第七幕-4
ある日の夕暮れの事である。一人の女が街道の十字路に佇んでいた。街道には女の他に行き交う首都の住人や労働者で溢れていた。彼女はいたって普通の赤に白のディアンドル姿だった。だが、そんな十字路に立ち尽くしていたのは彼女は一人だったため、行き交う人々の中では少しだけ周りより浮いていた。彼女は正面にある建物の旗や警備の人員を見ては決心を揺らがせながら通りを行ったり来たりしていた。
そんなことを数分も続けていると、彼女の見た目が美人な事もあり、ゆっくりと周囲の視線を集め始めた。その事に気付いた彼女は数回周りを慌ただしく見回すと、ようやく意を決して建物へと歩き出した。だが、正面の階段を登りきった所で警備担当者の悪魔の男に止められた。
「お嬢さん、すみません。ここから先は関係者以外は立ち入り禁止です」
白髪がまじるシワの入った初老の警備担当の穏やかな言葉にあった"お嬢さん"というフレーズに、彼女は俯き褐色の肌を赤らめた。
「総統閣下に会いたいのですが…彼の都合はよろしいでしょうか?」
「総統閣下に…ですか?」
彼女の唐突な言葉は、警備担当を呆気に取らせて溜息をつかせた。親衛隊本部が稼働し始めると、職を得た者達が"礼を言いたい"と多くの人が詰め寄せた事があった。しかしながら、親衛隊はカイムの暗殺未遂で警備は厳重になると、関係者以外の立ち入りは過剰な程になっていた。
そのため、警備担当の男は実施していた警備命令に従いその褐色の女性をカイム信奉者の一人と考えて追い返そうとした。だが、彼は目の前の女が纏う不思議な雰囲気が一般市民と全く違う事に気付いた。何より、彼女の瞳が彼に、"目の前の女性がカイムにとって重要な存在"に不思議と思えたのだった。
そんな男の対応に手間取る姿に怪訝な表情を浮かべた彼の同僚が歩み寄ってきたが、男は心配無いと言った具合に手を上げた。そのまま彼は近くの建物内部へと通じる電話の受話器を取ると、暗証番号を入力して中央ホールの受付へ連絡したのだった。
[中央ホール受付です]
「急いで閣下に連絡を願いたい。執務室に繋いで欲しい」
[政府関係者ですか?それとも…]
「説明はできませんが、政府要人ですお願いします」
[はっ、はぁ…連絡はしてみます。暫くお待ち下さい]
男の話す受話器の向こうでは、受付内線担当の隊員が通話に応じた。そんな担当の女の声が警備の男に説明を求めようとしたが、彼の深刻な口調と危機感を匂わせる物言いから曖昧な口調ながら承諾すると、受話器からは数秒の静寂と回線を切り替える音が流れた。
[私だ。一体何が有った?]
「カイム万歳!総統、申し上げたい事が有ります。只今、正面入り口にて然る褐色の高貴な女性が、閣下にお会いしたいと」
警備の男の持つ受話器から、心配そうなカイムの声が響くと、警備の男は反射的に親衛隊敬礼をしながら現状の報告をしたのだった。その言葉を聞いたカイムは受話器の向こうで静かになった。
[わかった、直ぐに向かう。暫し待っていただけ]
「はっ、承知いたしました!」
その数秒後にはカイムが慌てるように男へ指示を出すと、男は再び親衛隊敬礼をするなか通話が切れたのだった。
「貴方といい、ドレヴァンツ殿といい…この国には事前に連絡するという概念は無いんですか?ゲーテさん?」
慌てて親衛隊本部の入り口に向かったのか、カイムは上着を着るのも忘れ制服用の白いシャツと私服のズボンは乱れ、髪も整っていなかった。そんな彼の軽口の"ドレヴァンツ"という部分を聞くと、市民に偽装して現れたテオバルト教皇ゲーテは全てを悟った表情をした。
「やはり、貴方とお祖父様は内通していたんですね」
申し訳無さそうな表情に無表情で抑揚無く発せられたゲーテの言葉は、その陰気なオーラも伴ってカイムに不思議とホラー映画の様な圧を感じさせた。
「内通?なんの事やら?」
そんな暗くなってゆくゲーテを励ますように敢えておどけてカイムが悪意無く誤魔化すと、彼女はいたずらっぽく笑うカイムに釣られてゆっくりと微笑んだ。
そのゲーテの柔和な笑みによってようやくその場の雰囲気が柔らかくなった所で、彼女は一人納得したように頷いた。
「お祖父様も…と言っていたという事は、お祖父様も私と同じな訳ですね」
独り言を呟くゲーテを前に、カイムは顎に手を当て少し考えた。すると、彼は制服用のシャツを大きく着崩して私服のシャツのようにすると、ゲーテの手を取り通りへ歩き出した。
「閣下!どちらへ?」
「わざわざ女性が夕飯を一緒に取りたいと言うのだ。案内するのは義務だろう?」
カイムの突然の行動には警備の男も大いに驚き、彼を止めようと声をかけた。だが、その言葉に軽くカイムは言って返すと、止めようとする警備の男二人を振り切り、驚くゲーテを連れて街へ向かった。
「カっ、カイムさん?一体どこへ」
「夕飯は?」
「まだですけど…」
「なら続きはそこで!行きたい店が有るんですよ」
驚くゲーテの疑問に答えながら、カイムは軽く後ろを見た。彼は追いかけるのを諦める人影がいつの間にか二人分増えていたのに気付いたが、カイムはまるでいたずらを成功させた子供のように笑うと、そのまま気にせずに大通りへとゲーテを連れて走り去った。




