第五幕-8
ローレの放った"帝国崩壊の切っ掛けとなる先のヒト族への大敗北がテオバルト教が原因"という事実は、カイム達に衝撃を与えた。
混乱したアマデウスは白眼を剥くほど驚き、ギラの速記の手は誤字とインクの滲みによって止まった。
「それは…本当なんですか?」
開いた口がふさがらなかったカイムだったが、数秒間沈黙したあとにゲーテへ戸惑う声で質問した。そのカイムの苦笑いに言葉に詰まったゲーテだったが、彼女は薄っすらと開いた口を閉じるとただ首を縦に振った。
ゲーテの表情はやるせなさと虚しさなどの負の感情が渦巻くものであった。そんな彼女を庇うように、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるドレヴァンツは、音をたて机に両手をついた。
「貴様!教皇さまが望んでやったと思っているのか!どれ程に御心を砕かれたか」
「その事実はこの国でも十数人しか知りません。皇女殿下には知らせられませんでしたが…」
そんな彼の手に、ゲーテが手を重ねた。彼女へ顔を向けたドレヴァンツへ顔を横に振ると、ゲーテは机の上に手で組んだ。
ゲーテを庇うドレヴァンツの言葉に、彼女は一瞬言葉を選んでからゆっくりと語り始めた。
「私は…他の魔族と異なる力を生まれつき持っていました」
「未来を見る力…ですか?」
「未来といっても、確実にして誤りの無い未来は数秒から十数秒。時が離れれば離れる程、人の行動は移り変わり、正確では無くなります」
ゲーテの語る自身の超能力にカイムは驚きと疑いの視線を向けた。その視線に神妙な面持ちのゲーテは、静かに頷いた。
そんなゲーテは語る内容を纏める途中から息を荒くし始めると、深呼吸して気を落ち着かせ再び過去の話を続けた。
「最後のヒト族侵攻の遥か前です。私は…漠然とした言い方ですけど、嫌な予感がしたのです。背筋が凍るような寒い感覚。暖かな春の午後にです。恐れる気持ちを圧し殺して、あの時の私はぼんやりとして不確実な未来を見ました。何時とも知れぬ、どこと解らぬ都市が燃やされ、あのおぞましいヒトやエルフが笑って無垢なる民を虐殺する…そんな未来を見たのです…」
そう語るゲーテの組まれた手は、彼女の知らぬ間に震えていた。それに気付いた彼女は震える左手で同じく震える右拳を握った。震えを抑えようとする手さえも震えていることに気付いたゲーテは、戸惑いながら手首を掴んだりとなんとか震えを止めようとした。それでもゲーテの手の震えは止まらず、彼女は長机の下に両手を隠した。
ゲーテの語る言葉を聞いていたカイムだったが、彼もいつの間にかその震える手を見つめてしまい、その手がテーブルの下に隠されると彼はゲーテと目が合った。見られて気持ちのいいはずのない手の震えを凝視したことでカイムはゲーテに猛烈な気まずさを感じ、彼女も申し訳無さそうに作り笑いを浮かべた。
ゲーテの誤魔化すように作り笑いにカイムはどうにも励ますことも笑いかけることも出来なかった。そんな彼女にドレヴァンツは優しく肩に手を掛けた。
「魔族の揉め事なら、未来を変えられます。しかし、ヒトの侵攻は…あれは天災の様な物です。できる事は、被害を抑えるために備えること。私は皇帝に何時どこで起きるか解らないヒト族達の侵攻をとにかく伝えるよう頼みました。でも…」
「私以外の9人の枢機卿が、勝手に予言を"東から13年後に侵攻する"と言うものに変えて伝えたのだ。四度の大敗北で、最早テオバルト教の立場も信仰も無に等しかった。だから、あやつらは教会の復権を狙って余計な言葉を付け足した。"あんな曖昧な予言を誰が信じるのか"と言ってな」
喋る度に息の荒くなり、手や足がトラウマで震えだすゲーテを気遣い、ドレヴァンツが彼女が一旦落ち着くまで説明を引き継いだ。その最中もゲーテは数度の深呼吸で息を整え震える手足を平常心で落ち着かせた。
そして落ち着いたゲーテはドレヴァンツに大丈夫と伝える様に数回頷くと再び語り始めたのだった。
「彼等枢機卿達は、私達の罷免を盾に誤った予言を皇帝に伝えました。私達は心に病をおった等の理由で南方へ幽閉されました。そして…時が経つにつれ、どんどん正確な未来が見えるようになりました。ヒト族が…何時どの様に侵攻するのかが…彼等は…」
「奴等はかの予言から5年ずれた18年後に"北から"やって来た。流氷を魔法で砕きながらな。東方の要塞建築や防衛の為に人員を欠いた事から北方は壊滅した…教会のちっぽけな理念の為に、多くの民が犠牲になった」
ゲーテの懺悔と後悔の言葉に、ヨルクの冷たい言葉が被さった。その必要以上にゲーテの言葉を遮り発言するヨルクの発言に、カイムは不思議と怒りに混じる別な感情が含まれていると感じていた。
人体構造上、表情を造れないヨルクはその口調と身振りの重要性を理解していた。その習慣から、怒りの感情なら多少大袈裟であってもしっかり表現するはずである。何より、身についた習慣は早々取れるものではなく、意識して止めなければその片鱗は見えるはずとカイムは考えた。
ゲーテを叱責したヨルクは、無意識に緩められた襟元へ手を伸ばそうとしたが、途中でそれに気付くと強く拳を握り勢い良く膝の上に置いた。
「クラウゼヴィッツ卿。過去にも言ったが、私達とて何もしなかった訳ではない。幽閉されながらも、教皇さまは真実を伝えるべきと叫んだ。私達も、精鋭の聖堂騎士達を何とか北へと向かわせた…何度も言っているが、精鋭だぞ!それでも負けたのだ!それに、奴等は東からも続々と流れ混んできた。北と東で、私達も信頼出来る多くの同胞を…」
ドレヴァンツの唇を噛み締めて過去を悔やみなながら言った言い訳に、ヨルクは怒りの余りにその右拳を机に激しく打ち付けた。
「同胞が何だ!何だというのだ! 」
抑えていた感情を爆発させるように両手を勢い良く机に突くと、ヨルクは勢いよく立ち上がった。椅子を倒すほどの勢いのヨルクの息は荒く、その肩は怒りを通り越した負の感情で震えていたのだった。
「我輩は忘れぬ…故郷の…皆の危機を血塗れになりながら伝えに来た幼い娘の怯える姿を…奴等に蹂躙されたメルクス=ポルメンを…妻の…アンネリーエのあんな姿を…」
カイムはヨルクが結婚していたことやその妻がアンネリーエという名前をしていることを聞いた事が無かった。
そして、ヨルクから湧き出す負の感情や彼の語る戦場の悲惨さを、カイムはローレへ疑問の視線を向けた。その疑問を察したローレは数回頷くと、教会の2人に視線を向けた。
肩を震わせるヨルクの怒りの言葉は最もだったが、その一方的な恨み節はドレヴァンツの怒りの火に油を注いだ。彼は歯を食い縛り湯気が出るかとさえ思える程顔を真っ赤にした。
「クラウゼヴィッツ卿!言って良い事と悪い事がある!彼等は家族も同然!その者達が無惨にも殆どが討ち死にだ!それを…何だだと!」
恨みや怒り、お互いの事情はヨルクもドレヴァンツも理解しているため、彼等は本気でぶつかれない感情を中途半端にぶつけ合った。その結果、場の空気はとにかく暗くなるばかりであった。
そんな中、瞳を閉じて今まで黙っていたローレは、部屋全体に響くように手を叩いた。その鋭い音に部屋は静まりかえり、彼女の刺すような冷たい視線を受けると少し冷静になったヨルクとドレヴァンツはお互いに軽く頭を下げて席に座った。
「やはり、カイム君の判断は正しかったかも知れませんね。この空気が去ってから来るべきだった」
自分の後見人であり恩人のヨルクが悲しむ姿と、国教のトップに立つ者達の無力さに、ローレは疲れた表情を浮かべ小さな溜め息をついた。
「何やら、応接室が教会の懺悔室になっていますね。貴殿方は彼に、何も知らなかったカイム君達へ懺悔するためにわざわざここへ?」
目頭をマッサージするローレの疲れが見える言葉に、今まで黙っていたゲーテが口を開けた。その口からは直ぐに言葉が出ないのか、彼女は右手を胸に置き一端深呼吸した。
「貴殿方には信用出来ないかも知れませんが、未来を見ました。まだ時が離れているため曖昧ですが、荒れ狂う議会が見えました」
ゲーテは静かに語り始めたが、その予言の内容を語る程にゆっくりとその肩は震え始めた。
「しかし、その荒れ方は激しい討論による物では無かった。最後に見たのは…飛び散る血飛沫…」
語るゲーテの右手の震えは増していき、彼女は再び肩で息をするほどに息を荒くし始めた。それに耐えるように彼女は右拳を掴み、必死に息を整えつつ話を続けた。
「いきなり復興し始めた帝都に見慣れぬ集団。その者達を率いる誰かが、皇女の…ホーエンシュタウフェンとってどの様な存在か確かめに来た…ただそれだけです」
荒い息でなんとか語りきったゲーテは、カイムへ向けて自分を卑下する様な笑顔を向けながら猛烈な疲労感を見せながら肩を落として椅子の背もたれに寄り掛かった。その状態に心配そうにカイムは声をかけようとしたが、ゲーテは彼が口を開く前に何度か頷いてみせた。
「しかし、それも不要だったようですね。民からの信頼は…私達よりも厚いようですしね」
そう言うと、ゲーテはゆっくりと足元を確かめながら席を立ち上がりドレヴァンツに離席を促した。
そのゲーテの発言や行動にドレヴァンツは驚きと焦りの表情を浮かべた。
「教皇さま!このままここを去るなどなりません。このままでは貴方が…」
「お祖父様、構いません。私の勝手な目的は達しました。そろそろ帰らないと、この先あの老公方に何を言われるか解りません」
明らかに教皇が悪者扱いという話の終わり方に異を唱えたいドレヴァンツだったが、彼はゲーテの言葉に何も言えなかった。
そんなゲーテのふらつく姿にドレヴァンツが立ち上がるのを手伝うと、彼女は胸の前で手を組んだ。
「最後に一つだけ、質問しても良いでしょうか?」
ゲーテの祈るような姿の質問に、カイムは片手で何も言わず続けるように促すと、改めて手を組み机に肘をついた。
「貴方は…神へ祈りますか?」
「私は、神を信じない。そんなものが本当に居るなら、野蛮なヒト族は駆逐され、愚かな我々は絶滅している…苦しむ者を救うのが神なら、この世界は存在さえ出来ない。だから、私は祈らない」
ゲーテの質問にカイムは即座に突き放すようには答えた。それは、カイムの無神論者としての本気の答えであり、彼自身が神をあまり好いていないことの現れが答えに滲みだした結果だった。
カイムの言葉にゲーテが目を丸くして静かになると、言い過ぎたと感じたカイムは何かを付けたそうと考えた。
「ただ、"神が居るかと思えるような人が生み出す奇跡"は信じる。だから、私がここに居る」
だが、その付け足された言葉にはゲーテどころかドレヴァンツさえ驚きの表情を見せた。その驚きからゲーテドレヴァンツはいつの間にか胸の前で手を組んでいた。
その二人の反応にカイムは驚き、思わず黙ってしまった。
「"友よ、私は民の前で叫んだ。彼等は私を信じた。だからこそ、私は退けぬ。祈れぬ私の代わりに、私に祈る民のために。彼等という奇跡を護るため、私は駆けるのだ"」
唐突に語り出したゲーテに、カイムやアマデウス、ギラは呆気にとられていた。そんなカイムは不思議と妙な視線を感じ横を向くと、ヨルクとローレさえも彼を驚きの視線で見つめていた。
「貴方に、民の祈りの奇跡があらんことを」
ゲーテはそう言うと、ドレヴァンツを連れて応接室を去っていった。
突然に始まり突然に終わった会談と言えるか怪しい出来事に、カイムは猛烈な疲労感を感じた。
「閣下、この速記どうしましょう?」
カイムも気付かぬうちに始めから終わりまで速記の任務を完遂していたギラは、手元にある国家を揺るがしかねない機密文書を前に珍しく顔を青くしていた。それはアマデウスさえ同様であり、親衛隊三人は少しの間だけ思考停止に成りかけていた。
「ここで聴いたことは、私の許可が無い限り他言無用だ。書類は執務室の金庫に。漏れた場合は…」
「了解しました」
冷や汗をかくカイムの言葉に、青い顔のギラは即座に返答した。その言葉にカイムが頷くと、彼は未だに視線を送るヨルク達を見つめ返したのだった。
「二人共…どうしたんですか?」
カイムの質問に、ローレは一瞬動揺するようにヨルクを見た。ヨルクもヨルクで口を開けて黙っていたが、少し遅れて彼は右手て軽く額を軽く撫でながら片方の手を軽く振った。
「いやっ、そうだな。君に対しての評価を改めようと思ってな」
「ヨルク殿、私は北方貴族達の元へ行ってきます」
少しばかり慌てながら立ち上がるローレに素早く数度の頷くと、ヨルクは急ぐように手を振って促して見せた。
足早に去っていくローレや態度を急変させたヨルクに、カイムは首をかしげて猛烈な疲れに身を任せ椅子の背もたれに寄りかかった。




