第七幕-2
「しかしさぁ、ゾエ…僕は近年の議事堂というと、廃墟の成りかけみたいなのしか記憶にないんだ。なのに、何だいこれ?彼女、いつの間にこんな建て直す気になったんだ?」
「若様、彼女ではなく殿下です」
帝都デルンのシュトラッサー城内にある議事堂は、縦にも横にも広く無数の席と机が扇状に広がっていた。その議事堂の座席は机と椅子が二つづつでセットとなって設置されており、多くの貴族や権力者、その護衛でひしめきあっていた。
そんな議事堂の老人ばかりが固まる座席で、一人の青年が隣に座る副官の女に気だるげかつ小馬鹿にするように呟いた。その死人族の青年は、黒い短髪に青白い顔は目鼻立ちがはっきりしており、高い鼻や鋭くも凛々しい切れ目、整った鋭い眉に長い睫毛は如何にも美青年といった具合であった。だが、長い腕と足を組み気だるそうに椅子に座るその態度は、重鎮達が集まる議会においてははばかられるような不良じみたものだった。
そんな青年の横に座る副官ゾエは肩口で切りそろえた朱色の癖毛に緑色の瞳を持つ女だった。はっきりとした目鼻立ちに整った顔、細く長い手足は麗しく、騎士として男装をした麗人ということもあって議事堂の中では隣の主と共に美人に見えるのだった。
そんなゾエの訂正の言葉に、座席の肘おきで頬杖をつく主の青年はやれやれとでも言いたげに首を振ったのだった。
「僕にとってはね、ゾエ…あの子は何時までも小生意気なお嬢さんなんだよ。やたら理想だけは高い癖に、現実からは目を反らし夢ばかり見る。そんなあの子はは何時まで経っても大人になれない子供だよ。なら、殿下じゃなく彼女だ」
「言い訳はわかりましたから、若様。そういう態度は格好良くありませんよ。キザや不良を気取るなら、長々と説明をするのは良くないかと」
ゾエからの視線に少し嫌味の様に言った青年の言葉は、彼女にはきつい言い方に思えた。多くの貴族が自分の領地に籠り、皇女ホーエンシュタウフェンを腫れ物の様に扱い続け現実を見ようとはしない。その点で皇女は哀れな存在というのが彼女の考えだった。
そのように考えるゾエだったが、青年がキツイ言葉を言い放った後に肩を回したり必要以上にうなじを撫でたりと気分の悪そうな振る舞いを見ると、彼女は彼の本音を理解して態度を改めるよう叱るのだった。その言い方はまるで母親が子供を叱るようであり、青年は口許をへの字に曲げると深く息を吐いた。
「わかったよ、わかった…話題を変えよう、これ以上は不敬だ」
まるで母親を前に拗ねる子供のようにそう言うと、青年は机から伸びる黒い棒状の物を珍しそうに指でつついた。
「しかし、この帝都再建はザクセン卿の差し金かい?あの髭じじいはやる事がねちっこいんだよ。わざわざ殿下の議会を一ヶ月遅らせるる嫌がらせとか、他の貴族にやたらめったら金で支援して恩着せがましいし、なのに殿下の復興税は滞納するとか。そんで、ここに来ていい人ズラして復興支援とは、いい歳こいた爺さんのすることかね?それで、他の連中に良い顔するため今更復興かよ。格好悪い。おまけに口が回るからたちが悪い」
ざわめきで満ちる再建された議事堂を見回しながら青年はゾエに語り掛けた。話題を変えた彼は赤いカーペットの床に梁や支柱の装飾、そして謎の機材が気になる彼は嫌っているザクセンの名前を出して悪態をつき始めた。
そんな青年の話を聞くゾエは隣の席にて組んだ両手を口許に当てながらじっと彼を見つめるのだった。
「でも、閣下はあの男に従うので?」
表情の変わらない真顔で主を見つめ続けるゾエの姿に、青年は言葉を失うと不貞腐れるように通路の床で光る避難用誘導灯へと視線を落とした。
「領民や部下の為だ。我等の老人どもは奴がすこぶる怖いらしいしな。あんな奴らが髭じじいに靡かなければ…」
「靡かなければ、何ですかな?アンハルト=デッサウ卿?」
ゾエの一言で苦い表情と共に再び言い訳を始めた青年アンハルト=デッサウは、唐突に声を掛けられるとその声の聞こえてきた通路の後ろ側を見た。そこに立つ人物を見るや、彼は溜息混じりに立ち上がると気さくな笑みを浮かべた。
「これは、これはテンペルホーフ卿。わざわざ老人ばかりの西側貴族の席に足を運んでくれるとは!そんなに卿は私の事が好きなのかい?まぁ、何であれ人から好かれるのは気分がいいからね。私としては蝶や花の方が…」
両手を広げ歩みより握手を求めながら放たれたアンハルトの作った笑みと他人行儀の言葉に、テンペルホーフは露骨に不快な表情を浮かべるとその手を払った。
「軽口はそれぐらいにしろ、辺境伯。それ以上の発言は自分の首を絞めるぞ」
「失礼、テンペルホーフ卿。私は辺境伯では無く領邦伯ですよ。それに、男爵の卿の私に対するその口調こそ首を絞めるのでは?」
嫌味や露骨に嫌ったアンハルトの態度への批判をさらりと返されぐうの音も出なくなると、テンペルホーフは苛立ちから地団駄を踏んだ。それに少し気を良くしたアンハルトはわざわざテンペルホーフの顔を覗き込むように見たのだった。その表情は完璧に作った穏やかで優しい表情であり、滲み出るバカにした態度がテンペルホーフの神経を逆撫でた。
「ザクセン=ラウエンブルク閣下の配下である私にだ!その様な口の聞き方はおかしいと…」
「何と、虎の威を借る狐とは!テンペルホーフも地に落ちた物ですな?」
そんなアンハルトの露骨な挑発はテンペルホーフの逆鱗に触れた。そんなテンペルホーフの切り札がアンハルトへと炸裂したのだが、虚勢をものともしない彼は悠々とテンペルホーフをバカにして返したのだった。
その一言はテンペルホーフの怒りの火に油を注ぐと、彼は思わず右拳を勢い良くアンハルトへと振り上げた。
「さて、それぐらいにしておいてはくれないかアンハルト君。それ以上苛めると、紳士的な彼とて態度を変えるだろう」
「なっ…閣下!」
「下れ、テンペルホーフ。それ以上は自分の顔に泥を塗ることになるぞ」
テンペルホーフの拳を腕ごと止めたのは、ザクセン=ラウエンブルクであった。決して非力ではないテンペルホーフの腕を右手の指三本で止める彼の登場は、いがみ合っていたアンハルトとテンペルホーフだけでなく周りの西側貴族までもざわつかせたのだった。そんなザクセンの登場と、彼の行動や発言にテンペルホーフは納得できずに意見を具申しようとした。それを一喝するザクセンによってテンペルホーフは悔しそうな表情と共に彼の後ろへと下がった。
だが、アンハルトにとっては、ザクセンが現れたこともテンペルホーフが引き下がったこともどうでも良かった。アンハルトはザクセンが自分の名前であるアンハルト=デッサウの名前を省略した事に猛烈な怒りを覚えた。その怒りは雰囲気として周りに漏れ出していたらしく、それをもろに受けたテンペルホーフは少し顔を青くした。
その怒りによってアンハルトの余裕の雰囲気にはヒビが入り、彼の表情が一気に固くなった。
「ザクセン=ラウエンブルク卿、お久しぶりです。しかし、閣下もどうやら寄る年波には勝てないようですな。人の名前も覚えられなくなるとは…」
嗜めるというより見下すザクセンの言葉と名前を省略された事に怒りを覚えたアンハルトは、頭の中に過る嫌味の言葉をとにかく繋げると後先考えずに言って見せた。その言葉はある程度ザクセンにも響いたらしく、彼のその言葉に一瞬眉を動かすと豪胆に笑いながら掴んだままのテンペルホーフの腕から手を放し恥ずかしそうに頭を掻いた。
「そうか、まだデッサウ等と名乗っているとは…余程母君が忘れられないか」
作った態度から気軽な口調で容赦なく放たれるザクセンの嫌味は、アンハルトの沸点を大きく超えて彼の怒りを沸騰させた。彼は明確な殺意をその灰色の瞳に宿らせると、握りしめた拳を震わせザクセンへ歩み寄ろうとした。
「若様!」
「ゾエ、止めるな!僕は…」
「若様、"格好とは一体何なのだ?"ですよ」
「ぐっ…"格好は付けようとしなければ付かない"…」
そんなザクセンへと殴りかかろうとするアンハルトの歩みは、彼の服の礼服の袖を掴んだゾエによって止められたのだった。感情的になっている彼がゾエへ振り返ると、彼女は瞳を閉じてゆっくりと首を横に振った。
そんなゾエの言葉に灰色の瞳を見開きがなろうとしたアンハルトだったが、彼女の少し悲しげに見える変わらない表情と言葉に、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
彼は彼女の問いかけに呻くように答えると、肩まで伸びた癖の有る彼女の朱色の髪を軽く遊ばせた。
目の前で自分を見つめるゾエの視線から、自分の感情に任せた態度が嫌になり軽く息を吐くと、アンハルトはその場でターンをして先程までとは全く違う冷静な態度でザクセンへと向き直った。
「そうですね。私はこの世の全ての花を愛します。ならば、自分を産んだ大輪の花を愛さない訳にはいかないでしょう?親さえ捨てる貴方には解らないでしょうがね?」
格好付けた身ぶりと食って掛かるアンハルトの言葉に、テンペルホーフが怒りの表情と共に何かを言おうとした。だが、ザクセンはそれを軽く手を上げて抑えながら大声で笑い飛ばしたのだった。
「そうだな。私はこの世の為に生きている故、この国のために必要ならば親も捨てる。そしてこの国のためなら何だって手に入れて見せる。それが私の生き方だ。卿とは生き方も世界も違うのでな!さて、そろそろ時間だ。これにて失礼するよ」
まだ笑いを堪えられないザクセンはアンハルトを馬鹿にして見せると、テンペルホーフと共に南方貴族の座席へ大笑いしながら帰ろうとした。去り際に睨み付けてくるテンペルホーフも見送ると、アンハルトの周りの様々な種族の西側貴族の老人達が声を上げようとした。そんな彼等を灰色の瞳で怒りと共に睨み付けると、アンハルトは椅子が軋む音を上げるほどに勢い良く席に座った。
「若様、少しばかり不味いのでは?」
「発破を掛けたのは君だろう!なら両成敗だ」
隣に座り直したゾエのたしなめるような言葉に、アンハルトは鼻息荒く言い返した。そんな彼を変わらぬ真顔で見つめるゾエの態度に、アンハルトはそれ以上何も言えなくなると、目線を避難させるように何となしに前方の扉を見た。すると、その扉を白黒の服に身を包み赤髪を1つに纏めた騎士であるファルターメイヤーが入ってきたのだった。
「お待たせしました皆様!姫様の用意が整いましたので、これより帝国議会を開始したく存じ上げます!」




