幕間
ヨルクの目の前には、なだらかに流れる大きな川が広がっていた。青く澄みきったその川には、魚や亀、様々な命がその生命を育んていた。川の周りには森や草原が広がり青々としたその光景に、彼はこの場所が領地の南部に広がる川とわかった。
そして、川岸に座るヨルクは己の手を見ると、その肌が若干若いことからいま自分がいる場所が夢であると自覚した。明晰夢であると自覚できる夢を久しぶりに見たヨルクは、何度も見たことのあるこの夢の展開に目頭が熱くなったのだった。
「クラウゼヴィッツ、こんな所にいたの?」
川岸から水面を眺めるヨルクの後ろから掛けられた声は、彼の胸に今は無き"ときめき"を感じさせた。そして、今すぐにでもその声の元へ駆け寄り抱き締めたいという感情が彼の心に溢れかえったのだった。
だが、ヨルクの過去を思う喜びと喪失の苦しみが彼の体を動かそうとするのに反して、夢の中の彼はゆっくりと立ち上がり声の主の元へと向いた。
やっと振り向いたヨルクの後ろには1人の女性が立っていた。薄い褐色の肌に黄金の髪、背の高いヨルクよりも少し低い身長。そして、幼さの残った顔に浮かぶ柔和な笑みと忘れる事の出来ない彼女の姿は、何年経っても何度見ても何も変わっていなかった。
「良いじゃないか…何処に居たって…」
夢の中のヨルクは、目の前の彼女に言いたい事が山程あった。付き合い始めの頃のデートで待ち合わせに何度も遅れてしまった謝罪や、結婚してからよそよそしくしてしまった最初の数日の謝罪、娘の出産に駆け付けられなかった事の謝罪や、2人を残して何度も遠くへ仕事に行った事の謝罪、そして二人で出掛けた帝国最北の街キームへ娘と流氷を見に行った事、娘がどんどん君に似た女性へ成長しているが、性格が自分に似てしまった事。
考えれば考える程溢れて止まらない言葉は、どれだけヨルクが願っても決して彼の口から出てくることは無かった。
「不貞腐れるのは構いませんけど、あれは貴方も悪いと思いますよ。あの子だってまだ幼いんです。特別な日には、女の子でも父親と一緒に居たいものですよ」
「あの子は貴族の娘だ。聞き分けは持つべきだ」
「あら、随分とそっけないのね。昔はあの子が"どこかに遊びに行く"と言ったなら、皆に仕事を押し付けてついて行ったでしょうに」
「昔の話だ、昔の…」
ヨルクを励まそうとする彼女の言葉に、彼は奥歯を食いしばって黙り頷こうとした。
だが、ヨルクの口からは否定の言葉が流れ、体は不貞腐れる態度しか取らなかった。言うことをきかず、彼女から顔を背ける夢の中の自身の体にヨルクは激しく苛立った。
「私の誕生日の準備、あの子頑張ったのよ。それなのに、少し言い方が冷たかったんじゃない?"遠くへ仕事に行く、当分帰れない"なんて」
彼女諭す言葉にその通りだと言いたい心境に反する過去のヨルクは、俯きながら不貞腐れると川原の石を川の中に投げ込んだ。
そんなあくまで不貞腐れるヨルクの姿に、彼女は呆れるようにため息をつくと彼の座り込む背中へと歩み寄った。
「とは言えだ…"怖いパパは大嫌い"なんて、言い過ぎだろうに?」
そんな彼女の足音は、ヨルクに様々な後悔の念を募らせた。"この時もっと彼女に優しくしていたら"とか"もっと自身に素直になっていたら"などという感情がヨルクの心を締め付け、今にも彼の心は砕けそうになった。
そんな本人の感情と異なり、夢の中のヨルクは不貞腐れ続けた。そんなヨルクの背後まで彼女は歩み寄ると、彼の両肩へ両手を励ますように置いたのだった。
「本当に親子ね。二人揃って、いじけてちゃ駄目じゃない。貴方は表情が無いんだがら、悲しかったり嬉しかったら、もっと感情を出すべきよ。本当は行きたくないんでしょ?」
「私は貴族だ。魑魅魍魎が跋扈する社交界かつ政界で…その…なんだ?」
「それを私に聞くの?」
「つまり、表裏が無ければこの世界ではやっていけない…」
彼女の優しい言葉に頷くこうとした過去のヨルクは、少し考えると彼女の両手を肩から払った。更には不貞腐れ続け彼女の言葉に反対の意見しか言わず、自分の思いの全て反した行動をする過去の自分にヨルクは激しい苛立ちを感じたのだった。
そんなヨルクの発言に、遂に彼女も不貞腐れるように彼へ背を向けた。
「そうね…どうせ私は喫茶店の小娘でしたから、貴族の辛さは解りませんよ!」
不貞腐れ続けるヨルクの態度に怒り半分の突き放す様な彼女の言葉に、過去と今のヨルクは2人揃って慌てた。ようやく言動と意思が一致したヨルクだったが、体の方の緩慢な動きに彼は歯痒さで一杯となった。
「違う、そうじゃない!私だって準備していた!だがな、貴族である以上威厳とか…そのだな…」
「あら、準備なんてしていたんですか?どんな?」
両手を振ったり顔を見上げたりと慌て出した過去のヨルクに、彼女は肩越しに振り返ると悪戯っぽい笑みを浮かべた。幼さの残る彼女の懐かしく愛おしいその笑顔をもっと見つめたいと思うヨルクだったが、夢の中の彼は彼女の言葉に口を半開きにして動きを止め、頭を掻きながら恥ずかしそうに顔を背けた。
「名前を…考えてたんだ…君の名前を…」
過去のヨルクの言葉に少し驚いた彼女は振り返ると軽く俯く彼の顔を覗き込んだ。自分の目の前一杯に広がる彼女の笑顔はヨルク心に喜びと悲しみを叩きつけ、彼の本心は今にも泣き出しそうになった
「初耳。貴方、名前の付け方勉強した事無いって言ってたのに」
「ありきたりな贈り物は嫌だったんだ。ずっと前からこっそり勉強してた。かなり古い文献も調べたんだ」
「あぁ!あの書斎にあったカビ臭い本はそれだったのね!」
「かっ、カビ臭い?まぁ、そうかもしれないが…」
覗き込む彼女から顔を反らすと、ヨルクは彼女に背を向けた。彼女から顔を背けることにヨルクは苛立ったが、彼の後ろから彼女が抱き締めて来るとその苛立ちも一瞬で吹き飛んだ。
だが、夢の中故に実感の無い感覚をヨルクは怨めしく思った。それでも、何十年ぶりに感じれるその状況をヨルクは愛しく感じた。
「なら、貴方も辛いってちゃんと言わなきゃ!貴方は唯でさえ静かなんだから、役者くらい感情豊かに話せば、あの子も解ってくれますよ」
彼女の腕の中の柔らかさと甘い香りが去った時、ヨルクの視界が暗く濁った。何度か見た明晰夢の経験から覚めるのを自覚したヨルクは、ようやく体が自分の意思で動く事に気付いた。
「私も一緒に謝ってあげますから、こんな所でいじけてないで、早く家に帰りましょう!名前は…貴方が帰ってから聞きますから、早く帰って来てくださいね!」
自分から小走りで遠ざかる彼女と暗転する視界の中、ヨルクは必死に彼女を追いかけた。
だが、覚醒しかけるヨルクの体はぎこちなく動き、伸ばそうとした腕も明後日の方向からゆっくりと彼女の元へと動き出した。その動きが遅い手を根性だけで無理やりに伸ばし、彼女へもうすぐで手が届くというとき、ヨルクはあらん限りの声で叫んだ。
「待ってくれ!頑張って考えたんだ!聞いてくれ!君の名前は…!」
だが、気合のみで伸ばされた手は彼女の肩のところで虚しく空を切り、ヨルクは覚醒の暗闇へ落ちていった。
「アンネリーエェェエェ!」
シャンデリアが明るく照らす室内に、ヨルクの叫び声が響いた。
伸ばされた手の先には彼女、ヨルクの妻であるアンネリーエの姿は無く、両目の端から冷たい涙が垂れているのを彼は感じた。
鼻をすすりながら伸ばした右手を頬に当てると、ヨルクの指は大粒の涙で濡れていたのだった。
「クラウゼヴィッツ…あの夢か?」
手のひらをひたすらに見詰めるヨルクに低く厚みのある男の声が掛けられた。
驚きに肩を上げ、声を上げそうになる程に驚いたヨルクは周りを見回した。そこはカイムの親衛隊が再建した迎賓館の一室であり、円卓の1席に座っていたヨルクの目には自分と同じく席に座る北方貴族の有力者と、それを囲む様に立つ有権者達が見えた。
そんな北方出身の同胞達の姿に、ヨルクは首都の城で行われた皇女主宰の北方有権者の為の晩餐会へローレは参加し、その後に北方貴族や有権者を集めて今後の相談をしようとしていた事を思い出したのだった。
「ヨルク殿…大丈夫ですか?」
自分の隣の席に座るローレが心配しながら自身を見つめていることに気付いたヨルクは、彼女の言葉を受けてようやく現実へ意識を戻した。
夢から現実の世界を改めて見直したヨルクは、自分を不安そうに見詰める貴族達の視線に気づくと気まずそうに頭を軽く掻いて戯けるように笑ってみせた。
「ははっ…いやはや…我輩、よっぽど怖い夢でも見ていたのかな?こんなべそをかく程とはな…なぁに、心配はいらない!皆すまない!少し疲れてうたた寝を…」
「止めろクラウゼヴィッツ…いや、今はヨルクだったか?無理に気丈に振る舞うお前はいつ見ても気持ち悪い。不愉快だ、今すぐやめろ」
場の暗い空気を和ませようとしたヨルクだったが、その態度に先程と同じ男の声が彼に辛辣な文句を放った。その声はヨルクの反対側に座る男から放たれていた。
男は左眉から頬にかけて縦に入った傷を持つ狼の獣人だった。背格好はガタイの良いヨルクに引けを取らず、貴族でありながらシンプルな白いシャツに映える灰色の毛並みは、力強い体躯と合わさり猛烈な厳つさを放っていた。それに拍車をかける白くなった傷跡の隙間から見える青い瞳は、ヨルクの気遣いを真っ向から打ち砕くように彼を見つめていたのだった。
「寝惚けて覚えて無いかも知れないが、シャハト…君も今はローレだったか?彼女から聞いている。今日、あのテオバルトの小娘に会ったんだろう?顔つきだけは、あの人に妙に良く似てるからな」
腕を組み苛立ちの表情を浮かべた狼の男は、更に鋭い目付きでヨルクを睨んだ。
そんな狼の男の言葉に周りの全員が頷くと、ヨルクは彼を落ち着かせようと上げた右手を一瞥し、行き場所を失ったそれを机の上に置くと深く息を吐いた。
「すまない…」
呟くようなヨルクの力無い謝罪が部屋に響くと、狼の男は少しだけ苦い表情をした。彼としてはヨルクがそれでも数十年前から続ける無駄に激しいジェスチャーで対抗すると思ったからこその強めの文句だった。狼の男とヨルクは幼い頃からの付き合いがあり、悪夢が彼の心をかなり傷付けた事実を理解すると、彼は少しの間言葉を失った。
「おい、クレッチマー!少しは考えてから発言しろ。見た目はあれだが、あいつだって人間だ。ちっとは気持ちを考えろ!"親しき仲にも"だ!」
「黙れペルファル。そんなことは知っている」
そんな狼の男のクレッチマーに立っている群衆の中にいる1人のハクトウワシの頭をした男が年齢よってしわがれた声で叫んだ。
白い頭に黄色く下に曲がった鋭い嘴をもつハクトウワシの鳥人のペルファルは、胸金色の瞳に筋骨隆々とした体を見せつけるような露出の多い服を着る初老の男だった。
そんなペルファルは薄っすらと茶色い羽毛の生えた腕で
言い過ぎるクレッチマーを指差して避難をすると、彼に賛同する貴族や有権者達もヨルクに対する同情の視線とクレッチマーへの非難の視線を向けた。
そのペルファルの声に少しの間だけ低く腹の底を震わせるような唸りを上げると、額の灰色の体毛を少し弄くるクレッチマーは謝るように頭を下げた。
そんなクレッチマーに頭を上げるよう促そうとしたヨルクだったが、声質の高い咳払いの声に遮られた。その咳払いは円卓に座るセイレーンの女性から放たれた。
「それで、クラウゼヴィッツ殿。そのカイムと言う人物…本当に信用出来るのですか?」
「海運ギルド長…」
漆黒のナイトドレスを纏う海運ギルド長のセイレーンの女は、紺青の長いウェーブのかかった髪に、高い鼻に整った顔をした手や足に鱗やヒレの生えた細身で壮麗な女であった。少しだけ釣り上がった青い眉が若干キツめな印象を与えるが、彼女の身にまとう高貴な雰囲気はむしろそれを魅力に変えていた。ただ、サンマかアジのような丸く漆黒の瞳は、彼女の雰囲気と合わさり少しだけ不気味さを醸し出していた。
そんな海運ギルド長の疑り深い一言と視線に、ヨルクは頭を掻きながら会議の記憶を出来る限り思い出そうとした。
ヨルクが思い出せた会議の流れは、今後の帝国の安定と皇女のためにカイムの率いる親衛隊に協力しようと彼が提案した所から会議は始まった。そのヨルクの提案の補足としてローレが一連の親衛隊の行動や技術力、そして魔法にも匹敵する武装を持つと言った所までは彼等の反応は良かった。
だが、教会の教皇が親衛隊本部にやって来たことや、カイムがテオバルト教聖書の一部の様な発言をしたこと、そして教皇や枢機卿が祈りを捧げたという辺りから北方貴族達の反応は悪くなった。北からの奇襲はあったものの、ヒト族の主力は東から侵攻してきた。その為、この国でのテオバルト教の評価は、一応信用出来るという物と全く信用出来ないという二極化であり、北方は後者が多くを占めていた。
そんな北方有権者達がそれぞれの発言で信仰の有る無しなど話が脱線し会議が会議でなくなり始めた辺りから、ヨルクの記憶が曖昧になっていたのだった。
「クラウ…失礼。ヨルク殿は、そのカイムという者を随分信用しているようですが、その男は教会の回し者なのではないと確信できるのですか?」
うたた寝をしていたヨルクが会議の流れを思い出す中、海運ギルド長は彼を更に睨みつけながらヨルクへと尋ねかけた。彼女の瞳孔の解りにくい瞳から放たれる疑念の視線はなかなかに不気味であり、同じく不気味な見た目をしているヨルクさえも少しばかり気圧された。
「そうですぞ、クラウゼヴィッツ殿!」
「迂闊に信用しても、また裏切られるだけですぞ!」
「一旦、ここは穏便に済ますべきでは?」
海運ギルド長の発言は多くの者の賛同を得ると、信用出来ないと主張したい野次があちこちから飛び交ってきたのだった
そんな中でペルファルはその茶色い剛腕で人を掻き分けて円卓まで歩いて来ると、海運ギルド長の横に立ち勢い良く屈強な腕を円卓についたのだった。
「海運ギルド長、ローレ殿の報告ではその"カイム"という男はこの首都の賊を討ったらしいではないか?なら、彼は皇女の味方ではないかな?それを信用出来ないと」
「我々を騙すために教会や南方が策を講じたかもしれません。ペルファル殿は少しばかり豪胆過ぎる」
「南の能無しで腰抜け共にそんな頭の良きことが出来ると思うのか?何とギルド長は随分"慎重"であるな!」
「鳥頭が…私を腰抜けと言うのか!」
ペルファルと海運ギルド長の言い合いは最初こそ貴族的な静かなものであった。
だが、沸点の低い二人は一瞬で言い合いを一触即発の雰囲気まで叩き上げると、それを切っ掛けに再び会議は大いに荒れだした。
その状態は最早会議と言うよりは貶し合いになった現状をヨルクは力無く見詰めた。夢の中から目覚めたはずなのに、現実感が持てない自分の感覚を不思議に思うと、医者に心的外傷と診断された過去を思い出した。
ヨルクは、あの頃と同じ様な無力感が夢の中の記憶と共に舞い戻ってきたと感じた時、ふと脳裏にカイムと出会ってからの慌ただしい日々の記憶が過ったのだった。
「高貴なる者の義務…」
ヨルクがふと呟くと、彼を中心に言い合いを続けていたその場の全員が静かになった。
「彼等は言っていた。"高貴なる者は、その富と名声と同じだけの行いをすることによって初めて高貴と言える"と…それがどうだ?今の私達はこんな所で"ああでも無いこうでも無い"と叫ぶばかり…成る程心に積もる敗北主義がこの国を崩壊させたと言うのは正しいな」
ヨルクの自分達を卑下する言葉に、その場の数人は反論しようと口を開きかけた。
しかし、ヨルクの言うことはどうにも正論であり、多くの者達は反論しようにもどう言えばいいのか言葉が思い付かず、身振りをするだけで直ぐに静かになった。
「彼は己を"器"と言った。"この国の為に行動する者の器になる"とな。そして、彼は行動し親衛隊という組織を作り賊を討った。今まで、私達はその様な行動をした者が居たか?いや、私達がしたのは見るだけだ。崩れた瓦礫を見詰めながら、己の領地、己の事で精一杯だと黙していた」
ヨルクが自分達とカイムを比較しながら卑下の言葉を続けて言うと、彼は力強く全員に対して声を上げた。その声は、まるで騎士物語の主役のごとき迫力と覚悟が込められていた。
そのため、ヨルクへと反論しようにも正論かつ覇気と覚悟をぶつけられた多く者達は言葉が上手く纏まらず、ただ黙って彼の話を聞こうとしたのだった。
「だが!彼は立ち上がった!下手をすれば彼が賊と言われただろうが、それでも兵を持ち旗を上げた!更には、己の行いを正しいと、自分を認めないなら討って良いから引き継げとまで言った!この国を思う、この国の民を思う男をたった1人で戦わせて何が貴族だ何が高貴だ!」
息を荒くしながらも語るヨルクは、ゆっくりと荒ぶった息を深呼吸で整えると席から立ち上がった。
「だから、我輩は彼を信じる。我輩個人が彼を信じる。英雄の再来とかリヒトホーフェン等どうでも良い。我輩はカイム君だから信じるのだ。皆は好きにすると良い」
ヨルクは穏やかな口調で両手を広げながら格好を付けて立った。そして、彼は姿勢を正すと脱帽敬礼をしながら大いに胸を張った。
「ただ、忘れないで欲しい。我輩達は常に、帝国を思って行動するのだ。許せないというならば我輩達を討つが良い。ただ、納得いかないだけならば何もしないで欲しい」
ヨルクの力強い決意と覚悟に北方貴族達全員が沈黙する中、ローレはいそいそと立ち上がり彼同様に敬礼をした。
「ガルツ帝国万歳!」
ローレのよく通る透き通った声が部屋に響くと、多くの者達がはその場での意思表示を余儀なくされた。そのため、多くの者が尻込みをする中で、ペルファルもローレに続き見様見真似で敬礼したのだった。
「ヨルク殿が信じるなら、私も信じよう!悪漢相手におおだちまわりする男だ、きっと仲良くなれる!」
ペルファルの力強い言葉や"彼を信じる"といった発言は、他の貴族達や有権者達を後に続かせた。
それでも、中立の立場や反対の者達は静かであったというのも、ヨルクの言葉は勿論正しいがカイムという男に協力することは仮想敵である南方貴族を刺激し内戦勃発という可能性を感じたからであった。
だが、そのような立場であってもそれを明確にその場で意見する者は誰も居なかった。
そんな中、クレッチマーは辺りで様子を伺う貴族達を見ると、ため息をついて立ち上がった。そして、クレッチマーはヨルクに賛同する者達を掻き分けて彼の前へ立ち塞がった。
「宗教絡みだ。南方が騒ぐぞ。争いになったら?」
「戦うまでだ」
「この国の為にならないのではないか?」
「義務を全うしない貴族を排して、何が国の為だ。何が民の為か」
「皇女が戦いを望むのか?」
静かに言葉の応酬をするクレッチマーとヨルクだったが、クレッチマーの最後の言葉はヨルクを一瞬考えさせた。それでも、ヨルクは胸を張りクレッチマーを見詰めたると、彼の左胸に右拳を当てた。
「彼女が罰を与えるならば、彼と共に喜んで受けよう。それが帝国の為ならば、彼と共に責任を取ろう」
ヨルクの力強い言葉に、クレッチマーは彼の揺るがない決意を理解して、溜め息と共に頭を振った。
だが、クレッチマーはヨルクの敬礼を思い出すと、気恥ずかしそうに真似て敬礼をしたのだった。
「この身振りは?」
「ガルツ帝国の脱帽敬礼である」
「成る…程な?」
クレッチマーの疑問にヨルクは自慢げに言うと、クレッチマーは未だ立場をはっきりさせない有権者達へ振り向いた。
「諸君!私は…ヨルクの信じるカイムという男を信じる!ここで意見を言えぬ者、覚悟を決められぬ臆病者は貴族でも有権者でも何でも無い!今すぐにここから出て行け!」
そのクレッチマーの言葉が決定打となり、覚悟が付かなかった者達を帝国のために立ち上がらせた。
その保守的思想や愛国心、救国の使命に燃えだす北方貴族や有権者達の中で、反対派は海運ギルド長のみが残った。その状況に、彼女はどうしょうもないことを理解すると、渋々立ち上がり同様に敬礼をしながらヨルクを睨んだのだった。
「皆さんがそうするなら…良いでしょう!ただし、いざとなれば私が貴殿方を討ちましょう。よろしいですね?」
海運ギルド長腹を決めた言葉に頷くと、ヨルクは高らかに叫んだ。
「ガルツ帝国の為に!」
「「「「「ガルツ帝国万歳!」」」」」
部屋に響き渡る北方貴族達全員の声は波乱の未来に対する覚悟に満ちていた。




