が数回話を持ち掛ける頃には、出稼ぎ農民が馬鹿な妄想を膨らましていると言われるようになって話しかけても無視されるようになっていた。せめて話を聞いてもらうため格好をまともにしようと服を仕入れに出ても、依頼の前金は移動途中の酒代に殆どが消えていた。何より帝都では新しい通貨が有るから南方の硬貨は使えず、新通貨であるガルツベルクへ両替しても、南方の硬貨は殆ど価値が無いに等しかった。
結局、南方傭兵達は暴動を起こし皇女の城へ攻め入る協力者を得られず依頼された作戦当日になってしまった。意気消沈してデルン東の広場に集まった彼等は、仕事にありつけなかった哀れな出稼ぎ集団と勘違いされ、街の住人達から同情の視線が集中していた。
「仕方ないだろ。団長がここで集合って言ったんだから」
「とは言えなぁ」
「確かに、この視線は何とかしたいよな」
傭兵達の一人が少しでも住人の哀れむ視線を避けようとしながら身をよじり、その一言に仲間の男達も軽口で答えた。その話の途中、一際髭を蓄えた屈強なミノタウロスの男が傭兵集団に近づいてきた。そのまるで岩のような姿を見た多くの男達は、彼に礼をしたり敬意の視線を送ったりしていた。そんなミノタウロスの男は、自分達に向けらる哀れみの視線に気付いたのか不快な表情を浮かべながら住人達を追い払うように手を振った。その男の行動や恐ろしい視線を受けた市民が目を反らす中、自分の行為に悲しくなったのか彼が肩を落とすと、集団の中から一人のゴブリンの男が彼に近づき、横に立って耳打ちした。
「団長殿、全員揃いました。ですが…協力者は得られなかったようです」
「やはりか…構わん!こちらは元々で700居るのだ。古強者がこれだけ居れば、妙な武器を使われても問題有るまい」
ゴブリンの報告に対して、団長と呼ばれたミノタウロスの男は少しだけ暗い表情を浮かべながら、外側へはねる様に伸びた自分の太い角を撫でると担いでいた鎌を高らかに持ち上げた。
「だらだら喋る気は無い!仕事の時間だ!続け!」
団長は手短に叫ぶと、傭兵団全員を先導するように走り出した。その男の気迫を前に、男達は怒気を上げながらひたすらに彼の後を追った。大声を上げる鎌や鍬を持った大人数の男達の集団が街道を駆け抜けて行くのだから、多くの住人や露店はその騒ぎを前に急いで脇道に逃げ、建物の窓や戸は勢い良く閉まっていった。
そんな自分達を散々馬鹿にして見つめていた住人達の怯えた姿に気分を良くしたのか、傭兵集団の声は一層大きくなり、走る勢いは速くなり掲げる鎌は高くなった。そんな彼等の勢い良い突撃は、東の広場から城までは少し曲がった大通りを一直線に進むだけの解りやすい道のりだった。
「我等は親衛隊です。ただいま総統閣下から厳戒態勢が発令されました。市民の皆様は…」
傭兵団の男達が怒声を上げて大通りを駆け抜ける中で、その大声に隠れるように少し低く冷たい声質の女の声が響いた。その声に彼等は大声を上げていたから気付かなかったが、その声は大声で警告を促すには余り向いてない声質だった。その声が響くのだから、その時点で彼等は城に居る敵に対して警戒する考えも持てたかもしれなかった。しかし、彼等はそれに気付かず、さらに大声で少し曲がった通りを進んだ。
建物ばかりの街道の先にようやく城の城門が見えると、傭兵団の前に立ち塞がるように警戒する衛兵の様な集団がいた。だが、積み上げられた土嚢によって正確な人数は解らなかったが、彼等の視界には門の前に居る者だけでも見えるだけで三十人はいた。城門上の見張り台にさえ30人と合わせても六十人しか居ない上に、その全員が頭と襟足しか隠せてない兜を被る鎧も着てない小僧の衛兵ばかりなのだがら、傭兵達の警戒心は完璧に消え去っていた。彼等は傭兵であり、先のヒト族との戦争に参加した者も数多くいた。それ故に遠距離からの攻撃の恐ろしさは理解していた。だが、その威力は前衛達との連携による所が多い事も彼等は理解していた。特に、魔族に出来る遠距離攻撃は魔法のような呪文を詠唱すれば撃てるという簡単なものではなく、弓矢や投石機など次の行動までに隙が出来るようなものばかりだった。その隙に付け入れば良いというのが彼等なりの遠距離攻撃対策であった。
「どうせ火球程度だ!前衛が盾となれ!距離を詰めろ!」
団長の雄叫びに、傭兵達の速度はさらに速くなった。だが、城門までの距離があっさりと近づくにつれて、団長の頭には不思議と嫌な感覚がよぎった。撃ってからは隙が生まれるのだから、遠距離のみの攻撃ならば出来るだけ矢継ぎ早に撃ってくるのが定石である。だが、目の前の灰色の衛兵達は全く攻撃を行ってこない。更に、彼等の雇い主のフリッチュが"敵は魔法の様な武器を使う"と言うのだから迂闊に接近戦をしようとは考えないということも、団長の疑念を掻き立てるのだった。
(何故だ…何故撃たない…撃てないのか?それとも…)
団長が嫌な考えを振り払おうとした時、目の前の集団から一人が立ち上がり指揮棒代わりの剣を天高く構えた。その姿に彼は冷や汗を一筋流し、自分の疑念や嫌な感覚が正しい事に気付いた。
「誘い込まれたのか!、全員、脇道へ…」
団長の推測が確信に変わり、彼は共に駆け抜ける部下達へ横道に逃げるよう叫ぼうとした。
「自由発砲!撃て!」
そんな団長の思惑より先に、立っている衛兵の男が号令を上げた。その瞬間、城門前に積み上げられた土嚢の山から白い煙と妙に乾いた破裂音が上がった。だが、その音や煙に驚くより先に、団長は突然体に走った猛烈な衝撃に勢いよく地面へ倒れた。自分がその衝撃と煙と音に怯えたから倒れたと理解すると、団長は両手を地面について後ろに続く部下達に声を掛けようとした。だが、彼は不思議と右腕に腕に力が入らない事実に気が付いた。確かに彼は遠距離攻撃を恐ろしいと感じることがあった。だが、それは勝算のない状態でのみで起こる突発的な発作であり、今はそうでないと理解している状態の筈だった。だからこそ、怯えて動かない右腕を不甲斐なく感じた彼は動く左腕だけで上体を起こそうとした。
「お前ら怯えるな!こんなのこけっ…」
そんな団長の檄の言葉は、突然に覆い被さる様に倒れてきた部下に遮られた。重力に従い力なく倒れてきた部下の襟首を掴み、団長はその男を立たせようとした。
「どんくさいな!何やって…」
部下を怒鳴り付けようとした団長は、その部下の男だった物に驚愕した。その部下には顔がなかった。正確にいえば、顔がある筈だった場所には、鼻と顔面右下に広がっている部分以外なく、左目眼窩から左頬などがまるで引きちぎられたように消失していた。残った顔面右側も、強力な衝撃が加わったのか右目が眼窩から外れて、繋がった神経によって右頬で揺れていた。砕けた額からは脳なのか肉なのか、骨なのかも解らない赤い物が飛び出し、部下の種族さえ判別出来なかった。
「うっ、うわっ、うわっ!」
目の前に広がった部下の頭部のミンチを突き飛ばし、団長は叫びそうになった。だが、突然右腕に広がる痛みが邪魔をして、彼は上手く叫べなかった。何があったのかと、彼は口から息を荒く吐きながら自分の右腕を見た。部下の無惨な頭とは違い、彼の右腕はあるべきところに一応あった。ただ、右腕はそこにあるだけでその機能を果たそうとしていなかった。それは、二の腕の薄皮と筋肉3cmのみで肩から肘へと繋がっているだけだからであり、彼の腕は最早地面に落ちているとさえ表現できた。その事実を理解したとたんに、彼の脳に右腕からの激痛が走り抜けた。
「ぐっ、ぐぁつあっ、あぁぁあ!」
自覚したことで発生した腕から走る余りの痛みに上手く息が出来ず、団長の喉には唸りのような息が流れた。激痛に震える脳は言葉で思考する事を止め、全身にのたうち回るように指示を出した。その指示を欠片のような理性で必死に抑えた。そんな彼に左足にも孔が空いている事実が目に飛び込んで来た。のたうち回るうちにうつ伏せから仰向けになっていた彼は、気付いてしまった足の痛みに叫んだ。ようやく叫べた彼は痛みに涙し鼻水を垂らし、叫ぶ口の端から涎が垂れた。だか、そんな事さえ気にならない程の激痛が彼を襲い始めると、最早腕や足だけでなく全身に痛みを感じ始めた。自分の全身に流れる激痛を奥歯を砕かん限りに噛みしめ、 彼は自分の傷を確かめようと上体を起こした。だが傷を見る前に見えた光景は、彼の痛みさえ忘れさせた。そこに見えたのは雄叫びを上げ戦場に突き進む男達ではなく、全身から血を吹き出させ倒れる部下達の姿だった。在る者は肩を左右に振り、その度に胸に孔を開け、骨さえ見える程に千切れた胸元から道に血を振り撒いていた。また在る者は、頭に無数の孔を空けると、力なく倒れた。突然の猛攻や途切れる事の無い射撃に、街道に居ると危険と判断した者は横道に逃げ込もうとしていた。だが、当然直線の街道を走っていた彼等が横道に逃げるのは予測されていた。道の端から流れる様に放たれる攻撃に、部下達は為す術なくその身を無惨な肉塊に変えていった。
「これは…悪夢か…」
横にも後ろにも、まして前にも進めずに、古強者が討ち倒れ街道へ山のように積み上げられた光景は、傭兵団の団長である彼にかつての戦場を思い出させた。必死に逃げる友人が手を伸ばして助けを乞う姿を目の前でもがき苦しむ部下で思い出すと、彼の視界は暗く染まった。力なく倒れる彼の頭は、下顎から上が消失していた。
「撃ち方止め!!撃ち方止め!止めろお前ら、もう弾の無駄だ!」
ハルトヴィヒの号令が響く頃には、街道に動く者は一人もいなかった。




