第七幕-3
シュトラッサー城の薄暗い一室に、ホーエンシュタウフェンが座っていた。レースの付いた細身の真っ赤なドレスに身を包み、肘まである長い手袋をつけて紙の束を抱えるその表情は緊張と不安、悪い思考が渦巻くことを如実に表すほどに暗かった。それは、彼女が費やした長い年月分の重さの現れでもあり、書類を握る彼女が自分の手は、何時の間にか震えていたのだった。
それにホーエンシュタウフェンがやっと気付いた時、彼女の待機していた部屋の扉がノックされた。
「姫様、そろそろ準備出来ましたか?」
扉の外から聞こえたファルターメイヤーの声は、彼女を気遣って小さく安心させるような言い方であった。その声に背中を押されるように立ち上がったホーエンシュタウフェンは、久しぶりに履いたハイヒールに一瞬ふらつきながらも扉に向かった。
「待たせたわね、ファルターメイヤー。行きましょう」
「はい、姫様」
扉を開けて足早に廊下を歩くホーエンシュタウフェンに、ファルターメイヤーは声をかけようとした。だが、肩を不安に震わせながらも覚悟の表情を浮かべる彼女の力強い言葉やその姿を見ると、敢えて彼女は声を掛けずにただ返事をして頷いてみせた。
そんなホーエンシュタウフェン達が議事堂の扉の前に着くと、ファルターメイヤーはホーエンシュタウフェンの肩に優しく手を掛けた。彼女はその手を掴むと、ファルターメイヤーへ力強く頷いて見せ、彼女も頷き返すと議事堂の扉へ駆けて行った。
「お待たせしました皆様!姫様の用意が整いましたので、これより帝国議会を開始したく存じ上げます!」
議事堂全体へ響くように、ファルターメイヤーは大声で出席者に呼び掛けた。議事堂では多くの貴族は既に着席していたが、数人の貴族はその声に促されるように自分の席に向かった。そんな彼等を見ると、ファルターメイヤーは再び扉へ向かい勢い良く開けた。
その扉の向こうから、帝国皇女ホーエンシュタウフェンが足取りを力強くゆっくりと臨場した。彼女の座席である玉座とその隣の席は貴族達と向き合う場所にあり、彼女は出来る限り貴族達に舐められないように勇ましく席へと向かおうとした。だが、帝国皇女の臨場に対して貴族達の誰も起立しないことに、ホーエンシュタウフェンは悔しさと皇帝一族の権威失墜に苦虫を噛み潰したように奥歯を食いしばった。そのホーエンシュタウフェンの悔しさに気付いたファルターメイヤーは議事堂の貴族達の不敬に激怒すると、彼女は大きく床を踏み鳴らすと貴族全員に起立を呼び掛けようとがなろうとした。そんな彼女の行動をホーエンシュタウフェンが敢えてそれを抑えると、悔しさに歩みを早くしながら皇帝の席の隣に有る皇女の席に座ろうとしたとき、彼女の耳に聞き慣れた声が響いたのだった。
「総員!起立!」
その議事堂を震わせるほどの号令はヨルクから放たれたものであり、その声が響くと北方の貴族や権力者達が一斉に立ち上がり敬礼やお辞儀の敬礼をした。そのヨルク達の格好は普段見慣れた金糸や銀糸を使ったウエストコートやカフの高いコートなどの豪奢な貴族達特有の格好とは大きく異なる物であった。多くの貴族達は白いシャツに黒いネクタイのスーツ姿であり、残りの武家貴族達は国防陸軍の野戦服に似た飾り紐や豪華な装飾をされた礼服を着用していた。
そんな議事堂にて異色な存在となっている北方貴族達が一斉に立ち上がる姿は、皇女だけでなく各地域の権力者全員の視線を集めた。だが、皇女が自分にまだ忠義を持つことに驚いたのと異なり、他の貴族は今更その統一された格好に視線を向けていた。あまり自分の元へ顔を見せなかった彼等北方貴族達がカイムと何かを企んでいる可能性が頭に過ったホーエンシュタウフェンだったが、彼等の敬礼答礼すると彼女は会議を始める為に大きく声を上げようとした。
「姫様、この装置を押して、このマイクとやらに話し掛けると声が大きくなるようです」
そんな帝国議会開催の出鼻を挫くようなファルターメイヤーの耳打ちに、ホーエンシュタウフェンはいつの間にか議事堂の再建改築で付けられたマイクの出所を尋ねようとした。そんな彼女の考えを表情で理解したのか、ファルターメイヤーはさらに耳打ちを続けた。
「北方貴族や有権者の方々が、議事堂の修繕ついでに付けたとか。出所は…」
「当然、あの男ね。全く、独断で好き勝手やって…」
ファルターメイヤーの耳打ちに、ホーエンシュタウフェンは苦々しそうに眉をひそめると一人呟いた。カイムを召喚した本人であるホーエンシュタウフェンだったが、現状で彼女はカイムと関わる機会が殆ど無かった。自分の命令を聞かずに城を出て行き勝手に私兵を組織、首都での死傷者の発生した暴力騒動に組織拡大、首都復興のため市民の大規模動員など自分の予想外の行動に出る彼等にどう対応すれば良いのか頭を悩ませていた。
そんなホーエンシュタウフェンは一先ずカイムのことを忘れ、目の前の難題である議会に集中しようと深呼吸したのだった。
「それでは皆さん、帝国議会を始め…」
「待たれよ、殿下!」
スイッチを押してマイクに暗記していた台本の内容を話し始めたホーエンシュタウフェンだったが、彼女の言葉は突然議事堂にマイクもなしに響いたヨルクの声によって遮られた。彼はゆっくりと座席から立ち上がると、制服の胸元のシワ、飾り紐や襟を正した。そんな彼の演技がかった動きに、ホーエンシュタウフェンは幼い頃の懐かしさを感じながらも、彼の服装や身振りからヨルクと自分が既に別の世界で棲み分けられているように感じた。ソレでも彼女は、嘗ての記憶からヨルクの行動を信じ軽く手を向けて発言を促した。
ホーエンシュタウフェンのその身振りにヨルクは軽く話し出しの前に咳払いをすると、彼の隣に座るカールハイツや他の陸軍士官達に目配せをした。
「殿下。せっかく多くの貴族が集まり、殿下主宰での議会です。国旗の掲揚や国家の斉唱はするべきと我輩は思うのです」
そう自信や威厳を持って言ったヨルクは、更に士官に指差しで指示を飛ばした。すると、陸軍士官達はホーエンシュタウフェンの席や皇帝の玉座の更に後ろの壁へ走ると、警戒して腰の剣に手を伸ばしたファルターメイヤーに軽く敬礼しながら、赤い布を巻いた物を抱え去っていった。
「クラウゼヴィッツ卿…国旗と国歌というのは…」
語尾を濁らせながらヨルクに対して疑問を投げ掛けようとしたホーエンシュタウフェンだったが、その声より大きく滑車が音を上げて赤い布を議会室の壁に掛け始めた。その旗は彼女には見覚えの無い物だったが、ファルターメイヤーは記憶の中には極めて鮮明に残っていたのだった。
「連中の旗!」
「なっ、ファルターメイヤー!連中ってまさか?」
「あのバカ達の旗です、姫様!」
「アイツ…また勝手に!」
ファルターメイヤーの言葉を聞いたホーエンシュタウフェンは純粋な驚きの表情を浮かべ彼女に問いただすと、ファルターメイヤーは記憶の中にちらつくカイム達親衛隊嫌な表情を浮かべながら報告した。その内容から、ホーエンシュタウフェンは北方の強力な貴族や権力者達が一斉にカイムの協力を始めた事実を理解した。だが、その余りにも短期間で構築された協力体制は彼女の理解の範疇を越えていおり、悪態をつきながらもホーエンシュタウフェンは大いに内心焦り始めた。
そんな驚くホーエンシュタウフェンは慌てて貴族達の席へ振り返った。というのも、他の地域の貴族全員までもが北方貴族の様になっていれば、下手をするとカイムを文字通り"総統"とした革命が発生するかもしれないと彼女の思考が最悪の事態を叩き出したからであった。そんなホーエンシュタウフェンが確認のために議事堂の席へと振り返ったが、そんな彼女の予想は殆どが外れていた。西や東、南の貴族、テオバルト教関係者の殆どは北の貴族の行動に驚きの表情をしていた。そんな中に目を輝かせるザクセンとテオバルト教の枢機卿であるドレヴァンツが一人起立する姿は、個人であれど権力の強さから彼女の背筋を凍らせた。
自分の及び知らぬ所で、自分の国が訳の解らぬ男一人に食い潰されるのではないかと考えると、ホーエンシュタウフェンは全身に冷や汗が止まらなくなった。そんな彼女の心境を無視して、ヨルクは多くの貴族を先導するようにマイクを使わず声を上げた。
「国歌斉唱!」
「「「「「「「ガルツよ、ガルツ、何より高く……」」」」」」
ヨルクが他の貴族のために大声で歌い出すと、他の北方貴族もそれに続くようにして歌い出し、最終的には北方貴族達と有権者全員が国歌斉唱をしのだった。
「何なの…これ…何がこの国に起こってるの…」
ガルツ帝国を讃える勇ましい歌だが、聞けば聞くほどにホーエンシュタウフェンは自分が蚊帳の外に追いやられているのではないかという感覚へと落ちて行ったのだった。




